How did you feel at your first kiss?
観月の実家から聖ルドルフ寮に送られてきた大量のさくらんぼは瞬く間になくなった。
余ったら時はどうしようかと観月が思うような量だったのだが、それも杞憂に終わったようだ。
各部屋を回って配るまでもなく、食堂に置いておいただけで全てのさくらんぼが引き取られていった。
「観月さん、ありがとうございます。いただきます」
甘いもの好きの後輩が律儀に頭を下げてくるので、観月も部屋に帰る足を止めてひっそりと小声で耳打ちする。
「裕太君、まだ僕の部屋にもありますから、それ食べ終えたらまたいつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます。でもお家の方、観月さんに一番に食べて貰いたいんだと思いますから」
ちゃんと観月さんも食べて下さいね、と観月が目をかけている後輩は屈託なく笑顔になった。
邪気のない表情は伝染する。
観月も自然と零れたように笑って、手を上げ裕太と擦れ違う。
本当に、どうしてあそこまでと思うくらいに。
裕太は自分に懐いていると観月は思う。
自分はあまり良い先輩ではないだろうにと思いながら観月が寮の自室に戻ってくると、室内には壁際に寄せたさくらんぼの箱と。
それから壁に寄りかかって座っている赤澤の姿があった。
かつて観月に、裕太は懐いているんじゃなくてお前を慕ってるんだよ、と観月の自嘲を訂正してきた男だ。
その上、見当違いの悋気までちらつかせてきた訳の判らない男。
自然と裕太からうつった笑みは別のものにすりかわる。
「なんだ観月。人の顔見るなり溜息かよ?」
低い声はさばけていて、唇の端には笑みが刻まれているから、言葉程気分を害しているようではないようだ。
長い脚を投げ出して座り、右膝だけ立て膝になっている赤澤はのんびりとそう言って、観月を見つめてくる。
赤澤の手元にあるさくらんぼの箱は手つかずのままだ。
「食べないんですか」
「ん? 待ってた」
「別に待ってなくても。好きに食べてて下さいって言ったでしょう」
今度はかなりはっきりとした吐息を零して、観月は椅子を引いて机に向かう。
赤澤は身体の向きこそ違えど、観月の足元に座り込んでいるような位置にいる。
斜に眺めおろした眼差しを観月が向けると、赤澤は穏やかに笑っていた。
「家の人たちは、ともあれお前にって心情で送ってくれたんだろうしな」
きれいだよな、と赤澤が箱に整然と並んでおさまっているさくらんぼを見やって囁く。
どうして果物を見るのにそんな甘い眼差しをするのだろうか。
うっかりと赤澤のそんな表情を食い入るように見つめてしまいそうで、観月はぎこちなく視線を外す。
「さくらんぼの実には、目に見えない小さな穴があるんですよ」
何か喋っていないと落ち着かないような気になって、観月は赤澤を見ないまま話し続けた。
「だから雨に当たると実の中に水が入り込んで、膨らんで、パンクしてしまうんです」
そういう点で手の掛かっている果物ですね、と添えた観月の声に被せるように。
赤澤から放たれてきた言葉の意味が、観月にはすぐには判らなかった。
「そういうのを知ってるなら、気をつけろよ」
「…はい?」
何か扱いがまずかっただろうかと、観月がさくらんぼの箱を見ると、赤澤が首を左右に張った。
「違う。お前」
「僕が何ですか」
「まんまお前だろ、今の」
「今の…って…」
「目に見えないのも同じだな」
無数の穴、それがすなわち観月に脆さが無数あると、そう赤澤は言っているのだろうか。
観月はたちまち憮然となった。
椅子に座ったまま目線だけでなく身体ごと赤澤に向き直る。
「そういうものに人を例えないでくれませんか」
どういう意味で赤澤がそう言ったのか。
正確に理解している訳ではないけれど。
とりあえずの見目の可愛らしさや手間暇のかかる性質、人の手がいつだって必要で、放っておかれたら正しく育つことも出来ないその果実に己を例えられるのは、正直観月を複雑に苛立たせた。
まるで見当違いだと言い切れない自分を自覚しているから余計にだ。
そして、現にそんな観月に一番労力を費やしているのがこの赤澤だから観月の心情は更に荒らくれる。
「手塩にかけて、囲うように、ただ守って?」
「おい、怒るなって」
「何で怒ってるのか判らないで適当に宥めないで下さい」
ただひたすらに大切にしてくるような赤澤の腕を。
観月は時にはひどくいやだと思う事がある。
守られるような接触を。
与えられて安堵する自分もだ。
赤澤を睨んでいた眼を観月が逸らすより先、赤澤の腕が伸ばされてくる。
「判ってるっつの」
握りこまれた指先。
赤澤は距離を縮めることなく手だけをつないできた。
「弱いとか手がかかるだとか言ってるんじゃない」
「………………」
「観月が、いくらさくらんぼそのものでもな? お前が傷まないようにって、手を伸ばしても、守っても。最後はちゃんと違う」
赤澤の言っている事が少しおかしい。
観月は憤慨以外のそんな思いで眉を顰めた。
観月が怒っているのは、可愛らしすぎる弱く脆い果実に例えられる自分自身と、一方的な擁護が必要だと言われているかのような事実に対してだ。
最後というのは何だ。
「……何ですか。最後はって」
「出荷はしないって事だよ」
「…出荷……?」
「観月を食うのは俺だけだって話」
「な、……なに言ってるんですか、赤澤…!」
「食う為だけに育てる訳でもないしな」
本当に。
真顔で。
いったい何を言うのかと、観月は咄嗟に何一つ言い返せなくなった自分自身にも呆れた。
赤澤はそんな観月をどう見たのか、観月の指先を握りこむ手に、ぎゅっと力を入れてきた。
「お前が好きだって事」
「……、…っ……」
「好きだよ。観月」
赤澤は繰り返す。
観月が硬直していると、腕が引かれた。
椅子に座っていた体制から床に座り込んだのに、どこも少しも痛くない。
観月は赤澤の広い胸に抱き込まれていた。
「………………」
胸元に押し当てられた自分の顔が熱を帯びていくのが判って観月はますます何も言えない。
長い両腕に囲い込まれるように抱き締められて、自分がまるでとても小さく弱いものになってしまうような感覚もこわい。
こわいのに、いやではないから、どうしようもない。
膨らんで、膨らんで、パンクしてしまいそうだ。
これでは本当に。
「観月」
「………っ……、…ゃ」
赤澤の声や、抱擁や、体温や、匂いが。
自分の中に入り込んで、埋まっていって、膨れ上がり破裂しそうだ。
「おーい……観月…」
参ったな、と苦笑交じりの赤澤の声音が耳元間近から聞こえる。
観月の混乱を過敏に察したのであろう赤澤は、観月をやわらかく抱き締めなおして、耳の縁にそっと唇を落としてくる。
「好きだ」
弱くなったのではなく、小さくなっただけ。
甘い声は少しだけ変貌して尚も観月に囁いてくる。
繰り返し、繰り返し、それでいて全くおざなりにならない赤澤の低い声。
「ばか、…っ…もう、いい…、…!」
もういい、それ以上言うなと、そう繰り返しても止まらない。
好きだと、降る雨のように赤澤の唇から告げられ続け、浴びせかけられ、観月は息も絶え絶えになった。
「も、……何なんですか、…っ……貴方は……!」
「何って」
お前にベタ惚れなんだよ、とやわらかく耳元で笑われて。
「…言葉の暴力ですよ…!」
焦がれるような声も。
耳元で囁いてくるやり方も。
衒いのない言葉も。
全部。
全部全部暴力だ、ここまでくると、と観月は八つ当たりじみている事を自覚しながらも責め立てた。
赤澤がそれで機嫌を悪くする事はなかった。
ただ軽い溜息と一緒に。
少しだけ身体を離して。
「非常にデリケートだな、お前は」
判っちゃいたが、とからかうでもなく苦笑いする。
「面倒なら放っておけばいいんです」
「バカ」
日に焼けた精悍な顔は、随分と情けない顔で観月を覗き込んできて。
それでも何ら遜色ない面立ちを唇が触れ合う距離まで近づけてきて。
「お前が面倒だった事なんざ一度もねえよ」
「……っ…近い…、」
「そうか?」
薄く笑った形の唇でキスされる。
「ん、…っ…」
「構わせろよ」
な?と甘く角度を変えられて、口づけられて。
ぎゅっと赤澤にしがみついてしまった観月は、更に熱っぽい手に背中を抱き返されて目を閉じる。
キスで床に押し倒されて、首筋をくすぐる赤澤の長い髪の感触に微かに震える。
「……か…ざわ」
「…ん…?」
構わせろ、まで言うのなら。
これまでだって散々に赤澤は観月を甘やかしてきたのだから。
「途中で飽きたりなんかしたら…その場で枯れてやる」
きつく睨み据えて観月は言ったのに。
赤澤は、蕩けても精悍な顔だちを少しも損なわない笑い方で観月の頬に口づけた。
「それならお前は一生綺麗なままだな」
臆面もなく言い切った赤澤に観月が返せる言葉はない。
けれど言葉の代わりに、観月は赤澤の唇へ。
重ねた唇、忍ばせた舌先。
赤澤だけしか口にしない、赤澤だけしか口に出来ないものを、観月の方から差し出した。
大事に噛まれて、熟れた。
余ったら時はどうしようかと観月が思うような量だったのだが、それも杞憂に終わったようだ。
各部屋を回って配るまでもなく、食堂に置いておいただけで全てのさくらんぼが引き取られていった。
「観月さん、ありがとうございます。いただきます」
甘いもの好きの後輩が律儀に頭を下げてくるので、観月も部屋に帰る足を止めてひっそりと小声で耳打ちする。
「裕太君、まだ僕の部屋にもありますから、それ食べ終えたらまたいつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます。でもお家の方、観月さんに一番に食べて貰いたいんだと思いますから」
ちゃんと観月さんも食べて下さいね、と観月が目をかけている後輩は屈託なく笑顔になった。
邪気のない表情は伝染する。
観月も自然と零れたように笑って、手を上げ裕太と擦れ違う。
本当に、どうしてあそこまでと思うくらいに。
裕太は自分に懐いていると観月は思う。
自分はあまり良い先輩ではないだろうにと思いながら観月が寮の自室に戻ってくると、室内には壁際に寄せたさくらんぼの箱と。
それから壁に寄りかかって座っている赤澤の姿があった。
かつて観月に、裕太は懐いているんじゃなくてお前を慕ってるんだよ、と観月の自嘲を訂正してきた男だ。
その上、見当違いの悋気までちらつかせてきた訳の判らない男。
自然と裕太からうつった笑みは別のものにすりかわる。
「なんだ観月。人の顔見るなり溜息かよ?」
低い声はさばけていて、唇の端には笑みが刻まれているから、言葉程気分を害しているようではないようだ。
長い脚を投げ出して座り、右膝だけ立て膝になっている赤澤はのんびりとそう言って、観月を見つめてくる。
赤澤の手元にあるさくらんぼの箱は手つかずのままだ。
「食べないんですか」
「ん? 待ってた」
「別に待ってなくても。好きに食べてて下さいって言ったでしょう」
今度はかなりはっきりとした吐息を零して、観月は椅子を引いて机に向かう。
赤澤は身体の向きこそ違えど、観月の足元に座り込んでいるような位置にいる。
斜に眺めおろした眼差しを観月が向けると、赤澤は穏やかに笑っていた。
「家の人たちは、ともあれお前にって心情で送ってくれたんだろうしな」
きれいだよな、と赤澤が箱に整然と並んでおさまっているさくらんぼを見やって囁く。
どうして果物を見るのにそんな甘い眼差しをするのだろうか。
うっかりと赤澤のそんな表情を食い入るように見つめてしまいそうで、観月はぎこちなく視線を外す。
「さくらんぼの実には、目に見えない小さな穴があるんですよ」
何か喋っていないと落ち着かないような気になって、観月は赤澤を見ないまま話し続けた。
「だから雨に当たると実の中に水が入り込んで、膨らんで、パンクしてしまうんです」
そういう点で手の掛かっている果物ですね、と添えた観月の声に被せるように。
赤澤から放たれてきた言葉の意味が、観月にはすぐには判らなかった。
「そういうのを知ってるなら、気をつけろよ」
「…はい?」
何か扱いがまずかっただろうかと、観月がさくらんぼの箱を見ると、赤澤が首を左右に張った。
「違う。お前」
「僕が何ですか」
「まんまお前だろ、今の」
「今の…って…」
「目に見えないのも同じだな」
無数の穴、それがすなわち観月に脆さが無数あると、そう赤澤は言っているのだろうか。
観月はたちまち憮然となった。
椅子に座ったまま目線だけでなく身体ごと赤澤に向き直る。
「そういうものに人を例えないでくれませんか」
どういう意味で赤澤がそう言ったのか。
正確に理解している訳ではないけれど。
とりあえずの見目の可愛らしさや手間暇のかかる性質、人の手がいつだって必要で、放っておかれたら正しく育つことも出来ないその果実に己を例えられるのは、正直観月を複雑に苛立たせた。
まるで見当違いだと言い切れない自分を自覚しているから余計にだ。
そして、現にそんな観月に一番労力を費やしているのがこの赤澤だから観月の心情は更に荒らくれる。
「手塩にかけて、囲うように、ただ守って?」
「おい、怒るなって」
「何で怒ってるのか判らないで適当に宥めないで下さい」
ただひたすらに大切にしてくるような赤澤の腕を。
観月は時にはひどくいやだと思う事がある。
守られるような接触を。
与えられて安堵する自分もだ。
赤澤を睨んでいた眼を観月が逸らすより先、赤澤の腕が伸ばされてくる。
「判ってるっつの」
握りこまれた指先。
赤澤は距離を縮めることなく手だけをつないできた。
「弱いとか手がかかるだとか言ってるんじゃない」
「………………」
「観月が、いくらさくらんぼそのものでもな? お前が傷まないようにって、手を伸ばしても、守っても。最後はちゃんと違う」
赤澤の言っている事が少しおかしい。
観月は憤慨以外のそんな思いで眉を顰めた。
観月が怒っているのは、可愛らしすぎる弱く脆い果実に例えられる自分自身と、一方的な擁護が必要だと言われているかのような事実に対してだ。
最後というのは何だ。
「……何ですか。最後はって」
「出荷はしないって事だよ」
「…出荷……?」
「観月を食うのは俺だけだって話」
「な、……なに言ってるんですか、赤澤…!」
「食う為だけに育てる訳でもないしな」
本当に。
真顔で。
いったい何を言うのかと、観月は咄嗟に何一つ言い返せなくなった自分自身にも呆れた。
赤澤はそんな観月をどう見たのか、観月の指先を握りこむ手に、ぎゅっと力を入れてきた。
「お前が好きだって事」
「……、…っ……」
「好きだよ。観月」
赤澤は繰り返す。
観月が硬直していると、腕が引かれた。
椅子に座っていた体制から床に座り込んだのに、どこも少しも痛くない。
観月は赤澤の広い胸に抱き込まれていた。
「………………」
胸元に押し当てられた自分の顔が熱を帯びていくのが判って観月はますます何も言えない。
長い両腕に囲い込まれるように抱き締められて、自分がまるでとても小さく弱いものになってしまうような感覚もこわい。
こわいのに、いやではないから、どうしようもない。
膨らんで、膨らんで、パンクしてしまいそうだ。
これでは本当に。
「観月」
「………っ……、…ゃ」
赤澤の声や、抱擁や、体温や、匂いが。
自分の中に入り込んで、埋まっていって、膨れ上がり破裂しそうだ。
「おーい……観月…」
参ったな、と苦笑交じりの赤澤の声音が耳元間近から聞こえる。
観月の混乱を過敏に察したのであろう赤澤は、観月をやわらかく抱き締めなおして、耳の縁にそっと唇を落としてくる。
「好きだ」
弱くなったのではなく、小さくなっただけ。
甘い声は少しだけ変貌して尚も観月に囁いてくる。
繰り返し、繰り返し、それでいて全くおざなりにならない赤澤の低い声。
「ばか、…っ…もう、いい…、…!」
もういい、それ以上言うなと、そう繰り返しても止まらない。
好きだと、降る雨のように赤澤の唇から告げられ続け、浴びせかけられ、観月は息も絶え絶えになった。
「も、……何なんですか、…っ……貴方は……!」
「何って」
お前にベタ惚れなんだよ、とやわらかく耳元で笑われて。
「…言葉の暴力ですよ…!」
焦がれるような声も。
耳元で囁いてくるやり方も。
衒いのない言葉も。
全部。
全部全部暴力だ、ここまでくると、と観月は八つ当たりじみている事を自覚しながらも責め立てた。
赤澤がそれで機嫌を悪くする事はなかった。
ただ軽い溜息と一緒に。
少しだけ身体を離して。
「非常にデリケートだな、お前は」
判っちゃいたが、とからかうでもなく苦笑いする。
「面倒なら放っておけばいいんです」
「バカ」
日に焼けた精悍な顔は、随分と情けない顔で観月を覗き込んできて。
それでも何ら遜色ない面立ちを唇が触れ合う距離まで近づけてきて。
「お前が面倒だった事なんざ一度もねえよ」
「……っ…近い…、」
「そうか?」
薄く笑った形の唇でキスされる。
「ん、…っ…」
「構わせろよ」
な?と甘く角度を変えられて、口づけられて。
ぎゅっと赤澤にしがみついてしまった観月は、更に熱っぽい手に背中を抱き返されて目を閉じる。
キスで床に押し倒されて、首筋をくすぐる赤澤の長い髪の感触に微かに震える。
「……か…ざわ」
「…ん…?」
構わせろ、まで言うのなら。
これまでだって散々に赤澤は観月を甘やかしてきたのだから。
「途中で飽きたりなんかしたら…その場で枯れてやる」
きつく睨み据えて観月は言ったのに。
赤澤は、蕩けても精悍な顔だちを少しも損なわない笑い方で観月の頬に口づけた。
「それならお前は一生綺麗なままだな」
臆面もなく言い切った赤澤に観月が返せる言葉はない。
けれど言葉の代わりに、観月は赤澤の唇へ。
重ねた唇、忍ばせた舌先。
赤澤だけしか口にしない、赤澤だけしか口に出来ないものを、観月の方から差し出した。
大事に噛まれて、熟れた。
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