How did you feel at your first kiss?
乾は絵とも図形とも言えないものをノートに書き出している。
一筆書きに、しかし適当に書いているわけではないらしい。
海堂は怪訝に思ったり気をとられたりしながら乾の書きあげていくものを見つめていた。
ノート一頁いっぱいにその丸い線上に規則的に突出するまた難解な形をしたもの。
「…うん?」
黙ったまま直視してくる海堂の視線に気づいたらしい乾が、ふと手をとめて顔を上げる。
じっと海堂を見つめ返した後に、自分の手元に目をやって、ああと声を上げ、ごめんと頭を下げてくる。
ひどくすまなさそうに詫びてくる乾だが、彼が突然こんな風に突然忘却の彼方にいってしまったり、何かに没頭し始めてしまうことは、珍しいことではなかった。
それに海堂が慣れてしまうくらいには、こうして一緒にいる時間も多かった。
今も、こうして部室に二人でいる訳なのだが、乾は手元の作業に没頭しているようだったので、海堂は斜向かいの椅子に座って待っていたのだ。
元々は乾が海堂を待っていた。
部活が終わった後に自主トレのメニューの事で話があると乾に言われて、日課の走り込みを終えて海堂が部室に戻って来た時にはもう、部室には乾の姿しかなかった。
何かに集中しているようだったので、海堂は着替えを済ませ、そして乾の書き込む図形を見ていた。
「本当にごめん」
「別にいいですけど…」
特に取り繕いなどした訳でもなくあっさりと海堂は返したのだが、乾はやけに神妙に、ともすれば焦ったように謝り続けてくる。
そういえば、こういう状況もまた常だ。
「だから、別にいいですって…そこまで謝りたおさなくても…」
「いや、勝手言って悪いが、別にいいとお前に言われるのもそれはそれで辛いものが」
「はあ…」
口の重い海堂とは対照的に、弁の立つ乾の言葉は普段であればとても判りやすいものなのに。
こういう時の乾は、どうも海堂にはよく分からない物言いをする。
別にいいと自分が言う事で、何故乾が辛くなるのか海堂にはさっぱり判らなかった。
「先輩…それ、何っすか」
言葉のうまくない海堂にはそれ以上どう言っていいか判らなかったので、ぎこちなく別の問いかけを乾に向ける。
先程からずっと気になってもいた事。
海堂の問いかけに、乾は広げたノートを差し出すようにして、海堂へと近づけた。
「これ?」
頷いた海堂と真向かいの位置になる様に乾は席を横に一つずれて。
紙面にペン先を向ける。
「フラクタルっていう図形。こういう風に…」
丸い線上に突出したものを乾は筆記具で指し示す。
「図形の一部を、拡大して見てみると、そこが図形全体の形になってる」
言われるまま海堂が視線を落とすと、確かに図形はそういう形をしていた。
不規則なようで規則的見えたのはそういう訳だったからだろうか。
「……一部なのに全部っすか…」
「そう。考えながら描くと、結構はまるんだよ。複雑な図形になればなるほどね」
気晴らし、と乾は笑った。
海堂にしてみれば、気晴らしというよりそれでは余計に頭を使いそうだと思う。
「出来ればね、俺も、こういう形になりたいんだけどな」
「………先輩が…っすか?」
「ああ」
薄い笑みはすぐに苦笑いに代わって、乾は小さく嘆息する。
「一見めちゃくちゃなようでも、ある一部分を見た時にそれが全体の中の一部分なんだって、ちゃんと判るような理論だとか予想だとかにしたいんだけどね…」
なかなかねえ、と乾が溜息をついて机に顔を伏せるのを、海堂は不思議な面持ちで見つめた。
珍しい。
こんな風に、泣き言めいたような事を乾が言うのも、それが乾のデータベースであるという事も。
自分などにしていい話なのだろうかと海堂は少しばかり困惑した。
机にぐったりと顔を伏せている乾に、果たしてどう対処すればいいのかと海堂は戸惑って瞬きをするが精一杯だ。
「……極力ね、俺みたいなのは意識して全体を見るようにしないと」
どうしてもデータにだけ固執しがちだからさ、と乾は目線だけ海堂に持ち上げて言った。
「どうもねえ…」
「………………」
「迷ってるとか、揺らいでるって訳じゃないんだが、俺のデータっていうのも…」
何を言い出す気かと海堂は内心で唖然とする。
まさか乾がそんな事を言い出すとは露とて思わず、海堂はもう、瞬きすらしなかった。
海堂とて、人に、迷うなと言えるような立場ではない。
普段は動じる事の殆どない乾でも、迷う事は、それはあるだろうと思う。
そして多少なりとも愚痴を言いたいだけなら、その相手が自分であるという事は、それはそれで決して嫌ではなかったけれど。
「いいじゃないですか。危うくても、固執していても」
「……海堂?」
迷ってもいいが、へこむ事ではないだろう。
海堂はそう思って、きっぱりと言った。
「全部ひっくるめて、結局は全部、あんたにしか出来ない事だろ」
大事な事だと海堂は思って、だからそう告げもした。
乾は顔を上げて、じっと海堂の眼差しを見つめ返してくる。
立ち上げた前髪の部分が乱れていたので、海堂は腕を伸ばし、そっと髪を撫でつける。
珍しく、本当にどことなく頼りない顔をされて、海堂はすぐに手が引けなくなった。
「俺は、まだ、その見方を教えて貰わないと、乾先輩が今見ている物が見えないですけど」
「海堂」
「もしあんたが見えてないものが俺に見えたら、その時は俺が教えるから」
乾が海堂にそうしてくれたようにだ。
「後から見返して、あんたが作った形が違ってたら、その時は書き直せばいい」
途中で投げ出さない限り、修正は後からでも、いくらでも、出来るのだ。
乱れた髪を直すというより、頭を撫でるような仕草になってしまった自分の手を、ぎこちなく海堂は乾の髪から離した。
「先輩、…?」
乾の手に阻まれ、握りこまれた手首でその手は捕まってしまったけれど。
海堂が呼びかけると、乾は左手で海堂の右手首を拘束したまま、空いた手を机について立ち上がって。
上半身を乗り出すようにして、そして。
ふわりとぶつけるようなキスを唇にした。
「な、……」
「ええと…ごめん、」
「……謝りながら笑うなよ…っ」
「うん、ごめんな」
だから!と海堂が続けた言葉は再びのキスにのまれた。
至近距離、浅いキスの後海堂の間近で乾が衒いのない顔で笑う。
「俺みたいな男に海堂をありがとう。…誰に言ったら良いのか判らないけど、そう思ったらさ」
だから。
そんな。
とろけそうな顔で微笑むのは止めて欲しい。
海堂はじわじわと滲んでくる気恥ずかしさに顔を背けるのが精々だった。
「……立ち直り早いっすよ、あんた…」
「いつまでもぐずぐず言ってると海堂に愛想つかされそうだからなぁ…」
「だから、笑うなって言ってる、…!」
はいはい、とすこぶる機嫌のいい乾に、机越しにとうとう抱き込まれてしまって。
海堂はいっそ噛みついてやろうかと思ったけれど、結局その唇は噛み締めて。
乾の固い肩口に押しつけるだけにした。
一筆書きに、しかし適当に書いているわけではないらしい。
海堂は怪訝に思ったり気をとられたりしながら乾の書きあげていくものを見つめていた。
ノート一頁いっぱいにその丸い線上に規則的に突出するまた難解な形をしたもの。
「…うん?」
黙ったまま直視してくる海堂の視線に気づいたらしい乾が、ふと手をとめて顔を上げる。
じっと海堂を見つめ返した後に、自分の手元に目をやって、ああと声を上げ、ごめんと頭を下げてくる。
ひどくすまなさそうに詫びてくる乾だが、彼が突然こんな風に突然忘却の彼方にいってしまったり、何かに没頭し始めてしまうことは、珍しいことではなかった。
それに海堂が慣れてしまうくらいには、こうして一緒にいる時間も多かった。
今も、こうして部室に二人でいる訳なのだが、乾は手元の作業に没頭しているようだったので、海堂は斜向かいの椅子に座って待っていたのだ。
元々は乾が海堂を待っていた。
部活が終わった後に自主トレのメニューの事で話があると乾に言われて、日課の走り込みを終えて海堂が部室に戻って来た時にはもう、部室には乾の姿しかなかった。
何かに集中しているようだったので、海堂は着替えを済ませ、そして乾の書き込む図形を見ていた。
「本当にごめん」
「別にいいですけど…」
特に取り繕いなどした訳でもなくあっさりと海堂は返したのだが、乾はやけに神妙に、ともすれば焦ったように謝り続けてくる。
そういえば、こういう状況もまた常だ。
「だから、別にいいですって…そこまで謝りたおさなくても…」
「いや、勝手言って悪いが、別にいいとお前に言われるのもそれはそれで辛いものが」
「はあ…」
口の重い海堂とは対照的に、弁の立つ乾の言葉は普段であればとても判りやすいものなのに。
こういう時の乾は、どうも海堂にはよく分からない物言いをする。
別にいいと自分が言う事で、何故乾が辛くなるのか海堂にはさっぱり判らなかった。
「先輩…それ、何っすか」
言葉のうまくない海堂にはそれ以上どう言っていいか判らなかったので、ぎこちなく別の問いかけを乾に向ける。
先程からずっと気になってもいた事。
海堂の問いかけに、乾は広げたノートを差し出すようにして、海堂へと近づけた。
「これ?」
頷いた海堂と真向かいの位置になる様に乾は席を横に一つずれて。
紙面にペン先を向ける。
「フラクタルっていう図形。こういう風に…」
丸い線上に突出したものを乾は筆記具で指し示す。
「図形の一部を、拡大して見てみると、そこが図形全体の形になってる」
言われるまま海堂が視線を落とすと、確かに図形はそういう形をしていた。
不規則なようで規則的見えたのはそういう訳だったからだろうか。
「……一部なのに全部っすか…」
「そう。考えながら描くと、結構はまるんだよ。複雑な図形になればなるほどね」
気晴らし、と乾は笑った。
海堂にしてみれば、気晴らしというよりそれでは余計に頭を使いそうだと思う。
「出来ればね、俺も、こういう形になりたいんだけどな」
「………先輩が…っすか?」
「ああ」
薄い笑みはすぐに苦笑いに代わって、乾は小さく嘆息する。
「一見めちゃくちゃなようでも、ある一部分を見た時にそれが全体の中の一部分なんだって、ちゃんと判るような理論だとか予想だとかにしたいんだけどね…」
なかなかねえ、と乾が溜息をついて机に顔を伏せるのを、海堂は不思議な面持ちで見つめた。
珍しい。
こんな風に、泣き言めいたような事を乾が言うのも、それが乾のデータベースであるという事も。
自分などにしていい話なのだろうかと海堂は少しばかり困惑した。
机にぐったりと顔を伏せている乾に、果たしてどう対処すればいいのかと海堂は戸惑って瞬きをするが精一杯だ。
「……極力ね、俺みたいなのは意識して全体を見るようにしないと」
どうしてもデータにだけ固執しがちだからさ、と乾は目線だけ海堂に持ち上げて言った。
「どうもねえ…」
「………………」
「迷ってるとか、揺らいでるって訳じゃないんだが、俺のデータっていうのも…」
何を言い出す気かと海堂は内心で唖然とする。
まさか乾がそんな事を言い出すとは露とて思わず、海堂はもう、瞬きすらしなかった。
海堂とて、人に、迷うなと言えるような立場ではない。
普段は動じる事の殆どない乾でも、迷う事は、それはあるだろうと思う。
そして多少なりとも愚痴を言いたいだけなら、その相手が自分であるという事は、それはそれで決して嫌ではなかったけれど。
「いいじゃないですか。危うくても、固執していても」
「……海堂?」
迷ってもいいが、へこむ事ではないだろう。
海堂はそう思って、きっぱりと言った。
「全部ひっくるめて、結局は全部、あんたにしか出来ない事だろ」
大事な事だと海堂は思って、だからそう告げもした。
乾は顔を上げて、じっと海堂の眼差しを見つめ返してくる。
立ち上げた前髪の部分が乱れていたので、海堂は腕を伸ばし、そっと髪を撫でつける。
珍しく、本当にどことなく頼りない顔をされて、海堂はすぐに手が引けなくなった。
「俺は、まだ、その見方を教えて貰わないと、乾先輩が今見ている物が見えないですけど」
「海堂」
「もしあんたが見えてないものが俺に見えたら、その時は俺が教えるから」
乾が海堂にそうしてくれたようにだ。
「後から見返して、あんたが作った形が違ってたら、その時は書き直せばいい」
途中で投げ出さない限り、修正は後からでも、いくらでも、出来るのだ。
乱れた髪を直すというより、頭を撫でるような仕草になってしまった自分の手を、ぎこちなく海堂は乾の髪から離した。
「先輩、…?」
乾の手に阻まれ、握りこまれた手首でその手は捕まってしまったけれど。
海堂が呼びかけると、乾は左手で海堂の右手首を拘束したまま、空いた手を机について立ち上がって。
上半身を乗り出すようにして、そして。
ふわりとぶつけるようなキスを唇にした。
「な、……」
「ええと…ごめん、」
「……謝りながら笑うなよ…っ」
「うん、ごめんな」
だから!と海堂が続けた言葉は再びのキスにのまれた。
至近距離、浅いキスの後海堂の間近で乾が衒いのない顔で笑う。
「俺みたいな男に海堂をありがとう。…誰に言ったら良いのか判らないけど、そう思ったらさ」
だから。
そんな。
とろけそうな顔で微笑むのは止めて欲しい。
海堂はじわじわと滲んでくる気恥ずかしさに顔を背けるのが精々だった。
「……立ち直り早いっすよ、あんた…」
「いつまでもぐずぐず言ってると海堂に愛想つかされそうだからなぁ…」
「だから、笑うなって言ってる、…!」
はいはい、とすこぶる機嫌のいい乾に、机越しにとうとう抱き込まれてしまって。
海堂はいっそ噛みついてやろうかと思ったけれど、結局その唇は噛み締めて。
乾の固い肩口に押しつけるだけにした。
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