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How did you feel at your first kiss?
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 乾のノートは秘密のノートだが、書き方にいろいろと癖があるので、恐らく他人が見ても理解の難しい代物だ。
 特にプレイを見ながらデータを取る時は、紙面にあまり目線を落とさないので、字は歪んだり重なったりして、乾本人ですら時折文面の判別に苦しむ事がある。
「乾先輩」
「なんだい、越前」
 データ収集中でも声をかけられれば返す。
 涼しい顔で五感をフル稼動させるから、マシンだとかロボット扱いされる事があるのだ。
「海堂先輩って、猫みたいっすね」
「…ああ?」
「乾先輩にしか懐かないんっすか?」
 わざわざ越前が声をかけてくるくらいだ。
 何の話かと思えばこれかと乾はきりのいいところでデータを取るのを止めた。
 珍しい、と口笛が吹かれる。
「越前」
「そんなにっこり笑って怒んないで下さいよ」
 おっかないなあと言いながらも笑っている小さな一年は、恐らく先程の乾と海堂の会話を聞いていたのだろう。
 会話と言っても、海堂は一言も喋っていない。
 彼は寡黙なのだ。
 データをとりつつ乾は少し離れたところにいる海堂に気づいて、彼を呼んだ。
 海堂、おいで、と手招きすると、海堂は黙って近づいてきた。
 今日の海堂の様子を見ていて思いついたトレーニング方法を書き付けた頁をノートから破って、はい、と手渡した。
 やってごらんと乾が言うと海堂の両手で受け取って頷いていた。
 バンダナ越しに形のいい小さな頭に手を置いて、乾は海堂を見送った、それだけの事なのだが。
 それで懐いているなんて言われてしまうのだから、海堂の一匹狼ぶりも相当だ。
 しかし乾にしてみれば、ちょっと尋常でなく海堂はかわいいと思う。
 とても気に入っている海堂を、意味は違うとしてもやはり気に入っている相手というのはすぐに判る。
 例えばこのルーキーだ。
「別に怒っちゃいないよ」
「そうっすか? 牽制されてるっぽいんですけど?」
 あきらかにからかう笑みで、この一年は、生意気というよりは豪胆だと乾は思う。
「構いたくなりません? ああいうひと」
「あげないよ」
「とりゃしませんよ」
 いらないし、とキャップのつばを少し引き下げ、呆れた風に言ってすぐ。
 また目線を上目に上げてくる。
「乾先輩、海堂先輩が懐いてくるように何か仕組んだんですか」
「人聞きの悪いこと言うなぁ越前」
 実際そのての問いかけは同級生からも時折向けられる。
 乾は涼しい顔であしらいながら、やはりそういう風に見られるのかと内心複雑だ。
「俺も、多分ああいうひと、構うのうまいっすよ?」
 猫っぽいから、慣れてるしね。
 越前の言い方に、乾は呟くように応えた。
「確かにな。実際海堂も、お前を気にかけてるからな」
 お兄ちゃんだからなあと、こればっかりは自分に向けられることのない部分かと嘆息する。
 海堂には弟がいる。
 それを知った時、なるほどな、と乾は思ったのだ。
 雰囲気がきつく、人を寄せ付けないような海堂だが、随分とその内面はやわらかい。
 時折見かける光景で、例えば小動物や子供に差し向ける手などは、いつも、ぎこちなくも優しいものだ。
「お兄ちゃん。懐きたそうに見えるぞ?」
「別にそういう訳じゃないですけど」
「でも考えてみたら悪い想像でもないだろう?」
「……やですよ。あんなおっかない兄貴なんか」
「優しいぞ。海堂は」
「………あんた、のろけてんの?」
「そうだね」
 乾は機嫌よく笑った。
 自分自身の感情には、もう気づいている。
 ただどうしようもなく、たったひとりが気にかかるのだ。
 越前は呆れたような溜息をついて、あっそ、と言い捨てて退散していった。
 まだ、のろけというほど、海堂と深く関わっている訳ではないので。
 これ以上話すとなれば、単に乾の片恋話だったのだが、あいにくそれは言葉にされることはなく、乾の胸のうちにあるだけだった。
 


 その頃海堂はといえば、コート裏の木陰で、乾から貰ったノートの紙片に目を通していたのだが。
 時折過剰にスキンシップの激しくなる上級生につかまり、かたまっていた。
「かーいどう。何してんのー?」
「……別に、…何も…」
 背中から、全身でのしかかられて。
 ごろごろと喉を鳴らす猫のようにくっついてくる菊丸に、海堂は動揺する。
 普段から、同級生や下級生はおろか、目上の相手でも、海堂にむやみに構ってくるような者はいないのに。
 雰囲気がきつい、目つきが悪い、近寄りがたい、怖い。
 そんな評価が常なだけに、こんな風にされると海堂はどうしていいのか全く持って判らないのだ。
「海堂は、お日様の匂いがするねえ」
「………は…ぁ…」
「んー。きもちいー」
「あの、…菊丸…先輩…」
 癖のある毛先が当たって頬がくすぐったい。
 ぐりぐりと額を肩口に押し付けてこられ、その気配は海堂が好きな小動物そのもので、邪険にもし辛かった。
 つい目で大石の姿を探してしまいながら海堂が小さく首を竦めると、普段はどちらかといえば幼いような話し方をする菊丸が、海堂の耳元できっぱりと言った。
「なあ、海堂。恋の悩みは俺にしなよね」
「……は…?」
 一瞬何を言われたのか判らなかった。
 海堂が問い返すと、首に絡まっている菊丸の腕に、ぎゅっと力が入る。
「海堂が頼りにしてるのは乾かもしれないけどさ。そんな相手への恋の悩みとかはさ、俺! な? 俺にしよ?」
「こ、……」
 いきなり何を言われたのか。
 頭はさっぱり理解しなかったが、それでも恋という言葉と、あの男の名前だけが、海堂の思考にするりと入ってきた。
 硬直した海堂の頭を荒っぽく撫でてくる菊丸にされるがまま、揺さぶられて。
「海堂が、頑張り方が判らないかもっていうの、恋の悩みくらいじゃん」
 俺だって海堂のこと構いたいー、乾ばっかずるいー、と耳元で泣きまねをされて海堂は一層混乱した。
 菊丸の言っている事は判らない事だらけなのに。
 ひとつだけ、どうしてそれを知っているんだと取り乱しそうになる出来事が含まれていて。
「ほいっ、海堂」
「……え……」
「ゆびきり!」
 強引に小指をとられてゆびきりされて。
 じゃあねー!と走り去っていく菊丸を見送ることもできないまま。
 海堂は地面に両手をつき、がっくりとうなだれる。
 俯かせた顔が赤いことは、誰の目にもふれていない。
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