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How did you feel at your first kiss?
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 夕焼けに周辺が色づいている中、海堂が乾に視線を向けると、その時すでに乾は海堂を見ていた。
 あの、今日、と海堂が口を開くと、暇だよ、とその時点で即答された。
「……………」
「え? 違った?」
 おかしいな、と乾が首を傾けるのを前にして、内容は違わないが、何かが違わないだろうかと海堂は思う。
 部活が終わった後、テニスコートを囲うフェンスに寄りかかって乾はノートに何かを書き込んでいた。
 それが終わるのを見計らって海堂は声をかけようとしていたのだが、ちょっと目を離した隙に、乾はノートではなく海堂の事を見てきていた。
 長身からやわらかい視線を向けてくる乾を見返しながら海堂は小さく吐息を零す。
 違わないですと首を振ると、よかったと即座に乾が笑みを浮かべた。
「……良かった…っすか?」
「そりゃあね。恥ずかしいだろ、全然そんな話じゃないって言われたら」
 食いつきすぎの自覚はあるよと乾は尚も笑う。
 海堂には乾の言う事がよく判らなかった。
 少し首を傾げるようにして乾を見ていると、乾は広げていたノートを両手で閉じた。
 小脇に挟んでから乾は苦笑いを浮かべる。
「あんまりそういう顔しない。………言ってる意味、判るか?」
 海堂は正直に首を左右に振った。
 乾はやっぱりなという顔をしたけれど、不思議と海堂は腹がたたなかった。
「それはな、海堂。俺が逆上せあがるからだよ」
「のぼせ…あがる……」
「そう。ますますお前に夢中になるからってこと」
「は、…?……」
 面喰って固まった海堂の目前に、いつの間にか近寄ってきていた乾が。
 バンダナ越しに海堂の頭部を大きな手のひらで撫でてくる。
 無骨な手つきだけれど、誰にもされた事のないような事をされて、ますます海堂は固まった。
 こんな事を海堂にしてくるのは乾だけだだ。
 硬直する。
 でも決して嫌ではない。
 そしてこんな風に海堂が何も言えず何も動けずじっとしてしまうのも乾に対してだけだ。
 乾はゆっくりと数回海堂の頭を撫でてから、長身を少し屈めた。
「もう少し……そうだな、…打ちたいのかな?」
「………っす」
 海堂の表情を読むようにして、乾はじっと海堂を見つめて言葉を探して放ってくる。
 相変わらず乾の手は海堂の頭上にあるまま。
「少し、つきあって貰えますか」
「少しと言わずに好きなだけいいぞ」
「……あんた…そういう所すごく、…気前良いっすよね…」
「自分でも時々びっくりするよ。お前絡みの事はね。最初から」
「………………」
 特別なんだろうなあと、まるで他人事めいて乾が呟くから、海堂は微かに笑い目を伏せる。
 唇の端が僅かに引きあがるだけの表情は、乾の目にも触れなかっただろう。
「………………」
 最初から。
 それを言うなら海堂も、最初から乾に対しては通常の自分らしからぬ行動をとっている自覚はあった。
 テニスの事で誰かに相談をしにいくなんて事、海堂は後にも先にも乾にメニューを乞いに行った時くらいなものだ。
 上級生である乾は、近寄りがたいタイプではなかったが、独特の世界観があって、海堂とは別の意味合いで単独行動が多い。
 それでも海堂よりは数段社交性はあって、多分後輩からトレーニングメニューを乞われれば、それが海堂でなくても応じただろう。
 海堂はそう思っていたが、不動峰戦の際に乾が海堂に個人メニューを制作していた事を知った三年生達は一様に驚いていた。
 あの乾がねえ、という言葉の意味する所を海堂はよく判っていないままだ。
 ただ何となく、こうして乾といる時間が増えていく中で、気づく事もあった。 
 乾は日増しに、海堂に甘く砕けていく。
 海堂を甘やかすというよりは、乾自身の内面を時折いとも容易く海堂に明け渡してくる事がある。
 お互いの距離が近くなっていく。
 同じ時間を過ごすようになる。
 その中で、乾が他の誰にも向けないような目をしてきたり、言葉を伝えてきたり、してくる。
 海堂に。
 少しずつ、それは海堂にも判るように、深く近くなっていく自分達。
 乾の変化を海堂が感じるように、乾もまた海堂の変化を感じているのかもしれない。
「………先輩も…」
「ん?」
「あんまりそういう顔…しない方がいいっすよ…」
 乾の手が海堂の頭から離れて。
「どんな顔してる? 俺」
 扉でもノックするかのように指の関節を曲げた乾の裏手で。
 す、と頬を逆撫でされた海堂は、ひそめた乾の問いかけには無言のまま。
 幾許か恨めしい心境で、物慣れない柔らかなその所作の感触を受け止める。
「………………」
 それは海堂の事だけしか見ていない目。
 外部からの接触には無抵抗なほど柔軟なのに、乾の方から人に手を伸ばす事は殆どないのに、そっと海堂にはいつだって彼から手を伸ばしてくる。
 右の頬に触れている乾の右手の甲は、人肌の温かさを海堂に伝えてくる。
「……俺が、つけあがるような顔っすよ」
 よく判んねえと思いながら口を開けば、出てきた言葉は本当に海堂にも理解不能だったが。
「いいよ」
 それを聞いて乾は笑った。
 力の抜けた、くつろいで、柔らかな、優しい顔で笑う。
「そうしていいよ」
 耳元でそう言われた。
 何故かと海堂が考えるより先、背中を乾の掌で抱き寄せられている体勢になっていて。
 甘すぎるような接触はすぐに解けたけれど、抱きしめられたような感触は海堂の体内にじんわりと染み込んでくる。
「むしろそうしてくれ」
「……はあ…」
「海堂、俺をこんなに浮かれさせてどうするんだ」
 実際は少しもそんな素振りなど感じさせない乾が、しかし至極心地よさそうに笑ってコートの中へ入っていく。
 とろけたような色合いの夕焼け。
 海堂が目を細めたのはそのせいだけじゃなかった。
 コートに入った乾が振り返ってきた表情と、声とが理由だ。
「海堂」
 その声で名前を呼ばれて。
 おいで、とラケットを持っていない乾の左手が自分へと伸ばされる。
 逆上せ上がる。
 こういう事かと、海堂は乾の表情を見て、理解した。
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