How did you feel at your first kiss?
気持ちの消し方を、教えて欲しかった。
気持ちの消し方を、教えてくれるだろうか。
気持ちは、彼に向いているものだけれど。
無意識にでも自分が頼ってしまうのは、結局、彼だ。
どこか乗り物酔いに似ていた。
小さな違和感を自覚するなり、たちどころに深みにはまる。
振り切れない。
ロードワーク、日課の走りこみを欠かさない海堂だ。
普段であれば、どうってことのない距離だ。
この程度の走りこみで、疲労する筈がない。
しかし、到着地点である青学のグランドのネット裏で、海堂は前屈みになって手の甲でこめかみを拭った。
たいして汗もかいていないと判っていたが、海堂はそうしながら上体を起こし、頭上の青空に視線を逃がすようにして深く吐息を零す。
「顔色よくないな。海堂」
「………………」
不意に言葉をかけられた。
乾だ。
海堂は雑に首を左右に振った。
「どうした」
「……何でもねー…です」
もう一度首を振ったにも関わらず、いつの間にか海堂の隣に立っていた乾は、海堂の顔を覗き込むように長身を屈めてきた。
どこか具合でも悪いか?と真摯な目に問われる。
人付き合いのうまくない自覚のある海堂にすれば、乾はひどく不思議な存在だった。
用事などなくても相手の方から海堂に話しかけてくる人物など、そうはいない。
乾という男がどれだけ注意深く周囲を見ているか、海堂もよく知っていた。
だから海堂に話しかけてくるのも、別段自分だけが特別という事ではないと海堂も判っているのだが、それにしたって乾のような相手は珍しいのだ。
「海堂」
乾は一見他人に無関心そうだが、実際のところ人に興味がなければデータなど集められないだろうと海堂も気づき始めていた。
乾は思慮深く、同じように情深い。
あからさまに表立つものではないけれど。
今も、海堂がいくら素っ気無く返事をしても、気分を害した風もない。
「………………」
海堂は重い息が詰まってしまったような喉に無意識に手をやった。
あまり人から構われた事のない海堂は、いつも落ち着かない心情で、乾と対峙する。
年上の男は、髪をかきあげた。
乾のこめかみも汗で濡れていた。
白いシャツは鎖骨のぎりぎりのラインだけ晒して、胸元に張り付いている。
「海堂。体調よくない時はちゃんと言って」
「………………」
骨ばった手は、乾の頭から、今度は海堂へと。
そっと近づいてきて。
バンダナ越しに海堂の頭に、ふわりと乗せられる。
気遣わしい眼差しが近くなる。
こんな真似を他人からされたことがなくて海堂は固まった。
「………………」
「ここ最近、いつもそうだと思ってたんだが…」
どこか具合でも?と再び乾に問われて、海堂は黙って首を左右に振るしかない。
そういう心配はいらないのだと、どういう風に言えばいいのか、海堂には判らなかった。
僅かに弾んだ息のまま、頭上の乾の手のひらをどうすることも出来ずに、ただ視線だけを逸らす。
ここ最近といえば、海堂も思っている事がある。
乾も、変だ。
手は、離れない。
「海堂…?」
今目の前にいる乾は困っていた。
そういう顔を隠さない。
どちらかといえば普段はあまり赤裸々に表情を晒すことがないのに、先程からずっと、そんな顔をして海堂の隣にいる。
乾も、変だ。
そう思ったことが口をついて出ていた。
「……先輩も、です」
「………何?」
不思議そうに問いかけられて、海堂は目線を上げた。
「海堂?」
「…先輩も。最近変っすよ」
「変? 俺?」
半分は八つ当たり。
多分それだ。
自分の感情が不安定だから、勝手に乾のせいにもしているのだろうと、海堂自身が思っている。
でももう半分は、言葉の通り、乾も変だと確かに思っている。
彼もまた、どこか自分と似た気配だ。
時に思いつめ、時に気も漫ろになる。
更にそのくせ、構う、みたいな。
まるで、構う、みたいな。
気にかけられる、そういうふるまいに。
乾からのそういう接触に。
海堂はどうしていいのか判らなくなる。
構われる事にも慣れないし、こんな風に一人と向き合う事が、これまで海堂にはなかったからだ。
「ああ…それはな、海堂。お前の」
海堂が思わず言ってしまったのと同様に。
乾もそれと似た言い方で、言った。
「……俺の?」
海堂が、問い返す。
乾は、何だか我に返ったみたいに少しだけ動揺して。
珍しく困ったように言いよどんだ。
「いや、……何でも…」
「………………」
「聞かなかった事に……っていうのは無しかな?」
海堂は黙っているのに、乾はじっと海堂を見据えてきて溜息をつく。
「…無しだな。うん」
「………………」
「ただ、な…」
とにかく乾の言葉はどれもこれも歯切れが悪かった。
それは海堂を苛立たせるというよりは困惑させるものだった。
乾は、何を言いたいのだろう。
何を思っているのだろう。
人に対して、そんな風に思ったのは初めてかもしれないと海堂も戸惑う。
頭に乗せられている乾の手のひらが身じろいで、海堂自身もまた同様に。
「ごめん…」
「………………」
「本気で言っていいのかどうか判らない。ますますお前の具合悪くするかも」
「………………」
「海堂ー……」
泣きつくような情けない小声に、ふと海堂は緊張をゆるめた。
唐突に、乾のその声で気づいたからだ。
戸惑っているのは自分だけではない。
乾もまたそうならば、乾のように人の感情に敏感でない自分は、せめて伝える事があるだろう。
「……乾先輩」
「何?」
気遣わしいように、それでいてどこか勢い込んで乾が促してくる。
海堂は息を吸って、乾の目を見て言った。
「俺は……具合が悪い訳じゃないんで……すみません」
大丈夫です、と告げると。
そう?と少しほっとしたように乾が笑みを見せてくる。
海堂も肩から力が抜けた。
それでまた海堂は自覚する。
近頃自分がかかえている違和感。
それは決して体調不良などではなく。
「緊張…してました」
言葉を捜すようにして、一言ずつ口にする海堂に、乾は複雑そうな顔でその言葉を反復した。
「………緊張…」
「…………っす」
それが一番正しいと海堂は思った。
緊張、するのだ。
乾といると。
「それは……やっぱり、よくない意味で、だよな…?」
ひとりごちる乾の、やけに深刻な様子に首をかしげながら、海堂は言葉を捜す。
「よくない態度して…すみません」
「いや、…原因俺でしょ。海堂のせいじゃない」
そう言って、乾は再び考え込む。
長身の乾の肩が何だかがっくりと落ちているようで、海堂は珍しくも自分の方から乾を覗き込むようにして呼びかける。
「あの…乾…先輩?」
こんなことを言っていいのかどうか判らないが、今海堂が率直に思ったことは。
「………なんか…落ち込んでますか」
「そうだね……うん、…落ち込んでます」
「………………」
「………………」
自分が緊張すると何故乾が落ち込むのか、正直海堂には判らなかった。
海堂が乾に感じる緊張は、多分。
殆ど唯一といってもいい、自分に構ってくる年上の男に、気持ちを引きずられて平静でいられなくなる自分にだ。
馬鹿な事を考えそうで怖い、戒めようと思っている時点ですでにまずい。
「とりあえず、少しずつ」
「……先輩?」
頑張るか、と真剣な顔で呟いた乾に。
海堂の呼びかけは届いていないようだった。
よし、と決意する乾の顔を見上げて、海堂は僅かに目を細めた。
自覚してしまえば、認めてさえしまえば、この緊張めいた違和感は薄れるのだろう。
判ってはいたが、海堂は、まだ。
緊張というバリアの中で、ひっそりと息を潜める事を選んだ。
気持ちの消し方を、教えてくれるだろうか。
気持ちは、彼に向いているものだけれど。
無意識にでも自分が頼ってしまうのは、結局、彼だ。
どこか乗り物酔いに似ていた。
小さな違和感を自覚するなり、たちどころに深みにはまる。
振り切れない。
ロードワーク、日課の走りこみを欠かさない海堂だ。
普段であれば、どうってことのない距離だ。
この程度の走りこみで、疲労する筈がない。
しかし、到着地点である青学のグランドのネット裏で、海堂は前屈みになって手の甲でこめかみを拭った。
たいして汗もかいていないと判っていたが、海堂はそうしながら上体を起こし、頭上の青空に視線を逃がすようにして深く吐息を零す。
「顔色よくないな。海堂」
「………………」
不意に言葉をかけられた。
乾だ。
海堂は雑に首を左右に振った。
「どうした」
「……何でもねー…です」
もう一度首を振ったにも関わらず、いつの間にか海堂の隣に立っていた乾は、海堂の顔を覗き込むように長身を屈めてきた。
どこか具合でも悪いか?と真摯な目に問われる。
人付き合いのうまくない自覚のある海堂にすれば、乾はひどく不思議な存在だった。
用事などなくても相手の方から海堂に話しかけてくる人物など、そうはいない。
乾という男がどれだけ注意深く周囲を見ているか、海堂もよく知っていた。
だから海堂に話しかけてくるのも、別段自分だけが特別という事ではないと海堂も判っているのだが、それにしたって乾のような相手は珍しいのだ。
「海堂」
乾は一見他人に無関心そうだが、実際のところ人に興味がなければデータなど集められないだろうと海堂も気づき始めていた。
乾は思慮深く、同じように情深い。
あからさまに表立つものではないけれど。
今も、海堂がいくら素っ気無く返事をしても、気分を害した風もない。
「………………」
海堂は重い息が詰まってしまったような喉に無意識に手をやった。
あまり人から構われた事のない海堂は、いつも落ち着かない心情で、乾と対峙する。
年上の男は、髪をかきあげた。
乾のこめかみも汗で濡れていた。
白いシャツは鎖骨のぎりぎりのラインだけ晒して、胸元に張り付いている。
「海堂。体調よくない時はちゃんと言って」
「………………」
骨ばった手は、乾の頭から、今度は海堂へと。
そっと近づいてきて。
バンダナ越しに海堂の頭に、ふわりと乗せられる。
気遣わしい眼差しが近くなる。
こんな真似を他人からされたことがなくて海堂は固まった。
「………………」
「ここ最近、いつもそうだと思ってたんだが…」
どこか具合でも?と再び乾に問われて、海堂は黙って首を左右に振るしかない。
そういう心配はいらないのだと、どういう風に言えばいいのか、海堂には判らなかった。
僅かに弾んだ息のまま、頭上の乾の手のひらをどうすることも出来ずに、ただ視線だけを逸らす。
ここ最近といえば、海堂も思っている事がある。
乾も、変だ。
手は、離れない。
「海堂…?」
今目の前にいる乾は困っていた。
そういう顔を隠さない。
どちらかといえば普段はあまり赤裸々に表情を晒すことがないのに、先程からずっと、そんな顔をして海堂の隣にいる。
乾も、変だ。
そう思ったことが口をついて出ていた。
「……先輩も、です」
「………何?」
不思議そうに問いかけられて、海堂は目線を上げた。
「海堂?」
「…先輩も。最近変っすよ」
「変? 俺?」
半分は八つ当たり。
多分それだ。
自分の感情が不安定だから、勝手に乾のせいにもしているのだろうと、海堂自身が思っている。
でももう半分は、言葉の通り、乾も変だと確かに思っている。
彼もまた、どこか自分と似た気配だ。
時に思いつめ、時に気も漫ろになる。
更にそのくせ、構う、みたいな。
まるで、構う、みたいな。
気にかけられる、そういうふるまいに。
乾からのそういう接触に。
海堂はどうしていいのか判らなくなる。
構われる事にも慣れないし、こんな風に一人と向き合う事が、これまで海堂にはなかったからだ。
「ああ…それはな、海堂。お前の」
海堂が思わず言ってしまったのと同様に。
乾もそれと似た言い方で、言った。
「……俺の?」
海堂が、問い返す。
乾は、何だか我に返ったみたいに少しだけ動揺して。
珍しく困ったように言いよどんだ。
「いや、……何でも…」
「………………」
「聞かなかった事に……っていうのは無しかな?」
海堂は黙っているのに、乾はじっと海堂を見据えてきて溜息をつく。
「…無しだな。うん」
「………………」
「ただ、な…」
とにかく乾の言葉はどれもこれも歯切れが悪かった。
それは海堂を苛立たせるというよりは困惑させるものだった。
乾は、何を言いたいのだろう。
何を思っているのだろう。
人に対して、そんな風に思ったのは初めてかもしれないと海堂も戸惑う。
頭に乗せられている乾の手のひらが身じろいで、海堂自身もまた同様に。
「ごめん…」
「………………」
「本気で言っていいのかどうか判らない。ますますお前の具合悪くするかも」
「………………」
「海堂ー……」
泣きつくような情けない小声に、ふと海堂は緊張をゆるめた。
唐突に、乾のその声で気づいたからだ。
戸惑っているのは自分だけではない。
乾もまたそうならば、乾のように人の感情に敏感でない自分は、せめて伝える事があるだろう。
「……乾先輩」
「何?」
気遣わしいように、それでいてどこか勢い込んで乾が促してくる。
海堂は息を吸って、乾の目を見て言った。
「俺は……具合が悪い訳じゃないんで……すみません」
大丈夫です、と告げると。
そう?と少しほっとしたように乾が笑みを見せてくる。
海堂も肩から力が抜けた。
それでまた海堂は自覚する。
近頃自分がかかえている違和感。
それは決して体調不良などではなく。
「緊張…してました」
言葉を捜すようにして、一言ずつ口にする海堂に、乾は複雑そうな顔でその言葉を反復した。
「………緊張…」
「…………っす」
それが一番正しいと海堂は思った。
緊張、するのだ。
乾といると。
「それは……やっぱり、よくない意味で、だよな…?」
ひとりごちる乾の、やけに深刻な様子に首をかしげながら、海堂は言葉を捜す。
「よくない態度して…すみません」
「いや、…原因俺でしょ。海堂のせいじゃない」
そう言って、乾は再び考え込む。
長身の乾の肩が何だかがっくりと落ちているようで、海堂は珍しくも自分の方から乾を覗き込むようにして呼びかける。
「あの…乾…先輩?」
こんなことを言っていいのかどうか判らないが、今海堂が率直に思ったことは。
「………なんか…落ち込んでますか」
「そうだね……うん、…落ち込んでます」
「………………」
「………………」
自分が緊張すると何故乾が落ち込むのか、正直海堂には判らなかった。
海堂が乾に感じる緊張は、多分。
殆ど唯一といってもいい、自分に構ってくる年上の男に、気持ちを引きずられて平静でいられなくなる自分にだ。
馬鹿な事を考えそうで怖い、戒めようと思っている時点ですでにまずい。
「とりあえず、少しずつ」
「……先輩?」
頑張るか、と真剣な顔で呟いた乾に。
海堂の呼びかけは届いていないようだった。
よし、と決意する乾の顔を見上げて、海堂は僅かに目を細めた。
自覚してしまえば、認めてさえしまえば、この緊張めいた違和感は薄れるのだろう。
判ってはいたが、海堂は、まだ。
緊張というバリアの中で、ひっそりと息を潜める事を選んだ。
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