How did you feel at your first kiss?
湿気を過多に孕んだ空気は呼吸し辛いほどだった。
長く振り続けている雨は時折止んで、厚い雲が頭上に蓋をしているようで一層息苦しい。
そんな中でも、先を歩く見慣れた背中はいつものように真っ直ぐ背筋を伸ばしている。
毛先の僅かにかかった後ろ首はすっきりと細く、尖った肩に続くラインは柔らかい素材のシャツ越しであっても硬質だ。
少し前には汗ばんで濡れそぼっていた首筋も、湿っていた髪も、今はさらさらとかわいて見えた。
屋外の重たいこの湿気ですら他愛ない事のように思える程、先程までの時間が、濃密に濡れすぎていたのだ。
鳳は、宍戸の後姿を見据えて、小さく吐息を吐き出した。
雨雲のせいと時間帯のせいとで、薄暗くなりかけているひとけのない道を宍戸を家まで送るという名目で暫く無言で歩いていきながら、それでも鳳が最初に口をひらいて言った言葉は、やはり宍戸の名前だ。
「宍戸さん」
喉に絡むような声が出た。
それに対して宍戸は、すぐに気安く、何だ?と問い返してくる。
鳳は困った。
弱った、という方が正しいのかもしれない。
「……宍戸さん、…大丈夫ですか」
改まって、言葉を半分濁しつつ、尋ねたら尋ねたで。
宍戸は足を止める事もなく気負いのない返事を鳳に寄こしてくるだけだ。
「あ? 何が」
何がって。
鳳の口調は強張るように重くなる。
「身体」
大丈夫ですか、と繰り返すしか言葉も見つけられない。
ああ、と宍戸は今度は合点がいった風に頷いた。
そしてまた、至極あっさりと返すのだ。
「股関節が痛ぇ」
何かずれてるみたいな気する、とひどく真面目に告げられた鳳は、思わず宍戸の手を取って立ち止まった。
振り返ってくる宍戸は少し眉根を寄せていた。
それは耐えられない苦痛というわけではなく、噛み締めているような受容範囲内の痛みのようだった。
ずっとそんな顔をさせてしまっていたのかと思うと胸が冷たくなる。
鳳は神妙に言った。
頭を下げる。
「すみません」
「何が?」
「何がって……」
ところが、鳳の心情にまるで噛みあわず、宍戸は心底不思議そうな顔で問い返してきた。
鳳を見上げてくる眼はいつもの煌いているようにきついそれだ。
きつくて、それでいて深い包容力のある、ひどく綺麗な眼だ。
じっと見つめてこられて鳳は無言になった。
「…どうしたんだよ、お前」
「………………」
宍戸の手首を握りこんでいる鳳の手元を見やる為に眼差しを一度伏せ、そこから睫毛を引き上げるようにしてまた鳳の目を覗きこんでくる宍戸の目元をつぶさに見つめ、鳳は空いた手で宍戸の右の頬を包んだ。
小さな顔は鳳の手に容易くおさまった。
「長太郎?」
無防備に、平素とまるで変わらない宍戸の唇を、鳳は上体を屈めて塞いだ。
つよく、貪った。
手首と頬とで拘束して、深く口付ける。
合わせた唇で強引に仰のかせた宍戸は、鳳が舌を捕まえて吸うと小さな喉声を上げた。
痛んでいるという箇所を敢えて。
両足の狭間に割って入れた腿で軽く圧迫すると、宍戸は強く震えた。
それなのに、キスを引き剥がしてすぐに、宍戸の唇から漏れたのは、鳳を気遣うような低い掠れ声だった。
「…………ど……した……?」
「………………」
「……長太郎?」
宍戸の肩口に額を当てて押し黙る鳳の後ろ髪に、宍戸の指先が埋まる。
そっと撫で付けられて鳳は唇を歪めて自嘲した。
今だけ過剰に優しくされている訳ではない。
宍戸は、いつもこうだ。
呆れたような顔で、でも深く甘いものを抱えた内面で、あっさりと受け入れ甘やかす。
「お前なあ……俺を抱いてそこまでへこむってのはどういう了見だよ」
いくら俺だって落ち込むぞ?と沈んだ声で言われて鳳は慌てて顔を上げた。
「言ってませんよ、そんなこと!」
「言ってんのと一緒だっての。そのツラ」
ぺち、と宍戸の手の先で軽く頬を叩かれる。
鳳が尚も同じ言葉を繰り返して言うと、宍戸は少し皮肉気に唇を歪めて笑った。
「じゃ、言ってみ。何をそう、お前はどんよりテンション下げてんだ?」
「反省と自己嫌悪してただけじゃないですか…!」
「必要あんのか、それ」
呆れた顔で宍戸は呟く。
鳳は宍戸の肩に縋るようにまた顔を伏せた。
「宍戸さんに、たくさん無理させたじゃないですか……」
「…へえ?」
「何ですか、その他人事みたいな相槌……」
「無理した覚えなんか俺にはねえよ。そりゃ他人事だ」
さらりと言った宍戸は、笑っている。
鳳は何とも言えない気分で抱き締めた身体から伝わってくる振動に感じ入った。
慎重になれたのは最初のうちだけで、次第に追い詰められて、どうしようもなくなって、無茶をやらかしたような焦燥感が後から後から込み上げてきた。
気持ちが等しく愛しくても、負担のかかり方は激しく違うのに。
それを見失った自覚が鳳を激しく落ち込ませている。
「もう一回って言っときゃ良かったぜ、やっぱ」
「……宍戸さん?」
「………ったく…無駄に遠慮して損したぜ」
素っ気無い口調でとんでもない事を言い出した宍戸を、鳳は勢いよく顔を上げて見下ろす。
「あの、……」
「アホ。あんま可愛い顔すんな」
それこそあまりにも鮮やかに微笑まれて鳳は面食らう。
宍戸は笑ったまま鳳の胸元に自らおさまってきた。
しっかりと鍛えられた、それでも細すぎる程に細い肢体に鳳は両腕を回す。
自分の腕で抱き締める事の出来る、何よりも大切なものが、きちんとここに在る。
鳳は闇雲な安堵に、ほっと息をついていた。
少し前の状況を思い返しても、疲労困憊しきっていた宍戸が、本当にもう一回出来たかどうかは怪しいこと極まりなかったが。
それでも、そんな言葉をくれた相手に鳳は畳み掛けた。
「………辛いばっかじゃなかったですか? 我慢させてばっかりじゃなく……またしてもいいって思ってくれた?」
「そんなもん、見て判んなかったのか?……つーか、お前さ。それ聞きたかったんなら、さっさと聞けっての」
びびらせんじゃねえよと毒づく宍戸を鳳は怪訝になって見下ろした。
「……宍戸さん?」
「お前に後悔丸出しにされたら、俺だって、びびったってしょうがねえだろうが」
「後悔なんかしてません!」
「あー………そりゃ…さっきので判ったけどよ…」
ぎこちなく宍戸が目を伏せる。
無意識らしく唇を軽く噛む仕草が、暗にさっきのキスを匂わせて、鳳は引き寄せられるようにまたそこに軽く口付けた。
離れる時にだけ小さく音がした。
「……お前、たぶん、何かいろいろ気ィ使ってくれてんだと思うけど」
「………………」
「俺は、お前にがっつかれんの、好きなんだよ」
「ちょ………宍戸さん……」
ぽつりと呟かれた声は断言で。
鳳を見上げてきた眼差しは清冽で。
「どんなでも、好きだぜ。長太郎」
何されても気持ち良いと、真っ直ぐな目で、言葉で、邪気なく続けられ、鳳は完全に落ちた。
「…………重い」
思わず全身で覆い被さるように宍戸をきつく抱き締めると、宍戸からはそんな素っ気無い不平が返されてきたが、その声は優しく、笑いを含んでいて。
鳳は、厳しい優しいひとをきつく抱き締め、ひたすらに。
宍戸に対して、同じように在りたいと、願った。
長く振り続けている雨は時折止んで、厚い雲が頭上に蓋をしているようで一層息苦しい。
そんな中でも、先を歩く見慣れた背中はいつものように真っ直ぐ背筋を伸ばしている。
毛先の僅かにかかった後ろ首はすっきりと細く、尖った肩に続くラインは柔らかい素材のシャツ越しであっても硬質だ。
少し前には汗ばんで濡れそぼっていた首筋も、湿っていた髪も、今はさらさらとかわいて見えた。
屋外の重たいこの湿気ですら他愛ない事のように思える程、先程までの時間が、濃密に濡れすぎていたのだ。
鳳は、宍戸の後姿を見据えて、小さく吐息を吐き出した。
雨雲のせいと時間帯のせいとで、薄暗くなりかけているひとけのない道を宍戸を家まで送るという名目で暫く無言で歩いていきながら、それでも鳳が最初に口をひらいて言った言葉は、やはり宍戸の名前だ。
「宍戸さん」
喉に絡むような声が出た。
それに対して宍戸は、すぐに気安く、何だ?と問い返してくる。
鳳は困った。
弱った、という方が正しいのかもしれない。
「……宍戸さん、…大丈夫ですか」
改まって、言葉を半分濁しつつ、尋ねたら尋ねたで。
宍戸は足を止める事もなく気負いのない返事を鳳に寄こしてくるだけだ。
「あ? 何が」
何がって。
鳳の口調は強張るように重くなる。
「身体」
大丈夫ですか、と繰り返すしか言葉も見つけられない。
ああ、と宍戸は今度は合点がいった風に頷いた。
そしてまた、至極あっさりと返すのだ。
「股関節が痛ぇ」
何かずれてるみたいな気する、とひどく真面目に告げられた鳳は、思わず宍戸の手を取って立ち止まった。
振り返ってくる宍戸は少し眉根を寄せていた。
それは耐えられない苦痛というわけではなく、噛み締めているような受容範囲内の痛みのようだった。
ずっとそんな顔をさせてしまっていたのかと思うと胸が冷たくなる。
鳳は神妙に言った。
頭を下げる。
「すみません」
「何が?」
「何がって……」
ところが、鳳の心情にまるで噛みあわず、宍戸は心底不思議そうな顔で問い返してきた。
鳳を見上げてくる眼はいつもの煌いているようにきついそれだ。
きつくて、それでいて深い包容力のある、ひどく綺麗な眼だ。
じっと見つめてこられて鳳は無言になった。
「…どうしたんだよ、お前」
「………………」
宍戸の手首を握りこんでいる鳳の手元を見やる為に眼差しを一度伏せ、そこから睫毛を引き上げるようにしてまた鳳の目を覗きこんでくる宍戸の目元をつぶさに見つめ、鳳は空いた手で宍戸の右の頬を包んだ。
小さな顔は鳳の手に容易くおさまった。
「長太郎?」
無防備に、平素とまるで変わらない宍戸の唇を、鳳は上体を屈めて塞いだ。
つよく、貪った。
手首と頬とで拘束して、深く口付ける。
合わせた唇で強引に仰のかせた宍戸は、鳳が舌を捕まえて吸うと小さな喉声を上げた。
痛んでいるという箇所を敢えて。
両足の狭間に割って入れた腿で軽く圧迫すると、宍戸は強く震えた。
それなのに、キスを引き剥がしてすぐに、宍戸の唇から漏れたのは、鳳を気遣うような低い掠れ声だった。
「…………ど……した……?」
「………………」
「……長太郎?」
宍戸の肩口に額を当てて押し黙る鳳の後ろ髪に、宍戸の指先が埋まる。
そっと撫で付けられて鳳は唇を歪めて自嘲した。
今だけ過剰に優しくされている訳ではない。
宍戸は、いつもこうだ。
呆れたような顔で、でも深く甘いものを抱えた内面で、あっさりと受け入れ甘やかす。
「お前なあ……俺を抱いてそこまでへこむってのはどういう了見だよ」
いくら俺だって落ち込むぞ?と沈んだ声で言われて鳳は慌てて顔を上げた。
「言ってませんよ、そんなこと!」
「言ってんのと一緒だっての。そのツラ」
ぺち、と宍戸の手の先で軽く頬を叩かれる。
鳳が尚も同じ言葉を繰り返して言うと、宍戸は少し皮肉気に唇を歪めて笑った。
「じゃ、言ってみ。何をそう、お前はどんよりテンション下げてんだ?」
「反省と自己嫌悪してただけじゃないですか…!」
「必要あんのか、それ」
呆れた顔で宍戸は呟く。
鳳は宍戸の肩に縋るようにまた顔を伏せた。
「宍戸さんに、たくさん無理させたじゃないですか……」
「…へえ?」
「何ですか、その他人事みたいな相槌……」
「無理した覚えなんか俺にはねえよ。そりゃ他人事だ」
さらりと言った宍戸は、笑っている。
鳳は何とも言えない気分で抱き締めた身体から伝わってくる振動に感じ入った。
慎重になれたのは最初のうちだけで、次第に追い詰められて、どうしようもなくなって、無茶をやらかしたような焦燥感が後から後から込み上げてきた。
気持ちが等しく愛しくても、負担のかかり方は激しく違うのに。
それを見失った自覚が鳳を激しく落ち込ませている。
「もう一回って言っときゃ良かったぜ、やっぱ」
「……宍戸さん?」
「………ったく…無駄に遠慮して損したぜ」
素っ気無い口調でとんでもない事を言い出した宍戸を、鳳は勢いよく顔を上げて見下ろす。
「あの、……」
「アホ。あんま可愛い顔すんな」
それこそあまりにも鮮やかに微笑まれて鳳は面食らう。
宍戸は笑ったまま鳳の胸元に自らおさまってきた。
しっかりと鍛えられた、それでも細すぎる程に細い肢体に鳳は両腕を回す。
自分の腕で抱き締める事の出来る、何よりも大切なものが、きちんとここに在る。
鳳は闇雲な安堵に、ほっと息をついていた。
少し前の状況を思い返しても、疲労困憊しきっていた宍戸が、本当にもう一回出来たかどうかは怪しいこと極まりなかったが。
それでも、そんな言葉をくれた相手に鳳は畳み掛けた。
「………辛いばっかじゃなかったですか? 我慢させてばっかりじゃなく……またしてもいいって思ってくれた?」
「そんなもん、見て判んなかったのか?……つーか、お前さ。それ聞きたかったんなら、さっさと聞けっての」
びびらせんじゃねえよと毒づく宍戸を鳳は怪訝になって見下ろした。
「……宍戸さん?」
「お前に後悔丸出しにされたら、俺だって、びびったってしょうがねえだろうが」
「後悔なんかしてません!」
「あー………そりゃ…さっきので判ったけどよ…」
ぎこちなく宍戸が目を伏せる。
無意識らしく唇を軽く噛む仕草が、暗にさっきのキスを匂わせて、鳳は引き寄せられるようにまたそこに軽く口付けた。
離れる時にだけ小さく音がした。
「……お前、たぶん、何かいろいろ気ィ使ってくれてんだと思うけど」
「………………」
「俺は、お前にがっつかれんの、好きなんだよ」
「ちょ………宍戸さん……」
ぽつりと呟かれた声は断言で。
鳳を見上げてきた眼差しは清冽で。
「どんなでも、好きだぜ。長太郎」
何されても気持ち良いと、真っ直ぐな目で、言葉で、邪気なく続けられ、鳳は完全に落ちた。
「…………重い」
思わず全身で覆い被さるように宍戸をきつく抱き締めると、宍戸からはそんな素っ気無い不平が返されてきたが、その声は優しく、笑いを含んでいて。
鳳は、厳しい優しいひとをきつく抱き締め、ひたすらに。
宍戸に対して、同じように在りたいと、願った。
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