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How did you feel at your first kiss?
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 桜を散らした強い風に髪を乱される。
 伸びかけの髪は、昨年の春頃の長さにはまだ到底及ばないが、それでも目元や項をくすぐる程には伸びた。
 強い風の瞬間目を閉じた宍戸が、視界を遮る桜の花びらに手を翳しながらゆっくりと目を開けていくと、隣に並んで歩いていた男の姿が視界から消えていた。
「…長太郎?」
 呼びかけて振り返れば、背後で立ち止まっていた鳳が、離れた所で同じように桜と風に吹かれながら澄んだ目を細めて宍戸を見つめてきていた。
 淡い花の色に溶け込むような色素の薄い瞳に、痛みのような光をひとしずく落としている。
「来いよ」
「………………」
 手のひらを上向きにして片手を差し伸べると、鳳は長い足でほんの二歩、それだけでお互いの距離はすぐに縮まった。
「どうしたよ?」
「……うまく説明出来ない、です」
 鳳は苦笑いを浮かべていた。
 宍戸と肩を並べ、歩き出しながら、少し憂いだ眼を宍戸に向けてくる。
「高等部の制服に違和感ってやつ?」
 まあ俺もまだ慣れねえけど、と宍戸は呟いて首元に手をやった。
 この春からの真新しい制服。
 その肌触りや着心地は、氷帝の拘りの素材で作られていているものであるのに、どうにもまだ慣れない面もあり、宍戸はカッターシャツの前釦をひとつ外した。
 窮屈というわけではないのだが、まだ新しい物のせいだろうか。
 こうしてふたつ釦を外してなんとなくほっと息をつく。
「宍戸さん」
「あ?」
「学校にいる間は、そういうふうに釦外さないで下さいね」
 今は、いいですけど、と些か歯切れの悪い鳳に進言される。
 宍戸は溜息をついた。
「上の奴らみたいなこと言うんじゃねえよ。お前」
「……言われたんですか?」
「あー…、まあ、」
 宍戸自身も自覚している事なのだが、口調の荒さや目つきの悪さのせいで、宍戸は環境が変わると大概身の回りが騒がしくなるのだ。
 それは教師や上級生からの苦言や呼び出しが主で、そこに面識のない同級生からのものも時折加わる。
 宍戸は別段喧嘩っ早い訳ではないのだが、見目はどうにもその類と思われやすいのだ。
 テニスがあるから無駄に揉め事など起こしたくないというのに、いろいろと面倒事が多くて仕方ない。
「目つきが悪いのもガラが悪いのも、元からだっつーの」
「宍戸さん」
「何だよ?」
「俺、今までにも言ったと思うんですけど」
 まだ背が伸びるのか、一つ年下の鳳を見上げる角度にまた差がついて。
 宍戸は眉根を少し寄せて更に問い返す。
「何だよ」
「そういうのはみんな、宍戸さんに興味があるからだって事、ちゃんと判ってて」
「何だそれ?」
 やさしい話し方をする甘い声が、沈みつつ強い響きで断言する。
 宍戸は風と桜に手を翳しながら鳳を見上げた。
 鳳は宍戸を見下ろしてきていたので、目と目が合って。
 自然と同時に足が止まる。
「綺麗なんです。宍戸さんは。だからみんな、宍戸さんの事が気にかかる」
「……あのなぁ」
 何を真顔で言うのかと宍戸が溜息をついても鳳は憮然としたまま真剣な目で言った。
「強い人は綺麗なんだって、宍戸さんで知るからだと思う。俺もそうだから」
「長太郎、お前な…」
 そんなこと思うのはお前くらいだと混ぜ返しても、普段従順な後輩が頑として首を縦に振らなかった。
 結局そんな埒の明かない会話は鳳の家につくまで続いて。
 今日は鳳の家に寄る約束で待ち合わせをして帰ってきたわけだから、宍戸もそのまま鳳の後についたのだが。
 部屋に入るなり、壁に背中を押さえつけられ唇を塞がれた。
 無理強いするような強引さでは決してなかったが、キスは最初から深かった。
「………、……」
 指が、震える。
 鳳の肩に取り縋っている自分の指先が震えているのを、宍戸は見ずとも感じていた。
 深いキスは深いまま長く続いた。
 何もかも封じ込めるように強く塞がれて、粘膜を舌で探られて。
 ひくりと震えた身体を抱きしめられる。
 膝が不安定に揺らぎ、それを支えるように宍戸の後ろ首を鷲づかみにしてくる鳳の手のひらの大きさに、宍戸は少し戸惑う。
 こんなに大きな手のひらだっただろうか。
 唇を貪られるだけ貪られて散り際の桜の花びらのように意識が乱れる。
「…長太郎、……」
 貪婪なキスは宍戸の言葉も乱していて、誰よりも口にする事の慣れている筈の名前が紡ぎきれない。
 日常のあらゆる行動が穏やかな鳳の、彼自身が制御しきれないというような酷く余裕のない様子は、ほんの少しも宍戸を不安にはさせなかった。
 飽く事無くキスを繰り返され、それはこの部屋に入ってからずっと。
 一時も止む事無く、壁に追い詰められて、座り込んでもされていたキスは。
 宍戸に恋情を詰め込んでくるだけだ。
 宍戸は貪欲に受け止め続けているだけだ。
「……宍戸さん」
 濡れた唇から吐き出される、少し掠れた声。
 宍戸は呼吸を弾ませながら鳳の髪を後頭部に向けて丁寧に撫で付けた。
「宍戸、…さん……」
「…………、…ん」
 正面からまた噛み付くように唇を啄ばまれて、宍戸は自ら薄く唇をひらいて鳳の舌を迎え入れながら、鳳の髪をそっと撫で付けた。
 宍戸が氷帝の高等部に上がってから、鳳は少しだけ荒いでいる。
 ほんの少し態度に滲むそれは、乱暴ではなく焦燥だ。
 首筋を噛まれるように口づけてこられて、宍戸は自分からそこを与えるように喉元を鳳に差し出しながら、柔らかい髪を撫で続けた。
 こういう鳳に触れていると不思議な感情が生まれる。
 多分自身の仕草は彼を宥めているようであるだろうけれど。
 宍戸の本心は、自分らしくもないと思いながらも、別のところにあった。
 自分の甘えを、宍戸は自覚していた。
「……長太郎、お前…」
「………………」
「お前が、俺との事で、…起きたら一番嫌な事って何だよ…?」
「………そんなこと口に出すのも嫌です」
 鳳が放った言葉は、やはりいつになく余裕がない。
 春は、そんなに不安だろうか。
 宍戸は、自分はいつも不安だと内心で思いながら、腕の中で鳳を甘やかす素振りで、結局は自分が甘えていると知っている。
 一緒にいられる時間が減ること、環境が変わること、おそらくそんな事よりもっと、怖いことがお互いにある。
 鳳は、別れることが一番嫌なのだろう。
 宍戸もそれは嫌で、でも、それよりもっと嫌な事もある。
 だから鳳の頭を抱きかかえるようにして告げるのだ。
「俺は、お前が俺の事で後悔する事だよ」
「…宍戸さん?」
「お前が俺に飽きたり、嫌いになったりするほうが、まだいい」
 それだって決して望んでなどいないけれど。
「宍戸さん、何言ってるんですか」
 見たこともないほど不機嫌に、そして狼狽もした鳳を抱き寄せて。
「俺は、それよりお前が、これまで俺といた事や、した事を後悔したら、それが一番怖い」
 これまでを、今を、これからを、後悔されたくない。
 願いはそれだけだ。
「……何言ってるんですか、宍戸さん」
「………………」
「何でそんな有り得ない事、そんな顔して言うの?」
 鳳の声が苦しそうに聞こえて、宍戸は伏せていた目線を上げた。
 至近距離から見詰め合って、そっと尋ねる。
「……有り得ないのか?」
「当たり前でしょう…!」
「じゃあ、本当に、当たり前にしてくれ」
「宍戸さん」
「俺は、怖いから」
 怖いと。
 怖い物などなにもないと考えていたそれまでの自分とはまるで違うことを、伝える。
 たった一人にだけ思う事を。
「………宍戸さ、…」
「………………」
 今度は宍戸の方から、その唇を塞ぐ。
 壁から背を離し、鳳の唇を塞いだままのしかかるように鳳の上になる。
 鳳の上半身は動きに添って倒れ、床に仰向けになった。
 その体勢でひらりと、何かが宍戸の髪からか肩からか落ちる。
 それは桜の花びらが一枚。
「………………」
 宍戸は見下ろした。
 鳳は見上げた。
 桜。
 その薄い色の花びらを浴びていた時の宍戸を見ていた同じ目で、鳳は僅かに目を細め下から腕が伸ばされ。
 宍戸は鳳の胸元に抱き寄せられる。
 身体と身体が密着して、声は鼓動のように伝わってくる。
「俺がもし、宍戸さんのことで後悔するとしたら……それは俺が一番嫌な事を、阻止できなかった自分にだから」
「……長太郎…」
「ぜんぶ、必ず、当たり前です。宍戸さん。だからそんなこと怖がらないで」
「長太郎…」
 はっきりとした言葉で断言されて、それは宍戸が慣れ親しんだ優しい鳳の声音をより深く、強くしていた。
 宍戸はこの場所で息をつく。
「………お前が嫌で、怖いと思うような事、俺がするわけねえだろ…」
「宍戸さん…」
「だからお前も、考えなくていい。そういうの」
 身体を浮かせて、唇を重ねる。
 角度を変えてキスをして、贈り、贈られる、行き来するキスで身体を寄せて。
 紛れ込んだ一枚の桜の花びらが、今どこにあるのかは、判らなくなっていた。
 小さな不安も、恐らくはその程度のものであるように。
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