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How did you feel at your first kiss?
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 夏を前にして、しきりに雨が降る。
 毎日毎日雨が降る。
 雨が止んでいる事を、珍しいと言ってしまうような毎日だ。
 多少の雨ならば、日課であるロードワークは欠かさずこなす海堂であったが、それにしたって雨はよく降った。
 今日も短い時間内に急激に降った雨に丁度走り始めた矢先で遭遇してしまい、濡れたままの身体を冷やす訳にも行かず、途中で切り上げる事になった。
 そもそも部活も雨に中断されたのだ。
 近頃なかなか思うようにテニスも走りこみも出来ず、中途半端なフラストレーションばかりが堪って仕方が無い。
 早めに終わってしまった部活の分と、帰宅してから雨が止むのを見計らって出かけたのにまたこの有様だ。
 家では母親が同じような憂い顔で溜息をついていた。
「乾燥機、買った方がいいのかしら……でもやっぱりお洗濯物はお日様に干したいわよね…」
 家事が大好きな母親にとってこの雨は、走り足らずに溜息ばかりが出る海堂と同じくらい憂鬱なもののようだった。
 コインランドリーから帰ってきたばかりらしい母親だったが、濡れている海堂にタオルを渡すと特に何も言わずに笑顔を浮かべる。
「早く着替えないと。洗い物はいつもの所ね。あ、レギュラージャージも出しておいてね。練習でも降られたんでしょう?」
 練習着には充分予備がある。
 ロードワークに出る前に部屋に吊るしておいたジャージも、少しばかり濡れただけだ。
 でもこの母親の事だから、自分の洗濯物だけの為にまたコインランドリーに行きかねないと海堂は思って、着替えを済ませた後、出かけてくると言って、自らコインランドリーに向かったのだった。
 


 家から駅とは逆方向に二十分ばかり歩いた所に銭湯があって、そこに併設されているコインランドリーは、近頃改装を済ませたばかりだ。
 真新しく広くなったが、あまり利用客は増えないらしい。
 海堂も本当に時折出向く程度の場所だが、殆ど利用客を見かけない。
 雨がまだ結構降っているから、尚更今日は無人だろうと思っていた海堂は、遠巻きに先客がいるのを見かけて、その後姿に目を瞠った。
 白いシャツを着た広い背中は、顔が見えなくても海堂には誰なのかすぐに判る。
 引き戸の扉をカラカラと音を立てて横に引くと、ひとりその中にいた男は振り返りもせず言った。
「やあ、海堂」
 見もしないでいきなり言うので、海堂はぎょっとした。
 入り口で一瞬硬直すると、ごめんごめんと笑いながら、その男、乾が振り返ってくる。
「映ってた」
「………………」
 簡易のスチール椅子に座っていた乾は、正面の乾燥機を指差す。
 海堂が目線をやると確かに乾燥機の透明な扉には出入り口が映っていた。
「海堂も洗濯か」
「……っす」
 頷いて、海堂は洗濯機に持ってきた練習着とレギュラージャージを入れる。
 洗剤は慣れたものの方がよくて、自宅から持ってきた。
 スイッチを押し、動き出すのを確認してから海堂が振り返ると、乾はぼんやりと海堂を見ていたようだった。
 手が空けば必ず開いている彼のデータ帳も今は手元になく、珍しいなと海堂は思った。
「海堂、宿題か何か持ってきた?」
「……はあ…」
 何で判るのかと海堂は曖昧に返事をして、どうぞ、と手で促されたので乾の隣の椅子を引き出して座った。
「時間無駄にしないからね。海堂は」
「………それはあんたでしょうが」
 今日はいつものノートないんですかと続けると、乾は珍しいだろうと何故か威張って笑った。
「威張る所っすか」
「まあね。たまには、ぼーっとしようかと思ってさ。わざと置いてきてみたんだけど、どうにも落ち着かなくてな。さっきから」
 そういう事なら自分は邪魔じゃないかと海堂は思ったのだが、乾はゆったりと微笑んで頬杖をつき、海堂に顔を近づけてくる。
「理数系だと嬉しいけど。何持ってきた?」
「……何で嬉しいんですか。……そうですけど」
「何でも聞いてくれって自信持って言えるからさ」
 二の腕が触れるような距離は随分近くないかと海堂は思うのだが、乾は何だか機嫌がいいようで、やわらかく笑ってばかりいる。
「…………聞いていいんすか」
「勿論」
 持ってきたものは苦手科目の物理なだけに、海堂としても本音を言えば乾の存在は有難かった。
 低く問うと、あっさり頷いて。
 どれ?と乾が海堂の鞄に目線をやる。
 取り出した教科書の、付箋をつけておいた頁を広げて海堂は乾に差し出した。
 苦手な事でも敬遠しない分、不得手なものほど海堂はどうしようもない所まで追求してしまう性分だ。
 海堂自身、自分のそういう頑固で執拗で融通のきかない所に時折辟易するが、乾はとにかく辛抱強いというか、寧ろ海堂と似ている部分を持ち合わせているのか、決して手を抜かない。
 乾の教え方は、それがどんな事であっても、海堂が完全に納得するまで続けられた。
 この時も、海堂が授業で躓いた所を、どこが判らなくて何が疑問なのか、重い口で伝える説明を乾は全て聞き終えてから、解釈を始めた。
 こんな風に自分の決してうまくない言葉を、最後まできちんと、そして必ず正確に酌む相手は、乾くらいだろうと海堂は思っている。
 乾は何でもないことのように海堂の側にいるけれど、その都度海堂はいろいろな事を考えている。
「ほら、解けた」
「………………」
 ぽん、と気安い所作で乾の手のひらが海堂の頭上に乗る。
 頭を撫でられるようなそんな仕草を、幼い頃に家族くらいにしかされた事のない海堂は、戸惑いと面映さで複雑に受け止める。
 乾の手は、まだ海堂の頭上にあるままで、何だか手すさびに髪を撫でられているような感触がする。
「……先輩…?」
「ん?……駄目だね、バンダナないと。抑制きかなくて」
 やけに甘い指先に髪をすくわれる。
 近い距離で乾の顔を見て海堂がかたまっていると、洗濯機からアラーム音が鳴り響いた。
「……、…先輩の…じゃ」
「そうだな。俺、レギュラージャージとTシャツ二枚なんだけど、海堂は?」
「同じ…ですけど」
「じゃ、乾燥機一緒に使おう。いい?」
「……はあ」
 特別異論もないので、海堂は頷いた。
「海堂の洗濯があがるまで…あと二問いけるな。今のと同じ要領で、これと、これ」
 教科書の結構先を捲られて、海堂は珍しく弱った心情を露にする。
「……まだそこまでやってないですけど。授業」
「解けるから。やって」
「………………」
 乾はこういう所が海堂に手馴れているというか、状況を見極めていけると思った時は高すぎるくらいのハードルを課すのだ。
 甘やかされない事は海堂には心地よかったし、乾のそういう手腕に信頼を寄せてもいる。
 さすがにテニスとは違って苦手意識があるから唸るものの、あっさりと促されては挑むしかない。
 そうして二度目のアラーム音が鳴り響く頃には、海堂は過剰な程甘い乾の手に、頭を撫でられているのだった。



 海堂の宿題は終わり、お互いの洗濯も終わり、二人分の衣類が入った乾燥機がぐるぐると回る。
 向かい合うでもなく横に並んで座りながら、乾と海堂はあまり喋らなかった。
 それが不思議と気詰まりではなく、寧ろ安心するような静寂になる。
 窓をたたく雨音が微かに聞こえる。
 乾燥機のモーター音がする。
 粉石鹸の匂い。
 少し人工的だけれど、それがかわいていく匂い。
 乾燥機の中で回転している二人分の衣服。
 とりわけ判りやすく青学のレギュラージャージがもつれあい、絡まりあうようにして回っている。
「何か、いやらしく見えない?」
「は?」
「あれ」
 黙って、それこそ当初の彼の目的だったように。
 ぼんやりとしていた乾がふいに口をひらいて海堂に話しかけてくる。
 あれ、と言いながら乾燥機を指差す乾に海堂は首を傾げた。
 乾は寛ぎきった様子で笑う。
「俺のと、海堂のと。一緒に絡まってて」
「……あんたな…ぁ」
 それのどこがと言いきろうとして。
 乾の声と、表情と、指差された自分達のレギュラージャージの絡まりあいに。
 どこがだなんて、言い切れなく、なって。
 海堂は息を詰めた後、乾を睨みつけた。
 乾は平然と海堂の眼差しを受け止めて、笑みを深める。
「あっちはあっちで仲良く絡んでるから」
「……こっちはこっちで、なんて言い出すんじゃねえぞ」
「海堂みたいに俺の考えてる事よむ奴はいないよな」
「あんたのその顔見たら誰だってわか、…」
 盗まれた。
 奪われた。
 掠め取られた、唇。
「……、…っ……」
 離れてすぐ、咄嗟に握った拳の手の甲を口元に当てた海堂は、ふいうちにやられて真っ赤になっているであろう自分の顔色を自覚せざるを得なかった。
 乾は再び海堂の頭を撫でるように手を置いて、乾の方に向けていた海堂の手のひらにも唇を寄せて。
 あっちが終わるまで、こっちもね、と海堂の耳元に囁いた。
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