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How did you feel at your first kiss?
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 部内一身軽な最上級生は、人に飛びつくのが癖だ。
 大概の相手は慣れもあるのかそうやって飛びついてくる菊丸の好きにさせている事が常だが、一人、近頃それを完璧にかわすようになった人物がいる。
 同じく三年の乾だ。
「もー! 乾のヤツー!」
 ぺりぺりと絆創膏の包み紙を破きながら膨れている菊丸の隣で、ダブルスのパートナーである大石は困ったように笑っていた。
「また乾に避けられて転がったのか? 英二」
「ほんと乾のヤツ最近ナマイキなんだよな!」
 どれ、貼ろうか、と大石は菊丸の手から絆創膏を取った。
 真新しい擦り傷は、アクロバテイックなプレイが多い菊丸にはよくあることだ。
 部で用意している救急箱からこの絆創膏を取ってくる際に乾と遭遇したのだろうと大石は考えて苦笑いする。
 しかし大石は敢えて何も言わず、菊丸が、こっちと言って突き出してきた頬に絆創膏を貼り付けた。
 そんな大石の代わりに、思う事は同じでも、言葉にして菊丸を諫めたのはその場にいた不二だった。
「英二、乾に飛びついたら駄目だって、この間言ったよね?」
「だって不二ー」
 青学のゴールデンペアの向かいで、不二は笑って菊丸をたしなめて、それに菊丸は尚一層の膨れっ面をする。
「恋路をあたたかくみまもってあげよう、ってその意味が判んない!」
「意味も何もそのまんまなんだけど…」
 困ったねえ?と不二は大石に笑いかけ、大石もひどく複雑そうに笑いを返す。
 そんな二人を見やって菊丸はますます頬を膨らませた。
「何で二人だけで判りあっちゃってるわけ!」
 大石のばかやろう!と菊丸に捨て台詞をされた大石は、どうして俺だけばかやろうなんだと言いながら、きちんと走っていった菊丸の後を追いかけていく。
 残された不二は口元に握った拳を宛がって、あっちもこっちも大変だ、と呟いた。




 不二が言った、あっちだかこっちだかを現すもう片方の人物は、部室にいた。
 一人、考えている。
 徐に部室の扉が外側から開き、そちらに目をやって漸く、乾は表情を変えた。
 誰よりも長い距離を走りこむランニングに幾分呼吸を弾ませた後輩がそこにいたからだ。
「……乾先輩?」
 何してんですか、と抑揚のない声にほんの少し怪訝な気配を滲ませて海堂が声をかけてくる。
 海堂はおそらく代えのバンダナとタオルを取りに来たところだろう。
 乾はその場で、救急箱を片手にしたまま海堂に笑いかけた。
「何してると思う?」
「…………わかんねえから聞いてんですけど」
「それもそうだ」
 憮然とした物言い、目つきの鋭い表情。
 それでいて海堂は律儀に言葉を返してくるのだ。
 だから乾も思うままの言葉を口にする。
「海堂の事を考えてた」
「………………」
 乾の言葉に訳が判らないとあまりにも素直に表情に出して。
 それでも。
 海堂はまたぽつりと言葉を零す。
「……救急箱持ってですか」
「そう。救急箱持って」
 右手に救急箱。
 その体勢で部室で一人ぼうっとしている様は少々奇異だ。
 それはわからなくもないけれど、と乾は思いながら部室のベンチに座った。
 脇に救急箱を置く。
「いつもありがとうな、海堂」
「……何の事ですか」
「救急箱の整理をしてくれてるだろ? 海堂がいつも」
 足りないものは補充して、期限切れのものは処分して。
 当たり前のように、普段使い慣れない人間が蓋を開けても何がどこにあるのか一目瞭然になっている、いつでも整理整頓された救急箱。
 さりげなく気を配っているのはいつも海堂だ。 
「別に、……んな大袈裟なもんじゃ…」
 戸惑って珍しく言いよどんだ海堂に、隣へ座るよう手で促せば、海堂は乾の望むままに腰を下ろしてきた。
「さっき菊丸が来たよ」
「…どこか怪我でも」
「擦り傷だよ。大丈夫」
 心配しなくても平気だと目で伝えれば、些か決まり悪そうに海堂は視線を逸らせた。
 ぶっきらぼうで、人と馴れ合う事が苦手で、それでいて軸にあるものはひどくやさしい人としての感情だ。
 海堂の、きつい印象も、やわらかな内側も、乾はひどく好きだと思う。
「救急箱の絆創膏は永遠に無くならないで、勝手に増えてるもんだと思ってるぞ、たぶん。菊丸」
「そんな事ねえよ…」
「ん?」
「………菊丸先輩に礼言われた事ある」
 へえ、と乾は目を見開いた。
 二人きりだとすこしだけ言葉数の多くなる海堂の言葉と、菊丸の言動に。
「そうか。ちゃんと判ってたか」
「…………別にどうでもいいっす」
 素っ気無く言って立ち上がった海堂に、乾は腕を伸ばした。
 手首を握りこむ。
 振り払われはしない。
 海堂の眼差しがすこし揺れていた。
「………何ですか」
「うん」
「……うんって何だよ」
「うん」
 囁くように頷いて、乾は海堂の手首を引いた。
 僅かに海堂が上体を屈めてくる。
 部室の扉が開いたのはその時だ。
「腕擦り剥いたっ。絆創膏ー!」
「……、…っ……」
「……………菊丸…お前…」
「あれ。何してんの二人とも」
 勢いよく部室に入ってきた菊丸が、開け放った扉のところで目を大きく見開いて。
 びくっと肩先を揺らした海堂と、重たい溜息を吐き出した乾の様子に不思議そうな顔をしている。
 そして次の瞬間には本当に猫さながらの俊敏さで。
「薫ちゃんっ、絆創膏ちょうだい!」
「……っ……せん…、ぱ…」
「…………海堂に飛びつくな」
「何だよ乾ー。お前じゃなけりゃいいんだろ。いいじゃん別にぃ」
 菊丸は海堂を背中側から抱き寄せるように飛びついて、海堂の肩口に顎を乗せて乾をじろりと上目に睨んでいる。
 乾の表情も憮然としていて、上級生二人の間に挟まれた海堂は硬直している。
「ともかく海堂から離れるんだ」
「やだよー。海堂は別にいいよな? 俺がくっついてたって、飛びついたって、いいよな? な?」
 甘える猫のように擦りついてこられて、海堂はかたまったまま菊丸を見て、それから無言の圧迫感を放つ乾を見て、せわしない。
「おーい、英二、ちゃんと絆創膏貼ったのか? 傷ばっか増やして本当にお前は…あんまり心配させな…、…あれ?」
「英二……だからそういう事しちゃいけないって言ってるのに…」
 心底心配そうに、開け放ったままの扉から顔を出した大石と、その横で淡い笑みを浮かべている不二までも現れて、部室内は一層賑やかになる。
「不二が言ったのは乾だろー」
「どうでもいいから海堂を早く返してくれないか。菊丸」
「乾……頼む、ちょっと落ち着いてくれ…怖いぞ、目が…」
「ねえ大石。ひょっとして英二には恋路の意味が通じてないのかなぁ?」
「………………」
 訳が判らないまま上級生達の賑やかな輪に放り込まれて、言葉にならず複雑そうな顔をするのは、たった一人の二年生だけだった。
 それぞれが違う、一人ひとりが違う、でもその中に交ざる個々の誰もが、それに違和感を覚えることはない。
 それは言葉の見つからないでいる海堂にもまた言える事で。
 その唇に戸惑い気味の、しかし笑みが刻まれるのももう直だ。
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