How did you feel at your first kiss?
日に焼けた腕が、ふわりと赤澤の頭上にあげられ、その手が観月を呼んでいる。
ルドルフ寮の食堂だ。
観月はそれを見止めると前髪をかきあげて大きな溜息を吐き出した。
「観月」
来いよと滑らかな低音に尚も促され、不承不承近づいていく。
座れよと仕草で観月を促す赤澤の手にはスプーンが握られている。
骨ばった手は無駄な色気がある。
観月はそんな事を思ってしまった自分に歯噛みして、苦い顔で赤澤の向かいの席に座った。
「貴方……柳沢達とカレー食べてきたんじゃないんですか」
「食ってきたぜ。ルーには何にも入ってないカレーでさ。揚げた夏野菜を、自分の好みでトッピングしてってやつ」
すげえ美味かったと笑う表情は屈託無くも大人っぽい。
「観月も誘ったのに断られたって、木更津言ってたぜ?」
「……貴方の誕生日でしょう。僕が行ってどうするんです」
「にやける俺でも見てからかいたかったんじゃねえの?」
「…………どっちがですか」
思わず呟いてしまった観月の言葉を、赤澤は聞き逃したのか敢えて流したのか、何も言わなかった。
目の前にあるカレーをスプーンで口に運び、一口食べるなり赤澤は首を反らして食堂の調理場に向かって叫んだだけだ。
「おばちゃーん、このカレー、すっげえ美味いよ」
おかわりある?と続けた赤澤に、調理場から顔を出した馴染みの女性が、どんどん食べなと笑って答えるのを観月は見やって再び野溜息だ。
「外でカレー食べてきて、ここでもまたカレーですか」
いくら今日が赤澤の誕生日で。
いくら彼が無類のカレー好きだからと言って。
これはどうなのだろうか。
観月のそんな思惑をよそに、赤澤は目の前で豪快にカレーを食べている。
観月はまじまじと赤澤を見やった。
「昨日は裕太君のお宅でカボチャカレー食べてきたでしょう」
「ああ。実家に邪魔してまではさすがに悪いなあとは思ったけどな。あいつどうしてもって譲んなくてよ。俺カボチャカレーってのは初めて食ったけど美味かったぜ」
「裕太君、お姉さんがいますよね」
「あー、いたいた。青学の不二にそっくりの姉貴な」
「美人だったでしょう」
「お前ほどじゃないけど、まあそうだな」
「………ばかでしょう…貴方…!」
観月が思わず本気で怒鳴ると、赤澤は笑って空になった皿を持ち、立ち上がった。
そして二杯目も大盛りのカレーを手にして戻ってくると、観月は怒りを持続する気力もなく脱力した。
「…………まだ食べるんですか…」
「お前も食わない?」
「だから貴方の誕生日でしょう」
二杯目をよそってもらう際の赤澤と調理場との短いやりとりは、観月の耳にも届いていた。
親ほど年の離れた相手に、ありがとうと丁寧な笑顔と気さくな言葉で礼を言って、軽く会話を交わす赤澤は、寮の関係者や教師陣の覚えもめでたい。
「まだたくさんあるって言ってたぜ」
「そうですか…」
本当に、いったいどれだけカレーが好きなのか。
観月が適当な返事と一緒にそういう眼差しを向けてやると、赤澤はラフなのに粗野に見えない不思議な食べ方でカレーを口に運びながら上目になった。
観月と視線を合わせてくる。
「……何ですか」
「俺、カレーが好きだって言ってるだろ?」
「知ってますよ。だとしても、いくら好きだからって、ちょっと普通じゃないですけどね」
「だからさ。それだよ」
何がそれだ。
不遜に眼差しで告げた観月に、赤澤は言った。
「好きって自分で公言してるんだからよ」
「………………」
「そうまで言うなら、これくらいが普通だろ」
赤澤の言い方はさらさらとしていながらも何か深い意味があるような響きで。
観月は怪訝に小首を傾ける。
「……普通って領域じゃ、全然、全く、ないと思いますが」
「そうか?」
赤澤はのんびりと観月の目を見つめて、その目を更にゆっくりと細める。
「けど俺は、何でもかんでも好き好き言ってる訳じゃねえからさ」
「…赤澤?」
「好きだって。口に出して、何度だって、言うようなものは、俺にしてみれば全部特別だ」
お前はそれ知ってんだろ?と潜めたような声で言ってこられて。
観月は瞬間よく意味が判らず困惑した。
そんな観月を見て赤澤が小さく笑んだ。
「知ってんだろ」
な?と唇の端に笑みを浮かべた赤澤が、カレーを食べる手を止めて、スプーンを持っていない方の手を伸ばし、観月の髪の先に一瞬だけ触れた。
「………………」
好きだ、と赤澤が公言して憚らないもの。
例えばそれは、カレー。
それから、テニス。
ルドルフ。
そして。
「俺の好きっていうのは、そういう事だ」
「……幾ら食べたってカレーは飽きないって話ですか」
ひとけのない夏休み中の寮の食堂で。
生徒は自分達だけしかいなくて。
でもだからって、どことなく濃密になりそうな気配がしなくもないこんな状況を。
観月は過度に反応しないよう、当たり障りのない口調で遮った。
敢えてここでカレーの話だろうと言い切った観月に、赤澤は逆らうでもなく、そうそうと頷いてくる。
しかし、そうやって頷きはしたのだが、その後で、赤澤は、こうも言ったのだ。
「お前以上に好きなものなんか俺にはないけどな」
俺の、カレーのレベルで、普通の領域じゃないなんて言ってんなと声なく笑う赤澤に、観月は思わず、ぐっと息を飲んだ。
そういう。
好きなものに対する固執という話を聞き、赤澤が観月に執着している事を仄めかされて。
観月が感じるものは、歓喜でも羞恥でもない。
きっぱりと断言してしまえる、迷いのない赤澤の強さの原因は、きっと。
「……赤澤、貴方。絶対に僕が」
「ん?」
「貴方を…嫌いにならないって知ってるから、そんなに強気なんでしょう」
甘く見られて、全く、と観月は苦く言った。
自ら結局ぶり返してしまった話題にも、察しのよすぎる自身の思考にも、観月は呆れていたのだ。
ついでに言えば、普段はあまり吐露したくない心情を、何故か今あっさりと口にしてしまった事にも観月は呆れている。
でも、観月がこういうような事を言ってしまって。
それで付け上がるような男なら、いっそ良かったのだ。
「あのな、観月。俺はお前を甘く見てるんじゃない。決めてるだけだ」
「………………」
「お前の事は諦めない」
「………………」
「そう俺は決めた」
静かな声で告げてくるような男だから。
おかしくされるのだ。
唇を引き結んだ観月に、赤澤は何を思ったのか、ふとその表情を緩めた。
「もし振ろうとしても、往生際相当悪いぞ。俺は」
「…、…振りませんよ!」
「あ…、マジ?」
「…………っ…、」
思わずの勢いで言ってしまった観月は、赤澤の表情を目にして、真っ赤になった。
「怒るなよー、観月」
「うるさい…! 喜ぶな、バカ…!」
「無理だろ、それは」
本当に。
とろりと甘く喜ばれてしまって。
微笑まれてしまって。
言葉の出なくなってしまった観月の頬を、赤澤の指が軽く擦った。
「俺はお前を諦めない」
「………………」
「もしこれから先、何かしらの事があったとしても。観月と二度と会えないような事には、絶対にしない」
笑ったまま、でも少しもふざけた所のない言い方とやり方とで、赤澤が観月に伝えてくる言葉。
「トラブルなり、問題点なり、障害なりあったとして。でもそこで、そういう事をクリアする努力は絶対に惜しまない」
そんな風に甘い表情で誓われてしまって、観月はどうしていいのか判らなくなってしまった。
振り切ることも、ごまかすことも、はぐらかすことも出来ない。
聞いていられない。
でも決して、聞きたくない訳ではないのだ。
「お前がこれから先のいつかに、ひょっとして俺の為なんて理由で離れようとしても、俺は絶対に頷かないし」
「………………」
「お前が心変わりする気なんか絶対に起こさせないようにしてやるって。思ってんだよ」
いつもな、と。
少しだけ危なく放ってこられた赤澤の心情に。
怖そうな、物騒な、そんな欠片に擽られて、観月はとうとう、最も自分らしくないと思われる姿を晒して、口を開いた。
逃げだと思われても今は構わなかった。
真っ向から、返す言葉が見つからない。
「カレー食べながら言う台詞ですか……!」
観月が真っ赤になって震えて怒鳴った言葉に、赤澤は低い声を甘く転がして笑った。
「怒ってていいけど、席は立つなよ」
顔見せてと甘ったれてこられて、どぎまぎとする自分が一番最悪だ。
観月が赤澤を叱りつける事で中断させてしまった話を、赤澤はだからといって捨てたりも隠したりもしない。
いつでも彼はそれを持っていて、いつでもそれを実行するのだろう。
これからもずっと。
「あ、おい…立つなって」
観月は足元に置いていた紙袋を手にとって、立ち上がった。
上から赤澤を見下ろす。
精悍な顔立ちを随分とあからさまに、判りやすく拗ねさせている男の顔を見据えて、観月は紙袋をテーブルに置いた。
「…ん? 何…これ、くれんの?」
視線だけで尊大に頷けば、赤澤は観月が恥ずかしくなるような甘ったるい笑顔になってその紙袋の中を覗きこむ。
「え……すげ、もしかしてこれ」
「………………」
透明なガラスの保存瓶。
赤澤の大きな手がやすやす掴んで持ち上げたその瓶の中身は、数日前から仕込んであった。
「お前が作ったとか…?」
「当たり前でしょう」
観月が言えば、赤澤はそれは盛大に驚いた顔をした。
「福神漬けって作れんの? つーか、何で出来てんの」
「あれだけ食べてて知らないんですか」
呆れた、と観月が呟く間も。
赤澤は保存瓶を嬉々として見つめている。
「大根、茄子、白瓜、蓮根、鉈豆、紫蘇の実、生姜。七種類の野菜を、塩漬して細く刻んでから、塩抜き、圧縮、そして砂糖や醤油などの調味液に漬けこん………聞いてるんですか。赤澤」
「観月。食っていい?」
「………好きにどうぞ」
あまりにも判りやすく赤澤が喜ぶので、観月はもう呆れてそう言うしかなかった。
食べてはその都度に、美味いとひたすらに繰り返す赤澤を。
観月は面映くあしらいながら。
人生で。
一番最初に覚えて、実行した料理が福神漬けだなんて。
これはもう、赤澤が相手だからに他ならないと思った。
心変わりする気なんか絶対に起こさせないようにしてやるなんて。
そう思って、企んで、根回ししているなんて。
そんなのは自分の方の台詞だと思った。
たかだかカレーの話だが。
そんなにも好きだと赤澤が言うのなら。
必需品の付け合わせからして、手中に収めてやる。
幸い、そういう手管は赤澤よりも自分の方が長けていると観月は思っている。
無意識にしてのける赤澤に、負けっぱなしになるつもりはなかった。
「赤澤」
「…ん?」
「カレー、三杯目を、食べてもいいですけど」
寮の部屋に戻るべく赤澤に背中を向けかけながら、観月は赤澤を流し見て言った。
「その後に、部屋で食べるカレーよりも好きなものの余地は残しておきなさい」
少しでも残したら二度と食べさせない。
そう言った観月は、流し見た赤澤の面立ちの、最後の最後に浮かんだ表情を目にして、至極満足した。
ルドルフ寮の食堂だ。
観月はそれを見止めると前髪をかきあげて大きな溜息を吐き出した。
「観月」
来いよと滑らかな低音に尚も促され、不承不承近づいていく。
座れよと仕草で観月を促す赤澤の手にはスプーンが握られている。
骨ばった手は無駄な色気がある。
観月はそんな事を思ってしまった自分に歯噛みして、苦い顔で赤澤の向かいの席に座った。
「貴方……柳沢達とカレー食べてきたんじゃないんですか」
「食ってきたぜ。ルーには何にも入ってないカレーでさ。揚げた夏野菜を、自分の好みでトッピングしてってやつ」
すげえ美味かったと笑う表情は屈託無くも大人っぽい。
「観月も誘ったのに断られたって、木更津言ってたぜ?」
「……貴方の誕生日でしょう。僕が行ってどうするんです」
「にやける俺でも見てからかいたかったんじゃねえの?」
「…………どっちがですか」
思わず呟いてしまった観月の言葉を、赤澤は聞き逃したのか敢えて流したのか、何も言わなかった。
目の前にあるカレーをスプーンで口に運び、一口食べるなり赤澤は首を反らして食堂の調理場に向かって叫んだだけだ。
「おばちゃーん、このカレー、すっげえ美味いよ」
おかわりある?と続けた赤澤に、調理場から顔を出した馴染みの女性が、どんどん食べなと笑って答えるのを観月は見やって再び野溜息だ。
「外でカレー食べてきて、ここでもまたカレーですか」
いくら今日が赤澤の誕生日で。
いくら彼が無類のカレー好きだからと言って。
これはどうなのだろうか。
観月のそんな思惑をよそに、赤澤は目の前で豪快にカレーを食べている。
観月はまじまじと赤澤を見やった。
「昨日は裕太君のお宅でカボチャカレー食べてきたでしょう」
「ああ。実家に邪魔してまではさすがに悪いなあとは思ったけどな。あいつどうしてもって譲んなくてよ。俺カボチャカレーってのは初めて食ったけど美味かったぜ」
「裕太君、お姉さんがいますよね」
「あー、いたいた。青学の不二にそっくりの姉貴な」
「美人だったでしょう」
「お前ほどじゃないけど、まあそうだな」
「………ばかでしょう…貴方…!」
観月が思わず本気で怒鳴ると、赤澤は笑って空になった皿を持ち、立ち上がった。
そして二杯目も大盛りのカレーを手にして戻ってくると、観月は怒りを持続する気力もなく脱力した。
「…………まだ食べるんですか…」
「お前も食わない?」
「だから貴方の誕生日でしょう」
二杯目をよそってもらう際の赤澤と調理場との短いやりとりは、観月の耳にも届いていた。
親ほど年の離れた相手に、ありがとうと丁寧な笑顔と気さくな言葉で礼を言って、軽く会話を交わす赤澤は、寮の関係者や教師陣の覚えもめでたい。
「まだたくさんあるって言ってたぜ」
「そうですか…」
本当に、いったいどれだけカレーが好きなのか。
観月が適当な返事と一緒にそういう眼差しを向けてやると、赤澤はラフなのに粗野に見えない不思議な食べ方でカレーを口に運びながら上目になった。
観月と視線を合わせてくる。
「……何ですか」
「俺、カレーが好きだって言ってるだろ?」
「知ってますよ。だとしても、いくら好きだからって、ちょっと普通じゃないですけどね」
「だからさ。それだよ」
何がそれだ。
不遜に眼差しで告げた観月に、赤澤は言った。
「好きって自分で公言してるんだからよ」
「………………」
「そうまで言うなら、これくらいが普通だろ」
赤澤の言い方はさらさらとしていながらも何か深い意味があるような響きで。
観月は怪訝に小首を傾ける。
「……普通って領域じゃ、全然、全く、ないと思いますが」
「そうか?」
赤澤はのんびりと観月の目を見つめて、その目を更にゆっくりと細める。
「けど俺は、何でもかんでも好き好き言ってる訳じゃねえからさ」
「…赤澤?」
「好きだって。口に出して、何度だって、言うようなものは、俺にしてみれば全部特別だ」
お前はそれ知ってんだろ?と潜めたような声で言ってこられて。
観月は瞬間よく意味が判らず困惑した。
そんな観月を見て赤澤が小さく笑んだ。
「知ってんだろ」
な?と唇の端に笑みを浮かべた赤澤が、カレーを食べる手を止めて、スプーンを持っていない方の手を伸ばし、観月の髪の先に一瞬だけ触れた。
「………………」
好きだ、と赤澤が公言して憚らないもの。
例えばそれは、カレー。
それから、テニス。
ルドルフ。
そして。
「俺の好きっていうのは、そういう事だ」
「……幾ら食べたってカレーは飽きないって話ですか」
ひとけのない夏休み中の寮の食堂で。
生徒は自分達だけしかいなくて。
でもだからって、どことなく濃密になりそうな気配がしなくもないこんな状況を。
観月は過度に反応しないよう、当たり障りのない口調で遮った。
敢えてここでカレーの話だろうと言い切った観月に、赤澤は逆らうでもなく、そうそうと頷いてくる。
しかし、そうやって頷きはしたのだが、その後で、赤澤は、こうも言ったのだ。
「お前以上に好きなものなんか俺にはないけどな」
俺の、カレーのレベルで、普通の領域じゃないなんて言ってんなと声なく笑う赤澤に、観月は思わず、ぐっと息を飲んだ。
そういう。
好きなものに対する固執という話を聞き、赤澤が観月に執着している事を仄めかされて。
観月が感じるものは、歓喜でも羞恥でもない。
きっぱりと断言してしまえる、迷いのない赤澤の強さの原因は、きっと。
「……赤澤、貴方。絶対に僕が」
「ん?」
「貴方を…嫌いにならないって知ってるから、そんなに強気なんでしょう」
甘く見られて、全く、と観月は苦く言った。
自ら結局ぶり返してしまった話題にも、察しのよすぎる自身の思考にも、観月は呆れていたのだ。
ついでに言えば、普段はあまり吐露したくない心情を、何故か今あっさりと口にしてしまった事にも観月は呆れている。
でも、観月がこういうような事を言ってしまって。
それで付け上がるような男なら、いっそ良かったのだ。
「あのな、観月。俺はお前を甘く見てるんじゃない。決めてるだけだ」
「………………」
「お前の事は諦めない」
「………………」
「そう俺は決めた」
静かな声で告げてくるような男だから。
おかしくされるのだ。
唇を引き結んだ観月に、赤澤は何を思ったのか、ふとその表情を緩めた。
「もし振ろうとしても、往生際相当悪いぞ。俺は」
「…、…振りませんよ!」
「あ…、マジ?」
「…………っ…、」
思わずの勢いで言ってしまった観月は、赤澤の表情を目にして、真っ赤になった。
「怒るなよー、観月」
「うるさい…! 喜ぶな、バカ…!」
「無理だろ、それは」
本当に。
とろりと甘く喜ばれてしまって。
微笑まれてしまって。
言葉の出なくなってしまった観月の頬を、赤澤の指が軽く擦った。
「俺はお前を諦めない」
「………………」
「もしこれから先、何かしらの事があったとしても。観月と二度と会えないような事には、絶対にしない」
笑ったまま、でも少しもふざけた所のない言い方とやり方とで、赤澤が観月に伝えてくる言葉。
「トラブルなり、問題点なり、障害なりあったとして。でもそこで、そういう事をクリアする努力は絶対に惜しまない」
そんな風に甘い表情で誓われてしまって、観月はどうしていいのか判らなくなってしまった。
振り切ることも、ごまかすことも、はぐらかすことも出来ない。
聞いていられない。
でも決して、聞きたくない訳ではないのだ。
「お前がこれから先のいつかに、ひょっとして俺の為なんて理由で離れようとしても、俺は絶対に頷かないし」
「………………」
「お前が心変わりする気なんか絶対に起こさせないようにしてやるって。思ってんだよ」
いつもな、と。
少しだけ危なく放ってこられた赤澤の心情に。
怖そうな、物騒な、そんな欠片に擽られて、観月はとうとう、最も自分らしくないと思われる姿を晒して、口を開いた。
逃げだと思われても今は構わなかった。
真っ向から、返す言葉が見つからない。
「カレー食べながら言う台詞ですか……!」
観月が真っ赤になって震えて怒鳴った言葉に、赤澤は低い声を甘く転がして笑った。
「怒ってていいけど、席は立つなよ」
顔見せてと甘ったれてこられて、どぎまぎとする自分が一番最悪だ。
観月が赤澤を叱りつける事で中断させてしまった話を、赤澤はだからといって捨てたりも隠したりもしない。
いつでも彼はそれを持っていて、いつでもそれを実行するのだろう。
これからもずっと。
「あ、おい…立つなって」
観月は足元に置いていた紙袋を手にとって、立ち上がった。
上から赤澤を見下ろす。
精悍な顔立ちを随分とあからさまに、判りやすく拗ねさせている男の顔を見据えて、観月は紙袋をテーブルに置いた。
「…ん? 何…これ、くれんの?」
視線だけで尊大に頷けば、赤澤は観月が恥ずかしくなるような甘ったるい笑顔になってその紙袋の中を覗きこむ。
「え……すげ、もしかしてこれ」
「………………」
透明なガラスの保存瓶。
赤澤の大きな手がやすやす掴んで持ち上げたその瓶の中身は、数日前から仕込んであった。
「お前が作ったとか…?」
「当たり前でしょう」
観月が言えば、赤澤はそれは盛大に驚いた顔をした。
「福神漬けって作れんの? つーか、何で出来てんの」
「あれだけ食べてて知らないんですか」
呆れた、と観月が呟く間も。
赤澤は保存瓶を嬉々として見つめている。
「大根、茄子、白瓜、蓮根、鉈豆、紫蘇の実、生姜。七種類の野菜を、塩漬して細く刻んでから、塩抜き、圧縮、そして砂糖や醤油などの調味液に漬けこん………聞いてるんですか。赤澤」
「観月。食っていい?」
「………好きにどうぞ」
あまりにも判りやすく赤澤が喜ぶので、観月はもう呆れてそう言うしかなかった。
食べてはその都度に、美味いとひたすらに繰り返す赤澤を。
観月は面映くあしらいながら。
人生で。
一番最初に覚えて、実行した料理が福神漬けだなんて。
これはもう、赤澤が相手だからに他ならないと思った。
心変わりする気なんか絶対に起こさせないようにしてやるなんて。
そう思って、企んで、根回ししているなんて。
そんなのは自分の方の台詞だと思った。
たかだかカレーの話だが。
そんなにも好きだと赤澤が言うのなら。
必需品の付け合わせからして、手中に収めてやる。
幸い、そういう手管は赤澤よりも自分の方が長けていると観月は思っている。
無意識にしてのける赤澤に、負けっぱなしになるつもりはなかった。
「赤澤」
「…ん?」
「カレー、三杯目を、食べてもいいですけど」
寮の部屋に戻るべく赤澤に背中を向けかけながら、観月は赤澤を流し見て言った。
「その後に、部屋で食べるカレーよりも好きなものの余地は残しておきなさい」
少しでも残したら二度と食べさせない。
そう言った観月は、流し見た赤澤の面立ちの、最後の最後に浮かんだ表情を目にして、至極満足した。
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