How did you feel at your first kiss?
大型のタイフーンの影響で飛行機が飛ばなかった。
鳳が日本に戻ってきたのは、本来の帰国予定日よりも、結局三日も遅れた九月二日の事であった。
異国のその地に滞在していた時間は一週間。
仕事で日本を離れなければならなかった事も、帰国日に勢力の強いタイフーンにかち当たってしまった事も、ある意味仕方のない事であったが、鳳には大きなダメージを与えた。
鳳の急な仕事が入らなければ、八月の最後の一週間は、恋人と完全休暇を楽しむ予定だったのだ。
中学で知り合った一つ年上の鳳の恋人は、宍戸といって、今はその出身中学校で教師をしている。
公務員である彼の休暇は規則的だがテニス部の顧問をしているので、大きな大会のある夏場は多忙だ。
鳳もまた漸く弁護士になったばかりで日々忙しく、漸く互いの休暇を合わせた一週間が、見事に潰れた。
消沈する鳳に発破をかけるようにして、仕事ならちゃんと行って来いと空港まで見送りに来てくれた宍戸は、帰国時の便に合わせて迎えにも来るからと言ってくれていたのだが、タイフーンのせいでそれすらも呆気なく叶わぬ事となる。
予定通り八月三十日に帰国出来ていれば、せめて最後の一日は一緒に過ごせたのにと、鳳は溜息をつきながら、ゲートを進んだ。
職業柄きっちりとスーツを着込み、長旅のせいだけではない疲れを滲ませながら、鳳は全ての手続きを事務的に済ませていく。
九月二日となってしまっては、新学期も始まっている。
宍戸もまた忙しい日常に戻っているのだろうと思いながら、時刻を確かめて、鳳は空港のロビーで携帯電話を手にした。
宍戸に連絡をしようとして。
「……………………」
鳳は固まった。
鳳の目の前に、宍戸がいたからだ。
それも、両脇に長身の金髪碧眼の男性を置いて。
彼等は宍戸に、しきりと何事か熱心に話しかけている。
宍戸はほっそりとした首筋や鎖骨のラインがきれいに出るラフなシャツ姿で、慣れた様子で彼らをあしらい、そうして鳳に気づく。
「よう。お帰り」
真っ直ぐに宍戸は鳳の元へと歩いてくる。
「……宍戸さん?」
「なに惚けたようなツラしてんだよ。迎えに来るって、お前が行く時言っただろ」
「え……でも…、……新学期始まってるでしょう? どうして?」
「関係ねえよ」
だいたい時間見てみろよと言われてみれば確かに、夜の便で帰ってきた訳だからこの時間まで授業がある筈もない。
それにしても、まさか宍戸がここに居るとは本当に思わなくて、鳳は面食らったまま、久しぶりに対峙した宍戸の顔をじっと見据えた。
「………………」
そうやって。
何年経っても。
繰り返し繰り返し、鳳が見惚れる、厳しくも甘い綺麗な面立ち。
宍戸は鳳からの視線を真っ向から受けて、その薄い唇に婀娜めいた笑みを浮かべて言った。
「長太郎」
「……はい」
宍戸の片手が、鳳のネクタイを軽く引く。
いいぜ、と眼差しに促され、鳳は一瞬躊躇した。
宍戸に許されたものが何かを即座に察したからこそ、場所を考えたのだ。
「………………」
言葉にしないで問いかけた鳳に、宍戸もまた言葉にする必要はないというように、真っ直ぐに伸びている睫毛をけぶらせ鳳を唆すような眼差しを刷いてくる。
「………………」
ネクタイを引かれるからだけではなく、鳳の方からも軽く屈み、手のひらで小ぶりな宍戸の頭を包むようにし、その頬に掠めるような口付けを落とした。
慈しむ気持ちで触れれば一瞬の接触すらも艶かしく、宍戸は微笑して鳳のキスを受けると、背後を流し見て英語で短く言葉を放つ。
そういえばまだそこに居たのかと鳳が今更のように気づいた二人の男は、額に手を当てて頭上を仰ぐと、派手なリアクションで何事かを嘆き、そしていなくなった。
「………これが俺の毒蛇…って。どういう意味です?」
宍戸が言ったままを問いかけると、宍戸は小さく声を出して笑った。
「いや。あいつらがさ」
「…………………」
「待ちぼうけくらわされてんのかって声かけてきてな。今日はアクティムの海戦の日だから、アントニウスを失ったクレオパトラが自殺したみたいにならないように、毒蛇の代わりに俺達が噛んでやろうか?とか何とか言ってたからよ」
「宍戸さん」
軽く聞き流せない鳳を、嗜めるように宍戸は笑ったが。
要するに、宍戸はあの男達に、口説かれ、誘われていた訳だ。
あからさますぎるほどあからさまに。
憮然と強い悋気を覗かせた鳳を、宍戸はあくまで、たいした事じゃないと言ってかわすけれど。
アントニウスに死なれて、毒蛇に胸を噛ませて後を追い自殺したクレオパトラになぞらえて。
毒蛇の代わりに胸を噛んでやろうかなどと。
言われた宍戸が軽く流せても、聞かされた鳳はとても納得出来たものではない。
「おい。長太郎」
微苦笑の溜息で宍戸は手を伸ばし、鳳の頬を指先で軽く撫でた。
「だから、俺の毒蛇はこれだって、あいつらに言ったんだろうが」
「……宍戸さん」
「お前を見たら、あいつらだって早々諦めたろ? おとなしく退散しただろうが」
だから。
そういうどうでもいい事には、もう構わず。
早く帰ろうぜと宍戸は鳳に囁いた。
ただいまの意味のキスは、もうここでしてしまったけれど。
二人で暮らすあの部屋でしか、出来ない事があるから。
だから早く。
手に手をとって。
一刻も早く。
あの部屋へ。
帰ろう。
鳳が日本に戻ってきたのは、本来の帰国予定日よりも、結局三日も遅れた九月二日の事であった。
異国のその地に滞在していた時間は一週間。
仕事で日本を離れなければならなかった事も、帰国日に勢力の強いタイフーンにかち当たってしまった事も、ある意味仕方のない事であったが、鳳には大きなダメージを与えた。
鳳の急な仕事が入らなければ、八月の最後の一週間は、恋人と完全休暇を楽しむ予定だったのだ。
中学で知り合った一つ年上の鳳の恋人は、宍戸といって、今はその出身中学校で教師をしている。
公務員である彼の休暇は規則的だがテニス部の顧問をしているので、大きな大会のある夏場は多忙だ。
鳳もまた漸く弁護士になったばかりで日々忙しく、漸く互いの休暇を合わせた一週間が、見事に潰れた。
消沈する鳳に発破をかけるようにして、仕事ならちゃんと行って来いと空港まで見送りに来てくれた宍戸は、帰国時の便に合わせて迎えにも来るからと言ってくれていたのだが、タイフーンのせいでそれすらも呆気なく叶わぬ事となる。
予定通り八月三十日に帰国出来ていれば、せめて最後の一日は一緒に過ごせたのにと、鳳は溜息をつきながら、ゲートを進んだ。
職業柄きっちりとスーツを着込み、長旅のせいだけではない疲れを滲ませながら、鳳は全ての手続きを事務的に済ませていく。
九月二日となってしまっては、新学期も始まっている。
宍戸もまた忙しい日常に戻っているのだろうと思いながら、時刻を確かめて、鳳は空港のロビーで携帯電話を手にした。
宍戸に連絡をしようとして。
「……………………」
鳳は固まった。
鳳の目の前に、宍戸がいたからだ。
それも、両脇に長身の金髪碧眼の男性を置いて。
彼等は宍戸に、しきりと何事か熱心に話しかけている。
宍戸はほっそりとした首筋や鎖骨のラインがきれいに出るラフなシャツ姿で、慣れた様子で彼らをあしらい、そうして鳳に気づく。
「よう。お帰り」
真っ直ぐに宍戸は鳳の元へと歩いてくる。
「……宍戸さん?」
「なに惚けたようなツラしてんだよ。迎えに来るって、お前が行く時言っただろ」
「え……でも…、……新学期始まってるでしょう? どうして?」
「関係ねえよ」
だいたい時間見てみろよと言われてみれば確かに、夜の便で帰ってきた訳だからこの時間まで授業がある筈もない。
それにしても、まさか宍戸がここに居るとは本当に思わなくて、鳳は面食らったまま、久しぶりに対峙した宍戸の顔をじっと見据えた。
「………………」
そうやって。
何年経っても。
繰り返し繰り返し、鳳が見惚れる、厳しくも甘い綺麗な面立ち。
宍戸は鳳からの視線を真っ向から受けて、その薄い唇に婀娜めいた笑みを浮かべて言った。
「長太郎」
「……はい」
宍戸の片手が、鳳のネクタイを軽く引く。
いいぜ、と眼差しに促され、鳳は一瞬躊躇した。
宍戸に許されたものが何かを即座に察したからこそ、場所を考えたのだ。
「………………」
言葉にしないで問いかけた鳳に、宍戸もまた言葉にする必要はないというように、真っ直ぐに伸びている睫毛をけぶらせ鳳を唆すような眼差しを刷いてくる。
「………………」
ネクタイを引かれるからだけではなく、鳳の方からも軽く屈み、手のひらで小ぶりな宍戸の頭を包むようにし、その頬に掠めるような口付けを落とした。
慈しむ気持ちで触れれば一瞬の接触すらも艶かしく、宍戸は微笑して鳳のキスを受けると、背後を流し見て英語で短く言葉を放つ。
そういえばまだそこに居たのかと鳳が今更のように気づいた二人の男は、額に手を当てて頭上を仰ぐと、派手なリアクションで何事かを嘆き、そしていなくなった。
「………これが俺の毒蛇…って。どういう意味です?」
宍戸が言ったままを問いかけると、宍戸は小さく声を出して笑った。
「いや。あいつらがさ」
「…………………」
「待ちぼうけくらわされてんのかって声かけてきてな。今日はアクティムの海戦の日だから、アントニウスを失ったクレオパトラが自殺したみたいにならないように、毒蛇の代わりに俺達が噛んでやろうか?とか何とか言ってたからよ」
「宍戸さん」
軽く聞き流せない鳳を、嗜めるように宍戸は笑ったが。
要するに、宍戸はあの男達に、口説かれ、誘われていた訳だ。
あからさますぎるほどあからさまに。
憮然と強い悋気を覗かせた鳳を、宍戸はあくまで、たいした事じゃないと言ってかわすけれど。
アントニウスに死なれて、毒蛇に胸を噛ませて後を追い自殺したクレオパトラになぞらえて。
毒蛇の代わりに胸を噛んでやろうかなどと。
言われた宍戸が軽く流せても、聞かされた鳳はとても納得出来たものではない。
「おい。長太郎」
微苦笑の溜息で宍戸は手を伸ばし、鳳の頬を指先で軽く撫でた。
「だから、俺の毒蛇はこれだって、あいつらに言ったんだろうが」
「……宍戸さん」
「お前を見たら、あいつらだって早々諦めたろ? おとなしく退散しただろうが」
だから。
そういうどうでもいい事には、もう構わず。
早く帰ろうぜと宍戸は鳳に囁いた。
ただいまの意味のキスは、もうここでしてしまったけれど。
二人で暮らすあの部屋でしか、出来ない事があるから。
だから早く。
手に手をとって。
一刻も早く。
あの部屋へ。
帰ろう。
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