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How did you feel at your first kiss?
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 真っ暗な部屋の電気をつけて、床に置いてあって呼び出し音が鳴り響いている携帯電話を、宍戸は億劫な手で拾い上げた。
 開いて着信ボタンを押すか押さないかで、くらりと視界がまわる。
「宍戸さん、すみません。今大丈夫ですか?」
「おう…」
 答えながらその場に座り込んでしまった宍戸は、恐らく呼び出しの長さを気遣っているであろう鳳の丁寧な口調に表情を緩めた。
「忙しいようだったらかけなおしますけど、」
 しかし鳳の方は言いかけた言葉の途中で一瞬口を噤み、宍戸の一言の応えの中に、何かを察したようだった。
「宍戸さん、あの、今ひょっとして」
「………………」
「どこか具合悪いんじゃないですか」
 少し慌てたようなかたい声に、宍戸は唇に笑みを浮かべる。
 濡れた髪の先から落ちてくる雫を払う気力もなく、首筋や頬が少しずつ濡れる。
 ぼうっとする思考の中、鳳の声だけがはっきりとしていた。
 過敏というか、過剰というか。
 鳳は宍戸絡みの出来事に対して見落としというものをしない。
 苦しい呼気をそっと逃がしながら、宍戸はそんな鳳の声だけで、実際格段に気分がよくなったように思う。
「ちょっと、宍戸さん。今お家に家族の方誰かいますか」
 人のよさが滲み出るような声は尚一層慌てていって、聞いておきながら返事を待たないという鳳らしからぬ言動に続いていく。
「誰もいないなら俺行きます。今、家ですよね?……宍戸さん? ね、ちょっと、本当に大丈夫なんですか? 聞こえてますか?」
「……お前、それ…慌てすぎだろ…長太郎…」
 落ち着けって、と宍戸は笑んで言ったのだが、声音の力なさに鳳はますます焦ったようだった。
「宍戸さん」
「長太郎。いいからとにかく落ち着け」
 な?と受話器に気だるい声で囁きかけた宍戸の耳に、普段あまり聞きなれない僅かに荒れた声が届く。
「落ち着いてなんかいられますか…!」
「………………」
 怒鳴られて。
 嬉しいような気分になる自分に、宍戸は内心呆れた。
 呆れたけれど。
「でも…」
「え? 宍戸さん?」
「しょうがねえ…よな…」
「何がですか?」
「嬉しいし…」
「ちょっと、宍戸さん…!」
 どうしたんですか、本当に大丈夫なんですか、と取り乱しかける鳳の真摯な困惑に、宍戸は素直に言った。
 さすがにここまで心配されると後ろめたくなってきてしまった。
「悪ぃ……のぼせてるだけだから気にすんな」
「………は?……のぼせて…?」
「ああ。風呂。今出たとこで…よ…」
「…………宍戸さん…」
 たっぷりとした沈黙の後の呻くような鳳の一声に、宍戸は苦笑いでもう一度謝った。
「……悪かったって…だから、何でもねえよ。そんな心配すんなって」
「あのねえ。…何でもなくないでしょう。しますよ。風呂でのぼせたんだって、心配」
 鳳はてっきり呆れるか笑うかすると宍戸は思っていたのだが、ほんの少しだけ怒った風に、それでもこれまで以上に真剣に、鳳は宍戸を気遣ってきた。
「水飲みましたか?」
「おう…」
「ちゃんと服着てる? 熱いからって、裸のままだとか、バスタオルに包まってるだけだとか、してないですよね? 髪も拭いてある?」
「……母親かよ。お前は」
 宍戸は笑いながら、滑舌の少しあまくなった口調で逐一返事をする。
「ジャージ着てる。髪は……ああ、…髪は、ちょっと濡れたまんまだけどよ…」
「風邪ひきますよ…! ちゃんと拭いて。タオル近くにありますか? なかったら取りに行ける? のぼせてるって…そんな声出して、宍戸さん今家のどこでどうしてるんですか」
 俺本当にすぐ行きますよ、と鳳は言った。
 真剣に。
 髪だけ拭きに、本当に来るかもしれない。
 この男。
 宍戸はそう考えて、首にかけていたタオルを片手で掴み、だるい仕草で適当に濡れ髪を拭いた。
「今拭いてる」
 それから?とからかうように尋ねると、鳳は生真面目に心配に心配を重ねた。
「吐き気とかしない? 眩暈は?」
「両方ない」
「辛かったら横になって」
「あー……」
 鳳の言葉に従って、宍戸は自室の床に横たわった。
 吐き気はしないが多少眩暈はしていて、でもそれも徐々におさまっていくのが判る。
「もう電話きりますから、ゆっくり休んで」
「………んな真似しやがったら、もう一回風呂入ってやる」
 何て言い草。
 宍戸自身、少々虚ろな思考でそう思ったが、鳳もそれには盛大に唖然となったようだ。
「宍戸…さん。あのねえ…」
 床に横たわって身体を丸めながら、宍戸は目を閉じて、耳から聞こえてくる鳳の声だけに意識を寄せる。
「きりたきゃきれ」
「きるわけないでしょう……そんなこと言われて」
 本当にもうこれ以上心配させないでくださいよと鳳に憮然と懇願されて、宍戸は声を殺して笑う。
「お風呂で本読んだんでしょう? 宍戸さん」
「そう」
「歴史小説とか読むからのぼせるんですよ? 読むなら区切りいいところでちゃんと読むの止めて下さい」
「やだ」
「中断が嫌なら短編小説にして下さい。せめて」
「持ってねー」
「明日持っていきます。だからそれにして」
 どちらが年上か判ったものではない。
 だるさに任せて返す宍戸の短い返答は、適当なものというよりは甘えでしかなく。
 小言めいた鳳の言葉にも、優しい余韻が残るだけだ。
 どうでもいいような事を、ただ話し続ける。
 声を伝え、声を受け取り、ただそれだけで。
 


 心情が、深くなる。
 感情が、濃くなる、
 表情が、甘くなる。
 恋情が、近くなる。


 言葉や名前や会話を、どれだけ繰り返しても。
 ひとつひとつが意味のないようなものであったとしても。
 何も、何一つ、無駄にはならない。
 交し合い、繋げていくのが、二人の間でだからだ。
 だから抱く想いが、深く、濃く、甘く、近く、募っていって。
 何にも、何一つにも、意味がある。
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