How did you feel at your first kiss?
会いたい時に、彼はいつもそっと一人でいる。
今日もそうだ。
温厚で気さくで普段は人といる事が多い河村が、不二が彼を目で探す時にはいつも一人でいる。
「タカさん」
意識をしている訳ではないのだけれど、彼の名前を呼ぶ時、自分の声は穏やかになる。
誰に言われるでもなく不二はそれを自覚していた。
部室でレギュラージャージを丁寧に畳んでいた河村が振り返ってきて、目と目が合えば尚更だ。
「不二」
名前を呼ばれる。
笑顔を向けられる時の、この安心感はなんだろうと考えながら、不二も微笑み返して彼に近づいていく。
「どうした? 忘れ物かい?」
「うん。そう」
部活の後、早々に帰り支度を済ませて一度は部室を出た不二が再び現れた事を河村は穏やかな会話で受け入れてくる。
「珍しいね。不二が忘れ物なんて」
「うん」
「何忘れたんだい?」
「タカさん」
「え?」
制服を着た背中に、こつんと額を押し当てる。
不二はそれでひどくほっとした。
「え、……え…?」
一方河村はといえば、言葉にもならないような声で、しどろもどろになって盛大に慌てていたが。
不二がじっとしていると、暫くの後おさまって。
ええと、と言葉を探すように肩越しに振り返ってくる。
「ふーじ?」
「………もう離れないと駄目?」
もう少しこのままじゃ駄目かなと小さな声で問うと、河村は違うよと言った。
「そうじゃないよ。そうじゃなくて、こっち」
「………………」
くるりと身体を反転させられて。
広い胸に正面からすっぽりとおさめてくれて。
無骨だけれど丁寧で優しい手のひらが不二の背中をぽんぽんと叩いてきてくれる。
甘やかすような手つきは決して慣れたものではない。
でもそれがよけいに優しく感じて不二はおとなしくその場で目を瞑る。
「少し、疲れた…?」
「………………」
「不二は頑張りすぎるから」
「…そんなことないよ」
「そうかな…? もう少し楽にしてていいのにって俺は思ってるんだけど…」
ゆるく囲われたまま、河村の声にだけ耳を傾ける。
疲れたとは思っていないけれど、こうされているのは気持ちが良くて、それで河村の所に来たのだという事は不二も判っていた。
河村は不二が言われた事のないような事を言ってきたが、何故だろう、言われて力が抜ける。
「………………」
親しい友人はたくさんいる。
大切だと思う家族もいる。
信頼している人も、競い合いたい人も、仲間もいる。
でも、誰の前での見せないでいる自分を、何故かいつも曝け出してしまうのは、実直な彼の前だけだ。
不二はそう思って、固い胸元に顔を伏せている。
「タカさん」
「なんだい?」
呼びかけたきり黙りこんでも、河村は責めたりしないし無理に問いかけてきたりもしない。
宥めるだけでなく励ます手のひらで、繰り返し背中をあやすように叩かれて、それだけで不二は充分だった。
「………………」
いつでもどこか自分自身の感情はぼんやりとしていて。
時折一切の執着心を無くして全て投げ置いてしまいそうな自覚がある。
それでもいいとどこかで思っている自分がいる。
いつも穏やかでいるという事は、裏を返せば何も拘る事がないという事でもある。
不二はそういう自分を更に一歩引いた自分で見つめていて。
執着のなさが投げやりに全てを放棄しかねない自分がいるという事が、いつもうっすらとした自己嫌悪になっている。
誰にも気づかせた事はないけれど、きっと河村は知っている。
「不二」
「……ん…?」
ぎゅっと抱き寄せられて、びっくりした。
少しも嫌な感じではなく、ただ驚いて。
なに?と小さく問いかけると、ゆっくりと抱擁はとかれて。
河村は笑っていた。
「不二、よかったら今日うちで寿司食わない?」
「え?」
「今日は夜、座敷に注文入っててさ、今日の夕食は一人で勝手に食えって言われてるんだ」
まだ時間あるから、俺なにか握るよ、と河村が言うのに不二は首を傾げた。
「…手伝わなくていいの、タカさん」
「今日はいいんだって。同業者の組合の集まりらしくてさ、親父のヤツ、自分一人で充分だって思わせたいみたいだよ」
「引き抜きされちゃ困るって思ってるんじゃないのかな、お父さん…」
ふ、と笑いが自然に零れて、それに後から気づいて。
不二は河村から笑みをそっと分けて貰ったような気分になる。
「ね、タカさん…それだったら、うちに来ない…?」
「え?」
「泊まって、いかない?」
返答を考えるかと思っていた河村は、すぐに頷いてきて、お邪魔しますと軽く頭を下げた。
普段ならば河村は必要以上に気をつかうのだけれど。
恐らく今日の不二に何か思うところがあるのか、即答してきた。
実際不二はそれにほっとした。
「うちの家族、タカさん来るとテンション上がっちゃうけど、ごめんね」
「や、俺なんかにいつもすごい気をつかってもらっちゃって、悪いなって思ってるよ」
苦笑いで不二が伝えた言葉に、河村は恐縮したように手を振った。
「なんか、じゃないよ」
「不二?」
「タカさんがいてくれて、僕は本当に」
続く言葉に、詰まったのは。
気持ちに見合う言葉が見つからなかったからだ。
けれど、見上げた眼差しに気持ちを詰め込めば河村はきちんとそれを受け取ってくれる。
ほんの少し照れたようなはにかんだ笑顔で、ありがとうと呟いてくれる。
「…ありがとう、タカさん」
そう言えばいいんだ、と。
気づかせてくれた相手に。
ありがとう。
不二も告げた。
いつも、いつも、そう、思っていることを、ひとことで、これだけで、口にするだけで、こんなにも伝えられるのだと教わって。
「ありがとう。タカさん」
「こっちこそ。……うん。良かった、不二」
「え…?」
河村の手が、そっと不二の頬を撫でて。
ほっとしたように笑う河村の表情で、自身の表情の移り変わりを不二も知る。
側にいてくれるだけで、こんなにも、こんなにも嬉しい。
今日もそうだ。
温厚で気さくで普段は人といる事が多い河村が、不二が彼を目で探す時にはいつも一人でいる。
「タカさん」
意識をしている訳ではないのだけれど、彼の名前を呼ぶ時、自分の声は穏やかになる。
誰に言われるでもなく不二はそれを自覚していた。
部室でレギュラージャージを丁寧に畳んでいた河村が振り返ってきて、目と目が合えば尚更だ。
「不二」
名前を呼ばれる。
笑顔を向けられる時の、この安心感はなんだろうと考えながら、不二も微笑み返して彼に近づいていく。
「どうした? 忘れ物かい?」
「うん。そう」
部活の後、早々に帰り支度を済ませて一度は部室を出た不二が再び現れた事を河村は穏やかな会話で受け入れてくる。
「珍しいね。不二が忘れ物なんて」
「うん」
「何忘れたんだい?」
「タカさん」
「え?」
制服を着た背中に、こつんと額を押し当てる。
不二はそれでひどくほっとした。
「え、……え…?」
一方河村はといえば、言葉にもならないような声で、しどろもどろになって盛大に慌てていたが。
不二がじっとしていると、暫くの後おさまって。
ええと、と言葉を探すように肩越しに振り返ってくる。
「ふーじ?」
「………もう離れないと駄目?」
もう少しこのままじゃ駄目かなと小さな声で問うと、河村は違うよと言った。
「そうじゃないよ。そうじゃなくて、こっち」
「………………」
くるりと身体を反転させられて。
広い胸に正面からすっぽりとおさめてくれて。
無骨だけれど丁寧で優しい手のひらが不二の背中をぽんぽんと叩いてきてくれる。
甘やかすような手つきは決して慣れたものではない。
でもそれがよけいに優しく感じて不二はおとなしくその場で目を瞑る。
「少し、疲れた…?」
「………………」
「不二は頑張りすぎるから」
「…そんなことないよ」
「そうかな…? もう少し楽にしてていいのにって俺は思ってるんだけど…」
ゆるく囲われたまま、河村の声にだけ耳を傾ける。
疲れたとは思っていないけれど、こうされているのは気持ちが良くて、それで河村の所に来たのだという事は不二も判っていた。
河村は不二が言われた事のないような事を言ってきたが、何故だろう、言われて力が抜ける。
「………………」
親しい友人はたくさんいる。
大切だと思う家族もいる。
信頼している人も、競い合いたい人も、仲間もいる。
でも、誰の前での見せないでいる自分を、何故かいつも曝け出してしまうのは、実直な彼の前だけだ。
不二はそう思って、固い胸元に顔を伏せている。
「タカさん」
「なんだい?」
呼びかけたきり黙りこんでも、河村は責めたりしないし無理に問いかけてきたりもしない。
宥めるだけでなく励ます手のひらで、繰り返し背中をあやすように叩かれて、それだけで不二は充分だった。
「………………」
いつでもどこか自分自身の感情はぼんやりとしていて。
時折一切の執着心を無くして全て投げ置いてしまいそうな自覚がある。
それでもいいとどこかで思っている自分がいる。
いつも穏やかでいるという事は、裏を返せば何も拘る事がないという事でもある。
不二はそういう自分を更に一歩引いた自分で見つめていて。
執着のなさが投げやりに全てを放棄しかねない自分がいるという事が、いつもうっすらとした自己嫌悪になっている。
誰にも気づかせた事はないけれど、きっと河村は知っている。
「不二」
「……ん…?」
ぎゅっと抱き寄せられて、びっくりした。
少しも嫌な感じではなく、ただ驚いて。
なに?と小さく問いかけると、ゆっくりと抱擁はとかれて。
河村は笑っていた。
「不二、よかったら今日うちで寿司食わない?」
「え?」
「今日は夜、座敷に注文入っててさ、今日の夕食は一人で勝手に食えって言われてるんだ」
まだ時間あるから、俺なにか握るよ、と河村が言うのに不二は首を傾げた。
「…手伝わなくていいの、タカさん」
「今日はいいんだって。同業者の組合の集まりらしくてさ、親父のヤツ、自分一人で充分だって思わせたいみたいだよ」
「引き抜きされちゃ困るって思ってるんじゃないのかな、お父さん…」
ふ、と笑いが自然に零れて、それに後から気づいて。
不二は河村から笑みをそっと分けて貰ったような気分になる。
「ね、タカさん…それだったら、うちに来ない…?」
「え?」
「泊まって、いかない?」
返答を考えるかと思っていた河村は、すぐに頷いてきて、お邪魔しますと軽く頭を下げた。
普段ならば河村は必要以上に気をつかうのだけれど。
恐らく今日の不二に何か思うところがあるのか、即答してきた。
実際不二はそれにほっとした。
「うちの家族、タカさん来るとテンション上がっちゃうけど、ごめんね」
「や、俺なんかにいつもすごい気をつかってもらっちゃって、悪いなって思ってるよ」
苦笑いで不二が伝えた言葉に、河村は恐縮したように手を振った。
「なんか、じゃないよ」
「不二?」
「タカさんがいてくれて、僕は本当に」
続く言葉に、詰まったのは。
気持ちに見合う言葉が見つからなかったからだ。
けれど、見上げた眼差しに気持ちを詰め込めば河村はきちんとそれを受け取ってくれる。
ほんの少し照れたようなはにかんだ笑顔で、ありがとうと呟いてくれる。
「…ありがとう、タカさん」
そう言えばいいんだ、と。
気づかせてくれた相手に。
ありがとう。
不二も告げた。
いつも、いつも、そう、思っていることを、ひとことで、これだけで、口にするだけで、こんなにも伝えられるのだと教わって。
「ありがとう。タカさん」
「こっちこそ。……うん。良かった、不二」
「え…?」
河村の手が、そっと不二の頬を撫でて。
ほっとしたように笑う河村の表情で、自身の表情の移り変わりを不二も知る。
側にいてくれるだけで、こんなにも、こんなにも嬉しい。
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