How did you feel at your first kiss?
コートに風の流れは全く無い。
熱気は重く、湿気をたっぷり含み、不快な暑さがたちこめている。
「…あー…?…なんだよ、宍戸のヤツ」
向日が肩口でこめかみを拭いながら忍足のユニフォームの裾を摘まんで軽く引張る。
うん?と背後の向日を振り返った後、宍戸を流し見た忍足は、めずらしぃな、と呟いた。
部活中、コートの外に、宍戸は座り込んでいた。
フェンスに寄りかかるでもなく、やけに中途半端な体勢だ。
「座ってんじゃ、ねー…よ…」
向日の悪態も力ない。
相当この暑さにやられてしまっているのは明白で、忍足は明るい髪の色をした小さな頭にタオルをかけてやりながら改めて宍戸を見やって言う。
「ヤバイんちゃうかな。あれは」
「あ?」
「宍戸。全然汗かいてないやろ。唇カサカサやで。熱中症かもな…」
「こっからで、よく見えんなー…侑士」
「ダテやもん」
「知ってるっつーの」
淡々と話しながら忍足の手は甲斐甲斐しく向日の顔や首筋をタオルで拭っている。
向日はされるに任せていたが、宍戸を見やって、ヤバイじゃんと呟くなり歩き出した。
忍足は微苦笑で向日の後をついていく。
行く先は当然座り込んでいる宍戸の元へだ。
「宍戸」
伸びやかな向日の声にもその背は何も反応しない。
「宍戸ー!」
てめえシカトかよ!と毒づきながらもどこか焦ったように向日の歩調が早まる。
「おい!」
宍戸のすぐ脇で足を止めた向日が怒鳴ると、気だるそうに漸く宍戸は顔を上げた。
目元があからさまに赤く熱を帯びて見えるのに、顔にも手足にも、汗などまるで浮かべていない。
眼差しも普段のきつさがまるでない。
「…おい?」
大丈夫かよ?と向日の口調が思わず弱々しくなった時だ。
三人の三年生がいるその場に現れた鳳が、手にしていたジグボトルの中身を宍戸の頭上にぶちまけた。
飲んでた液体を無造作に宍戸に浴びせかける鳳を、向日は愕然と見上げた。
見上げて、それから。
なんなんだこいつ、と強く目線で訴えた先にいるのは忍足で。
忍足は向日の隣で、喉奥で笑いを転がして肩を震わせる。
「あの…?」
そんな向日と忍足の様子に気づいた鳳が、不思議そうに首を傾げてきた。
「何か…?」
「何か、って、お前…なぁ…」
眉根を寄せて怒鳴るに怒鳴れないといった呆れ顔をする向日の肩に腕を回し、一通り笑いつくしたらしい忍足が俯かせていた顔を上げる。
「水かけんのが一番やな。確かにな」
「侑士?」
「熱中症」
見てみ、と忍足が指差した先に向日が目線を下ろすと。
それまで、普段とは明らかに異なる緩慢とした気配だった宍戸が、短くなった髪を揺らして首を振っていた。
浴びた水が毛先から飛び散る。
生き返った、と向日が愕然と呟き、それを聞いた忍足がまた笑う。
「鳳ぃ…お前…やたらとワイルドな時あるよな…」
「そう…ですか?」
不思議そうに向日を見た鳳だったが、宍戸が頭上を仰ぎ、向日と忍足と鳳とを見上げてきたのに気づき、視線を再び宍戸へ戻す。
宍戸は、掠れた声で鳳の名前を呼んだ。
「はい。宍戸さん」
何ですか?と丁寧に問い返した鳳だけを今度は見上げ、宍戸が軽く口をひらく。
水、とやはり掠れた声で言いながら、舌先を僅かに覗かせ、飲みたいという意思表示を仕草で示す。
しかし、鳳を見つめ、仰のいて唇を開き、あまつさえ舌先すら見せて水を飲みたがる宍戸の所作に鳳は硬直したかのようにかたまった。
「し、……」
「……鳳…」
「不憫な…」
宍戸の名前も呼びきれずにいる鳳に、向日と忍足はこの時ばかりは心底から言ってやる。
普段硬質な印象の強い宍戸が、とろりと緩んだような隙を生むようになったのは、多分にこの年下の男の影響が強い。
でも、だからといって、それら全てを鳳が平然と受け入れたり流したりはとても出来ないでいるようだ。
「俺達は退散してやるぜ。後は適当に自力で頑張れな」
「ちょ、…向日先輩、待、」
「鍛錬やで。鳳」
きばりや、と言って忍足は、鳳が思わず泣きつこうとしていた相手を自らの腕に囲いこみその場を後にする。
「宍戸やべーな。あれ。無駄にエロかった…」
「それ以上言うたら、ヤキモチやくで…?」
だいたいそんなの岳人のが、と言いかけた所で。
忍足はスナップのきいた手首の動きで向日に頭を叩かれる。
じゃれあって、騒いで、離れていく。
そんな上級生達の姿を、残された鳳には、気にする余裕など到底無かった。
汗で濡れていく毎、艶やかに、息をふきかえされるような様。
それは寝具のある場で、鳳の目に繰り返し映ってきたものであったのだが、こんな部活中のテニスコートで見せられたらひとたまりもなかった。
翌日も宍戸は朝からだるそうにしていた。
しかしそれは前日の熱中症の名残などではない。
「長太郎。お前、いい加減そうやってチラチラこっち見て気にすんのヤメロ」
「…そう言われましても」
通学路を肩を並べて歩く。
呆れ顔の宍戸に、鳳は神妙だ。
一見したところ不機嫌そうな宍戸だったが、肩を落としている鳳の様子に仕方ねえなと苦笑いして気配を緩めてくる。
「こっちの気分はいいんだから、水さすんじゃねーよ」
「宍戸さん…」
鳳の無茶を、宍戸は諾々と、寧ろ好ましいように受け入れるのだ。
互いの視線が絡み、第三者が非常に割り込み辛い気配を漂わせている中、果敢にもそこに割って入ってきた男が、穏やかな声で言葉をかけてくる。
「おはよう。宍戸、鳳」
「おう」
「滝先輩。おはようございます」
「でね…さっそくなんだけど」
困ったような笑みを浮かべている滝に、鳳と宍戸は顔を見合わせた。
そして、個々に滝を見やって尋ねる。
「さっそく…というのは…?」
「何だよ滝」
「…あのね。鳳」
「……はい?」
「逃げろとは言わないけど…うまいこと今日は……ううん、暫く、隠れてた方がいいよ」
何の話だよと宍戸が怪訝に問えば、滝は長い髪を右手で右耳にかけながら曖昧に笑みを浮かべた。
「ん、……跡部が…怒り狂ってるから…」
「跡部?」
跡部が何だよと、憮然と宍戸が口にすると、滝はふんわりと苦笑いした。
「鳳が、飲んでた水を宍戸にぶっかけたって聞いたらしくて。昨日のこと」
「………………」
「それが何だよ」
滝の言葉で粗方察した鳳が複雑に焦る中、宍戸だけは訳が判らないという顔をしていた。
そんな二人を交互に見やりながら、ごめんねと滝は溜息をつく。
「跡部って、時々激情しちゃって手がつけられなくなるんだよね…」
説明しようとしたんだけど、と続けた滝の様子で、鳳はだいたいの事を理解してしまった。
恐らく跡部の怒りの矛先は正しく自分であることも悟った。
宍戸はさっぱり意味が判らないようで、そういう当人同士が意識していない跡部と宍戸の繋がりが、鳳には少し苦い。
宍戸に知られたら間違いなく一喝される考え方だ。
「滝で駄目なら仕方ないって」
「ジローは全く興味ないみたいやで」
「うわ、ひでー!」
突如話に加わってきた忍足と向日が賑やかしに笑う隙、滝は鳳にこっそり告げた。
「跡部、神尾君と喧嘩してるらしくてね」
「……はあ…」
それは、と明言する事を濁した鳳を、忍足と向日が両脇から肩に手を回しアドバイスとも冷やかしともつかぬ事を囁いてきた。
「また喧嘩かいって感じやけどな。別に、ちぃともめずらしくないけどな」
「ま、そういうわけだから、鳳、お前、自分で自分の身は守れよ。それか宍戸に守ってもらえ」
「宍戸を盾にすれば、跡部も多少は攻撃の手をゆるめるやろ」
「しませんよそんなこと!」
「何騒いでんだ、お前ら…」
不機嫌そうに仲間たちの織り成す喧騒を眺めながら、それでも宍戸は、鳳の表情を見て、そっけないような言葉と心底心配そうなまなざしとを向けるのだ。
「どうしたよ…? 長太郎。妙な顔して」
「いいえ…」
大丈夫です、と鳳は宍戸に笑いかけた。
行きましょう?と言いながら、薄い宍戸の背を軽く手のひらで促し歩き出す。
背後から、頑張れよと何だか適当な応援を受けながら、鳳は跡部の顔を思い浮かべて決意の笑みを唇に刻む。
大事にしない訳が、ないだろう。
こんなに特別な、この人のこと。
そう告げれば絶対、そんな事は判っていると、あの秀麗な顔を歪めて吐き捨てるであろう跡部の表情は、鳳の予測にもひどくリアルなものだった。
熱気は重く、湿気をたっぷり含み、不快な暑さがたちこめている。
「…あー…?…なんだよ、宍戸のヤツ」
向日が肩口でこめかみを拭いながら忍足のユニフォームの裾を摘まんで軽く引張る。
うん?と背後の向日を振り返った後、宍戸を流し見た忍足は、めずらしぃな、と呟いた。
部活中、コートの外に、宍戸は座り込んでいた。
フェンスに寄りかかるでもなく、やけに中途半端な体勢だ。
「座ってんじゃ、ねー…よ…」
向日の悪態も力ない。
相当この暑さにやられてしまっているのは明白で、忍足は明るい髪の色をした小さな頭にタオルをかけてやりながら改めて宍戸を見やって言う。
「ヤバイんちゃうかな。あれは」
「あ?」
「宍戸。全然汗かいてないやろ。唇カサカサやで。熱中症かもな…」
「こっからで、よく見えんなー…侑士」
「ダテやもん」
「知ってるっつーの」
淡々と話しながら忍足の手は甲斐甲斐しく向日の顔や首筋をタオルで拭っている。
向日はされるに任せていたが、宍戸を見やって、ヤバイじゃんと呟くなり歩き出した。
忍足は微苦笑で向日の後をついていく。
行く先は当然座り込んでいる宍戸の元へだ。
「宍戸」
伸びやかな向日の声にもその背は何も反応しない。
「宍戸ー!」
てめえシカトかよ!と毒づきながらもどこか焦ったように向日の歩調が早まる。
「おい!」
宍戸のすぐ脇で足を止めた向日が怒鳴ると、気だるそうに漸く宍戸は顔を上げた。
目元があからさまに赤く熱を帯びて見えるのに、顔にも手足にも、汗などまるで浮かべていない。
眼差しも普段のきつさがまるでない。
「…おい?」
大丈夫かよ?と向日の口調が思わず弱々しくなった時だ。
三人の三年生がいるその場に現れた鳳が、手にしていたジグボトルの中身を宍戸の頭上にぶちまけた。
飲んでた液体を無造作に宍戸に浴びせかける鳳を、向日は愕然と見上げた。
見上げて、それから。
なんなんだこいつ、と強く目線で訴えた先にいるのは忍足で。
忍足は向日の隣で、喉奥で笑いを転がして肩を震わせる。
「あの…?」
そんな向日と忍足の様子に気づいた鳳が、不思議そうに首を傾げてきた。
「何か…?」
「何か、って、お前…なぁ…」
眉根を寄せて怒鳴るに怒鳴れないといった呆れ顔をする向日の肩に腕を回し、一通り笑いつくしたらしい忍足が俯かせていた顔を上げる。
「水かけんのが一番やな。確かにな」
「侑士?」
「熱中症」
見てみ、と忍足が指差した先に向日が目線を下ろすと。
それまで、普段とは明らかに異なる緩慢とした気配だった宍戸が、短くなった髪を揺らして首を振っていた。
浴びた水が毛先から飛び散る。
生き返った、と向日が愕然と呟き、それを聞いた忍足がまた笑う。
「鳳ぃ…お前…やたらとワイルドな時あるよな…」
「そう…ですか?」
不思議そうに向日を見た鳳だったが、宍戸が頭上を仰ぎ、向日と忍足と鳳とを見上げてきたのに気づき、視線を再び宍戸へ戻す。
宍戸は、掠れた声で鳳の名前を呼んだ。
「はい。宍戸さん」
何ですか?と丁寧に問い返した鳳だけを今度は見上げ、宍戸が軽く口をひらく。
水、とやはり掠れた声で言いながら、舌先を僅かに覗かせ、飲みたいという意思表示を仕草で示す。
しかし、鳳を見つめ、仰のいて唇を開き、あまつさえ舌先すら見せて水を飲みたがる宍戸の所作に鳳は硬直したかのようにかたまった。
「し、……」
「……鳳…」
「不憫な…」
宍戸の名前も呼びきれずにいる鳳に、向日と忍足はこの時ばかりは心底から言ってやる。
普段硬質な印象の強い宍戸が、とろりと緩んだような隙を生むようになったのは、多分にこの年下の男の影響が強い。
でも、だからといって、それら全てを鳳が平然と受け入れたり流したりはとても出来ないでいるようだ。
「俺達は退散してやるぜ。後は適当に自力で頑張れな」
「ちょ、…向日先輩、待、」
「鍛錬やで。鳳」
きばりや、と言って忍足は、鳳が思わず泣きつこうとしていた相手を自らの腕に囲いこみその場を後にする。
「宍戸やべーな。あれ。無駄にエロかった…」
「それ以上言うたら、ヤキモチやくで…?」
だいたいそんなの岳人のが、と言いかけた所で。
忍足はスナップのきいた手首の動きで向日に頭を叩かれる。
じゃれあって、騒いで、離れていく。
そんな上級生達の姿を、残された鳳には、気にする余裕など到底無かった。
汗で濡れていく毎、艶やかに、息をふきかえされるような様。
それは寝具のある場で、鳳の目に繰り返し映ってきたものであったのだが、こんな部活中のテニスコートで見せられたらひとたまりもなかった。
翌日も宍戸は朝からだるそうにしていた。
しかしそれは前日の熱中症の名残などではない。
「長太郎。お前、いい加減そうやってチラチラこっち見て気にすんのヤメロ」
「…そう言われましても」
通学路を肩を並べて歩く。
呆れ顔の宍戸に、鳳は神妙だ。
一見したところ不機嫌そうな宍戸だったが、肩を落としている鳳の様子に仕方ねえなと苦笑いして気配を緩めてくる。
「こっちの気分はいいんだから、水さすんじゃねーよ」
「宍戸さん…」
鳳の無茶を、宍戸は諾々と、寧ろ好ましいように受け入れるのだ。
互いの視線が絡み、第三者が非常に割り込み辛い気配を漂わせている中、果敢にもそこに割って入ってきた男が、穏やかな声で言葉をかけてくる。
「おはよう。宍戸、鳳」
「おう」
「滝先輩。おはようございます」
「でね…さっそくなんだけど」
困ったような笑みを浮かべている滝に、鳳と宍戸は顔を見合わせた。
そして、個々に滝を見やって尋ねる。
「さっそく…というのは…?」
「何だよ滝」
「…あのね。鳳」
「……はい?」
「逃げろとは言わないけど…うまいこと今日は……ううん、暫く、隠れてた方がいいよ」
何の話だよと宍戸が怪訝に問えば、滝は長い髪を右手で右耳にかけながら曖昧に笑みを浮かべた。
「ん、……跡部が…怒り狂ってるから…」
「跡部?」
跡部が何だよと、憮然と宍戸が口にすると、滝はふんわりと苦笑いした。
「鳳が、飲んでた水を宍戸にぶっかけたって聞いたらしくて。昨日のこと」
「………………」
「それが何だよ」
滝の言葉で粗方察した鳳が複雑に焦る中、宍戸だけは訳が判らないという顔をしていた。
そんな二人を交互に見やりながら、ごめんねと滝は溜息をつく。
「跡部って、時々激情しちゃって手がつけられなくなるんだよね…」
説明しようとしたんだけど、と続けた滝の様子で、鳳はだいたいの事を理解してしまった。
恐らく跡部の怒りの矛先は正しく自分であることも悟った。
宍戸はさっぱり意味が判らないようで、そういう当人同士が意識していない跡部と宍戸の繋がりが、鳳には少し苦い。
宍戸に知られたら間違いなく一喝される考え方だ。
「滝で駄目なら仕方ないって」
「ジローは全く興味ないみたいやで」
「うわ、ひでー!」
突如話に加わってきた忍足と向日が賑やかしに笑う隙、滝は鳳にこっそり告げた。
「跡部、神尾君と喧嘩してるらしくてね」
「……はあ…」
それは、と明言する事を濁した鳳を、忍足と向日が両脇から肩に手を回しアドバイスとも冷やかしともつかぬ事を囁いてきた。
「また喧嘩かいって感じやけどな。別に、ちぃともめずらしくないけどな」
「ま、そういうわけだから、鳳、お前、自分で自分の身は守れよ。それか宍戸に守ってもらえ」
「宍戸を盾にすれば、跡部も多少は攻撃の手をゆるめるやろ」
「しませんよそんなこと!」
「何騒いでんだ、お前ら…」
不機嫌そうに仲間たちの織り成す喧騒を眺めながら、それでも宍戸は、鳳の表情を見て、そっけないような言葉と心底心配そうなまなざしとを向けるのだ。
「どうしたよ…? 長太郎。妙な顔して」
「いいえ…」
大丈夫です、と鳳は宍戸に笑いかけた。
行きましょう?と言いながら、薄い宍戸の背を軽く手のひらで促し歩き出す。
背後から、頑張れよと何だか適当な応援を受けながら、鳳は跡部の顔を思い浮かべて決意の笑みを唇に刻む。
大事にしない訳が、ないだろう。
こんなに特別な、この人のこと。
そう告げれば絶対、そんな事は判っていると、あの秀麗な顔を歪めて吐き捨てるであろう跡部の表情は、鳳の予測にもひどくリアルなものだった。
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