How did you feel at your first kiss?
跡部は口が悪い。
上品で綺麗な顔をしているのに、ちょっとびっくりするくらい口が悪い。
神尾相手だと取り分けにだ。
「今年は雪がいっぱい降るよなあ」
「何浮かれてんだお前。見苦しい」
言葉と一緒に冷たい目線も向けられる。
最初のうちは神尾もいちいち腹をたてたり傷ついたりしていたが近頃ではすっかり慣れた。
「何で今年って、いっつも週末に雪降るんだろうな?」
「知るか」
面倒くさそうに言い放つ跡部は彼の机で紙の束を捲っている。
生徒会か部活絡みの事なのだろう。
ものすごいスピードで紙面に目を滑らせ、捲っている。
「雪積もってさー、まだ誰も足跡つけてないとこ一番乗りするの好きなんだ。俺」
「ガキ」
「そういうの気持ちいいじゃん? 雪もまだ真っ白で綺麗だし」
跡部の家の紅茶は綺麗な色をしていて香りもいい。
カップの縁に口をつけ、飲んだ後に、ほっと息をつきたくなる紅茶だ。
そういえばこのカップも、以前に高そうで割っちゃったら怖いからそれがちょっと嫌だと言ったら、てめえしか使わねえよと跡部に吐き捨てられた代物だ。
割りたきゃ割れと言った口で、その時はそれ相応の躾もさせてもらうがなと睨まれたりもした。
「学校はさー、すぐ踏み荒らされちまうんだよな。近所の公園とかもそう。俺、ここんとこ一番乗り出来てないんだよなー。つまんねーなー」
「お前のスピードレベルじゃその程度だろ」
「五十mなら俺絶対跡部より早いぜ!」
「頭も身体も、中身が空だからな。お前は」
「むかつく…!」
神尾が声を荒げて跡部を睨みつけると、跡部は凄まじく不機嫌な顔で、神尾に詰め寄ってきていた。
「こっちの台詞だ。いい加減黙れ。うるせえ」
ぐいっと手首を引っ張られて、神尾は床に組み敷かれた。
乱暴だったのに、少しも痛くない。
背中にはふわふわのラグがあるからだ。
普通に布団に寝ているみたいに快適だ。
「………………」
「いつまでも、お前の中身のない話につき合わされてる俺の身にもなってみろ」
「……な、っ……ほんと跡部ってむかつく…!」
いい加減慣れたとさっきは思った神尾だったが、やはりなかなかそこまではまだ達観できない。
ムッとして跡部を睨みあげると、だいたい神尾を呼んでおきながら放っておいたのは跡部のくせにと反発心が擡げてくる。
跡部は冷めた目で神尾を見下ろしながら、神尾の服に手をかけた。
無造作に服を脱がされていく。
神尾は一気に赤くなった。
それを見て跡部が唇の端を引き上げる。
「永遠処女か。お前は」
「しょ、……っ……」
ギャーッと叫びたくなるのを必死で堪える神尾を見下ろし跡部は肩を震わせて笑い出す。
声には出さないけれど、笑いながら身体を探ってくる跡部は本当に最低だと神尾は内心で喚きまくった。
言葉にしてもよかったが、うっかり変な声が出てきそうになっているからそれもちょっと怖い。
「うちの庭なんざ、雪が積もった後に足跡ついた事ねえよ」
「……え…?…、……」
鎖骨の窪みを舐められながらだったので、神尾は小さく震えながら跡部の言葉を聞き返し、なんとなく跡部の言う言葉を理解した。
跡部の家は広い。
庭も広い。
神尾を馬鹿にするだけあって、雪が降っても跡部がこの家の庭で遊ぶなんて事はまずしないだろう。
「いー……な…ー…」
思わず口から出た呟きを跡部がきつい目を向けて聞き返してくる。
「ああ?」
「そっか……まっさらなんだ……雪、降っても…跡部のとこ…って…」
それも、いつも。
勿体無い、と思った神尾に跡部が徐に言った。
「来たきゃ来ればいいだろう」
「跡部?」
「そんなに雪で遊びたいなら、頭の悪い野良猫の一匹くらい情けで遊ばせてやる」
「俺のことかよそれ…!」
「自覚あるだけお前も少しは脳味噌あるんだな」
「跡部ー!」
神尾が叫んだ言葉を、跡部の唇が塞いできた。
何か、すごいキスで塞いできた。
神尾の顔は真っ赤になって、頭の中は真っ白になった。
そういえばそんな話をしたなと神尾が思い出したのは、それから数日後の週末。
今日は朝練もないしと、気持ちのいい惰眠をむさぼっていた日曜日の午前中、神尾の携帯が鳴り出したのだ。
眠いまま手探りで通話ボタンを押し、ベッドの中で携帯に耳を当てれば、そこから神尾に聞こえてきたものは、世の中を氷の世界にしてしまいそうなほど不機嫌極まりない跡部の声だった。
寝ぼけ眼の神尾には、どうして雪が降った後に寝ている事をそこまで跡部に罵られなければならないのかさっぱり判らなかったが。
言われて知った窓の外の銀世界、それから足跡ひとつついていないという跡部の家の庭の話に、数日前の出来事を思い出してベッドから飛び起きた。
「今から行く!」
「もう来るな」
「えー、いいじゃんかよ! 行く」
来るなとうんざりとした口調で言いながら、跡部は最後には、野良猫の一匹くらい目を瞑ってやるとか、野良猫らしく裏門から入って来いとか言って、電話をきった。
神尾は即座に身支度を整えて、シザーバッグに携帯や財布などを適当に入れてベルトに引っ掛け、家を出た。
ところどころ雪かきの済んでいる歩道を走って跡部の家へと向かった。
夜じゅう降ったのだろう。
雪は結構積もっていて、晴天の日差しを受けてキラキラしている。
跡部は神尾を野良猫扱いで、裏門から入って来いと言っていた。
幾分不貞腐れながら、神尾は跡部の家の裏口に回ると、門扉の所に跡部が立っていた。
「跡部!」
おはようと神尾は言ったのに跡部は返事もしないで顎で神尾を中へと促した。
「朝っぱから、ほんっとえらそう。跡部って」
「えらいんだよ。学習能力が、本当にねえな。お前は」
鷹揚に言った跡部の横を膨れてすり抜けて、神尾は敷地に足を踏み入れる。
神尾の表情は一気に笑顔になった。
本当に、何のあともついていない一面の雪景色だ。
人の足跡も、車の通った後も、雪かきの後もない。
さくさくと、神尾が踏みしめた足跡だけがつく。
「すっげーきれー!」
何の木かは知らないが、複雑で繊細な枝ぶりの上にも雪は積もって、日の光を受けて反射している。
ベンチも、外灯も、眩しい白い雪で覆われている。
一歩一歩足に感じる真新しい雪の感触。
見渡す先はなだらかな雪景色で、振り返る先は自らの歩いた後だけだ。
神尾は思う存分歩き回り、時に走り、結構置くまで進んでから、ばふっと雪に倒れこんだ。
転がりまわる。
「これやってみたかったんだよなー」
積もった新しい雪と、広いスペースがなければ、そうは出来ない。
ひとしきり、寧ろ思う存分、神尾は降り積もった雪を堪能した。
大の字になって青空を見上げて、雪に埋もれる。
そのまま伸びをするように仰ぎ見た視界に、神尾は腕を組んで立っている跡部の姿を映して、どきりとした。
「………………」
てっきり家の中に入っているのだとばかり神尾は思っていた。
跡部は神尾と違って雪ではしゃいだりはしないだろうし、ただ立っている事もしないだろう。
だからおそらく家の中に戻って、温かい紅茶でも飲んで自分のしたい事をしているのだろうと神尾は思っていた。
しかし跡部はずっとその場に立っていたようだ。
いったい何をしているんだろうかと考えて、神尾はちょっと思い当たった出来事に、どぎまぎした。
まさか、とは思うけれど。
まさかただ見ていたのだろうか。
跡部は、神尾を。
「………………」
こうやって雪に寝転んでいると、さすがに少しずつ身体が冷たくなってきて。
まだ幾分名残惜しいと思いながらも神尾は起き上がった。
全身雪まみれになっている。
神尾は両手足の雪を軽く払って、再び周辺を歩き回った。
踏んでない所がなくなるまで。
実際はそんな事は到底無理なくらい広い敷地内で、神尾が延々歩き回っている間、時折神尾が伺い見た跡部は、黙って神尾を見ているようだった。
「……跡部って」
わかんね、と神尾は小さく口にする。
辛辣で、意地悪で、神尾の事を馬鹿にしてばかりで。
でも。
それでいて、神尾の言う言葉を無視したりしない。
いつも、どんな事だって受け止めて返事をくれる。
からっかたり、呆れたりしているくせに、神尾が言ったことを絶対に忘れない。
「雪も…覚えてたんだ…跡部」
何だか妙にくすぐったい気分だった。
神尾は跡部に背を向けてその場にしゃがみこんだ。
「…………変な奴だよな、跡部って」
ぽつんと呟いて、神尾は赤くなっているであろう両頬を自分の手でぺちんと叩いた。
何で自分は赤くなってるんだろう、こんなに。
「………………」
神尾は膝を抱え込むようにしゃがみ、俯いて。
暫く考えてから、腰のシザーバッグを開けた。
確か入っていた筈、と内蔵のチャックを引く。
そしてそこからマジックを取り出し、庭の植え込みに手を伸ばし、寒椿の葉を一枚失敬する。
つやつやとした葉にマジックで文字を書き、それを手元の雪で包んで丸める。
そしてもうひとつ、もう少し小さめの雪玉をつくり、重ねれば。
両手でそっとつつむように持つ程度の大きさの雪だるまができあがる。
「………………」
神尾はそれを持って跡部の元へと向かった。
雪を踏み鳴らす。
近づいていく。
「跡部」
コートは雪まみれ、髪の先から僅かに水滴を零す神尾を見て、跡部は呆れたと言う様に溜息をついた。
跡部のそんな表情は、神尾が手渡したものを見て更にあからさまになる。
「ガキだガキだと思っちゃいたけどここまでかよ」
「やる」
「ああ?」
神尾は、自分が作った雪だるまを、跡部に突きつけた。
伸ばした両手の手のひらの上、ちょこんと乗っている小さな雪だるまは顔も手もない。
「捨ててもいいよ!」
神尾は強引に跡部の手に雪だるまを押し付けて跡部に手を振った。
「今日は帰る。ありがとな、跡部」
ああ?と眉根を寄せた跡部の顔が不機嫌なわけは、押し付けられた雪だるまのせいか、心行くまで一人遊びつくしてさっさと帰る神尾のせいか。
全く関係ないかもしれないし、その両方のせいかもしれない。
神尾は跡部を追い越し、走り出してから。
もう一度跡部を振り返って手を振った。
勿論跡部が手を振り返す筈がない。
ただ、とりあえず。
その時はまだ、跡部の手の上に雪だるまは乗っていた。
椿の葉に神尾が書いた小さな文字、短い言葉。
『また来たい』
さながらタイムカプセルでも埋めたような気持ちで。
雪だるまに閉じ込めた神尾の率直な感情は、でも誰の目に触れることもないだろう。
それでいいと神尾は思う。
跡部に気づかれない、自分の本音はささやかだけれども心の底からあのとき思った感情だ。
跡部の手に、小さな雪だるま。
そのミスマッチを思い浮かべて、神尾は少し笑ってしまった。
全然似合わない、違和感のありすぎる組み合わせだが、とりあえず神尾の目の前では神尾がつくった雪だるまを捨てなかった跡部は。
すごく辛辣だったり、冷たかったりするけど。
とても素っ気無かったりするけれど。
そうでいながら優しい所もあるのだ。
すごく。
とても。
翌週の週末も、
神尾はまた、先週同様跡部に電話で厳しく怒鳴られ目覚めた。
だから今日は一週間に一度の朝寝坊が出来る日で。
それをしかもどうしてまた怒鳴られて目覚めなければならないのかと神尾は不可思議に思いながら、跡部に呼びつけられ、逆らえず、慣れた道を走っている。
自分で行っておいて何まだ寝てやがるんだとかなんとか。
跡部は言っていた。
今日は別段約束もしていないし。
雪だって一昨日までは降っていたけれど、昨日からは晴天だ。
訳が判らないまま辿り着いた跡部の家で、神尾は、信じられないものを見た。
神尾が椿の葉に書いた手紙。
それが、跡部の部屋から直結のバルコニーの手すりの上にあったのだ。
雪だるまは、何故か跡部の部屋の中、机に座った位置からよく見える位置にいたらしい。
あの日からずっと、いたらしい。
上品で綺麗な顔をしているのに、ちょっとびっくりするくらい口が悪い。
神尾相手だと取り分けにだ。
「今年は雪がいっぱい降るよなあ」
「何浮かれてんだお前。見苦しい」
言葉と一緒に冷たい目線も向けられる。
最初のうちは神尾もいちいち腹をたてたり傷ついたりしていたが近頃ではすっかり慣れた。
「何で今年って、いっつも週末に雪降るんだろうな?」
「知るか」
面倒くさそうに言い放つ跡部は彼の机で紙の束を捲っている。
生徒会か部活絡みの事なのだろう。
ものすごいスピードで紙面に目を滑らせ、捲っている。
「雪積もってさー、まだ誰も足跡つけてないとこ一番乗りするの好きなんだ。俺」
「ガキ」
「そういうの気持ちいいじゃん? 雪もまだ真っ白で綺麗だし」
跡部の家の紅茶は綺麗な色をしていて香りもいい。
カップの縁に口をつけ、飲んだ後に、ほっと息をつきたくなる紅茶だ。
そういえばこのカップも、以前に高そうで割っちゃったら怖いからそれがちょっと嫌だと言ったら、てめえしか使わねえよと跡部に吐き捨てられた代物だ。
割りたきゃ割れと言った口で、その時はそれ相応の躾もさせてもらうがなと睨まれたりもした。
「学校はさー、すぐ踏み荒らされちまうんだよな。近所の公園とかもそう。俺、ここんとこ一番乗り出来てないんだよなー。つまんねーなー」
「お前のスピードレベルじゃその程度だろ」
「五十mなら俺絶対跡部より早いぜ!」
「頭も身体も、中身が空だからな。お前は」
「むかつく…!」
神尾が声を荒げて跡部を睨みつけると、跡部は凄まじく不機嫌な顔で、神尾に詰め寄ってきていた。
「こっちの台詞だ。いい加減黙れ。うるせえ」
ぐいっと手首を引っ張られて、神尾は床に組み敷かれた。
乱暴だったのに、少しも痛くない。
背中にはふわふわのラグがあるからだ。
普通に布団に寝ているみたいに快適だ。
「………………」
「いつまでも、お前の中身のない話につき合わされてる俺の身にもなってみろ」
「……な、っ……ほんと跡部ってむかつく…!」
いい加減慣れたとさっきは思った神尾だったが、やはりなかなかそこまではまだ達観できない。
ムッとして跡部を睨みあげると、だいたい神尾を呼んでおきながら放っておいたのは跡部のくせにと反発心が擡げてくる。
跡部は冷めた目で神尾を見下ろしながら、神尾の服に手をかけた。
無造作に服を脱がされていく。
神尾は一気に赤くなった。
それを見て跡部が唇の端を引き上げる。
「永遠処女か。お前は」
「しょ、……っ……」
ギャーッと叫びたくなるのを必死で堪える神尾を見下ろし跡部は肩を震わせて笑い出す。
声には出さないけれど、笑いながら身体を探ってくる跡部は本当に最低だと神尾は内心で喚きまくった。
言葉にしてもよかったが、うっかり変な声が出てきそうになっているからそれもちょっと怖い。
「うちの庭なんざ、雪が積もった後に足跡ついた事ねえよ」
「……え…?…、……」
鎖骨の窪みを舐められながらだったので、神尾は小さく震えながら跡部の言葉を聞き返し、なんとなく跡部の言う言葉を理解した。
跡部の家は広い。
庭も広い。
神尾を馬鹿にするだけあって、雪が降っても跡部がこの家の庭で遊ぶなんて事はまずしないだろう。
「いー……な…ー…」
思わず口から出た呟きを跡部がきつい目を向けて聞き返してくる。
「ああ?」
「そっか……まっさらなんだ……雪、降っても…跡部のとこ…って…」
それも、いつも。
勿体無い、と思った神尾に跡部が徐に言った。
「来たきゃ来ればいいだろう」
「跡部?」
「そんなに雪で遊びたいなら、頭の悪い野良猫の一匹くらい情けで遊ばせてやる」
「俺のことかよそれ…!」
「自覚あるだけお前も少しは脳味噌あるんだな」
「跡部ー!」
神尾が叫んだ言葉を、跡部の唇が塞いできた。
何か、すごいキスで塞いできた。
神尾の顔は真っ赤になって、頭の中は真っ白になった。
そういえばそんな話をしたなと神尾が思い出したのは、それから数日後の週末。
今日は朝練もないしと、気持ちのいい惰眠をむさぼっていた日曜日の午前中、神尾の携帯が鳴り出したのだ。
眠いまま手探りで通話ボタンを押し、ベッドの中で携帯に耳を当てれば、そこから神尾に聞こえてきたものは、世の中を氷の世界にしてしまいそうなほど不機嫌極まりない跡部の声だった。
寝ぼけ眼の神尾には、どうして雪が降った後に寝ている事をそこまで跡部に罵られなければならないのかさっぱり判らなかったが。
言われて知った窓の外の銀世界、それから足跡ひとつついていないという跡部の家の庭の話に、数日前の出来事を思い出してベッドから飛び起きた。
「今から行く!」
「もう来るな」
「えー、いいじゃんかよ! 行く」
来るなとうんざりとした口調で言いながら、跡部は最後には、野良猫の一匹くらい目を瞑ってやるとか、野良猫らしく裏門から入って来いとか言って、電話をきった。
神尾は即座に身支度を整えて、シザーバッグに携帯や財布などを適当に入れてベルトに引っ掛け、家を出た。
ところどころ雪かきの済んでいる歩道を走って跡部の家へと向かった。
夜じゅう降ったのだろう。
雪は結構積もっていて、晴天の日差しを受けてキラキラしている。
跡部は神尾を野良猫扱いで、裏門から入って来いと言っていた。
幾分不貞腐れながら、神尾は跡部の家の裏口に回ると、門扉の所に跡部が立っていた。
「跡部!」
おはようと神尾は言ったのに跡部は返事もしないで顎で神尾を中へと促した。
「朝っぱから、ほんっとえらそう。跡部って」
「えらいんだよ。学習能力が、本当にねえな。お前は」
鷹揚に言った跡部の横を膨れてすり抜けて、神尾は敷地に足を踏み入れる。
神尾の表情は一気に笑顔になった。
本当に、何のあともついていない一面の雪景色だ。
人の足跡も、車の通った後も、雪かきの後もない。
さくさくと、神尾が踏みしめた足跡だけがつく。
「すっげーきれー!」
何の木かは知らないが、複雑で繊細な枝ぶりの上にも雪は積もって、日の光を受けて反射している。
ベンチも、外灯も、眩しい白い雪で覆われている。
一歩一歩足に感じる真新しい雪の感触。
見渡す先はなだらかな雪景色で、振り返る先は自らの歩いた後だけだ。
神尾は思う存分歩き回り、時に走り、結構置くまで進んでから、ばふっと雪に倒れこんだ。
転がりまわる。
「これやってみたかったんだよなー」
積もった新しい雪と、広いスペースがなければ、そうは出来ない。
ひとしきり、寧ろ思う存分、神尾は降り積もった雪を堪能した。
大の字になって青空を見上げて、雪に埋もれる。
そのまま伸びをするように仰ぎ見た視界に、神尾は腕を組んで立っている跡部の姿を映して、どきりとした。
「………………」
てっきり家の中に入っているのだとばかり神尾は思っていた。
跡部は神尾と違って雪ではしゃいだりはしないだろうし、ただ立っている事もしないだろう。
だからおそらく家の中に戻って、温かい紅茶でも飲んで自分のしたい事をしているのだろうと神尾は思っていた。
しかし跡部はずっとその場に立っていたようだ。
いったい何をしているんだろうかと考えて、神尾はちょっと思い当たった出来事に、どぎまぎした。
まさか、とは思うけれど。
まさかただ見ていたのだろうか。
跡部は、神尾を。
「………………」
こうやって雪に寝転んでいると、さすがに少しずつ身体が冷たくなってきて。
まだ幾分名残惜しいと思いながらも神尾は起き上がった。
全身雪まみれになっている。
神尾は両手足の雪を軽く払って、再び周辺を歩き回った。
踏んでない所がなくなるまで。
実際はそんな事は到底無理なくらい広い敷地内で、神尾が延々歩き回っている間、時折神尾が伺い見た跡部は、黙って神尾を見ているようだった。
「……跡部って」
わかんね、と神尾は小さく口にする。
辛辣で、意地悪で、神尾の事を馬鹿にしてばかりで。
でも。
それでいて、神尾の言う言葉を無視したりしない。
いつも、どんな事だって受け止めて返事をくれる。
からっかたり、呆れたりしているくせに、神尾が言ったことを絶対に忘れない。
「雪も…覚えてたんだ…跡部」
何だか妙にくすぐったい気分だった。
神尾は跡部に背を向けてその場にしゃがみこんだ。
「…………変な奴だよな、跡部って」
ぽつんと呟いて、神尾は赤くなっているであろう両頬を自分の手でぺちんと叩いた。
何で自分は赤くなってるんだろう、こんなに。
「………………」
神尾は膝を抱え込むようにしゃがみ、俯いて。
暫く考えてから、腰のシザーバッグを開けた。
確か入っていた筈、と内蔵のチャックを引く。
そしてそこからマジックを取り出し、庭の植え込みに手を伸ばし、寒椿の葉を一枚失敬する。
つやつやとした葉にマジックで文字を書き、それを手元の雪で包んで丸める。
そしてもうひとつ、もう少し小さめの雪玉をつくり、重ねれば。
両手でそっとつつむように持つ程度の大きさの雪だるまができあがる。
「………………」
神尾はそれを持って跡部の元へと向かった。
雪を踏み鳴らす。
近づいていく。
「跡部」
コートは雪まみれ、髪の先から僅かに水滴を零す神尾を見て、跡部は呆れたと言う様に溜息をついた。
跡部のそんな表情は、神尾が手渡したものを見て更にあからさまになる。
「ガキだガキだと思っちゃいたけどここまでかよ」
「やる」
「ああ?」
神尾は、自分が作った雪だるまを、跡部に突きつけた。
伸ばした両手の手のひらの上、ちょこんと乗っている小さな雪だるまは顔も手もない。
「捨ててもいいよ!」
神尾は強引に跡部の手に雪だるまを押し付けて跡部に手を振った。
「今日は帰る。ありがとな、跡部」
ああ?と眉根を寄せた跡部の顔が不機嫌なわけは、押し付けられた雪だるまのせいか、心行くまで一人遊びつくしてさっさと帰る神尾のせいか。
全く関係ないかもしれないし、その両方のせいかもしれない。
神尾は跡部を追い越し、走り出してから。
もう一度跡部を振り返って手を振った。
勿論跡部が手を振り返す筈がない。
ただ、とりあえず。
その時はまだ、跡部の手の上に雪だるまは乗っていた。
椿の葉に神尾が書いた小さな文字、短い言葉。
『また来たい』
さながらタイムカプセルでも埋めたような気持ちで。
雪だるまに閉じ込めた神尾の率直な感情は、でも誰の目に触れることもないだろう。
それでいいと神尾は思う。
跡部に気づかれない、自分の本音はささやかだけれども心の底からあのとき思った感情だ。
跡部の手に、小さな雪だるま。
そのミスマッチを思い浮かべて、神尾は少し笑ってしまった。
全然似合わない、違和感のありすぎる組み合わせだが、とりあえず神尾の目の前では神尾がつくった雪だるまを捨てなかった跡部は。
すごく辛辣だったり、冷たかったりするけど。
とても素っ気無かったりするけれど。
そうでいながら優しい所もあるのだ。
すごく。
とても。
翌週の週末も、
神尾はまた、先週同様跡部に電話で厳しく怒鳴られ目覚めた。
だから今日は一週間に一度の朝寝坊が出来る日で。
それをしかもどうしてまた怒鳴られて目覚めなければならないのかと神尾は不可思議に思いながら、跡部に呼びつけられ、逆らえず、慣れた道を走っている。
自分で行っておいて何まだ寝てやがるんだとかなんとか。
跡部は言っていた。
今日は別段約束もしていないし。
雪だって一昨日までは降っていたけれど、昨日からは晴天だ。
訳が判らないまま辿り着いた跡部の家で、神尾は、信じられないものを見た。
神尾が椿の葉に書いた手紙。
それが、跡部の部屋から直結のバルコニーの手すりの上にあったのだ。
雪だるまは、何故か跡部の部屋の中、机に座った位置からよく見える位置にいたらしい。
あの日からずっと、いたらしい。
PR
この記事にコメントする
カテゴリー
アーカイブ
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析