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How did you feel at your first kiss?
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 ありえない。
 それは当事者も、部外者も、思っていること。
 ありえない。
 誰もがその光景に目を留めて、一度は咄嗟にそこから顔を背けてしまってから。
 恐る恐る、事実を確かめるべく、視線を引き戻してしまうような。
 そんな光景が駅のホームのベンチを中心にして繰り広げられている。
 惑う人々の視線の先では、氷帝学園の派手な制服を着た派手な顔の男が、足を広げてベンチに座っている。
 肘から曲げた両腕を背もたれに乗せて、秀麗な目元を一見不機嫌そうに鋭くさせている。
 色素の薄い髪や瞳は、儚さよりも鋭利さを際立たせ、そんな彼の上質の生地と裁縫で仕立てられた制服にくるまれた腿の上。
 小さな丸い頭が乗っている。
 そちらは学ランに包まれている細い四肢だ。
 くったりとなっている。
 王様のような男に膝枕をしてもらい朽ち果てている青白い顔の男、それが神尾だ。 
 ベンチに横柄に、同時に優雅に、寄りかかって座り、細めた視線で己の膝の上の物体を容赦なく見据え、低くなめらかな声を浴びせかけている男、それが跡部だ。
「虚弱児」
「…………ぅー…」
 神尾の呻き声に跡部は唇を歪めて笑った。
「てめえが普段山のように食ってやがるのは、実際は何だったんだ。何の餌だ。そのへんの雑草か」
「ほーれんそう…だよう……」
「あれだけの量のほうれん草食ってて貧血なんざおこすか。馬鹿野郎」
「………貧血…じゃ、ねー、もん」
「ふざけんな。顔色ねえじゃねえか」
 跡部は言って、神尾の黒髪をぞんざいに弄りながら、その指先を頬や額にまで滑らせる。
 冷たい肌しやがってと跡部が指先に感じたままを告げてくると、神尾が肩をすぼめるようにして、一層丸くなる。
 跡部の膝の上で。
「…………のりものよい、だもんよぅ…」
 耳をすまさなければ聞こえない程の小声に、跡部は皮肉気に唇の端を引き上げた。
「混んでる電車に乗れるのか、ほんとに大丈夫なのかって、俺様にえらそうにほざいてた奴が、結局乗り物酔いねえ?」
 うぅ、と神尾は再三呻いた。
 跡部の言葉は次々と容赦ない。
 ただ、言っている事は辛辣そうでいて、実際のところは。
 跡部はどことなく、むしろ機嫌が良い。
 腹をたてた跡部は喋らなくなる。
 不機嫌な跡部は表情すら動かさない。
 それを知っている神尾からすると、今の跡部は機嫌が良いと判るのだ。
 今日の放課後、跡部から神尾に電話がきた。
 今どこにいて何をしているのかを聞かれた神尾が、グリップテープを買いに数駅離れた駅まで出ると告げると、どういう気まぐれか跡部も行くと言い出した。
 気まぐれというのは、神尾に付き合うことではなく、跡部が電車に乗るということだ。
 神尾は驚いた。
 何せ跡部の交通手段といったら、普通なら、自家の運転手つきの送迎車のみだ。
 そんな跡部が、神尾と共に電車に乗ると言う。
 驚いてから、神尾は疑わしく心配をした。
 曰く、本当に大丈夫なのかと。
 その沿線は学校が多いので、学生を中心に電車はほぼ毎日混みあっている。
 駅前で待ち合わせて、顔を合わせてから何度も何度も、大丈夫なのかと神尾は繰り返した。
 跡部は判りやすく憮然としていたが、実際車内の混雑を目にした時は、うんざりと嘆息していたのを神尾もしっかりと見ていた。
 そんな風にして二人で乗り込んだ電車。
 数駅の距離を行き、下車して目的地の駅につくなり、よろよろとホームのベンチに倒れこんだのは何故か神尾だった。
 神尾驚いたが、跡部も珍しく呆けた顔で暫し神尾を見下ろし、その後はもう。
 跡部は容赦なく神尾に雑言を放り、ベンチに踏ん反り返って、そして膝上に神尾の頭を乗せていた。
「跡部…ぇ……なんか、ちゅうもくが…、痛いんだけど…」
「アア?」
「……視線が…ちくちくする……」
「は、…この程度が気になるとはな。お前、普段どれだけ人に注目された経験がねえんだよ」
「……跡部と一緒にすんなよなぁ…」
 跡部の左の手のひらは、ずっと、神尾の頭に乗せられている。
 指先が髪をすいたり頬を撫でたり耳をいじったりする。
 ベンチに横柄に寄りかかっている姿や、怜悧で綺麗な顔や、皮肉気でよどみない言葉の羅列。
 そんな跡部に惹きつけられている視線や感情は、偶然間近で一緒に感じている神尾からしてみると、強すぎて落ち着かない。
 こういう注目に慣れているあたりが跡部は普通じゃないと思うのだ。
「言っておくがな、神尾」
「………ぇ?」
「今この状況が、世の中の注目を浴びてるっていうならな。お前も原因担ってるってことだからな」
「…………んなこと言ったって…よぅ…」
 まだ気持ち悪い。
 頭の中がぐるぐる回っていて、呼吸がどうしても浅くなる。
 目の前の暗さや、チカチカと点滅した視野はどうにか収まったものの、なかなか起き上がれないのだ。
 確かに、これでは。
 跡部の心配ばかりしていて自分がこれでは。
 情けないこと極まりないと神尾も思っているのだが。
 実際問題、乗り物酔いをして、人酔いをして、神尾は未だ跡部の腿を枕にしている状態だ。
「息苦しいの、だめなんだよう……閉じ込められんのとか…さぁ…」
 跡部とは違う理由だが、神尾にしたって、満員電車や人ごみはあまり得意ではない。
 風が感じられないからだ。
 自分の足で走れないからだ。
 息苦しさや閉塞感には、すぐに我慢が出来なくなる。
「よく言うぜ…」
 吐き捨てられて神尾は怪訝に跡部の名前を呼んだ。
「………跡部…?」
「四六時中されてんだろうが」
「……は…?」
 俺にだよ、と跡部が更に言った気がして。
 神尾はのろのろと目線を上げた。
 四六時中、跡部にされていること。
 自分が息苦しくなるくらい。
 自分の事を、跡部が閉じ込めているという事なのだろうか。
 神尾は跡部にいわれた言葉を不思議に思い、考える。
 だって跡部は、そんなことしない。
 四六時中とか、閉じ込めるとか、ありえないだろう。
 それこそ。
「俺は……跡部は……いっつも、よゆうだなーって。思うぜ」
「てめえは頭いかれてるからな」
 判んねえんだろうよ、と跡部は尚も言う。
 いっそ辛辣に。
 少しも腹はたたなかったが、神尾にはさっぱり意味が判らなかった。
 跡部の左手がおもむろに神尾の髪をぐしゃぐしゃにする。
「ちょ、……」
「お前なんざな、神尾」
「………跡部……?…」
「少しでも目離せば、その隙に他所事に気をとられてるわ、学習はしねえわ、気づけばどっかにすっ飛んで行ってて姿は見えねえわ」
「…跡部ぇ…?」
「てめえの逃げ足の速さにだけは、こっちも相当必死でいるんだよ」
 そうやって、跡部はどんどん変なことを言う。
 おかしなことばかり言う。
 変だろ、それ。
 だから神尾は思った。
 だからふらふらする中、首を捻って、真上にいる跡部の目を、じっと見上げた。
「な、……跡部、」
 まだひたすらに言い募ろうとしている跡部を強引に止める。
 跡部が眉根を寄せた顔と見上げる。
「何だ」
 そして問う。
「俺…逃げたことあるか?」
「………………」
「跡部から、逃げたこと…あるか?」
「…ねえよ」
 そうだよ。
 ないよ。
 そんなこと、したことない。
 そんなこと、跡部だって判っているのに、だったら何でだ、と神尾は跡部を睨んだ。
「………………」
 跡部は神尾があまり見慣れない表情をしていた。
 いつもと変わりないようのしてみせることに、失敗したかのような。
 神尾の知らない顔をしていた。
 どこか、少しだけ、頼りないような。
 そんな事を思ってしまって、神尾は。
 う、と息を詰めた。
 たちどころに、狼狽と腹立ちとが混ざってきて、神尾は出来得る限りで語気荒く言った。
「ないだろ。……ないじゃんかよ!」
「ねえよ」
「じゃ、変なこと言うなよな……!」
 ないと跡部は言っているのに。
 それなのに、跡部は。
 何故か、からかうでもなく、あしらうでもなく、神尾を強く見下ろしたまま真面目な顔で言い切った。
 懇願か、命令か。
 神尾の思いもしなかった言葉。
「これまではない。だから、これからも逃げるな」
「………………」
「判ったのか。神尾」
 いつもみたいに、意地悪く笑うとか。
 有無を言わせない横暴な言い方をするとか。
 すれば、まだ、いいのに。
 神尾は驚いた。
 しみじみと。
「………逃げねえよ」
「………………」
「……なんだよ。なんなんだよ……跡部って……跡部って、」
 ばかだったんだなあ、と。
 考えるより先に神尾の口から零れてしまった。
 さすがに跡部は目を細めて剣呑と神尾を睨んできたけれど。
「アア? てめえ、今何言った」
「……ばか跡部」
 けれども神尾はお構いなしに、信じらんねー、と跡部の膝の上で目を瞑る。
 凄む跡部に呆気にとられながら、具合が悪いのに託けて。
 実際は、こんな場所で甘えたりしがみついたり出来るわけがないから、気持ちだけでそうして、跡部の膝の上で、顔を伏せる、目を閉じる、肩を窄ませる。
 跡部の手が神尾の頭を撫でた。
 親指が伸ばされてきて、神尾の唇を、キスするように掠った。
「………よけい、くらくら、してきた…、」
 本当に、横になっているのに、ぐらりと世界がまわる。
 唇の形だけ動かしたような神尾の呟きを、跡部は正確に拾い上げた。
 今度は、少し笑っていた。
「落ち着くまでこうしてりゃいいだろ」
「……落ち着かねえもん。全然」
 乗り物酔いの名残。
 人からの注目。
 跡部の手。
 落ち着かない。
 しかもその上、跡部がひどくドキドキさせるからだ。
「それならずっとこうしてればいい」
「…………すっごい見られてると思うんだけど…」
「見られる事の何が問題なのか俺にはさっぱり判らねえな」
 ばか跡部、と思わず呻いた神尾の唇を、跡部は親指の腹で、一際強く、擦った。
 きついキスくらい、強く。
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