How did you feel at your first kiss?
いつの間に眠ってしまっていたのか、忍足は覚醒と同時にまばたきしながら身体を起こそうとすると、小さいながらも歯切れのいい声がすぐ近くから聞こえてきた。
「まだ寝てれば」
「…岳人?」
おう、とあっさり返答が返される。
氷帝テニス部の団体移動の際に使うバスの中、忍足の隣に座るのはいつも向日だ。
確認するまでもなく判っていたものの敢えて忍足が口に出したのは己の熟睡ぶりを自覚したからだ。
眠気を覚えた記憶も無い。
すっかり身を預けていたが、自分がもたれて眠るにはその肩は華奢すぎる。
「あー……堪忍な」
「何が?」
「重かったやろ」
「別に?」
侑士ひとりくらい構わねえよ、と即答してきた向日は、身体も顔も、細くて小さい。
それなのに少しも脆弱に見えないのは、きっぱりとした態度と声と目線のせいだ。
「侑士、寝てんのかよ、ちゃんと」
「……ん?」
「ぴくりともしなかったぜ」
口調よりも雄弁に、眼差しが気遣わしく忍足を見つめてくる。
大きな目に率直な心配が宿っていて、忍足は少し笑った。
「お言葉に甘えるわ」
「ああ」
忍足は向日の肩に再び寄りかかる。
小さいなあ、と思いながらもとろりと心地よく瞼がまた落ちかける。
「夢見が悪くてなぁ…昨日」
「心霊本でも読んだんだろ」
「岳人やあるまいし……」
呟いた声はすぐに聞きつけられて、頭を拳で軽く叩かれる。
たいして痛いわけでもなく、握った拳も小さいなぁなどと思いながら忍足は向日の肩に頭を預けたままでいる。
怪談嫌いの向日は、悉くそれに携わるものは避けて通るのだが、たまにうっかりと目にしたり聞いてしまったりすると、その日はいつまでも眠れないらしい。
多い時には月に七日は忍足の所へ泊まりに来る向日なので、その辺のことは忍足もよく知っていた。
怖がりだけれど強がりでもある向日は、素直に怖いと言う事はなく、そういうときは忍足の寝床に潜り込んでくるのだ。
そういう時はとりとめなく向日があれこれ喋り、それに忍足は頷いたり返事をしたりするのが常だが今日は逆だった。
ぽつりぽつりと話すのが忍足で、それに向日が逐一応えてくる。
「きっつい夢みた」
「ん?」
「岳人がどっこにもおらんねん」
「はあ?」
「ずうっと探した。けど見つからんかった」
目覚めて愕然としたで、と忍足がひとりごちると、向日は軽やかに笑い出した。
「それで侑士、今日朝イチで、俺見てあーんな変な顔したのかよ?」
「変ってなぁ……岳人」
「でも誰も、そんな事ないって言いやがるからさ。何だ、やっぱ変で良かったんじゃん」
さりげなく凄いことを言っている自覚はあるのだろうかと忍足は微く苦笑いを浮かべた。
人に無闇に本心を晒す事のない忍足は、自制心には自信がある。
確かに今朝、向日の屈託の無い笑い顔を目にして、そっと内心で安心したことは事実だったが、それを人に気づかれているとは思いもしなかった。
「悲恋モノでも見たか読むかしたんじゃねえの?」
侑士は感化されやすいからなあ、と誰にも言われた事のないような言葉を放られ、忍足は向日の肩にもたれたまま今度ははっきりと笑い出す。
「何笑ってんの、侑士」
呆れたような声の割にどこか優しげに向日の手が忍足の髪をぐしゃぐしゃとかきませてくる。
「むかつくんだけど。夢じゃ俺いなくてベソかいてたくせに」
「どこで見てたん?」
「否定しろよ否定!」
「ほんまのことやからなあ」
できひんわ、と言いながら、忍足は向日の手をそっと取った。
「………何だよ?」
「手、あかん?」
「……いいけど。別に」
自分よりも小さな手と。
指と指とを絡めて繋ぎあう。
誰に見られても構わなかったが、そっと隠すように繋いだ手を下に下ろすと、向日の方からもきちんと握り返してきて、応えられている事を実感する。
「侑士は甘えたがりだよなぁ…」
「そんなん言われた事ないわ」
「侑士を知らないヤツは言わないだろうけどさ。知ってるヤツなら絶対言うだろ」
「氷帝中探しても岳人しかおらんわ、そんなヤツ」
本心で告げれば、あっさりと、俺は別と返される。
「俺より侑士のこと好きなヤツなんていねえし」
「ほんま?」
「あ、なんだよ、その疑ってますーって声。当たり前だろ」
機嫌を悪くしたように向日が忍足に貸していた肩を奪い取るように体勢を変える。
並んで座ったまま忍足に向き直った向日だったが、繋いだ手は解かれない。
忍足はじっと向日の目を見下ろした。
二十センチある身長差は、座っていても差があって、今更ながらにその細い肩に凭れて眠っていた自分に驚くのだけれど。
忍足の眼差しに、向日が息を詰めるので。
顔を近づけて尚近くから覗き込む。
「岳人、顔赤いで」
何でなん?とからかうでもなく笑いかけると、向日は目つきをきつくして真っ向から忍足を見返してくる。
「好きな相手の顔に見惚れて悪いかよ」
見惚れる理由がよかった。
忍足は額と額とが触れ合うような距離まで近づいて、悪くないというように首を左右に振った。
「……顔近い、侑士」
「見惚れて欲しいんやもん」
「もん、じゃねえだろっ」
あのなあ、と薄赤い顔で向日がずるりと座席の背もたれから滑る。
それを追いかけていくと、いきなり背後からどかんと背もたれを蹴り飛ばされる音がする。
忍足は即座に無表情になって座面に片膝をつき、背後を向く。
すぐ後ろの席の主を真正面から見据えた。
「邪魔すんなや」
「こっちの台詞だ、阿呆」
腕組みして憮然と忍足を睨みつけているのは背後の席にいた宍戸で。
「長太郎が、目ぇ覚ましちまっただろうが」
「宍戸さん……」
怒るポイントはそこかと忍足は呆れ、宍戸の隣にいる鳳も微妙な苦笑いを浮かべている。
忍足は溜息混じりに鳳に目線をやった。
「鳳」
「はい、何ですか? 忍足先輩」
「そのうるさいの、ちゃんとおとなしくさせとき」
頼むで、と言い置いて忍足は席に座り直した。
その間も一時も離さなかった向日の手も改めて握り直す。
うるさいってなんだとまた背後から座席を蹴られたが、まあまあと穏やかな甘い声も聞こえてきて、後ろは後ろでうまくやるだろう。
「岳人」
盗むように一瞬だけ。
向日の頬に唇を寄せる。
まさかここではしないと思っていたのだろう。
向日は固まった。
忍足はゆっくりと笑みを深めて、彼にだけ届く声の大きさで囁く。
「眠らせてや。今日は」
だから今日はこのまま泊まりおいで、とねだりつつもきっぱり言い切れば。
忍足の間近で向日はぐっと息をのみ、赤い顔のまま深い溜息をついた。
「……岳人?」
「判ったよ。しょうがねえから、行ってやる」
「おおきに」
「ただし、こんなとこでしやがったペナルティはちゃんとつけるからなっ」
空いているほうの手の拳で、先程忍足が唇を寄せた頬を、ぐいっと擦った向日は言った。
忍足は目を瞠って、そして。
顔を近づける。
唇を盗む。
「……言ってる側から何でまたするんだっバカ侑士っ」
「どうせペナルティつくなら、こっちにもしとこと思って」
本当に軽くだったけれど。
唇もキスで掠って、忍足は笑った。
向日は怒っていたけれど、怒鳴っているけれど、繋いだ手と手はその間も、決して解かれる事はなかった。
忍足からも、向日からも、ずっと。
だからその手は離さない。
「まだ寝てれば」
「…岳人?」
おう、とあっさり返答が返される。
氷帝テニス部の団体移動の際に使うバスの中、忍足の隣に座るのはいつも向日だ。
確認するまでもなく判っていたものの敢えて忍足が口に出したのは己の熟睡ぶりを自覚したからだ。
眠気を覚えた記憶も無い。
すっかり身を預けていたが、自分がもたれて眠るにはその肩は華奢すぎる。
「あー……堪忍な」
「何が?」
「重かったやろ」
「別に?」
侑士ひとりくらい構わねえよ、と即答してきた向日は、身体も顔も、細くて小さい。
それなのに少しも脆弱に見えないのは、きっぱりとした態度と声と目線のせいだ。
「侑士、寝てんのかよ、ちゃんと」
「……ん?」
「ぴくりともしなかったぜ」
口調よりも雄弁に、眼差しが気遣わしく忍足を見つめてくる。
大きな目に率直な心配が宿っていて、忍足は少し笑った。
「お言葉に甘えるわ」
「ああ」
忍足は向日の肩に再び寄りかかる。
小さいなあ、と思いながらもとろりと心地よく瞼がまた落ちかける。
「夢見が悪くてなぁ…昨日」
「心霊本でも読んだんだろ」
「岳人やあるまいし……」
呟いた声はすぐに聞きつけられて、頭を拳で軽く叩かれる。
たいして痛いわけでもなく、握った拳も小さいなぁなどと思いながら忍足は向日の肩に頭を預けたままでいる。
怪談嫌いの向日は、悉くそれに携わるものは避けて通るのだが、たまにうっかりと目にしたり聞いてしまったりすると、その日はいつまでも眠れないらしい。
多い時には月に七日は忍足の所へ泊まりに来る向日なので、その辺のことは忍足もよく知っていた。
怖がりだけれど強がりでもある向日は、素直に怖いと言う事はなく、そういうときは忍足の寝床に潜り込んでくるのだ。
そういう時はとりとめなく向日があれこれ喋り、それに忍足は頷いたり返事をしたりするのが常だが今日は逆だった。
ぽつりぽつりと話すのが忍足で、それに向日が逐一応えてくる。
「きっつい夢みた」
「ん?」
「岳人がどっこにもおらんねん」
「はあ?」
「ずうっと探した。けど見つからんかった」
目覚めて愕然としたで、と忍足がひとりごちると、向日は軽やかに笑い出した。
「それで侑士、今日朝イチで、俺見てあーんな変な顔したのかよ?」
「変ってなぁ……岳人」
「でも誰も、そんな事ないって言いやがるからさ。何だ、やっぱ変で良かったんじゃん」
さりげなく凄いことを言っている自覚はあるのだろうかと忍足は微く苦笑いを浮かべた。
人に無闇に本心を晒す事のない忍足は、自制心には自信がある。
確かに今朝、向日の屈託の無い笑い顔を目にして、そっと内心で安心したことは事実だったが、それを人に気づかれているとは思いもしなかった。
「悲恋モノでも見たか読むかしたんじゃねえの?」
侑士は感化されやすいからなあ、と誰にも言われた事のないような言葉を放られ、忍足は向日の肩にもたれたまま今度ははっきりと笑い出す。
「何笑ってんの、侑士」
呆れたような声の割にどこか優しげに向日の手が忍足の髪をぐしゃぐしゃとかきませてくる。
「むかつくんだけど。夢じゃ俺いなくてベソかいてたくせに」
「どこで見てたん?」
「否定しろよ否定!」
「ほんまのことやからなあ」
できひんわ、と言いながら、忍足は向日の手をそっと取った。
「………何だよ?」
「手、あかん?」
「……いいけど。別に」
自分よりも小さな手と。
指と指とを絡めて繋ぎあう。
誰に見られても構わなかったが、そっと隠すように繋いだ手を下に下ろすと、向日の方からもきちんと握り返してきて、応えられている事を実感する。
「侑士は甘えたがりだよなぁ…」
「そんなん言われた事ないわ」
「侑士を知らないヤツは言わないだろうけどさ。知ってるヤツなら絶対言うだろ」
「氷帝中探しても岳人しかおらんわ、そんなヤツ」
本心で告げれば、あっさりと、俺は別と返される。
「俺より侑士のこと好きなヤツなんていねえし」
「ほんま?」
「あ、なんだよ、その疑ってますーって声。当たり前だろ」
機嫌を悪くしたように向日が忍足に貸していた肩を奪い取るように体勢を変える。
並んで座ったまま忍足に向き直った向日だったが、繋いだ手は解かれない。
忍足はじっと向日の目を見下ろした。
二十センチある身長差は、座っていても差があって、今更ながらにその細い肩に凭れて眠っていた自分に驚くのだけれど。
忍足の眼差しに、向日が息を詰めるので。
顔を近づけて尚近くから覗き込む。
「岳人、顔赤いで」
何でなん?とからかうでもなく笑いかけると、向日は目つきをきつくして真っ向から忍足を見返してくる。
「好きな相手の顔に見惚れて悪いかよ」
見惚れる理由がよかった。
忍足は額と額とが触れ合うような距離まで近づいて、悪くないというように首を左右に振った。
「……顔近い、侑士」
「見惚れて欲しいんやもん」
「もん、じゃねえだろっ」
あのなあ、と薄赤い顔で向日がずるりと座席の背もたれから滑る。
それを追いかけていくと、いきなり背後からどかんと背もたれを蹴り飛ばされる音がする。
忍足は即座に無表情になって座面に片膝をつき、背後を向く。
すぐ後ろの席の主を真正面から見据えた。
「邪魔すんなや」
「こっちの台詞だ、阿呆」
腕組みして憮然と忍足を睨みつけているのは背後の席にいた宍戸で。
「長太郎が、目ぇ覚ましちまっただろうが」
「宍戸さん……」
怒るポイントはそこかと忍足は呆れ、宍戸の隣にいる鳳も微妙な苦笑いを浮かべている。
忍足は溜息混じりに鳳に目線をやった。
「鳳」
「はい、何ですか? 忍足先輩」
「そのうるさいの、ちゃんとおとなしくさせとき」
頼むで、と言い置いて忍足は席に座り直した。
その間も一時も離さなかった向日の手も改めて握り直す。
うるさいってなんだとまた背後から座席を蹴られたが、まあまあと穏やかな甘い声も聞こえてきて、後ろは後ろでうまくやるだろう。
「岳人」
盗むように一瞬だけ。
向日の頬に唇を寄せる。
まさかここではしないと思っていたのだろう。
向日は固まった。
忍足はゆっくりと笑みを深めて、彼にだけ届く声の大きさで囁く。
「眠らせてや。今日は」
だから今日はこのまま泊まりおいで、とねだりつつもきっぱり言い切れば。
忍足の間近で向日はぐっと息をのみ、赤い顔のまま深い溜息をついた。
「……岳人?」
「判ったよ。しょうがねえから、行ってやる」
「おおきに」
「ただし、こんなとこでしやがったペナルティはちゃんとつけるからなっ」
空いているほうの手の拳で、先程忍足が唇を寄せた頬を、ぐいっと擦った向日は言った。
忍足は目を瞠って、そして。
顔を近づける。
唇を盗む。
「……言ってる側から何でまたするんだっバカ侑士っ」
「どうせペナルティつくなら、こっちにもしとこと思って」
本当に軽くだったけれど。
唇もキスで掠って、忍足は笑った。
向日は怒っていたけれど、怒鳴っているけれど、繋いだ手と手はその間も、決して解かれる事はなかった。
忍足からも、向日からも、ずっと。
だからその手は離さない。
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