How did you feel at your first kiss?
音楽室の扉の硝子窓越しに目が合った。
鳳は微笑して扉を開けて廊下に出て行く。
「宍戸さん」
「おう」
細い首の襟足にかかるくらいまでは伸びた髪に手を当てて、宍戸は立ち止まっていた。
通り過ぎずに足を止めてくれていただけで嬉しい。
「何してんだ? 昼休みにこんなとこで」
「監督に頼まれて調律を…」
背後のピアノを親指で指し示すようにした鳳に。
宍戸が、ああ、道理でなと頷いた。
「何がですか?」
「お前がやけに楽しそうだから」
「楽しいですよ。でもそれはピアノのせいじゃなくて宍戸さんのせいですけど?」
鳳は思わずまじまじと宍戸を見つめてそう言った。
私物とはメーカーの違う、他国製のピアノ。
貴重な機種でもあるそのピアノに触れるのは確かに楽しいが、宍戸とは、とても比べられるような対象にはない。
心底からの鳳の台詞のせいなのか、宍戸は肩を落とすようにして溜息をついた。
「宍戸さん」
しかし別段怒っているわけではないようで。
鳳が呼ぶと、宍戸は羞恥にうっすら濡れたような目で、鳳のことを見上げてきた。
「……オマエなあ…」
「はい」
「…………ハイじゃねーだろうが…」
ひとりごちる宍戸を見つめて笑みを深め、宍戸さんは?と鳳は尋ねた。
「もう昼は食べ終わったんですよね? どこかに行くところですか」
「昼寝。ちょっと寝不足なんだよ」
家の外で昨夜喧嘩があって、警察来たり何なりで、と眉を顰めて小さく欠伸をする宍戸を、鳳は音楽室の中へするりと引き込んだ。
「長太郎?」
「じゃあ子守唄か何か弾きますから」
「おい…?」
防音設備の完璧な音楽室の扉は、他の教室の扉とは造りがまるで違う。
格子窓のように四角く切り取られた硝子部分にも内側から目隠しのカバーを引き下ろし、鍵をかければもう完璧な密室だ。
鳳はグランドピアノに向かう。
「宍戸さん」
ここね、と足を開いて座った鳳がスペースの空いた座面の上を軽く叩く。
「膝に乗れってか?」
「それもいいですけど、さすがに鍵盤見えないから、こう…ね」
「………………」
宍戸の腕を引き、鳳は背後から宍戸を抱きこむようにして、椅子に二人掛けした。
ピアノに向かい、子供に演奏の補助してやるように、腕を伸ばす。
「寄りかかっちゃって下さい。宍戸さん」
「……弾きにくくねえの。こんな体勢でよ」
「平気です」
宍戸は落ち着かないように身じろいで、鳳を振り仰いで尋ねてくる。
しかし鍛えられた上でも尚且つほっそりとしている宍戸の身体は、鳳の胸元にはびっくりするほど簡単におさまってしまっている。
邪魔どころか、羽のように軽い。
「ここで聴くとまた音が違いますから……」
「……まあ…確かに一生かかったって俺がピアノを弾く事はないだろうから。ここで聴く事もないんだろうけどよ」
「もっと寄りかかっていいですよ。ソファか何かと思って」
くすりと、宍戸は笑ったようだった。
「贅沢な話だな」
「俺の方がです」
心の底からそう思って告げる。
「まだ途中だったんじゃないのか」
「調律ですか? ちょうど終わった所だったんです」
それで試しに何を弾こうかと考えていた所で、宍戸と目が合ったのだ。
「………んー…」
じゃあ、と宍戸が呟いて。
ゆっくりと力の抜けていく身体が、鳳の胸元へと深く凭れかかってくる。
柔らかい黒髪が鳳の肩口に埋まる。
宍戸のこめかみに唇で触れてから、鳳は静かにピアノを奏でた。
タイスの瞑想曲。
宍戸の真直ぐで長い睫毛が静かに伏せられていく。
なめらかな白い瞼が瞳を隠す。
胸元に宍戸を寄りかからせて爪弾く音は、鳳自身が驚くほどに甘かった。
こんな音を出した事が今まで一度でもあっただろうかとふと思う。
「…………………」
すう、と静かに宍戸の呼吸が、深い深い所へと落ちていく。
微かでささやかな変化にも全て合わせるように。
鳳は指先で鍵盤を弾き奏でる音を、宍戸の呼吸や脈拍と同調させるようにつないだ。
導かれるようにして眠っていく宍戸を、鳳は見下ろして。
きれいな寝顔に微笑んだ。
予鈴のチャイムが鳴るまでの間、鳳の演奏するピアノの調べは宍戸を眠らせた。
鳳が手を止め、音が止んだ瞬間に。
宍戸は目を開け、鳳は屈みこんでその唇を塞ぐ。
すこし窮屈な角度で重なったキスが終わった瞬間の音は。
ピアノの最後の音と、どこか似ていた。
鳳は微笑して扉を開けて廊下に出て行く。
「宍戸さん」
「おう」
細い首の襟足にかかるくらいまでは伸びた髪に手を当てて、宍戸は立ち止まっていた。
通り過ぎずに足を止めてくれていただけで嬉しい。
「何してんだ? 昼休みにこんなとこで」
「監督に頼まれて調律を…」
背後のピアノを親指で指し示すようにした鳳に。
宍戸が、ああ、道理でなと頷いた。
「何がですか?」
「お前がやけに楽しそうだから」
「楽しいですよ。でもそれはピアノのせいじゃなくて宍戸さんのせいですけど?」
鳳は思わずまじまじと宍戸を見つめてそう言った。
私物とはメーカーの違う、他国製のピアノ。
貴重な機種でもあるそのピアノに触れるのは確かに楽しいが、宍戸とは、とても比べられるような対象にはない。
心底からの鳳の台詞のせいなのか、宍戸は肩を落とすようにして溜息をついた。
「宍戸さん」
しかし別段怒っているわけではないようで。
鳳が呼ぶと、宍戸は羞恥にうっすら濡れたような目で、鳳のことを見上げてきた。
「……オマエなあ…」
「はい」
「…………ハイじゃねーだろうが…」
ひとりごちる宍戸を見つめて笑みを深め、宍戸さんは?と鳳は尋ねた。
「もう昼は食べ終わったんですよね? どこかに行くところですか」
「昼寝。ちょっと寝不足なんだよ」
家の外で昨夜喧嘩があって、警察来たり何なりで、と眉を顰めて小さく欠伸をする宍戸を、鳳は音楽室の中へするりと引き込んだ。
「長太郎?」
「じゃあ子守唄か何か弾きますから」
「おい…?」
防音設備の完璧な音楽室の扉は、他の教室の扉とは造りがまるで違う。
格子窓のように四角く切り取られた硝子部分にも内側から目隠しのカバーを引き下ろし、鍵をかければもう完璧な密室だ。
鳳はグランドピアノに向かう。
「宍戸さん」
ここね、と足を開いて座った鳳がスペースの空いた座面の上を軽く叩く。
「膝に乗れってか?」
「それもいいですけど、さすがに鍵盤見えないから、こう…ね」
「………………」
宍戸の腕を引き、鳳は背後から宍戸を抱きこむようにして、椅子に二人掛けした。
ピアノに向かい、子供に演奏の補助してやるように、腕を伸ばす。
「寄りかかっちゃって下さい。宍戸さん」
「……弾きにくくねえの。こんな体勢でよ」
「平気です」
宍戸は落ち着かないように身じろいで、鳳を振り仰いで尋ねてくる。
しかし鍛えられた上でも尚且つほっそりとしている宍戸の身体は、鳳の胸元にはびっくりするほど簡単におさまってしまっている。
邪魔どころか、羽のように軽い。
「ここで聴くとまた音が違いますから……」
「……まあ…確かに一生かかったって俺がピアノを弾く事はないだろうから。ここで聴く事もないんだろうけどよ」
「もっと寄りかかっていいですよ。ソファか何かと思って」
くすりと、宍戸は笑ったようだった。
「贅沢な話だな」
「俺の方がです」
心の底からそう思って告げる。
「まだ途中だったんじゃないのか」
「調律ですか? ちょうど終わった所だったんです」
それで試しに何を弾こうかと考えていた所で、宍戸と目が合ったのだ。
「………んー…」
じゃあ、と宍戸が呟いて。
ゆっくりと力の抜けていく身体が、鳳の胸元へと深く凭れかかってくる。
柔らかい黒髪が鳳の肩口に埋まる。
宍戸のこめかみに唇で触れてから、鳳は静かにピアノを奏でた。
タイスの瞑想曲。
宍戸の真直ぐで長い睫毛が静かに伏せられていく。
なめらかな白い瞼が瞳を隠す。
胸元に宍戸を寄りかからせて爪弾く音は、鳳自身が驚くほどに甘かった。
こんな音を出した事が今まで一度でもあっただろうかとふと思う。
「…………………」
すう、と静かに宍戸の呼吸が、深い深い所へと落ちていく。
微かでささやかな変化にも全て合わせるように。
鳳は指先で鍵盤を弾き奏でる音を、宍戸の呼吸や脈拍と同調させるようにつないだ。
導かれるようにして眠っていく宍戸を、鳳は見下ろして。
きれいな寝顔に微笑んだ。
予鈴のチャイムが鳴るまでの間、鳳の演奏するピアノの調べは宍戸を眠らせた。
鳳が手を止め、音が止んだ瞬間に。
宍戸は目を開け、鳳は屈みこんでその唇を塞ぐ。
すこし窮屈な角度で重なったキスが終わった瞬間の音は。
ピアノの最後の音と、どこか似ていた。
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