How did you feel at your first kiss?
寒いと、痛いところが増える。
ぎゅうっと眉根を寄せて唇を歪ませる神尾に、跡部は容赦ない。
「肉を食え。ビタミンを取れ。馬鹿の一つ覚えじゃあるまいし野菜ばっか食ってりゃいいわけねえだろうが」
何なんだこれは、と言い放った跡部に、神尾は乱暴に手を引かれた。
跡部の眼下に晒された神尾の指先は、ささくれが悪化して爪の際にところどころ血が滲んでいる。
関節の上の皮膚は横一文字にうっすらと切れている。
神尾自身、何というか、荒れた手だなあとは思っているのだ。
跡部の手から自身のその荒れた手を取り替えそうとするのだが、跡部の指は神尾の手首に食い込んで外れない。
「寒いとさぁ…なんか、こうなんだよぅ…」
今年はやけに酷い気もするけれど。
膨れた神尾に、跡部は視線をきつくしてくる。
「手は濡れたら拭け。放っておくな。何なんだこれは」
跡部は再び同じ言葉を毒づいて、神尾の手首を掴んだまま、ぐいぐいと神尾を引きずって歩き出した。
玄関のポーチから跡部の部屋へと強引に引っ張られていきながら、神尾は頭ごなしの物言いだとか振る舞いだとかに対して、跡部に文句を言おうとした。
言おうとしたのだが。
案外に跡部に気遣われているのが判ってしまって、どうにも面映く、悪態もつき辛くなってしまった。
神尾の荒れたり切れたりしている皮膚には触れないように。
跡部がしているのが判ったからだ。
「…跡部?」
跡部の部屋に連れこまれると、神尾はソファに座るよう仕草で促された。
部屋と扉続きになっている専用の浴室へと一度姿を消した跡部は、暫くすると、歯医者にありそうな、それでいて比もなく高価そうなスタンド式の陶器の洗面ボウルを引いてきた。
湯気がたっている。
キャスターのついた洗面ボウルのスタンドは、神尾の前で止まった。
跡部は肘から九十度に曲げた左手に、ふんわりとした白地に金の刺繍がされているタオルをかけていて、無造作に両腕のシャツの袖口をまくった。
「貸せ」
「……は?」
「は?じゃねえ。手だよ。貸せ」
顎を持ち上げて、神尾を見下ろしてくる尊大な眼差しに。
神尾はつくづく、跡部だなあと思ってしまう。
でも時々、態度と言葉と行動が、噛み合わなくなるのもまた跡部だ。
手?と首を傾げて神尾は跡部の目を見上げる。
冴え冴えとした目元には、いっそ億劫な気配を漂わせていて。
けれど跡部の所作は甲斐甲斐しかった。
跡部は右手で、どこから出したのかロイヤルブルーの小さな小瓶のキャップを開けて、洗面ボウルに数滴その中身を垂らした。
跡部の手に上着の袖をまくられながら、神尾は思わずボウルの中を覗き込んで深く息を吸った。
「なんか、すごく、いー…においするなぁ…」
何それ?と神尾が好奇心で尋ねても、跡部の返事はなかった。
「………、っ…、わ」
軽く湯をかきまぜてから、跡部の手は強引に神尾のそれぞれの両手首を掴み、香りのする湯の中に沈めてきた。
ピリッとした感触は、少し熱めの湯のせいか、塞がっている切り傷に滲みたせいか。
小さく首を竦めた神尾の様子を見ながら、跡部の手のひらが神尾の手首をくるんだ所から指先に向けてゆっくりと滑っていく。
湯の中で、手首から小指の先。
薬指の先、中指の先、人差し指の先、親指の先。
指を、一本ずつ、ひどく丁寧に包んで、適度な指圧が加えられる。
それから跡部の親指の腹が、ゆっくりと。
神尾の手の甲をマッサージするように辿った。
うっかりうっとりと心地よく、神尾は揺らぐ湯の中で跡部の手に撫でられている自身の両手をぼうっと見据えた。
「…滲みんのか?」
「え? ううん。全然」
ちらりと跡部が視線を向けてきたので、神尾は大慌てで首を左右に振った。
不遜な目つきとは裏腹に、跡部の手はどうしようもなく丁寧だった。
「………………」
手、とける。
迂闊に神尾はそんな事を思ったくらいにだ。
「何で涙目なんだよ」
「………ぇ…?」
聞いておきながら、結局跡部には全部判っているに違いなかった。
薄い唇の端が、僅かに卑猥に持ち上がった。
神尾は、じわっと熱を帯びた顔を自覚しながらも、そのまま黙って跡部を睨みつける。
こういう顔をする時の跡部に怯んだら負けだ。
怯んだり狼狽したりしてみせたら、跡部はここぞとばかりに神尾が全く太刀打ちできないやり方をとってくる。
だから気丈に。
神尾は懸命に跡部を見据えたのだが、跡部の笑みはゆっくりと深くなっていって。
笑ったままの形の唇が、いきなり神尾の眦に押し付けられてきた。
思わず神尾が首を竦めると、跡部ははっきりと声にして笑って、神尾の両手を湯から引き出し即座にタオルで包みこんだ。
ふかふかとしたタオル越しに、神尾の濡れた手は跡部によって拭かれていく。
ほかほかと指先まで温かくて、神尾は跡部の成すがままだ。
じっと跡部を見上げている神尾に、跡部は二度ほどその体勢のまま屈み込んできて、唇に浅く口付けてきた。
右に傾いたキスと、左に傾いたキスと。
そして、跡部は丁重に神尾の手を拭ってから、神尾の隣に腰を下ろした。
ソファに肩を並べて座る。
肩先が触れ合う距離には、むしろほっとして。
神尾は跡部によって、温められほぐされた自分の手をそっと見下ろした。
「終わりじゃねえよ」
「は?」
馬鹿、と再び手首を握りこまれ、神尾は戸惑った。
二度目のキスが、あまりに。
微かだったけれど、長くて。
うまく頭が働かない。
開放されて、ぼんやりしてしまった神尾に、跡部は洗面ボウルを載せたアイアン台の下のほうの棚板から、銀色のチューブを手に取った。
それを一度自身の手のひらに出してから、両手を使って神尾の手に片方ずつ刷り込んでいく。
濃厚な質感だったクリームは、すぐに水のようにさらさらとやわらかくなって肌に浸透していく。
手のひらを合わせたり、指を絡めたり。
爪をなぞり、骨と骨の間をたどる。
それはひどく心地よかったのだけれど。
「………………」
一瞬、ちくりと神尾の胸が痛む。
跡部は慣れた手つきで、神尾が初めて感じる事をしてくるから。
以前は他の誰かにも。
跡部がしたことなのかなと思うと、痛かったのだけれど。
「うちの奴らが見たら間違いなく腰抜かす」
「……跡部?」
「この俺様にこんな真似させる身の程知らずはてめえくらいだ」
全く、と毒づきながら。
怜悧な目を細めるようにして神尾の手を見下ろしながら。
跡部の手つきはあくまでも優しかった。
「………………」
クリームを塗り込められているのか、ただ手と手を絡めているのか。
神尾には次第に判らなくなってきた。
されるに任せて神尾は跡部の顔や絡む互いの手を見ていると、啄ばむように途中幾度かキスを盗まれた。
「お前、手だけどうしてこんなに乾燥してやがんだよ」
「…………手…?」
「他はこんなでよ」
ふ、と跡部の笑み交じりの呼気が神尾の唇に当たる。
また少し長く唇を塞がれていた後のことだ。
他とか、こんなとか、意味する箇所の状況を示唆されて。
至近距離での微笑が艶めいていて。
神尾はくたくたと跡部の胸元に顔を伏せていってしまう。
跡部は機嫌良さ気に笑い声をたてて神尾の背中を抱きこんできた。
「おい」
「……な…に…?」
「大事にしてやるから、めちゃくちゃにさせろ」
「………なんだよそれ…」
神尾は赤くなりながらも、噴き出してしまった。
どういう言い草だよと思って笑っていると、跡部の身体がのしかかってきて、ソファに組み敷かれた。
跡部を見上げる。
やさしい花の匂いがする。
ゆっくりと、深く、唇を塞がれた。
神尾の両手は無意識のうちに跡部の首の裏側に絡んでいた。
確か、手だけがとても温かかったのに。
いつの間にかその熱は全身の、外にも内にも侵食してきている。
温かなキスが止んでも。
その熱が鎮まる事はなかった。
その熱は高まるばかりだった。
ぎゅうっと眉根を寄せて唇を歪ませる神尾に、跡部は容赦ない。
「肉を食え。ビタミンを取れ。馬鹿の一つ覚えじゃあるまいし野菜ばっか食ってりゃいいわけねえだろうが」
何なんだこれは、と言い放った跡部に、神尾は乱暴に手を引かれた。
跡部の眼下に晒された神尾の指先は、ささくれが悪化して爪の際にところどころ血が滲んでいる。
関節の上の皮膚は横一文字にうっすらと切れている。
神尾自身、何というか、荒れた手だなあとは思っているのだ。
跡部の手から自身のその荒れた手を取り替えそうとするのだが、跡部の指は神尾の手首に食い込んで外れない。
「寒いとさぁ…なんか、こうなんだよぅ…」
今年はやけに酷い気もするけれど。
膨れた神尾に、跡部は視線をきつくしてくる。
「手は濡れたら拭け。放っておくな。何なんだこれは」
跡部は再び同じ言葉を毒づいて、神尾の手首を掴んだまま、ぐいぐいと神尾を引きずって歩き出した。
玄関のポーチから跡部の部屋へと強引に引っ張られていきながら、神尾は頭ごなしの物言いだとか振る舞いだとかに対して、跡部に文句を言おうとした。
言おうとしたのだが。
案外に跡部に気遣われているのが判ってしまって、どうにも面映く、悪態もつき辛くなってしまった。
神尾の荒れたり切れたりしている皮膚には触れないように。
跡部がしているのが判ったからだ。
「…跡部?」
跡部の部屋に連れこまれると、神尾はソファに座るよう仕草で促された。
部屋と扉続きになっている専用の浴室へと一度姿を消した跡部は、暫くすると、歯医者にありそうな、それでいて比もなく高価そうなスタンド式の陶器の洗面ボウルを引いてきた。
湯気がたっている。
キャスターのついた洗面ボウルのスタンドは、神尾の前で止まった。
跡部は肘から九十度に曲げた左手に、ふんわりとした白地に金の刺繍がされているタオルをかけていて、無造作に両腕のシャツの袖口をまくった。
「貸せ」
「……は?」
「は?じゃねえ。手だよ。貸せ」
顎を持ち上げて、神尾を見下ろしてくる尊大な眼差しに。
神尾はつくづく、跡部だなあと思ってしまう。
でも時々、態度と言葉と行動が、噛み合わなくなるのもまた跡部だ。
手?と首を傾げて神尾は跡部の目を見上げる。
冴え冴えとした目元には、いっそ億劫な気配を漂わせていて。
けれど跡部の所作は甲斐甲斐しかった。
跡部は右手で、どこから出したのかロイヤルブルーの小さな小瓶のキャップを開けて、洗面ボウルに数滴その中身を垂らした。
跡部の手に上着の袖をまくられながら、神尾は思わずボウルの中を覗き込んで深く息を吸った。
「なんか、すごく、いー…においするなぁ…」
何それ?と神尾が好奇心で尋ねても、跡部の返事はなかった。
「………、っ…、わ」
軽く湯をかきまぜてから、跡部の手は強引に神尾のそれぞれの両手首を掴み、香りのする湯の中に沈めてきた。
ピリッとした感触は、少し熱めの湯のせいか、塞がっている切り傷に滲みたせいか。
小さく首を竦めた神尾の様子を見ながら、跡部の手のひらが神尾の手首をくるんだ所から指先に向けてゆっくりと滑っていく。
湯の中で、手首から小指の先。
薬指の先、中指の先、人差し指の先、親指の先。
指を、一本ずつ、ひどく丁寧に包んで、適度な指圧が加えられる。
それから跡部の親指の腹が、ゆっくりと。
神尾の手の甲をマッサージするように辿った。
うっかりうっとりと心地よく、神尾は揺らぐ湯の中で跡部の手に撫でられている自身の両手をぼうっと見据えた。
「…滲みんのか?」
「え? ううん。全然」
ちらりと跡部が視線を向けてきたので、神尾は大慌てで首を左右に振った。
不遜な目つきとは裏腹に、跡部の手はどうしようもなく丁寧だった。
「………………」
手、とける。
迂闊に神尾はそんな事を思ったくらいにだ。
「何で涙目なんだよ」
「………ぇ…?」
聞いておきながら、結局跡部には全部判っているに違いなかった。
薄い唇の端が、僅かに卑猥に持ち上がった。
神尾は、じわっと熱を帯びた顔を自覚しながらも、そのまま黙って跡部を睨みつける。
こういう顔をする時の跡部に怯んだら負けだ。
怯んだり狼狽したりしてみせたら、跡部はここぞとばかりに神尾が全く太刀打ちできないやり方をとってくる。
だから気丈に。
神尾は懸命に跡部を見据えたのだが、跡部の笑みはゆっくりと深くなっていって。
笑ったままの形の唇が、いきなり神尾の眦に押し付けられてきた。
思わず神尾が首を竦めると、跡部ははっきりと声にして笑って、神尾の両手を湯から引き出し即座にタオルで包みこんだ。
ふかふかとしたタオル越しに、神尾の濡れた手は跡部によって拭かれていく。
ほかほかと指先まで温かくて、神尾は跡部の成すがままだ。
じっと跡部を見上げている神尾に、跡部は二度ほどその体勢のまま屈み込んできて、唇に浅く口付けてきた。
右に傾いたキスと、左に傾いたキスと。
そして、跡部は丁重に神尾の手を拭ってから、神尾の隣に腰を下ろした。
ソファに肩を並べて座る。
肩先が触れ合う距離には、むしろほっとして。
神尾は跡部によって、温められほぐされた自分の手をそっと見下ろした。
「終わりじゃねえよ」
「は?」
馬鹿、と再び手首を握りこまれ、神尾は戸惑った。
二度目のキスが、あまりに。
微かだったけれど、長くて。
うまく頭が働かない。
開放されて、ぼんやりしてしまった神尾に、跡部は洗面ボウルを載せたアイアン台の下のほうの棚板から、銀色のチューブを手に取った。
それを一度自身の手のひらに出してから、両手を使って神尾の手に片方ずつ刷り込んでいく。
濃厚な質感だったクリームは、すぐに水のようにさらさらとやわらかくなって肌に浸透していく。
手のひらを合わせたり、指を絡めたり。
爪をなぞり、骨と骨の間をたどる。
それはひどく心地よかったのだけれど。
「………………」
一瞬、ちくりと神尾の胸が痛む。
跡部は慣れた手つきで、神尾が初めて感じる事をしてくるから。
以前は他の誰かにも。
跡部がしたことなのかなと思うと、痛かったのだけれど。
「うちの奴らが見たら間違いなく腰抜かす」
「……跡部?」
「この俺様にこんな真似させる身の程知らずはてめえくらいだ」
全く、と毒づきながら。
怜悧な目を細めるようにして神尾の手を見下ろしながら。
跡部の手つきはあくまでも優しかった。
「………………」
クリームを塗り込められているのか、ただ手と手を絡めているのか。
神尾には次第に判らなくなってきた。
されるに任せて神尾は跡部の顔や絡む互いの手を見ていると、啄ばむように途中幾度かキスを盗まれた。
「お前、手だけどうしてこんなに乾燥してやがんだよ」
「…………手…?」
「他はこんなでよ」
ふ、と跡部の笑み交じりの呼気が神尾の唇に当たる。
また少し長く唇を塞がれていた後のことだ。
他とか、こんなとか、意味する箇所の状況を示唆されて。
至近距離での微笑が艶めいていて。
神尾はくたくたと跡部の胸元に顔を伏せていってしまう。
跡部は機嫌良さ気に笑い声をたてて神尾の背中を抱きこんできた。
「おい」
「……な…に…?」
「大事にしてやるから、めちゃくちゃにさせろ」
「………なんだよそれ…」
神尾は赤くなりながらも、噴き出してしまった。
どういう言い草だよと思って笑っていると、跡部の身体がのしかかってきて、ソファに組み敷かれた。
跡部を見上げる。
やさしい花の匂いがする。
ゆっくりと、深く、唇を塞がれた。
神尾の両手は無意識のうちに跡部の首の裏側に絡んでいた。
確か、手だけがとても温かかったのに。
いつの間にかその熱は全身の、外にも内にも侵食してきている。
温かなキスが止んでも。
その熱が鎮まる事はなかった。
その熱は高まるばかりだった。
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