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How did you feel at your first kiss?
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 とりつくしまがない。
 乾はそういう怒り方をする。
 声を荒げたり、手をあげたり、そういうことは決してしない。
 溜息一つ、もしくは重い沈黙で、密やかに深く内に閉じこもって怒るのだ。
「………………」
 そんな乾を海堂は放課後の中庭で見つけた。
 長い足を、片方を投げ出し、もう片方を膝で曲げて立てて、芝生に座っている。
 立てた膝に右腕を乗せ、左手に持っているノートに何事かを書き込んでいる。
 その横顔に気づいて、ああ怒ってるな、と海堂は思った。
 何にかまでは、判らないけれど。
 密やかに、そして完璧に、人を寄せ付けない気配を放っている事だけは確かだ。
 目立った訳ではなかった。
 寧ろ、乾は普段から彼自身が植物のような雰囲気を持っていて、存在を誇示してくるようなことは決してしない。
 今も緑の芝生の中に沈むように溶け込んでいて、ただ密やかに怒っているのだ。
 海堂は渡り廊下で足を止めて、暫く乾を見つめ続けた。
 もし立場が逆であるならば。
 乾は、例え海堂がどれだけ不機嫌で、腹をたてていたとしても、迷わず側に来るだろう。
 そうして海堂がどれほど突っぱねようとも、跳ねつけようとも、海堂の苛立ちなど容易く引き出し、浄化してみせるのだろう。
 自分には到底出来ないようなことを、乾はいつも容易く海堂にしてみせるのだ。
「………………」
 制服の、シャツの釦が一つ多く開いている。
 ノートに走らせているペンの動きが早くて荒い。
 見えない乾の目元も、とてもぼんやりとした風情でいるとは思えなかった。
 乾は大切な時、大事な時、肝心な時は大抵一人になる。
 誰も近寄らせず一人でああして、今は怒っている。
 海堂は、そんな乾に自分が出来ることが何もないと判るから眉根を寄せる。
 恐らくは、このまま気づかぬふりで通り過ぎてしまうことが一番良いのだろう。
 お互いにとって。
 そうすれば、自分には何も出来ることがないと沈む気持ちをこれ以上突き詰めなくてもいいし、その心中を誰にも気づかせたくない乾の思惑も荒らすことなく済むのだ。
 でも、それが、嫌だ、ひどく、嫌だ、そう思って。
 海堂は唇を引き結んで立ち止まっていた場所から一歩を踏み出す。
 海堂は乾のようには何一つ出来ないだろうけれど。
 もしかしたら気づかない振りという事が唯一自分に出来る事なのかもしれないけれど。
 海堂は、悔しいと、漠然と、思いながら。
 乾の元へと歩く。
 判っている、海堂は、乾がするようには、出来ないという事を。
 ただ、それでも、気づけなかった自分では、もうないのだから。
 海堂は、乾を見ている。
 近くにいる時は必ず。
 遠くにいても考える。
 いつも、いつも、いつもだ。
 見過ごせる相手ではなくなった。
 何もしないでいい相手ではない。
「………………」
 海堂は乾の背後から彼に近づいて行った。
 肩幅のある背中は少し丸まっている。
 その背中が、海堂の足音に気づいたようで、振り返りざま真っ直ぐに伸びていく。
 拒絶の背中、そこを目掛けて海堂は背中合わせに芝生に座った。
 ほとんどぶつかるような勢いだったのにも関わらず、揺らぎもせずに海堂を背で受け止めた乾は、己の背中に凭れているのが海堂だと、何故かすぐに気づいたようだった。
 言葉も放たなかったし、顔だって見せなかったのにだ。 
「…っと、……海堂?」
「………………」
「あれ…?…おい、…海堂?」
 振り向いてこないように体重をかけて背中に寄りかかる。
 乾は、今しがたまでの気配が嘘のようにほどけて、あれ?と繰り返している。
 海堂は応えなかった。
 乾は何度も海堂を呼んだ。
「………………」
「かーいどう」
 背中をあわせで伝わる振動。
「こっち向かんで下さい」
「え?」
 機嫌が悪い事など一目瞭然だった乾だ。
 それなのに、乾は。
 海堂には、まるで気遣わしいような態度を見せる。
 へんな人だと海堂は思って、乾の背中にもたれて目を閉じる。
「ええと……海堂?」
 乾はますます弱ったような声になった。
 何だか落ち着きなくごそごそと動いている。
 海堂は無言のまま乾の背中に寄りかかった。
 気遣わしいように惑っている広い背中に、すべて預けて。
「………………」
 機嫌の悪い乾を、見て見ぬ振りする事が出来ない。
 だからといって、彼のようにやさしい物言いで宥めたりも出来ない。
 どうしたのかと、尋ねる事すら出来ない。
 気を紛らわせるような雑談をふる事も出来ない。
 出来る事なんて何一つない。
「……海堂…どうした?」
「………………」
 何度となく振り返ろうとする乾を海堂は無言の圧力でその都度制して、無視をして。
 それでも海堂が考えることは乾のことだけだ。
 海堂にとって乾は、側にいるだけでいろいろな事を教えてくれる。
 海堂がないと決め付けている己の中の迷いや苛立ちを、一度必ず形にしてからどうすればいいのかを示唆してくれる。
 今こうして仄かな体温が浸透してくる乾の背中の温かさは、海堂にとっては明確な安心感で。
 同じものを何ひとつ返せない自分が歯がゆくなって海堂は口を噤んだ。
「……もしかして海堂、俺に怒ってる?」
「………………」
「心当たりは……あるにはあるが」
 どういう意味だ、とふと海堂は怪訝に思った。
 いきなり乾がおかしな事を言い出したから、不審に眉間に皺が寄る。
 まさか今の、海堂自身が不可解だと思うこの心中まで乾は正しく認識しているということだろうか。
「八つ当たりだけはしないようにと思ってだな……」
「………………」
「しなくても、駄目か?」
「………………」
「そういうの考えただけで腹が立つ?」
 海堂は何も喋っていない。
 それでどうして会話になっているのか、それは海堂にだって不思議だ。
 こういうことは四六時中だ。
 部内でも周囲に不思議がられている。
 何故相手のことが判るのか。
 何故って、そんなの知るか、と海堂は思って一層乾の背中に凭れかかった。
 判っているのはいつも乾で、自分は何も出来なくて。
 これでは単に自分が拗ねているだけではないだろうかと海堂もうっすら自覚せざるを得ない。
「そうは言ってもな、おい…」
 相変わらず乾は淡々と言葉を紡いでくる。
 海堂は押し黙る。
「俺だって、お前に関しては狭量すぎやしないかと思うけどな」
「………………」
「……ちょっと嫉妬心募らせただけだぞ…?」
 乾が。
 また更におかしな事を言い出した。
 振り向くなと言ったのは海堂だったが、突拍子のないその乾の言葉に海堂は振り返りそうになってしまった。
 何を言い出したのか、この男は。
「海堂が、桃城や越前と、あんなにじゃれてるから」
 いつどこで誰がだっ、と海堂は叫びそうになって、そう出来なかったのは。
 これまで海堂が一方的に寄りかかっていた乾の背中が、突如海堂へと重みをかけてきたからだ。
 乾の方から海堂の背中に凭れてきたのだ。
 それも珍しく砕けた、不貞腐れたような口ぶりで、海堂に愚痴を言いながらだ。
 珍しい。
 本当に、というかむしろ、初めてじゃないかと海堂は面食らってそれを受け止めていた。
「昼休みに、お前達見かけてさ」
「………………」
「口喧嘩だとしても、お前、確実に桃相手だと口数が多いんだよな…」
 だからそれはただの口喧嘩、それ以外の何物でもないだろうと海堂は呆れた。
「越前には時々、明らかに、いいお兄ちゃんの目してる。俺には絶対見せない顔だよ」
 言いざま溜息までつかれてしまい、またぐっと背中に体重をかけられて。
 苦しい、と思いながら。
 自分がいいお兄ちゃんでいたいのは葉末に対してだけだと海堂は尚呆れる。
 乾の思考回路がさっぱりわからない。
 何故そんな事を乾が考えるのかも。
 もしそれに、本当に海堂が気づいたとして、何故それで海堂が怒ると思うのかも。
「少し羨ましかったり悔しかったりで、嫉妬しました。悪かった。怒るなよ」
「………………」
「おーいって……海堂ー」
「………………」
「ごめん。ごめんなさい。俺が悪かった。ちゃんと謝るから」
「………………」
 乾は、口調より数倍は真面目な様子で海堂に謝っている。
 次第に海堂は呆れるのを止めて、純粋に、ただびっくりした。
 まさか、そんな事が、本当に原因だと言うのだろうか。
 乾のあの不機嫌さの。
「………………」
 背中合わせの自分達の会話。
 顔はまるで見えないけれど、乾が大人びた表情で拗ねているのはよく判って、海堂は微かに、本当に微かに、唇を笑みの形に引き上げた。
 それは意識などせずとも、乾を思うから、ただ零れる笑みだ。
 自分が笑っていることに海堂は暫くしてから気づいた。
 相変わらず背中側で乾がぶつぶつと拗ねたり謝ったりしている。
「………………」
 早く。
 そう、早く。
 早く乾が気づくといい。
 海堂は思った。
「………………」
 海堂のささやかなその笑みに。
 気づいたら、そうしたらきっと、その時に。
 もしかしたら海堂にも、乾に、してやれる事が出来るのに違い。
 そう思ったから海堂は、乾を思って笑みの形の唇のまま目を閉じた。
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