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How did you feel at your first kiss?
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 鳳は何かに気づいた声で宍戸の名前を呼んだ。
 キスのさなか、呼吸のあいま。
「………宍戸さん?」
 問いかけてきた唇は、微笑みの形をしている。
 目線を合わせてきた目元は、的確に宍戸の気持ちを酌んでいる。
 宍戸は尚もそこに口付ける。
「俺、なにかしましたか?」
「…………るせーよ。黙ってろ」
「はい」
 従順に頷いた鳳は、薄い色合いの瞳を幸せそうに細めて宍戸を見下ろし、もう何も喋らない。
 その唇へ、宍戸は繰り返し口付けた。
 感謝をしている。
 そういう思いをキスに交ぜた宍戸の心情を、鳳は素晴らしく濃やかに汲み取るのだ。
 違和感ではなく、正しく読み取って、気づいてくれる。
 今このキスを、鳳は微笑と共に受け取ってくれている。
「長太郎」
 感謝を、している。
 言葉でも伝えるけれど、言葉では伝えきれない分を、表せる術があってよかったと、決して言葉のうまくない宍戸は思っている。
 そっと重ねていくキスは、宍戸の思いを表す幸福な手段だ。
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 目が染みて、額からの汗のせいかとふと気づく。
 それを拭おうとして、今打ったサーブが何本目なのかを忘れてしまった。
「…………………」
 鳳は二の腕で雑に額を拭い、そういえばサーブを何球打つつもりだったのかと自問してみる。
 明確な数字を思い出せないまま、また新たに打ち込んだサーブの行方が見てとれない。
 汗は拭った筈なのにと怪訝に思って初めて、辺りが相当に薄暗くなっている事に鳳は気づいた。
 息が苦しい。
 感覚が後からついてくる。
 いったいこれは何なのだと、急にしづらくなった呼吸を肩で逃した鳳の背中が、何かでふわりと覆われた。
 力が抜けそうになる。
 鳳は背後を振り返った。
「…………え…?」
 鳳の背中に額と手のひらを押し当てている。
 宍戸が。
「………宍戸さ…、?」
 見慣れた細い肩を。
 身体を捩る窮屈な姿勢で見下ろして、鳳は小さくその名を口にした。
 宍戸の腕が伸びてきた。
 鳳の身体の前側から。
 宍戸の手のひらが、鳳の肩を掴む。
 縋る、といった方がいいのかもしれない。
 すんなりとした宍戸の指先が、鳳の肩を甘く羽交い絞めるように。
 その仕草は懸命に取り縋っているようにも見えた。
 ぼんやりと宍戸の手を見下ろした鳳の背に、宍戸が身体を寄せる。
 何がとも言い切れない心地良さに引きずられて、それと同時に鳳の思考が少しずつクリアになっていく。
「宍戸さん?」
 どうして?と呟けば、どうしてじゃねえよと、にべもなく返されてしまった。
「…どうした。長太郎」
 挙句、逆に問い返される始末だ。
「……どう…って?」
「何してんだ。お前」
 別段怒った口調ではなかったが、宍戸の手のひらが、まるで何か労るような仕草で鳳の肩をさすってきた。
 宍戸は尚も鳳の背に重なるように密着してきて。
 身体の距離が近くなる事で、鳳は闇雲な安心感を覚えた。
 まるで衝動のように、今ここにいる宍戸が鳳の全てになるような気がした。
 しばらくそのままでいた。
 何も言わず、答えず。
 身じろぎもしない鳳に、宍戸は背後から静かに寄り添うだけだ。
「…………………」
 どれくらいそうしていたのか、鳳の手が意識するより先に動き、自身の肩口にある宍戸の手の上にそっと重なると、宍戸はまた同じ事を口にしてきた。
「どうした…? 長太郎」
 今度は鳳にもその意味が判った。
「……すみません」
「謝んなくたっていい。俺が気にかかるだけだ…」
 素っ気無いような言い方だったが、少しも距離も置かずに、ぴったりと鳳の背に寄り添っている宍戸の仕草は優しかった。
 鳳は、ゆっくりと息を吐き出した。
 宍戸がいるだけで、和いでいく。
 訳の判らない戸惑いがやわらいでいく。
「………春から…宍戸さんとテニスが出来なくなるのが怖い…」
 何の取り繕いもなく、本音だけが零れた。
 何を甘ったれた事を言っているのかと鳳自身口にした途端苦笑いしてしまったが、宍戸は笑わなかった。
 否定の言葉も言わなかった。
「…………………」
 鳳の背中に重ねられた宍戸の額や頬の感触が繊細に甘い。
「………あんまり無茶するな」
 だからってと咎めの言葉が振動と一緒に鳳に響いた。
 それで漸く鳳も、がむしゃらというより、ただ衝動的に、延々サーブ練習をしていた自分を省みる事が出来た。
 そして、恐らくずっと見ていたに違いない宍戸が今の今までそれを止めなかったのは、鳳の胸を巣食う感情に気づいていたからに違いない。
 その不安を杞憂だと笑い飛ばさないのは、宍戸もまたその感情を持っているからに違いない。
「すみません…」
「長太郎」
「はい…?」
「…俺の一番大事なものなんだから」
「宍戸さん?」
「もう少しお前も大事に扱えよ」
 そう言って、宍戸は両腕で鳳の身体を、背後から強く抱き締めてきた。
 縋られているような抱擁は、その実どこまでも鳳を受諾する、強くて優しい腕が織り成す感情表現だ。
「好きです。宍戸さん」
「………知ってる」
「知ってても言います」
「…………じゃ…言え」
 本当は正面から、鳳も自身の両腕で宍戸を力ずくで抱き締めたい。
 しかし背後からだからこそ、宍戸がこんな風にいつもとは少し違った態度を見せてくれている事も判るので。
 鳳は、強靭でありながら華奢な宍戸の両腕に背後から抱き寄せられながら、何度も、何度でも、乞われた言葉を口にした。
 二月十四日、そこかしこでチョコレートが飛び交うその日、宍戸が見かける鳳は、大概遠慮がちに微笑んでいた。
 バレンタインデーのチョコレート、誕生日のプレゼント。
 そしてそれらを手にして鳳の周囲に居る女生徒達。
 彼女等は、大抵おとなしそうで可愛らしいタイプか、大人びた上級生のどちらかだった。
 鳳に好意を寄せる女生徒の雰囲気は何故か両極端で、見目する所をきっちりと二分させている。
 長身なのに物腰の柔らかな鳳は、異性への対応も丁寧だ。
 チョコレートやプレゼントを微笑んで受け取る様子はおっとりと甘い気配を漂わせているが、困ったような表情を隠しきれていないところがかわいいもんだと宍戸は思う。
 自分には手放しの笑顔だけを見せると知っているから。
 眼差しで、ずっと恋情を注いでくると判っているから。
「長太郎」
 朝から見かけ続けた光景もどうやらこれでお終いだろうかと、宍戸は夕暮れの中、交友棟の壁面に寄りかかって、鳳を手招いた。
「………………」
 紙袋ごとの下級生からの受け取り物を手にし、振り返った鳳が大きく目を瞠る。
「宍戸さん」
「………………」
 焦ったような鳳の表情に宍戸は低く笑った。
 背を向けて歩き出すと大きな手が宍戸の肩を背後から掴む。
「ちょ、…宍戸さ……」
「朝から散々見かけてるっつーの」
 別に疑っちゃいねーよと宍戸が肩越しに見上げた鳳は、それでもまだどこか慌てた目をしている。
「だって宍戸さん、行っちゃうじゃないですか」
「だってとか言ってんじゃねえよ」
「でも、」
「でもとかも言うな」
 かわいくてどうしようもないなと苦笑いに本音を交ぜて。
 バァカと呟き、宍戸は交友棟から体育館を通り過ぎ、室内プールの更に裏庭に足を踏み入れる。
 鳳はずっと宍戸の背後についてきていて、時々宍戸の名前を呼んだ。
「さて、と。ここらでいいか」
「……宍戸さん?」
「俺にはさせねえの?」
「え?」
 学校の敷地の一番外れまで来て、宍戸は足を止め、鳳を見上げた。
「今日誕生日だろ? 長太郎」
「はい。そうですけど…」
「チョコレートとかは勘弁しろよな。別に期待もしてねえだろうけどよ」
「くれるんですか?」
 すごく欲しいですと寧ろ真顔で鳳に詰め寄られ、宍戸は一層苦笑を深めた。
 狂乱じみたこのイベントに便乗する気はなかったが、生憎と、宍戸の年下の恋人は今日が誕生日なのである。
「ま、……バレンタイン半分、誕生日半分、ってとこか」
 コートのポケットに入れていた臙脂色のラッピングが施された四角い箱を取り出し、宍戸は鳳の目の前でペーパーを破いていく。
「え?………ええ? それ俺にじゃないんですか?」
 何で破っちゃうんですかとひどく慌てた様子の鳳をいなして、宍戸は桐箱の蓋を開けた。
 ざらりと指に掬って取ったのはチョコレート色の金平糖だ。
 ちいさく尖った星のような金平糖を一粒。
 自分の唇の合間に入れながら、宍戸は上目でちらりと鳳を見上げて笑う。
「お前のだぜ」
「……………って………え?」
「ただしセルフサービスな」
「………………」
 金平糖を乗せた舌先を、そっと鳳に見せ付けると、宍戸の両肩は鳳の手に握られ、何か余裕のない顔をした鳳にすぐに唇を塞がれる。
 チョコレートの味の金平糖は、互いの舌の合間をころりと転がって、ちいさな尖りが交わすキスに溶けていく。
 舌と舌とに揉み解され、とけてなくなった金平糖は。
 淡いチョコレートの味を口腔にした。
「一年に一回しか作らない金平糖を売ってる店があるんだよ」
「……宍戸さん」
「ん…ー……ふ…つう、金平糖を作る釜はものすごい高温だから……チョコレートなんざ入れたら分離して…えらいこと、…になるらしい…けど…、…ここの…は……」
 話しながら、もう一粒。
 宍戸は自分の口に金平糖を運ぶ。
 すぐに鳳のキスが落ちてくる。
「ふ………っ……」
 今日という日にチョコレートなんて真似、宍戸には到底出来なかったが、誕生日にほんの少し取り混ぜるくらいならばどうにか。
 それもこんな間接的な、回りくどいやり方で。
 しかも直接的にはまるで、鳳のキスが欲しくてやっているような現状で。
 キスをねだる。
 唇を塞がれる。
 水分を蒸発させ砂糖を結晶化させる金平糖は、どこか恋愛感情にも似ている気がする。
 レシピがないほどの金平糖の精製の難しさは、マニュアルのない恋愛と似通っている。
「、ん………っ……ん…」
 一年に一度しか作られる事のない金平糖が、宍戸の唇から鳳の唇へと移って、二人で溶かした。
「…………あとどれくらいあります?」
「死ぬほどあるぜ」
 本気で気がかりな様子で、金平糖の残り数を期に知る鳳に、宍戸は喉で笑い声を響かせた。
「あとは自分で食え」
「いやですよ。そんな」
 大人びた表情で子供じみた事を言う鳳の唇を、金平糖を含んでいない宍戸の唇が下から伸び上がって塞ぐ。
 甘い星の欠片が口になくとも、いくらだってしたいされたいその衝動。
 冬の静かな日暮れに抱き締めあって交わした。
 鳳に気づいた宍戸は、すぐに足早にスピードを上げて駆け寄ってきた。
 時々宍戸はこんな風に無防備だと鳳は思う。
「宍戸さん?」
「おう」
 足の速い人なので。
 宍戸はすぐに鳳の手の届く距離に来た。
 思わず差し伸べていた鳳の手を拒む事無く、寧ろ鳳の手首の少し上あたりを宍戸はぎゅっと掴んで、至近距離から鳳を覗き込んでくる。
 宍戸の眼差しは、きつさを増すほどに綺麗に光る。
「……どうしたんですか?」
「ん。あのな」
 これなんだけどよ、と宍戸が制服のポケットに手を入れて取り出して見せたものは燻したように光る金色の鉱石だ。
 宍戸が手にしていると、煌めきかたが一際不思議な印象に見えた。
「………パイライト…かな?」
 鳳が慎重に告げると、宍戸は口笛を吹いた。
「すげ。見ただけで名前とか判んのかよ」
「…多分ですよ?」
「いや…確か跡部もそんな名前言ってたぜ」
「これは部長が宍戸さんに?」
「ついでにお前にやるとか言いやがってな。ありがたく受け取れとか、全く腹立つ言い草だぜ」
 眉を顰めた宍戸に鳳は曖昧に微笑んだ。
 確かに普段から、跡部と宍戸が親しげに話をしていたりする様子などは殆ど見た事がなかったが、黙って肩を並べているだけでも案外通じ合っている事を知ってもいる。
 二人が一緒にいるのを見て、鳳が妬みに似た苦い感情を抱く事もある。
 妬みは、自分が持っていない物を持つ人から、それを奪ってしまいたい思いの事だと昔どこかで聞いた。
 人が持っている物を欲しいと思うだけなら羨みで済んだのにと幾度となく考えた。
「長太郎」
「……あ、…はい」
「……………」
「宍戸さん?」
 ふいに小さいけれど強い声音で名前を呼ばれ、慌てて意識を宍戸へ向け直した鳳は、自分を覗き込んでくる宍戸の眼差しの鋭さに僅かに目を細めた。
 怒った時に宍戸の瞳はますます力を持ってきつくなる。
「跡部の名前が出ると、どうしてお前いつもそういうツラすんだよ」
 そして直球な言葉には体裁を取り繕う気も奪われて、鳳は微かに苦笑した。
「すみません」
「……………」
 ごめんなさい、と続けて。
 鳳は、宍戸の肩をそっと引き寄せる。
 宍戸は逆らわなかった。
 俯いて、ぽつりと呟いただけだった。
「……なんにも関係ねえだろ」
「判ってます。ごめんね。宍戸さん」
 跡部ほどの強靭さを持っていたら。
 不安定に嫉妬して、宍戸を傷つけたりはしないのだろうけれど。
 鳳は跡部になりたい訳ではないのだ。
 自分のままで、誰よりも深く近い所で宍戸の近くにいたい。
 鳳は、宍戸の手をそっと包んだ。
 パイライトを握りこんでいる手は、すこし冷たかった。
「その石ね、宍戸さん。パイライトって名前は、スペイン語で火花とか、ギリシャ語の火の意味に由来してるんです」
「………………」
「パイライト同士を打ちつけると火花が出るからとか、回転させると火花が散ったように輝くからとか、そういう謂れのある石なんですよ。よく光ってすごく綺麗で、それでいて金よりもずっと強い石だから、宍戸さんみたいだと俺は思って」
「……長太郎…?」
「部長もそういうこと考えて宍戸さんに渡したのかなあとか考えちゃったんです。すみません」
「…………バカヤロウ」
 不貞腐れたように宍戸が言った。
「それ持って鳳に口説かれて来いって俺は跡部に言われたんだぞ」
「え?」
「………お前に口説かれたくて、のこのこと俺は来たってのに勘ぐられるなんて最悪だろうが」
 多分鳳は知ってるだろうからと、跡部は宍戸に言ったのだという。
 この石の意味も、それが宍戸と繋がると鳳が考えている事も。
 からかう跡部から放られた石を受け取って、悪態をつきながらも、宍戸は走ってやってきたのだと知らされて。
 鳳は両腕で宍戸を抱きこんだ。
「…嫉妬深くてすみません。ほんと」
「……今更口説き出したって遅ぇよ」
「これは口説いてるんじゃなくて謝ってるんです」
「…………………」
 暫くの沈黙の後、こぼれるように宍戸が笑い出した気配がした。
 振動が鳳の胸元に響く。
 強い信念を育てて、強い保護力を発揮し、邪悪な念を跳ね返す力を持つ石そのものの人は、鳳の腕に、こんなにも柔らかに温かい。
 好きだと呼吸をするように鳳が繰り返し告げれば、宍戸はひどく幸せそうに目を瞑るから。
 瞼の薄い皮膚の上に鳳は静かに唇を寄せる。
 胸の中で、火花が散った甘い音がした。
 別に自分自身をないがしろにしているつもりは全く無い。
 自虐的な性格をしている訳でもない。
 ただ時には、自分自身についてのみ、ひどく無頓着になってしまうことは宍戸も認めているところで。
 傍目にはそれがとても無茶な振る舞いに見えてしまうらしい。
 でもそれは、実は宍戸のとても身近に、あまりにも宍戸の事を大切に扱う男がいるものだから。
 あまりにも大事に自分がされてしまうものだから。
 多少自分が自分の事を気にかけずとも別段構わないだろうと、つい宍戸が思ってしまう原因にもなっていた。
 甘くて優しい年下の男と、時折喧嘩をしてしまうのはそういう訳だ。
 誰よりも宍戸を大切に扱う鳳は、宍戸が向こう見ずであったり無理をしたりする行動に対しての怒りもまた半端ではないからだ。
 滅多に起きないいざこざは、しかし起きてしまえば珍しい分だけ痛さも濃い。
 でも諍いの後で、飢えを隠せず少しだけ獰猛になる鳳に、宍戸はいつもやみくもな安堵を覚えるのだ。
 手荒に大事に抱き潰されて、甘やかされている時よりも安寧する。
「宍戸さん。……もう少し平気…?」
「……、…っ……」
「もう…少し…」
「ま、……」
 抱き締められ、耳元に乱れた吐息で尋ねられ、宍戸は身震いする。
 実際は、震える隙間もない程に、鳳に抱き竦められているのだけれど。
 普段であるなら、このまま終わるために強く宍戸を揺さぶってくる筈の鳳が、宍戸の中に深く沈んで動きを止めてしまった瞬間、宍戸にも判ってしまった事だったのだけれど。
「……待て、ですか?」
「違…、……おまえ……」
「ああ……まさか?」
 そうです、と鳳は微かに苦笑いを刷く。
 目で見なくても宍戸には判った。
「ゃ、……長太郎…、…」
「駄目。いかないで」
「……っ……ぅ、」
「宍戸さん…」
 実際に手を下して、無理矢理にでも我慢させるような真似はしない。
 優しい声で、優しい目で、いっそひどい命令をする。
 鳳は動き出した。
 宍戸の奥深い所にまで沈んで、そこから幾度も宍戸を揺すり上げてきた。
 強く、早く、長く。
「もっとずっと抱いていたいから」
「…………ぁ、っ……っ」
「まだ」
「……っ………ぅ…」
「いかないで」
「…ャ…、……むり、…っ……、ゃ、っ」
「……無理でも」
 じゃあもう動くなと泣いて訴えたい宍戸の言葉を飲み込む勢いで、鳳は宍戸を揺さぶってくる。
「……ッァ…、…ぁ、…ァ、っ」
 体内に奥深く食んだ熱が重く脈打ちながら動いて、繰り返される摩擦は本当に燃え立つような強い刺激をそこに生み、宍戸を混乱させた。
「…………ゃ…ッ、ぃ…、っ…ぁ、ァ、っ」
「……怖い?……我慢出来ない?」
「長太郎…、っ…、…も…ャ…っ、ぁ」
「辛い…?」
 塞き止められる事もなく、動きをゆるめて貰えもせず、鳳は、いくなと宍戸を言葉でのみ束縛した。
「………ぃ…っ……、ッ、……」
「宍戸さん」
「ゃ…、…も……怖…っ、…ぁ…ァ、ぁ、」
 よすぎて、よくなりすぎて、怖い、本当に怖い、だからもうと懇願で半狂乱になりながらかぶりをふりたくって泣きじゃくる。
「っぁ…、…ぁ……長太郎…、…」
「………こうしてる。ずっと。……抱き締めてる」
 おかしくなっていいからと鳳は宍戸の背を抱いて、卑猥に律動を複雑にした。
「ひ…ぁ…っ…」
 恋われて、壊れて。
 今にも流れ出していくものばかりで埋まった身体を攪拌される。
 激しく揺らされて、それでもしたたらせまいと、宍戸は自分の意思でのみ、それを塞き止める。
 鳳が乞うから。
 鳳が恋うから。
 だから宍戸は泣き濡れながら、もっとずっと恋われていたくて、壊れていようとする。
 しかけたのは鳳なのに、宍戸を大事にだけ出来ない事で、結局追い詰められたように鳳は歯噛みをするのだけれど。
 こういう時だけしか抱き締められない鳳を、宍戸がどれだけ好きでいるか、伝える術のように鳳の背に伸ばされた宍戸の指先には力がこもる。


 恋の器にいつも思いは満ちていて、そこから思いが零れてしまえど厭わない。
 おさまりきらないと判っていても、そこから思いは今も生まれ続けるからだ。
 正直そこまで心細そうな、不安気な顔をされるとは思わなかった。
 しかもそこにどこか苛立ちすらも垣間見えて、これは本気で参ったと内心で思いながら、宍戸は鳳を見上げた。
 うち来るか?と尋ねてみれば、鳳は逡巡の後、小さく頷いた。
 でも学校から宍戸の家へ向かう間も、鳳はひとことも口をきかなかった。
 少し先を歩く宍戸が時々背後に視線を向けると、鳳は宍戸が考えていた以上の強い眼差しで見据えてきていて、宍戸はまた嘆息する。
 元来穏やかな性質の鳳が、頼りなくも憮然とした表情をしていること自体、慣れない。
 どうしたものかと思い悩んでしまうから自然と宍戸の口数も減って、結局二人、ほぼ無言で歩を進める。
 そうして到着した宍戸の家で、家人の姿のないまま宍戸の部屋に二人で入ってしまえば、それこそもう。
 彼らをとりまくのは静寂だ。
「……長太郎」
「………………」
 宍戸は沈黙をやぶって鳳の名を呼び、彼の手をとった。
 そして自分のベッドへ鳳を座らせる。
 その正面に立って、いつもとは逆に鳳を見下ろしながら、宍戸は小さく肩から息を抜く。
 指先で鳳の髪を撫でた。
「………………」
 じっと見つめている宍戸の視線を、鳳もまた見上げて、受け止めてはいるけれど。
 やはりどうにも憂いで見えて、宍戸は鳳へと、ゆっくりと上体を屈めていった。
「………………」
 頬にキスして、そっと鳳の髪を撫で、耳の縁と、こめかみへも唇を寄せる。
 それから両手で鳳の頭部を囲うようにして、己の胸へと抱き寄せた。
 やわらかい癖のある髪に唇を落とす。
「好きだ」
 振動に近い小さな声。
 それを鳳の髪にうずめて、宍戸は呟いた。
「可愛いとか、かっこいいとか、俺はお前で全部思う」
「………………」
 身じろぎをみせた鳳の動きを封じるように、宍戸は胸元にある鳳の頭を更に抱き込んだ。
「お前が好きだ」
 聞かせている相手は、鳳にだけではなく、自分へも。
 宍戸は手を宛がっている鳳の後頭部をそっと撫で、繰り返し口にした。
 鳳が、うんざりするくらい。
 繰り返してやろうと思って、胸元にいる鳳にひとしきり告げた。
 鳳は何も言わない。
 しかし、大きな手のひらが、もどかしそうに伸びてきて宍戸の後ろ首をつかんできたので。
 宍戸は鳳の唇を塞ぎながら、彼をベッドに倒していく。
 鳳の上になって、口腔にある男の舌を微かに噛む。
 首の裏をつかまれたまま、鳳のもう一方の手が宍戸の腰を強く抱き寄せてきた。
 キスが、深くなる。
「……っ…、」
「………………」
「…ふ………っ、……、」
 唇を重ねたまま宍戸は鳳の胸元についた手で彼の制服のブレザーの釦を外す。
 空いた方の手では同時に自分の制服の釦を外していた。
「………長太郎……」
「………………」
「……好きだ…」
 同時にしようとするからうまくいかないのかもしれないが、互いの制服は何だかぐちゃぐちゃに乱れる割には、少しも思うようにならず、いつまで経っても中途半端に身に纏ったままだ。
 宍戸は鳳には何もさせず、一人で二人分の脱衣をしようとしていて、しかもその間ずっと鳳に囁き続けていた。
「好きだぜ。お前のこと」
「………………」
「お前みたいにはちゃんと言えてないけどな」
 でも今日みたいに、と宍戸は鳳の身体の上で自身のシャツを肩から外す。
「お前が言えない時は、その分も俺が言うからよ」
 そして宍戸は鳳のシャツも脱がせて、鳳の手をとり、その大きな手のひらを自分の胸元に運んだ。
「好きだって。それは俺が言うから」
「………………」
「お前は抱けよ」
 俺を、と微笑んで見下ろした鳳に。
 宍戸は嵐にまかれるような勢いで、抱き込まれ、反転させられ、組み敷かれた。
「好きだ」
 鳳は宍戸を抱く。
 けれど何も言わない。
 だから宍戸がずっと言っていた。
「好きだ」
 繰り返す言葉を、決して安くなんかさせない。
 事実を正しく告げて、それで陳腐に聞こえるなんていうのは、言葉に見合う気持ちの込め方が足りないだけだと宍戸は思っている。
 だからずっと、今日は囁いた。
「好きだ」
 そして。
「長太郎」
 同じ気持ちのこもる、二つの言葉を。



 数時間後、宍戸は台所で笑っていた。
 手にしているのはレモン。
 ガスコンロの前で、二等分にしたレモンの切り口を青い炎で焼いている。
 宍戸の背後にはぴったりと鳳がくっついて立っている。
「少しは落ち着いたか」
「………笑いすぎです」
 酷い声だった。
 掠れて、われて、歪んでいる。
 あーあ、と宍戸は苦笑いした。
「喋んなって。やっと声出るようになったんだろうが」
 宍戸がコンロの火で炙っているレモンの果肉が少しずつ焦げていき、柑橘系特有の香りが周囲に濃く立ち込める。
 鳳は宍戸の背後から腕を回してきて、下腹部を抱き込むようにしてきた。
「だってなあ……お前が、ああもへこむとは思わなかったからなぁ…」
 週末、鳳が風邪をひいた。
 微熱と共に腫れあがった喉は、腫れがひいた後には、完全にその声を潰してしまっていた。
 それはもう掠れ声などという生易しい話ではなく、声がまるで発せられなくなってしまったのだ。
 鳳という男は元来非常に細やかな性質をしている。
 しかも言葉にすると同時に行動にも出ている。
 そういうとにかくまめな男で、だから言葉が話せなくなってからも日常生活には然して支障はないようだったのだが、唯一の例外が宍戸だったらしい。
 好きだと言葉で宍戸に告げられないという事は、鳳にとって相当のストレスだったようで。
 余りにも判りやすく風邪をひいてしまった鳳からすれば、移してしまうかもしれないという危惧で、また宍戸からすれば病み上がりに無理をさせてはまずいだろうという危惧で、日常生活にも微妙な距離があいたものだから。
 次第、悲壮なストレスを露にしてきた鳳を、宍戸もいい加減放っておけなくなってしまったのだ。
 普段、言葉を惜しまない鳳に、甘えてしまっている自覚は宍戸にもある。
 だからせめてこんな時くらいは。
 好きだと口に出来ない鳳に、彼が言いたい以上の回数、自分がそれを与えてやりたくなったのだ。
 この数時間であまりにも繰り返し口にした言葉だが、これまで鳳が宍戸に告げた回数と等しくなるか越えるかしたかと考えれば、実の所あまり自信がないのが宍戸の本音だ。
「長太郎。グラス持ってろ」
 後ろ手に手を伸ばし、軽く鳳の頭をたたいて促した宍戸は、ガス台の火を止めた。
 そして鳳に持たせた耐熱性のグラスに、焦がしたレモン汁を絞る。
「うちではいつもこれなんだよな。喉は」
 飲んどけ、と指先でグラスを指し示して宍戸が言った通り、鳳は素直に従った。
「飲みづらかったらハチミツ入れてやるけど」
「………………」
 鳳は少し考える顔をして。
 いきなり。
「………、……てめ……」
 ちゅ、とかわいらしいこと極まりない音をたて宍戸の唇にふれるだけのキスをした。
 それから残りのレモンを飲んで。
 微笑んだ鳳が何事か言おうとするのを察し、宍戸は怒鳴った。
「長太郎!」
 はい、と声にはならなかったものの、素直に頷いた鳳に。
 宍戸は一気に脱力した。
 ハチミツって言ったんだ俺はと言おうとしていた言葉を捨てて。
 今日は、そうだ、言うべき言葉はこれだったと思いなおす。
「バカすぎだ、お前……ったく…そういうところも好きだけどな…!」
「………………」
 そうして再び、焦がしたレモンの味のキスをする。
 苦味より、酸味より、あくまで甘い、キスをする。
 案の定、鳳は宍戸を見つけるなり言った。 
「宍戸さん。平気なんですか?」
「何が?」
「……何がって」
 受験勉強ですよと気遣いの滲む真摯な目に顔を覗きこまれるようにされて。
 屈んできたその角度に、また鳳の背が伸びている事に宍戸は気づかされる。
 待ち合わせた公園への到着はほぼ同時だった。
 引き合うようにして足早に近づいて行って、久しぶりに面と向かって交わした言葉は当たりさわりなく、しかし宛がわせた互いへの視線は片時も外せない。
「………………」
 毎日当然のように顔を合わせていた頃に比べれば、会えないでいる時間は格段に増えたのだけれど。
 優しく丁寧な鳳の口調は何も変わっていなかった。
 ここ最近の鳳は、受験の差し迫った宍戸に、短い電話やメールで精一杯の配慮をしてよこす。
 白く煙る吐息を零す鳳の口元を見据えながら、宍戸は後もう少しで新しい年の来る冬空の下、同じように白濁した外気に溜息を紛れこませる。
「俺から誘わなきゃ、気使って、お前絶対声なんかかけてこねえだろ」
 一年の最後の日だからだとか、一年の最初の日だからだとか、そういう事ではなくて。
 ただ会いたい。
 宍戸はそれだけだった。
「俺のため?」
 そのくせ、聞いた鳳の方が余程感慨深く、ひどく幸せそうな笑みを浮かべてくるので。
「いや。俺のため」
 鳳の問いかけに、宍戸がそうして否定の言葉を放っても。
「嬉しいです」
「俺ほどじゃねえだろ…」
 鳳の笑みは甘くなっていくばかりで。
 宍戸もつられるようにして笑い、手を伸ばす。
 鳳の頬に軽く指先で触れた。
「………………」
 冷たい頬。
 肉の削げた精悍なライン。
 会えない時間を目にしているような面持ちで、宍戸はじっと鳳を見上げていた。
 直接手の届く距離。
 目を見て話せる。
 例え短い時間でも。
 こうして直接会う方が、やはりどれだけいいかと宍戸は思った。
「……長太郎?」
 鳳が、宍戸を強くかたく抱き締めてきた。
 いっそ唐突なくらいの勢いで。
 腕の力で。
「………………」
 随分と簡単に自分が鳳の胸元におさまってしまう事を知らされて、宍戸は些か面食らった。
 こんなだっただろうか。
 自分は。
 そして彼は。
「宍戸さん」
「………………」
 深い声。
 長い腕に巻き込まれるようにして、かきいだかれた背中。
 強い密着。
 冷たい身体同士なのに、冷えた服の感触にも温かさはないのに、わけもなく安心した。
「俺に宍戸さんをありがとうございます」
「………………」
 一年が終わる間際から、一年が始まるその後にまで、跨って。
 鳳は宍戸の耳元で、そう囁いた。
「………なんか変だけどな……まあ、何となく意味は判る」
 俺もそうだからと、宍戸は両手を鳳の背に回す。
「好きだぜ。長太郎」
「……宍戸さん…」
「好きだ」
 抱き締めあう事で、充分満ちてくるものがある。
 違う人間だからこそ、噛み合うように重なる部分がある。
 埋められる言葉がある。
 触れてやれる部分がある。
 抱き締めあったまま、実感して、今年もまた。
「長太郎」
「はい?」
「お前の欲しいだけ俺をやるから…」
「はい。宍戸さんの欲しいだけ俺をあげます」
 普段であれば、そっと微笑んで。
 貰って下さいと物柔らかに言うのが常である年下の男が、今は笑ってそんな物言いをするから。
 宍戸は鳳に抱き締められたまま、いっそ嬉しくて、ひどく安心した。
「だから宍戸さんも、俺にまた、もっと、宍戸さんを下さいね」
「だからやるって最初に言ってんだろ」
 でも結局は、やっぱりそんな風に。
 お願い、されるのだけれど。
 それはそれで宍戸を和ませる。
 いつもとは違うこと。
 いつもと同じこと。
 今年もそれらを、織り成していけばいいだけの話だ。
 あまりにも毎日寒いのが、その喧騒の原因だった。
 月曜日の朝の事だ。
「昨日の夜テレビでさ、お天気お姉さんが、明日の朝の気温は冷蔵庫の中とほぼ同じでしょうって言ったんだぜ! 信じらんねえよ!」
「それで昨日はちゃんと湯たんぽ抱っこして寝たんか? 岳人」
「寝たけど! でも湯たんぽ抱いたって、足とか顔は、朝にはすっげえ冷たくなってた!」
「確かになあ……今年はちょっと、尋常でなく寒い気がするな…」
「気じゃねえよ侑士! ほんとに寒いんだって!」
 三年の冬。
 部活を引退してからもつるんでいる時間は然して変わらない氷帝テニス部のダブルスコンビは、肩を並べて登校中だった。
「お。跡部と滝を発見」
 おーっす、と走っていく向日の後を忍足はのんびりとついていく。
「おはよう岳人。ほっぺた真っ赤だね。寒い?」
「あったりまえだろ滝! めちゃくちゃ寒ぃよ!」
「岳人は寒いの苦手だもんね…」
 滝が笑って言って、向日は頬をふくらませている。
「おはようさん」
「ああ」
 忍足の言葉に跡部は頷くだけで、それでも自然と四人で連れ立って歩けば、通学路の人目は否が応でも彼らに集まる。
「跡部、お前、制服の下に特殊スーツでも着込んでんじゃねえの?!」
「ああ?」
「平気な顔しやがって……ちょっとは寒いって前面に押し出していけよな!」
 くそくそ跡部っ、と言った向日は派手な音をたてて跡部に頭を叩かれて涙目だ。
「おいおい跡部……」
 苦笑交じりに忍足は、跡部に殴り返さんばかりの勢いの向日を己の方へと引き寄せる。
「離せっ侑士っ」
「あかんって。岳人」
「だって跡部がっ」
 俺は昨日あんなに寒くて今日もこんなに寒いのにー!と癇癪じみて喚く向日を横目に、跡部は肩を聳やかせた。
「は………寒いねえ…? 悪いがこっちはお子様体温で朝まで無駄に温かかったんだよ」
 ぴたっと向日の声が止む。
 皮肉気な笑みを薄い唇に刷いて、跡部は一人先を行く。
「………侑士……」
「……ん?」
 頬を引き攣らせた向日に、忍足は力なく笑った。
 その横で滝も微苦笑している。
 三人は跡部の背を見つめながら小声で言った。
「お泊りだね……」
「お泊りやな……」
「お泊りかよ…!」
 跡部の衒いの無さを三者三様の反応で受け止めた彼らは、ふと背後に鳳と宍戸の姿がある事に気づく。
 向日の目がすわった。
「くそ………あいつらも絶対お泊り組だな」
 だから月曜日は嫌なんだと向日が呻く。
「でもまあ……宍戸は跡部みたいには言わないんじゃないかな?」
「せやな。けど、宍戸はともかく、鳳は言うやろ? 宍戸さんが温かかったから寒くありませんでしたー!…とかなんとか」
「うん。鳳は言うね」
 滝と忍足がそんな話を続ける中、宍戸だって判ったもんじゃねえと言ったのは向日だ。
 俺はあんなに寒かったのにと恨めしい顔で鳳と宍戸を睨む向日の論点はすでに激しくずれてしまっているのだが、ぐるぐると喉を鳴らして威嚇に励む子猫の如き向日の様子に、滝が提案をした。
「じゃあさ、岳人。宍戸の返答で賭けしようよ。昨日の夜とか、今朝とか、すごい寒くなかった?って宍戸に聞いて」
「………聞いて?」
「宍戸が跡部的な返答をしてきたら岳人の勝ち。俺と忍足で放課後、岳人の好きなもの奢ってあげる。いいよね? 忍足」
「決定しといてから聞くなや」
 苦笑いしながらも、ええよと忍足は頷いてみせた。
「俺、ベーグル食いたい」
「ベーグルでいいの?」
「今月の限定スプレッドのイタリア産渋皮マロンのモンブランと、今月限定ベーグルのクリスマスチキン、あとホワイトチョコのクリームチーズのと、レモンとブルーポピーシードのマフィン、そこにグレープフルーツジュースつけて!」
「………………」
 向日にまくしたてられ思わず顔を見合わせてしまった滝と忍足だったが、正直な所あまり負ける気もしないでいる。
「判った判った。岳人が買ったらみーんな奢ったる」
「よっしゃ!…じゃ、とりあえず鳳を追っ払おう!」
 あいつが聞いてると宍戸も言うもんも言わない可能性あると向日が言っているのとほぼ同時に、滝が声を上げた。
「あ、鳳ー、跡部が呼んでたよー」
 すでに大声を出さないでも充分声の届く距離まで来ていた鳳と宍戸に向けて滝が告げると、足早に近づいてきた鳳が、そこのいた三人の上級生に生真面目に頭を下げてから少し不思議そうな顔をした。
「何ですかね?」
「さあ? 跡部、少し前にここ追い越していったばっかだから、走っていけばすぐ追いつくと思うよ」
「そうですか。行ってみます。ありがとうございます」
「いえいえ」
 おっとりと柔和に微笑む滝を前に、鬼だ…、と内心で呟く向日と忍足である。
「じゃ、宍戸さん。お先にすみません」
「おう」
 そう言って鳳が走り出し、その背が小さくなっていくのを、宍戸以外のその場にいる全員が我慢比べのような面持ちで見送って。
「ね、宍戸」
 漸く本題に入る。
 滝が声をかけると、宍戸はマフラーを口元近くまで指先で押し上げながら、何だよと呟いた。
 寒がっている仕草だなあと慎重に観察しながら、滝は宍戸に並んで歩き出す。
 二人のすぐ後ろには忍足と向日がやはり並んで後についていた。
「昨日の夜も寒かったよね。今朝もすごい寒いし」
「ああ」
「昨日の夜寝る時とか、寝てる最中とか、寒くなかった?」
 宍戸の返事を待って、三人の意識が真剣に宍戸へと向けられる。
 宍戸は、もう一度マフラーを引き上げながら即答した。
「寝てねえよ。だから判らねえ」
 今はすっげえ寒い、とも宍戸は付け足した。


 寝ていない。
 だから寒かったのか寒くなかったのかは判らない。
 宍戸が眠らなかった原因の男は今頃、元部長の前で意味も判らず首を捻っているだろう。
 この場合賭けの結果は果たして。
 鳳が宍戸から逃げている。
 宍戸がちょっとでも近寄ろうものならば鳳は断固としてそれを拒否をする。
 これはいったい何事かと氷帝のテニス部内は騒然となった。
 逆ならばまだしもと。
 公然と言われてしまっている辺り、当事者である鳳と宍戸にも複雑な思いがあったのだが、とりあえずもっかのところ彼らに外野に構っている余裕はなかった。
「柔軟」
「別の人として下さい。宍戸さん」
 眼光鋭く宍戸が鳳の前に立つ。
 鳳は鳳で溜息交じりに頭を下げる。
 お願いしますとまで鳳に言われて、宍戸の表情はますます厳しくなった。
「嫌だ」
「……嫌だじゃなくて。……ほんとお願いですから。宍戸さん」
「知らねえよ。いいから柔軟だっつってんだよ。俺は」
「だから、俺は宍戸さんとはしませんって言ってるじゃないですか」
 ダブルスは一応どうにか出来ますからと鳳が疲れたように言って。
 宍戸が一層機嫌を悪くしていく。
 険悪ともいえる雰囲気は、少なくとも鳳と宍戸が醸し出すという事など、通常ならば有り得ない程の険悪さだ。
 氷帝テニス部員達はこぞって顔を引きつらせていた。
 さすがに普段ならば大抵のことには動じないレギュラー陣でさえも、あまりの雲行きの悪さに彼らの様子が気になって仕方ないようだった。
「………侑士ー…! どうしたんだよあいつら!」
 向日の体当たりを平然と受け止めた忍足は、なんやろなあ?とこちらも不審気に首を傾げている。
「えー、あれって鳳がきれてんの? えー、なんで鳳が宍戸にあんなこと言うの? なあ日吉? なんだあれー?」
「……………知りません。ユニフォームが伸びます。手を離して下さい」
 うんざりとした風情で、しかし日吉は背後を流し見るようにして鳳と宍戸を伺ってもいる。
 ジローは日吉に軽くあしらわれると気にした風もなく、今度は樺地へとかけよって、同じ質問をぶつけていた。
 レギュラー陣がこんな調子なのだ。
 二百名はいるテニス部員達が浮つくのも無理はない。
 しかし、そこに一人、容赦のない男もいるわけで。
「てめえらいい加減にしとけよ」
 なまじおそろしく顔立ちの整っている男なので。
 跡部がそう低く言って凄むと、凄まじい迫力になる。
 無表情でいる故に跡部の怒りは赤裸々でもあり、部員たちは慌てて柔軟に勤しむべく散らばっていった。
 跡部は鳳と宍戸の元へと近寄って行く。
「何考えてんだお前ら」
 呆れて吐き捨てるように言えば、恨みがましい視線が跡部に注がれる。
「静電気ごときで何をぐだぐだ言ってやがるんだ。鬱陶しい」
「うるせえ! 俺は静電気なんかどうでもいいんだよ! 長太郎の奴が、」
「どうでもいい訳ないです! 俺、今年本当に静電気酷いんですよ?! 宍戸さんに怪我でもさせたら……!」
「するかっ。静電気ごときで!」
「暗がりなら火花見えるんですよ! 宍戸さんの指に傷でもつけたらどうするんですか……っ!」
「だからしねえよ! いいから柔軟!」
「だから柔軟はしませんってば…!」
「……………馬鹿だろ貴様らっ」
 跡部が呪詛でも吐くように言い捨てる。
 鳳と宍戸はそんな跡部にお構い無しに、堂々巡りの言い争いを繰り返していた。
「………………どうしようもねえ……」
 呻いた跡部だけが知っている。
 別に喧嘩や諍いがあって、鳳が宍戸を遠ざけているわけではない。
 鳳らしからぬ言動は全て。
 いっそ過保護なまでに鳳が宍戸を特別視する表れだ。
「おい! 二人ともグラウンド十周走って来いッ。戻ってきてから別々に柔軟だ」
 足で蹴り出す勢いで。
 跡部は、鳳と宍戸を。
 コートの外へと追い払ったのだった。



 鳳自身が言うように、今年の鳳は何に触れても。
 音がたつほどの強い静電気を起こしてしまっている。
 尋常でない程に、頻繁で。
 人と人との指先の接触であっても、静電気は音を上げ、鳳の指の先を痛ませた。
 そのうち指先だけでなく、二の腕でも胸元でも、接触した箇所から強い静電気が起きるようになって、鳳は何はさておき、帯電しているらしい自分から宍戸を遠ざけようとするようになった。
「……たかだか静電気くらいで」
「………たかだかって何ですか」
 憮然と言葉を交わしながらも、鳳と宍戸は並走してグラウンドを走る。
「本当にすごいんですって……」
 鳳自身、いい加減持て余している。
 あまりにも強い静電気は、何度体験しても小さく不快なのだ。
 そんなものを鳳は宍戸には絶対に与えたくない。
「俺はお前に痛い真似なんかされたこと一度もねえよ」
「……何言ってるんですか…宍戸さん」
 痛い事ばかりだったでしょうと鳳は走りながら視線を逸らし曖昧に告げる。
「………濡らしてやりゃいいのかな」
「宍戸さん……ほんとに勘弁して下さいって……」
 聞こえるか聞こえないかの声で、些か不機嫌そうに呟いている宍戸の言葉一つ一つに鳳は狼狽えた。
「濡れてりゃ静電気も起きないだろ」
「宍戸さん」
「十周、気合入れて走れよ。長太郎」
 言うなり宍戸のスピードが増した。
「………………」
 華奢で、しなやかで、強靭な背中。
 走る速さを増した宍戸を、鳳は一瞬目を細めて見つめて。
 それからゆっくり笑みを浮かべた。
「………………」
 もっと速く、速く走って。
 汗で濡れて、そうすれば。
 傷つけないで触れられるかもしれない宍戸を、彼だけを見つめて、鳳は強く地面を蹴り上げた。
 今日の最後のキスのつもりだったのだ。
 ごく軽い、触れる程度のつもりで、重ねた筈のキスだったのに。
 やっぱり駄目だった。
 すぐにそれを自覚して。
 鳳は胸の内に、苦笑交じりの思いを宿す。
 やっぱり駄目だった。
 判ってはいた事だったけれども。


 宍戸の唇は、触れればいつも、清涼感のあるミントの匂いがする。
 優しく冷えている吐息と唇のやわらかさには、幾度口づけても思い知らされる事がある。
 キスをした瞬間に。
 湿りがちな、滞りがちな、鬱々としたものは全て清められる。
 隠しもっている、押さえ込んでいる、密やかに静めている筈の欲望は全て引き摺り出される。
 宍戸に口づけるたびに。
 必ずそうなる。
 これがいくら、もう何度目かも判らないくらいに繰り返した接触であっても、一種眩暈じみた衝動で、鳳は宍戸をかき抱かずにはいられなくなった。
「…………、…ん…」
「………………」
 もうほんの数ミリも背後には行けないくらい。
 部室の壁へ背を押し当てている宍戸に、覆い被さるようにして。
 鳳はその唇をキスで深く塞いだ。
 部活後、一番最後に部室に戻ってきた鳳と宍戸が、着替えを済ませたのも、やはり一番最後のこと。
 チームメイトの姿は、もう誰一人としてここにはない。
 制服に着替えて、それじゃあ帰るかと言って部室を出ようとした宍戸の腕を引いたのは鳳だ。
 そして最初は確かに軽く重ねるだけのつもりだったキスが、次第に熱を帯びていってしまった。
「ふ…………ぁ」
「………………」
 小さな喉声が宍戸の唇から零れると、宍戸がいつも口にいている飴やガムのミントの香りが、キスに溶けて甘みを濃くする。
 それを飲み込むように、少しだけあからさまに鳳が宍戸の舌を貪れば、宍戸の指先が鳳の肩を掴んできた。
 引き剥がしたい素振りではなかった。
 むしろ、小さく取り縋る所作で。
 鳳の肩口を掴む手の動きがどこか幼くさえあって鳳は余計に煽られた。
「宍戸さん」
「………、ぁ、」
 執拗に絡めた舌を、殊更ゆっくりと、ほどく側から鳳が囁くと。
 濡れた息も声も全部そのままふりこぼして、宍戸が眼差しを仰のかせてきた。
 睫毛の震えも見て取れるくらいの至近距離。
 鳳は宍戸の頬を、そっと掠るくらいのキスをして、腕の中にその痩身を抱き込んだ。
「………………」
 鳳の腕の中、宍戸の肢体からは。
 やはりあの、仄かに甘い気配の、爽やかな匂いがする。
「長太郎、…」
「……もう少しだけ」
「………………」
 ここまできてしまえばもう。
 ねだるのもあまえるのも何も隠さずに。
 鳳は洗い浚い晒して、そう口にした。
 宍戸を抱き締めながら、ほっそりとした首筋に横ざま唇を寄せる。
 鳳の唇に、宍戸の首の脈が直に響いた。
「お願いします。……あと、もう少しだけ、こうしてて…?」
「…………お願いなんかされなくたって…別にやめろとか言ってねえだろ…」
 少し怒ったような声で、しかし宍戸の指先は甘い仕草で鳳の髪にうずめられた。
 宍戸の手に抱き返される。
 鳳は宍戸から、澄んだ香りの涼やかさと、密着した身体の温かみとを同時に感じる。
 厳しくて優しい人。
 鋭くて柔らかな人。
 渇望する気持ちは募るばかりだった。
「………………ミントには温冷作用があるっていうけど、本当ですね」
「……、…は…?」
「寒い時に温めて、暑い時には冷ましてくれる効果があるっていうから」
 鳳の腕の中にいる宍戸が、まさにそうだった。
 いつもそうやって、あまりバランスのよくない鳳のメンタルを、宥めたり切り替えたり、時には煽ったり唆したりしてくるのだ。
「……何だ? ガムの話か…?」
 本人は何も判っていないらしいのだけれど。
 全くもって無意識の事らしいのだけれど。
「…………違います。宍戸さんの話ですよ」
 鳳は、小さく笑って言った。
「ミントの匂いのする、宍戸さんの話です」
 冷静になるきっかけも、気を紛らわせることも。
 気がかりの緩和にも、気持ちの切り替えにも。
 もっと欲しい、まだ欲しい、口に出来ないと落ち着かない。
 欲しくて、好きで、必要なのだ。
 大切なのだ。
 この人が。


 鳳は、今度こそ今日最後の心積もりで。
 ミントの匂いのする宍戸の唇を塞いだ。
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