How did you feel at your first kiss?
一緒に歩く時、鳳は大概、宍戸の斜め後方にいる。
いつでもつかず離れずの距離感で、睫を伏せるようにして、宍戸を見つめ続けて鳳は歩く。
背後からの、そして頭上からの。
注がれる眼差しの熱っぽさ。
宍戸によく馴染んだそれが、今はない。
宍戸は自分よりも先を行く鳳の背中に、小さく溜息をついた。
幾度目かのため息だったが、唇には微かな笑みが浮かんでいた。
「長太郎」
返事はない。
先程からずっとそうだ。
宍戸が呼べば、普段ならばどこからでも即座に気づいてやってくる鳳が、宍戸の呼びかけに振り向きもせず無言を貫いている。
それはいっそ、冷たいような態度の筈なのに。
宍戸はただ困ったように笑ってしまうだけだ。
「長太郎」
名前を繰り返し声にして呼んで。
冷たい空気に呼気が白く広がる。
宍戸が見据えた先の、鳳の広い背中。
コートを着ていない制服越しの骨格は、一見細身のようでいて、手で手繰り寄せれば広くて硬くて、大人びた手触りだという事を宍戸は知っている。
しがみつくだけでは足りず、両手で必死に縋りついても、抱き締めきれているのか宍戸が時々不安になるような鳳の背中だ。
宍戸は感触を思い浮かべながら、両方の手の指を手のひらに握りこんだ。
手袋をしていない指先は、寒さで軋んで少しばかり痛んだ。
宍戸は鳳の後ろをついて歩きながら少しだけ歩を早めて、片方の手をまっすぐに伸ばす。
鳳の制服の上着の裾から僅かに見えているセーターの端を、親指の腹と人差し指の第一関節の横の部分で、そっと挟む。
微かに引っ張って。
宍戸は鳳の頑なに振り向かない背中に囁きかける。
「俺はお前の背中も好きだから、別にこのまんまでも構わねえけどさ…」
「………………」
綺麗に整った後姿。
物言いたげな気配が一層強まるその背中に、宍戸は静かに手のひらを宛がった。
寒さのせいなのか、または全く別の理由があるのか。
僅かに強張る背を、手のひらでゆっくりと擦った。
鳳の背後から、数回。
「………………」
鳳の足が完全に止まった。
宍戸も立ち止まった。
鳳の背に宍戸は右手を重ねながら、額も、とん、と押し当てる。
「宍戸さん」
「…ん?」
やっと呼ばれた名前。
胸が詰まる。
耳で聞く声と、鳳の背中から、振動で伝わってくる声と。
胸が熱くなる。
「宍戸さん」
押し殺したような声音に、鳳の複雑な心中が詰め込まれている。
鳳がどれだけ必死に、どうにかしようとしていたのか。
宍戸にはちゃんと全部伝わって。
鳳の背に額を寄せたまま宍戸は目を閉じて、言われた言葉に、頷いていく。
「…嫉妬してもいい?」
「好きにしろよ」
当り散らさないように。
荒い感情を殺そうとして、己の中でどうにか消化しようとして、結局出来ずにいたらしい。
鳳の声は真剣だった。
嫉妬の必要など何もないのに、いったい鳳が何をそんなにも苛まれているのか宍戸には不思議で。
けれど鳳は、宍戸の受諾に小さく息をついて低く言った。
「じゃ、します」
「…構わねえけどさ。お前が嫉妬するようなことなんか、何もねえだろ?」
「あります」
髪、さわられてた、と鳳は重い声で言った。
憮然としたもの珍しい言い方だったが、子供じみた口調ではなかった。
滾るような焦燥感の篭もった、声だ。
宍戸は鳳の背中で苦笑いする。
「髪くらい、じゃねえの? 普通」
言っている側から、嘘だ、と宍戸は思っている。
自分だって嫌だ。
この男の髪に誰かが触れている所を見るのは。
鳳と待ち合わせていた裏門で、先についていた宍戸は、すれ違って通り過ぎていく同級生に気まぐれに髪を触られて、笑いながらもぞんざいにその手を払いのけたところまで、鳳はちゃんと見ていた筈なのに。
それでも嫌だったか、と宍戸に思わせる鳳の態度だったから、少しも腹もたたなかったし、哀しくもなかった。
ごめんな、と思っているけれど、これは言っても仕方のないことだ。
それは宍戸も鳳も判っている。
好きすぎて、勝手に苦しいことを増やしている自分たちを、無理に甘やかすのは問題だ。
「髪くらい…じゃないです」
「………ん」
「……本当は、髪くらい、だって判ってますけど」
言ってる側からなのはお互い様だ。
判っているのもお互い様だ。
「………………」
鳳が自身の肩越しに振り返ってきた。
流し見で見下ろされて、宍戸はやっと合った目線に熱のこもった吐息を零す。
複雑に、怒っていて、苦しがっていて、悔やんでいて、甘えてたがっている鳳の目を見上げ、自分もきっと同じ顔をしているんだろうと宍戸は思った。
「嫉妬してるままでも、いい?」
宍戸は頷いた。
そう問いかけてきた鳳が淡く微笑む。
振り返ってきた鳳に、一瞬だけきつく抱きすくめられ、二の腕を掴れる。
普段の鳳とは違う力の強さで引っ張られ、見慣れぬ背中を目で追いながら、一秒でもいい、はやく。
はやく、と宍戸は願った。
「宍戸さん」
前を向いたまま、鳳が呼ぶ。
「もっと、好きになっても?」
冬の空気のように、澄んで張り詰めた声。
耐え切れないように、問われた。
宍戸の腕に鳳の指がきつく食い込む。
「宍戸さんを、もっと好きになってもいいですか」
苦しがっている鳳に、宍戸は微笑した。
「………余力残してんじゃねえよ」
悪態交じりに呻いた宍戸のきつい呟きが。
一秒でもいい、はやく、という宍戸の願いを、叶える。
そして鳳の枯渇をも、潤す。
宥恕。
いつでもつかず離れずの距離感で、睫を伏せるようにして、宍戸を見つめ続けて鳳は歩く。
背後からの、そして頭上からの。
注がれる眼差しの熱っぽさ。
宍戸によく馴染んだそれが、今はない。
宍戸は自分よりも先を行く鳳の背中に、小さく溜息をついた。
幾度目かのため息だったが、唇には微かな笑みが浮かんでいた。
「長太郎」
返事はない。
先程からずっとそうだ。
宍戸が呼べば、普段ならばどこからでも即座に気づいてやってくる鳳が、宍戸の呼びかけに振り向きもせず無言を貫いている。
それはいっそ、冷たいような態度の筈なのに。
宍戸はただ困ったように笑ってしまうだけだ。
「長太郎」
名前を繰り返し声にして呼んで。
冷たい空気に呼気が白く広がる。
宍戸が見据えた先の、鳳の広い背中。
コートを着ていない制服越しの骨格は、一見細身のようでいて、手で手繰り寄せれば広くて硬くて、大人びた手触りだという事を宍戸は知っている。
しがみつくだけでは足りず、両手で必死に縋りついても、抱き締めきれているのか宍戸が時々不安になるような鳳の背中だ。
宍戸は感触を思い浮かべながら、両方の手の指を手のひらに握りこんだ。
手袋をしていない指先は、寒さで軋んで少しばかり痛んだ。
宍戸は鳳の後ろをついて歩きながら少しだけ歩を早めて、片方の手をまっすぐに伸ばす。
鳳の制服の上着の裾から僅かに見えているセーターの端を、親指の腹と人差し指の第一関節の横の部分で、そっと挟む。
微かに引っ張って。
宍戸は鳳の頑なに振り向かない背中に囁きかける。
「俺はお前の背中も好きだから、別にこのまんまでも構わねえけどさ…」
「………………」
綺麗に整った後姿。
物言いたげな気配が一層強まるその背中に、宍戸は静かに手のひらを宛がった。
寒さのせいなのか、または全く別の理由があるのか。
僅かに強張る背を、手のひらでゆっくりと擦った。
鳳の背後から、数回。
「………………」
鳳の足が完全に止まった。
宍戸も立ち止まった。
鳳の背に宍戸は右手を重ねながら、額も、とん、と押し当てる。
「宍戸さん」
「…ん?」
やっと呼ばれた名前。
胸が詰まる。
耳で聞く声と、鳳の背中から、振動で伝わってくる声と。
胸が熱くなる。
「宍戸さん」
押し殺したような声音に、鳳の複雑な心中が詰め込まれている。
鳳がどれだけ必死に、どうにかしようとしていたのか。
宍戸にはちゃんと全部伝わって。
鳳の背に額を寄せたまま宍戸は目を閉じて、言われた言葉に、頷いていく。
「…嫉妬してもいい?」
「好きにしろよ」
当り散らさないように。
荒い感情を殺そうとして、己の中でどうにか消化しようとして、結局出来ずにいたらしい。
鳳の声は真剣だった。
嫉妬の必要など何もないのに、いったい鳳が何をそんなにも苛まれているのか宍戸には不思議で。
けれど鳳は、宍戸の受諾に小さく息をついて低く言った。
「じゃ、します」
「…構わねえけどさ。お前が嫉妬するようなことなんか、何もねえだろ?」
「あります」
髪、さわられてた、と鳳は重い声で言った。
憮然としたもの珍しい言い方だったが、子供じみた口調ではなかった。
滾るような焦燥感の篭もった、声だ。
宍戸は鳳の背中で苦笑いする。
「髪くらい、じゃねえの? 普通」
言っている側から、嘘だ、と宍戸は思っている。
自分だって嫌だ。
この男の髪に誰かが触れている所を見るのは。
鳳と待ち合わせていた裏門で、先についていた宍戸は、すれ違って通り過ぎていく同級生に気まぐれに髪を触られて、笑いながらもぞんざいにその手を払いのけたところまで、鳳はちゃんと見ていた筈なのに。
それでも嫌だったか、と宍戸に思わせる鳳の態度だったから、少しも腹もたたなかったし、哀しくもなかった。
ごめんな、と思っているけれど、これは言っても仕方のないことだ。
それは宍戸も鳳も判っている。
好きすぎて、勝手に苦しいことを増やしている自分たちを、無理に甘やかすのは問題だ。
「髪くらい…じゃないです」
「………ん」
「……本当は、髪くらい、だって判ってますけど」
言ってる側からなのはお互い様だ。
判っているのもお互い様だ。
「………………」
鳳が自身の肩越しに振り返ってきた。
流し見で見下ろされて、宍戸はやっと合った目線に熱のこもった吐息を零す。
複雑に、怒っていて、苦しがっていて、悔やんでいて、甘えてたがっている鳳の目を見上げ、自分もきっと同じ顔をしているんだろうと宍戸は思った。
「嫉妬してるままでも、いい?」
宍戸は頷いた。
そう問いかけてきた鳳が淡く微笑む。
振り返ってきた鳳に、一瞬だけきつく抱きすくめられ、二の腕を掴れる。
普段の鳳とは違う力の強さで引っ張られ、見慣れぬ背中を目で追いながら、一秒でもいい、はやく。
はやく、と宍戸は願った。
「宍戸さん」
前を向いたまま、鳳が呼ぶ。
「もっと、好きになっても?」
冬の空気のように、澄んで張り詰めた声。
耐え切れないように、問われた。
宍戸の腕に鳳の指がきつく食い込む。
「宍戸さんを、もっと好きになってもいいですか」
苦しがっている鳳に、宍戸は微笑した。
「………余力残してんじゃねえよ」
悪態交じりに呻いた宍戸のきつい呟きが。
一秒でもいい、はやく、という宍戸の願いを、叶える。
そして鳳の枯渇をも、潤す。
宥恕。
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