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How did you feel at your first kiss?
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 宍戸の後輩は、筆記具に拘りがあるらしい。
「拘りというか……なんか落ち着かないんですよ。違う感触で字を書くのが」
「そういうもんか?」
 宍戸にはそういうことはよく判らない。
 やんわりと微笑んでいる鳳はといえば、筆記具に限らず、ノートやファイルなどもいつも同じ物を使っている。
「気に入るまでは、いろいろ試すんですよ。それでこれだって思えるものを見つけたら、もうそれ以外使いたくないんです」
 待ち合わせて帰っている放課後。
 文房具店に付き合ってほしいと鳳に言われ、宍戸は今鳳と共に近隣の店にいた。
「すみません。すぐ会計してきますんで」
「別に急がなくていい。俺あの辺見てるな」
 何せ買う物が決まっているので、すでに鳳は必要なものを手にしているのだが、レジがやたらと混んでいた。
 宍戸は文具店の一角にある自然観察のエリアを指差して、そこに足を向けた。
 夏休みの自由研究のコーナーの名残らしく、NASAが開発した蟻の飼育観察セットやら星の王子様に出てくるバオバブの木の栽培キットやらがおいてある。
 先月はまだ夏休み中だったという事が信じがたいほど、季節にはもう、夏の名残が殆ど見受けられなかった。
 そういえば鳳も、今日は半袖の制服の上に薄手のニットを着込んでいた。
 もう時期に制服も冬服だ。
「………………」
 別段秋を自覚して、もの寂しいような気持ちになるタイプではない。
 宍戸は自身をそう思っているものの、でも実際。
 今、ちょっと鬱々とした気分になった。
 季節のせいではなく、原因はよそで明確だ。
 宍戸がそうやってぼんやり考え込んでいると、お待たせしましたと鳳が横に並んだ。
「…おう」
 筆記具だけの割には大きな紙袋を鳳は持っていた。
 何か他のものも買ったのかもしれない。
 宍戸は溜息が溜息にならないように飲み込んで店を出た。
 鳳も宍戸の隣を歩いている。
 夕方近くになってもよく晴れている。
 皮膚を撫でられるような風が明らかに秋めいていた。
「なあ、お前さ」
「はい?」
 宍戸は呟くように言った。
 歩きながら、足元に視線を落とし、それから高い空を見上げて。
「さっきのよ、…」
「さっきの?」
「お前が言ってたのは、文房具っていうか……身の回りの用品って事だよな?」
「…何がですか?」
 何のことかと思案しつつ顔を覗き込んでくる鳳に、宍戸は弱冠決まりが悪い。
 らしくもない歯切れの悪さだと宍戸も自覚はしているのだ。
 頭上を見上げた視線を、仰のいたまま距離の近くなった鳳に合わせる。
「だから…!」
「…はい?」
 宍戸がいくら荒っぽく吐き捨てるようにしても、鳳は生真面目に宍戸も見つめてくるばかりだ。
 そんな風に生真面目にされると今更ごますわけにもいかなくなる。
「お前、言ったろうが。…気に入るまでいろいろ試すって」
「はい。さっきの話ですよね。確かに言いましたけど…それが何か…」
 ああもうどうしてこんなこと言っているんだと、宍戸は口にする側から、片っ端から、後悔している。
 それなのに出てきてしまう言葉は止まらずに。
「……俺もじゃねえよな」
「…え?」
「………っ…、…っから…、お前、自分が気に入るかどうか、試してみてる最中とかじゃねえよなっって…、…!」
 それこそもうすぐさま。
 宍戸の言葉の語尾に被さって、バサバサッと音をたて、鳳が手にしていた買物袋が落ちた。
 はあ?とそれこそ鳳らしからぬ声がしてた。
 宍戸はぎょっと斜を見やる。
 なんだ、どうしたんだ、と宍戸は慌てた。
 しかしあまりにも真剣に唖然としているらしい鳳は、復活の後、宍戸の比ではなく慌てていた。
「ちょ…、……なに言ってるんですか、宍戸さん……!」
「うわ、…っ……ばか、…っ、おまえ、それ止めろ…っ」
 両肩を鳳の手のひらに握りこまれ、揺さぶられ、泣きつかれた。
 ガシッと抱き締められ、叫ばれた。
 宍戸絡みの事で本気で混乱したり狼狽したりする時の鳳は、宍戸にも制御不能なのだ。
「宍戸さん!」
 耳元で名前を叫ばれ恨み言を叫ばれ、宍戸は、往来なんだぞここは!と鳳に意見しようにも到底出来ない状況に陥った。
 思いっきり抱き締められて揺すられる。
「そんな訳ないです。ありえないです」
「わ、…っかった、わかったから…っ」
 わかったから放せっという宍戸の叫びは、鳳の胸元にぶつかって消音した。
「どうして文房具なんかと宍戸さんが同じになるんですか」
「なんねーよ、なんねーけどっ」
 抱き締められてしまえば最高に心地良い鳳の腕の中で、くそうと宍戸は呻いた。
「ちょっと、何か、引っかかっちまったんだよ…っ。悪いか…っ」
「それって俺の宍戸さんへの愛情の伝え方が、全然足りてないって事ですよね」
「ば、…ッ……」
 足りてるっ!充分だっ!と宍戸が言う側から、抱き締める腕の力は半端なく強くなり、好きだと繰り返し告げられた。
 だからここは、往来。
 往来なんだって、と。
 宍戸は溜息も出ない気持ちになる。
 同時に、鬱々とした気分は全て吹っ飛んだのだけれど。
「……長太郎ー…」
 自分より一回りも二回りも長身で、近頃頓に大人びた顔をするようにもなった後輩の、甘ったれた恨み言と甘ったるい睦言をいっしょくたに向けられて宍戸はどんどんだめになる。
「わるかったよ。……おい…って……長太郎」
 どうにか腕を伸ばして、鳳の広い背を軽く叩く。
「俺だってキャラじゃねえこと言ってる自覚あんだよ。勘弁してくれ」
 安堵と一緒に宍戸に襲い掛かってきたのは、羞恥心なので。
 俺も何だかなあと宍戸は呻き、足元に落ちたままの紙袋を視界の端に入れて、鳳の背を再度叩いた。
「おい、落ちてる……」
「……あ…」
 そんな促しに効力があるかどうか不明だったのだが、鳳が小さく声を上げて身体を離してきた。
「宍戸さんに渡すのなのにすみません」
「は?」
 屈んで紙袋を拾い上げた鳳を宍戸は怪訝に見守った。
「俺?……それお前のだろ」
「宍戸さんの誕生日の前にね。これ」
「………………」
 スリムタイプの薄い手帳を渡される。
 自分にという言葉にもだし、誕生日の前にという言葉にも、宍戸は眉根を寄せたまま、差し出された手帖を受け取った。
 深い赤、臙脂に近い表紙のそれは、薄さからして中身はカレンダーのページだけのようだった。
「長太郎?」
「俺との予定にだけ使ってくれる?」
「………………」
 優しい笑みで鳳は宍戸に囁いた。
「………………」
「俺との約束だけ書いて」
 そして鳳は紙袋からボールペンを取り出す。
 同じものが二本。
 一本は自分の鞄に入れ、もう一本は宍戸に手渡してきた。
 これが好きだと言って、鳳がいつも使っているボールペン。
 宍戸はそれもまた受け取った。
「それで、まず今月の二十九日の所に書いてもらえると嬉しいです」
「………………」
 九月二十九日。
 宍戸の誕生日だ。
「次の日土曜日だから、泊まりって事で翌日にも記入があると更に幸せなんですが」
「ば…、……」
 どうでしょうかと小さく問いかけてくる鳳に、いったいさっきまでのお前は何なんだと宍戸は言ってやりたくなった。
 宍戸の一言で錯乱して混乱して派手にやらかしてくれた鳳も、今宍戸の目の前で気恥ずかしいまでの甘い笑みと声と提案を寄こしてきている鳳も、どちらも同じ男なのだ。
 そしてそのどちらも同じくらい、宍戸は欲しい。
「………………」
 観念してやるよと内心で呟きながら、宍戸は手帳のOPP袋を雑に破いた。
 手帳を取り出し、ボールペンのキャップを口に銜えて外し、顎で鳳に背を向けるように促した。
 それはもう幸せを笑顔にしたらこれだろうというような笑みを見せた後に背を向けた鳳の背中に、宍戸は手帳の九月のページを開く。
 九月始まりの手帳だった。
 まずは即座に二十九日と三十日に、丸をつける。
 それからもうこれは勢いで。
 今日の日付けに好きだバカと書きなぐる。
 手帳を閉じると鳳が振り返ってきた。
「……ぜってー中は見せねえからな」
「はい」
 鳳は丁寧に微笑み、頷いた。
 それから肩を並べてまた歩き出す。
 宍戸は手帳とボールペンを鞄にしまいこんだ。
「誕生日、何か食べたいものとかありますか」
「そういうのはしないでいいっての」
「上海蟹とか、どうでしょう。姿蒸し。あと蟹味噌の茶碗蒸しとか。前に宍戸さん、うちで美味しいって言ってくれたから、蟹取り寄せて……」
「お前取り寄せってまさか…」
「はい。陽澄湖からですが」
「気軽に言うな…っ」
 このブルジョワめと宍戸は唸ったが、鳳は依然柔らかく笑んでいた。
 秋風が吹く。
 空は抜けるように高く、遠くまで薄く青い。
 宍戸が鳳に手渡された九月始まりの手帳が、一年後、どう書き込まれて最終頁を迎えるのか、それはまた来年の宍戸の誕生日あたりで判る事だ。
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