How did you feel at your first kiss?
神尾もいろいろ考えたのだ。
日がな一日考え続けてみたのだけれど、答えはなかなか出てこなかった。
そうこうしているうちに、その日にちはどんどん差し迫ってきてしまい、神尾は、これはもう自分の頭の中だけでは駄目だと思い、腹をくくった。
出来ることなら、聞きたくはなかったのだけれど。
「…跡部」
もう本人に頼るしかなかった。
「アア?」
何だよ、と尊大な眼で神尾を見下ろしてくる跡部は、ソファに深く腰掛けている。
神尾はそんな跡部の足元で、同じソファによりかかるようにしながら床に座っていた。
跡部の部屋での、お互いの定位置みたいなものだ。
神尾は肩越しに跡部を見上げた。
ちょっと他に類をみない美形は、何故かガラが悪くてそのくせノーブルだ。
「誕生日、なんか…ある?」
「どういう聞き方だよ」
意味が判らねえと眉根を寄せる跡部の誕生日は今週の土曜日だ。
あと三日。
もうタイムリミットも差し迫っている。
神尾は弱りきって跡部の目を見返した。
「や、…だってよう……誕生日だしさ、なにかしたいんだけど、欲しいものとか言われても、多分それって、俺に買えるようなものじゃないだろ?」
跡部の家も、身につけているものも、とにかく何もかもが、桁違いのものばかりだ。
「それなら、…物とか駄目なら、何かして欲しい事…とかになるんだろうけど…」
跡部は一瞬目を瞠り、それから小さく笑った。
「なら、そう言えよ」
「……っ、…跡部何言い出すか判んないからおっかないじゃんか!」
いろいろな意味でおっかない。
神尾は真剣にそう思って叫んだ。
優しい所もあるけれど、元来跡部はいじめっ子体質だ。
それを言ったら、おまえは完璧ないじめられっ子体質だと笑うような相手だ。
何でもするなんて言ったら下僕扱いでこき使われるか、羞恥心をいたぶられるかに違いない。
迂闊に何でもしますなんて言えっこない。
でも、それでは跡部の誕生日プレゼントをめぐる神尾の思考はそこで途絶えてしまう。
他に何かいい方法はないかと考えに考えたが、どうにもならなくなってしまったのだ。
「神尾」
「…え?」
「お前、ここの所、ずっとそれ考えてたのかよ?」
「……うん…」
「へえ」
跡部の笑みが変わった。
からかうようなものから、何だか優しい感じに。
そしてひとりごちるように言った。
「そういう事なら許してやってもいいか」
「何?」
「お前が上の空で、むかついてたんでな」
「……ぁ」
だから最初の呼びかけに、跡部は不遜な声や顔を見せたのだろうか。
上の空と言われれば確かにそうだったかもしれない。
神尾が、悪かったなあと思っていると、頭上に跡部の掌が乗った。
「…跡部?」
「それなら、買わなくていい俺の欲しいものをくれ」
「……え?」
「お前に寄こせと俺は言うが、絶対に怖がらせない」
だからそれにしろと跡部は言った。
神尾は言われた言葉を頭の中で反芻したのだけれど。
それ、というのが何なのかが判らない。
「それ……って、なに?」
跡部の手はいつの間にか神尾の頭を撫でるような動きを見せていて、それにどこか気恥ずかしくなりながら、神尾は小声で尋ねた。
跡部の返事はすぐにかえってきたけれど、それは答えではなかった。
「当日教えてやるよ」
「………………」
跡部が甘く笑うので。
神尾はそれ以上は聞けぬまま。
こうなってしまえばもう、頷くしかなくなった。
そして土曜日、跡部の誕生日だ。
神尾が跡部の元を訪れると、いつものソファにつれていかれ、いつもとは逆の位置に座らされた。
神尾はソファに。
そして跡部は神尾の足元に膝をついた。
普段とは異なり跡部を見下ろす体制に神尾がぎこちなく身じろいでいると、跡部の両手が伸ばされてきた。
両頬を跡部の手に包まれ、顔を固定されてしまう。
欲しいのはお前だけだ、と跡部は言った。
いきなりだったので、いったい何を追われているのか、神尾にはすぐには判らなかった。
同じ言葉を繰り返されて、真っ直ぐな視線で見据えられて、やっと。
神尾は跡部が何を口にしたのか、言われた言葉が意味をもって頭に届いた気がした。
急激に普段感じないような耳元や首の裏側まで焼けるように熱くなった。
おそらく目で見ても、跡部の掌の中にも、神尾の熱は全て伝わってしまっただろう。
けれど跡部はそれを指摘する事無く、真剣に今跡部の欲しいものが何かを神尾に伝えてくる。
横柄な言い方じゃなくて。
命令でも、からかいでもなくて。
跡部はすごく真面目な顔で神尾に言ったのだ。
これまで、そっと重ねるようなキスは何回かしていた。
初めてキスをした時、心臓が潰れる、と神尾は思って、そしてそれは決して大袈裟な比喩ではなかったのだ。
実際唇が触れあっただけでも、物凄い勢いで血液を送りこまれるような衝撃に胸は苦しくなり、その後どうしていればいいのかまるで判らなくて神尾は混乱した。
跡部は多分神尾の心中に気づいていたのだろう。
あっさりとそれまでの話にまた戻ったり、しばらく黙って抱き込んでくれていたりするのが常だった。
キスの後の跡部はいつでも優しかったので、やっと近頃は、神尾も跡部の唇を受け止められるようになってきていた。
相変わらず多少はうろたえるようなことはあったが、それでもそのまま気を失うんじゃないかと思う酷い緊張感だけは和らいだ。
その矢先、というべきか、それだからこそ、というべきか。
用意はしなくていい、今そのままでいい、欲しいのはお前だけだと、なめらかな低音で繰り返され、まるで請われるようにかき口説かれている神尾は、足元にかしづくようにしている跡部に両頬を包まれたまま視線を逸らす事すら出来ない。
でも最後に、頷いて、跡部の元に倒れこむように抱きついていったのは、神尾の方からだった。
欲しいものはお前だけだと、そう跡部が繰り返すから。
奪う事もきっと跡部には容易いだろうに、最後まで望まれてしまったから。
跡部への誕生日プレゼントは、きちんと、神尾から跡部へ渡す物になった。
その後初めて連れて行かれた跡部の寝室で、神尾は跡部に組み敷かれ、長い時間をかけて抱かれた。
怖がらせないと跡部が言った通り。
それはすごく、何だか、まるで大事に、されているみたいなやり方だった。
それは確かなのだけれど。
神尾は混乱した。
跡部に何かされる度、何度も何度も錯乱した。
その都度、跡部は必ず動きを止めてくれた。
言葉を発する事はあまりなく、でもなだめるようなキスや、また一から数えなおすようなやり方や、より一層優しい手つきに変えてくれたりする事で、神尾の困惑を無視する事は決してしなかった。
幾度も行為を中断させたのは神尾で、こうして跡部に抱かれている自分がどうしたっておかしいのだと、神尾が気づいてしまってからは、余計にそれが酷くなった。
跡部がどれだけ丁重に神尾を扱ったのかが神尾自身で判っていただけに、神尾にはどうしようもない事ながら結局は己の反応に激しく自己嫌悪に陥ってしまった。
ものすごい時間をかけて、漸く事が済んだ時には、神尾は安堵感よりも泣きたいような感情を覚える程だった。
「…は……っ、ぅ…ぁ…」
「…、………く…」
「ん……っ……」
ぞく、と背筋が浮いたような気がしたのは、熱い息を吐き出した跡部が神尾の上に落ちてきたからだ。
深々と埋め込まれたものはまだ神尾の中に在って、神尾の首筋で呼吸を整えるような跡部を無意識に両手で抱きとめるようにして固い背中を抱き返しながら、神尾はとうとう泣き出した。
泣き声をあげるのではなく、ただ眦から涙が零れるのが止まらなくなってしまった。
「…神尾?」
「………っ…ふ、…ぇ…」
「何だよ…おい、どこかきついのかよ?」
乱れた息をついていた跡部が掠れた声で低く問いかけてくる。
身体を離そうとしてくるのを嫌がって、神尾は両手で跡部の背中にしがみついた。
「おい」
「……、…っ……」
「神尾。……何、泣いてんだよ」
跡部の声は低くきつかった。
反射的にまた涙が出てきてしまい、神尾は慌ててかぶりを振った。
「神尾」
「ちが、……ごめ…、…っ」
跡部を怒らせたい訳ではなかったし、神尾も辛かったり嫌だったりして泣いている訳ではないのだ。
ただ、もうどうしよう、どうしたらいいんだろうと、困惑して、それで涙が出てきてしまうのだ。
説明しようとしても、何か喋ろうとすると呼吸は嗚咽めいて震えてしまった。
それを耳元間近で聞くことになった跡部は、神尾の背中を抱き返してきて言った。
「いい。ちょっと黙ってろ」
「………、っ……跡、部…、…」
「……こう…してんのは嫌じゃねえんだな…?」
お互いの目も見えない体制のまま。
神尾は頷いた。
ぎゅっと腕に力を込める。
跡部が苦々しい声で聞いてくるのも、神尾は正直怖かったのだけれど。
やっぱり、と思ってしまうと、ますます気持は乱れてきてどうしようもなくなる。
「…ごめん、な……ごめん、…跡部」
「………何がだ」
「俺……」
「………………」
「なんで、なんにも…、できな…いん…、だ…ろ…」
ちゃんとできなくて。
跡部はすごく優しくしてくれて。
でも神尾は、何をされても過剰に身体を竦ませて、時間ばかりでなく手間暇も延々かけさせて、果たして本当にこんな事が誕生日のプレゼントになっているのは甚だあやしかった。
跡部は欲しいと言ってくれたけれど、跡部にとってこれが本当に望んだものだったのだろうかと神尾は思い、その答えは多分、と察するに余りある。
涙に湿った声で、そんな事を神尾がまとまりなく口にしていると、跡部は黙ってそれに聞き入った上で、言った。
「おい、お前なに言ってんだ?」
苛つくなり怒鳴ってくるなりするかと思った跡部は、神尾の予想を裏切り、そういった事は口にしなかった。
ただ、不審気に呟いたのと同時に、それどころか。
「………っひ……ぁ…っ」
「…悪ぃ」
体内で膨れ上がった圧迫感に神尾が仰け反ると、跡部は舌打ち交じりに短く詫びて、神尾の中からそれを引き抜いた。
びくびくと震えた神尾の両腕からは力が抜け、跡部にしがみつくこともできなくなる。
ベッドの上で小さな痙攣じみた衝動に襲われている神尾の額に跡部の掌が当てられる。
「……ぁ…」
「神尾」
唇をキスで塞がれる。
跡部の唇の感触に、涙が絡んで重たくなった睫毛を引き上げて、神尾は恐る恐る跡部の表情を探った。
「あのなあ、…神尾」
汗に濡れた前髪を自らの手でかきあげながら、跡部は何だかひどく珍しい顔をして言い淀んだ。
「お前な、…」
「……跡部…」
何を言われるのか判らず、神尾はしどけなくベッドの上で身体を曝して跡部の目を見つめた。
跡部は怒ってはいないようだった。
もしかしたら呆れてはいるかもしれない。
そう思って神尾が眉根を寄せると、ちょん、とそこにも軽く口づけてから跡部は色気に掠れた声で少しだけ悪態をついた。
「…出来てねえわけあるか」
「跡部……?…」
あー、と普段の跡部らしくもなく言葉を探している様子を見上げながら、神尾は小さく息を詰める。
「……お前な、…敏感すぎんだよ」
「………………」
「お前はな……あー…感じやすいだけだっつってんだよ」
「………は…?」
ものすごい事を言われた気がする。
神尾は唖然と跡部を見つめた。
「……………は?……え…?」
跡部は、ほんの少しもからかうような態度をとらなかった。
生真面目に、慎重に言うからますます訳が判らなくなってしまった。
それはいったい、どういう事なのか。
困惑を深めていくばかりの神尾の胸元に跡部の掌が宛がわれる。
「…、……っ…」
ごく軽く撫でさすられながら、唇と唇とが重なり、きゅっと舌先を吸われる。
びくりと竦み上がった神尾の身体の硬直を解くよう、こういう事だろ、と跡部が神尾の耳元で囁いて。
その声音にも反応するよう、神尾はきつく目を閉じて眦に涙を滲ませる。
「からかってるんじゃねえよ……聞け」
掠れた声が命令なのか懇願なのか悩む言い方をしてくるので神尾は瞬きを繰り返しながら目を開けていく。
「……れは、…わか…ってる…けど……」
「こういうのは、出来てないとは言わねえよ…」
「………っで…も…」
神尾は終始この調子だったのだ。
跡部は何度も手を止めた。
「…俺……、」
本当にこんなんで跡部はよかったのかと、結局聞きたいのはそれだけの神尾が眼差しを向けると、跡部は何故か目線を合わせず逸らした。
見たことも聞いたこともない、まるで自虐的な溜息を微かについてから跡部は神尾を見下ろし囁いた。
「大事に抱いてやりゃ、…よくなれたんだよ。お前も」
「………………」
いや、そんなのは、と神尾は狼狽した。
大事にされていた。
そんなのは充分すぎるくらいだ。
よくなったのかならなかったのかは。
それこそ全てを暴くその眼で見ていて全部判っただろうにと。
神尾は跡部から次々と放られてくる言葉に煮えそうになる頭の中で抵抗するのが精いっぱいだ。
わななく唇からは言葉は何も出てこない。
「おい、神尾」
「………………」
やけにきつい目で跡部に射るように見つめられ、呼びかけられ、神尾が問い返すよりも先に。
「もう一回やるぞ」
「……、…は?」
両手首をシーツに押し付けられ唇を貪られた。
目を見開いたまま跡部からの深いキスを受け止めた神尾は息苦しさにもがく一歩手前で解放されて、尚面食らう。
「あと、…っ………ぇ?……え…」
キスは濃厚だったけれど、改めて胸元に這わされた跡部の両方の掌は本当に丁寧に神尾の肌を撫で摩った。
ひく、と身体を慄かせながら神尾は浅く息を継ぐ。
「……跡…部…、?」
「これで金輪際もうやらねえって言われんのは御免だ」
「言…、っ」
言わないと叫ぶのは叫ぶので異様に恥ずかしい。
神尾がぐっと言葉を飲んだのをどう捉えたのか、跡部は怜悧な眼をすうっと細めて、やっぱりなという顔をした。
どうしてそん顔をするのか神尾には判らなかった。
もうやらないなんて言わないと、今言うのが気恥ずかしいだけで、別に神尾はほんの少しも嫌でなんかなかったのだ。
跡部はどうだったのだろう、跡部はあれでよかったのかな、と。
神尾が気にしていたのはそれだけだ。
それなのに、どうも自分たちは噛み合っていない気がする。
今も、自分を見据える跡部の目つきが鋭すぎて、さすがに神尾もちょっと怖かった。
怯んで逃げかけた神尾の身体に再度のしかかるようにして、跡部が神尾を拘束してくる。
「跡部……」
「さっきほどはがっつかねえよ」
「…え?」
少しは落ち着いた、大事にしてやるから、と跡部が裏手で神尾の頬を撫でて低く言う。
声にか言葉にか仕草にか。
たぶんそれ全部にだろう。
神尾は、どっと赤くなった。
大事になんて、充分された。
している間に、中断する度に、跡部がひどくきつい顔をしていたのは、神尾の言動が悪かったせいではなく、跡部の言葉を使うなら、がっついていたからなのだろうか。
そしてそれを抑制しようとしていてくれたのだろうか。
言いようのない感情に巻き込まれそうになる。
おとなしくなった神尾に、しかし跡部は慎重だった。
「………………」
跡部の掌が、そっと神尾の首の側面にかかる。
指先が耳の縁と唇の端に当たり、神尾は小さく息をのんだ。
丁寧に顔を支えられたまま、ゆっくりと近づいてきた跡部に唇を塞がれる。
ふんわりと覆われた唇は心地よさにゆるんで、そこに跡部が舌を入れてきた。
「………、ん」
脳が痺れたような気がして神尾は息を詰めた。
跡部の舌は甘い音をたて神尾の口腔を舐めた。
小さく幾度となく竦みながら、神尾は跡部からのキスを受ける。
キスがほどけると唇の表面を舐められて、またキスが欲しくなる。
散々に唇を甘やかされて、詰めていた息はとろとろと溶かされて神尾はぼんやりと跡部を見つめた。
「……大丈夫だろ?」
濡れた唇を引き上げて跡部が囁いてくる。
こく、と神尾が頷くともう一度優しい丁寧なキスをしてから、跡部はその唇で神尾の身体を辿り始めた。
一度目だって充分すぎるほどに丁寧だったのに、跡部は更に、先程はあまり構わなかった神尾の箇所も一つずつ拾い上げるようにしてきた。
耳の裏側や手首の内側や脇腹。
やり方がどう違っているのかは神尾には判らなかったけれど。
跡部が自虐的に言う程、別人のようには思えなかったけれど。
ひっきりなしに自分の唇が上ずった呼気をもらすのが神尾にはどうしようもなく恥ずかしかった。
「…あ……とべ………」
「何だ…?」
「おれ…も……」
なにか、したほうがいい?と。
問いかけというよりは確認を求めるように神尾が言うと、跡部は面食らったような顔を見せた後、笑った。
「今日はいい」
「…え…?」
一度目も、今も。
そういえば自分は跡部に何もしていないと神尾は思い当って。
それでいい訳ないと今更ながらに思った神尾の膝頭に唇を寄せながら、跡部は神尾の両足の狭間に肩を入れてきた。
いくら二度目だからとはいえ、さすがにこの体制は身体が竦んで、神尾は上半身を起こすようにして懸命に言い募った。
「でも、…っ…俺、なんにも、」
「さっきはそれで出来ただろうが」
今もこのまますぐにいけるぜ、と機嫌のよさそうな声がしたのはそこまでだった。
すぐにと言いながらそうすることはなく、跡部は神尾のそれに舌を絡めるようにしてきた。
温んだ熱の中に吸い込まれていくような愛撫は正気を保っていられなくなる。
神尾が激しくかぶりを振って身体を捩ると、両足に挟み込んだ跡部を内腿で締め付けてしまい、そのことで煽られる羞恥でますますじっとしていられなくなった。
何でそんなところを、そんな風に跡部がするんだと、しゃくりあげるようにしながらやめてほしいと告げている神尾の声は次第に啜り泣きに飲まれて嬌声でしかなくなった。
いつの間にか神尾の手は跡部の手に握られていて、すべての指を絡ませる甘ったるい繋がれ方をされていた。
指先に力が入ると本当に優しく握り返されてきて、それに縋るようにしながらおかしくなりそうな舐められ方をされた。
「……っひ…ぅ……、…っ」
「さっきより泣くか、お前」
戻ってきた跡部に間近から見下ろされながら呟かれ、神尾はそうじゃなくてと首を左右に打ち振りながら嗚咽を零す。
「だ……って、…っ、俺…ばっか…」
「バァカ…」
ふ、と笑み交じりの吐息が当たって神尾が目を開けると、跡部が神尾の顎を支えるようにして頬に口づけてきた。
「……跡…部…?」
「…ま、…お前も少しずつ気づくだろうから…今はそう思ってろ」
「え……?」
「懇願してでも欲しいものはお前だけだ」
こんな時に真顔でそんな事を言わないで欲しい。
神尾はそう思ったけれど、跡部の言葉にふとある事を思い出して。
泣き濡れた自分の目元を、ぐいと手で擦ってから告げた。
「跡部」
「ああ?」
「たんじょうび。おめでとう」
跡部は大きく目を見開いて、そうして時期に、溜息を大きく一つ。
「……こういう状況で、そんなツラ見せて言うんじゃねえよ」
何だか今しがた神尾が思ったのと同じような事を口にしてから、跡部はふいに零れるような鮮やかな笑みを浮かべた。
神尾がどきりととしていると、跡部は丁寧で甘いキスを神尾の唇にくれて、それから後はもう。
神尾の体感する世界を、濃くて甘いだけの世界に変えてしまった。
本当にこれが誕生日プレゼントになったのかと、やはり神尾は最後の最後まで、怪訝に思ったのだけれど。
それをもう一度だけ問おうと神尾が思う相手は今、神尾の胸元でぐっすりと眠っている。
跡部が綺麗な顔をしている事は神尾は充分知っているけれど。
ただ綺麗なだけではない、何だか甘く安らいだ見たこともない顔で眠っているから。
神尾の方こそ、ひどく大切なものを手にしているような気持ちで、跡部の寝顔をずっと見つめていた。
日がな一日考え続けてみたのだけれど、答えはなかなか出てこなかった。
そうこうしているうちに、その日にちはどんどん差し迫ってきてしまい、神尾は、これはもう自分の頭の中だけでは駄目だと思い、腹をくくった。
出来ることなら、聞きたくはなかったのだけれど。
「…跡部」
もう本人に頼るしかなかった。
「アア?」
何だよ、と尊大な眼で神尾を見下ろしてくる跡部は、ソファに深く腰掛けている。
神尾はそんな跡部の足元で、同じソファによりかかるようにしながら床に座っていた。
跡部の部屋での、お互いの定位置みたいなものだ。
神尾は肩越しに跡部を見上げた。
ちょっと他に類をみない美形は、何故かガラが悪くてそのくせノーブルだ。
「誕生日、なんか…ある?」
「どういう聞き方だよ」
意味が判らねえと眉根を寄せる跡部の誕生日は今週の土曜日だ。
あと三日。
もうタイムリミットも差し迫っている。
神尾は弱りきって跡部の目を見返した。
「や、…だってよう……誕生日だしさ、なにかしたいんだけど、欲しいものとか言われても、多分それって、俺に買えるようなものじゃないだろ?」
跡部の家も、身につけているものも、とにかく何もかもが、桁違いのものばかりだ。
「それなら、…物とか駄目なら、何かして欲しい事…とかになるんだろうけど…」
跡部は一瞬目を瞠り、それから小さく笑った。
「なら、そう言えよ」
「……っ、…跡部何言い出すか判んないからおっかないじゃんか!」
いろいろな意味でおっかない。
神尾は真剣にそう思って叫んだ。
優しい所もあるけれど、元来跡部はいじめっ子体質だ。
それを言ったら、おまえは完璧ないじめられっ子体質だと笑うような相手だ。
何でもするなんて言ったら下僕扱いでこき使われるか、羞恥心をいたぶられるかに違いない。
迂闊に何でもしますなんて言えっこない。
でも、それでは跡部の誕生日プレゼントをめぐる神尾の思考はそこで途絶えてしまう。
他に何かいい方法はないかと考えに考えたが、どうにもならなくなってしまったのだ。
「神尾」
「…え?」
「お前、ここの所、ずっとそれ考えてたのかよ?」
「……うん…」
「へえ」
跡部の笑みが変わった。
からかうようなものから、何だか優しい感じに。
そしてひとりごちるように言った。
「そういう事なら許してやってもいいか」
「何?」
「お前が上の空で、むかついてたんでな」
「……ぁ」
だから最初の呼びかけに、跡部は不遜な声や顔を見せたのだろうか。
上の空と言われれば確かにそうだったかもしれない。
神尾が、悪かったなあと思っていると、頭上に跡部の掌が乗った。
「…跡部?」
「それなら、買わなくていい俺の欲しいものをくれ」
「……え?」
「お前に寄こせと俺は言うが、絶対に怖がらせない」
だからそれにしろと跡部は言った。
神尾は言われた言葉を頭の中で反芻したのだけれど。
それ、というのが何なのかが判らない。
「それ……って、なに?」
跡部の手はいつの間にか神尾の頭を撫でるような動きを見せていて、それにどこか気恥ずかしくなりながら、神尾は小声で尋ねた。
跡部の返事はすぐにかえってきたけれど、それは答えではなかった。
「当日教えてやるよ」
「………………」
跡部が甘く笑うので。
神尾はそれ以上は聞けぬまま。
こうなってしまえばもう、頷くしかなくなった。
そして土曜日、跡部の誕生日だ。
神尾が跡部の元を訪れると、いつものソファにつれていかれ、いつもとは逆の位置に座らされた。
神尾はソファに。
そして跡部は神尾の足元に膝をついた。
普段とは異なり跡部を見下ろす体制に神尾がぎこちなく身じろいでいると、跡部の両手が伸ばされてきた。
両頬を跡部の手に包まれ、顔を固定されてしまう。
欲しいのはお前だけだ、と跡部は言った。
いきなりだったので、いったい何を追われているのか、神尾にはすぐには判らなかった。
同じ言葉を繰り返されて、真っ直ぐな視線で見据えられて、やっと。
神尾は跡部が何を口にしたのか、言われた言葉が意味をもって頭に届いた気がした。
急激に普段感じないような耳元や首の裏側まで焼けるように熱くなった。
おそらく目で見ても、跡部の掌の中にも、神尾の熱は全て伝わってしまっただろう。
けれど跡部はそれを指摘する事無く、真剣に今跡部の欲しいものが何かを神尾に伝えてくる。
横柄な言い方じゃなくて。
命令でも、からかいでもなくて。
跡部はすごく真面目な顔で神尾に言ったのだ。
これまで、そっと重ねるようなキスは何回かしていた。
初めてキスをした時、心臓が潰れる、と神尾は思って、そしてそれは決して大袈裟な比喩ではなかったのだ。
実際唇が触れあっただけでも、物凄い勢いで血液を送りこまれるような衝撃に胸は苦しくなり、その後どうしていればいいのかまるで判らなくて神尾は混乱した。
跡部は多分神尾の心中に気づいていたのだろう。
あっさりとそれまでの話にまた戻ったり、しばらく黙って抱き込んでくれていたりするのが常だった。
キスの後の跡部はいつでも優しかったので、やっと近頃は、神尾も跡部の唇を受け止められるようになってきていた。
相変わらず多少はうろたえるようなことはあったが、それでもそのまま気を失うんじゃないかと思う酷い緊張感だけは和らいだ。
その矢先、というべきか、それだからこそ、というべきか。
用意はしなくていい、今そのままでいい、欲しいのはお前だけだと、なめらかな低音で繰り返され、まるで請われるようにかき口説かれている神尾は、足元にかしづくようにしている跡部に両頬を包まれたまま視線を逸らす事すら出来ない。
でも最後に、頷いて、跡部の元に倒れこむように抱きついていったのは、神尾の方からだった。
欲しいものはお前だけだと、そう跡部が繰り返すから。
奪う事もきっと跡部には容易いだろうに、最後まで望まれてしまったから。
跡部への誕生日プレゼントは、きちんと、神尾から跡部へ渡す物になった。
その後初めて連れて行かれた跡部の寝室で、神尾は跡部に組み敷かれ、長い時間をかけて抱かれた。
怖がらせないと跡部が言った通り。
それはすごく、何だか、まるで大事に、されているみたいなやり方だった。
それは確かなのだけれど。
神尾は混乱した。
跡部に何かされる度、何度も何度も錯乱した。
その都度、跡部は必ず動きを止めてくれた。
言葉を発する事はあまりなく、でもなだめるようなキスや、また一から数えなおすようなやり方や、より一層優しい手つきに変えてくれたりする事で、神尾の困惑を無視する事は決してしなかった。
幾度も行為を中断させたのは神尾で、こうして跡部に抱かれている自分がどうしたっておかしいのだと、神尾が気づいてしまってからは、余計にそれが酷くなった。
跡部がどれだけ丁重に神尾を扱ったのかが神尾自身で判っていただけに、神尾にはどうしようもない事ながら結局は己の反応に激しく自己嫌悪に陥ってしまった。
ものすごい時間をかけて、漸く事が済んだ時には、神尾は安堵感よりも泣きたいような感情を覚える程だった。
「…は……っ、ぅ…ぁ…」
「…、………く…」
「ん……っ……」
ぞく、と背筋が浮いたような気がしたのは、熱い息を吐き出した跡部が神尾の上に落ちてきたからだ。
深々と埋め込まれたものはまだ神尾の中に在って、神尾の首筋で呼吸を整えるような跡部を無意識に両手で抱きとめるようにして固い背中を抱き返しながら、神尾はとうとう泣き出した。
泣き声をあげるのではなく、ただ眦から涙が零れるのが止まらなくなってしまった。
「…神尾?」
「………っ…ふ、…ぇ…」
「何だよ…おい、どこかきついのかよ?」
乱れた息をついていた跡部が掠れた声で低く問いかけてくる。
身体を離そうとしてくるのを嫌がって、神尾は両手で跡部の背中にしがみついた。
「おい」
「……、…っ……」
「神尾。……何、泣いてんだよ」
跡部の声は低くきつかった。
反射的にまた涙が出てきてしまい、神尾は慌ててかぶりを振った。
「神尾」
「ちが、……ごめ…、…っ」
跡部を怒らせたい訳ではなかったし、神尾も辛かったり嫌だったりして泣いている訳ではないのだ。
ただ、もうどうしよう、どうしたらいいんだろうと、困惑して、それで涙が出てきてしまうのだ。
説明しようとしても、何か喋ろうとすると呼吸は嗚咽めいて震えてしまった。
それを耳元間近で聞くことになった跡部は、神尾の背中を抱き返してきて言った。
「いい。ちょっと黙ってろ」
「………、っ……跡、部…、…」
「……こう…してんのは嫌じゃねえんだな…?」
お互いの目も見えない体制のまま。
神尾は頷いた。
ぎゅっと腕に力を込める。
跡部が苦々しい声で聞いてくるのも、神尾は正直怖かったのだけれど。
やっぱり、と思ってしまうと、ますます気持は乱れてきてどうしようもなくなる。
「…ごめん、な……ごめん、…跡部」
「………何がだ」
「俺……」
「………………」
「なんで、なんにも…、できな…いん…、だ…ろ…」
ちゃんとできなくて。
跡部はすごく優しくしてくれて。
でも神尾は、何をされても過剰に身体を竦ませて、時間ばかりでなく手間暇も延々かけさせて、果たして本当にこんな事が誕生日のプレゼントになっているのは甚だあやしかった。
跡部は欲しいと言ってくれたけれど、跡部にとってこれが本当に望んだものだったのだろうかと神尾は思い、その答えは多分、と察するに余りある。
涙に湿った声で、そんな事を神尾がまとまりなく口にしていると、跡部は黙ってそれに聞き入った上で、言った。
「おい、お前なに言ってんだ?」
苛つくなり怒鳴ってくるなりするかと思った跡部は、神尾の予想を裏切り、そういった事は口にしなかった。
ただ、不審気に呟いたのと同時に、それどころか。
「………っひ……ぁ…っ」
「…悪ぃ」
体内で膨れ上がった圧迫感に神尾が仰け反ると、跡部は舌打ち交じりに短く詫びて、神尾の中からそれを引き抜いた。
びくびくと震えた神尾の両腕からは力が抜け、跡部にしがみつくこともできなくなる。
ベッドの上で小さな痙攣じみた衝動に襲われている神尾の額に跡部の掌が当てられる。
「……ぁ…」
「神尾」
唇をキスで塞がれる。
跡部の唇の感触に、涙が絡んで重たくなった睫毛を引き上げて、神尾は恐る恐る跡部の表情を探った。
「あのなあ、…神尾」
汗に濡れた前髪を自らの手でかきあげながら、跡部は何だかひどく珍しい顔をして言い淀んだ。
「お前な、…」
「……跡部…」
何を言われるのか判らず、神尾はしどけなくベッドの上で身体を曝して跡部の目を見つめた。
跡部は怒ってはいないようだった。
もしかしたら呆れてはいるかもしれない。
そう思って神尾が眉根を寄せると、ちょん、とそこにも軽く口づけてから跡部は色気に掠れた声で少しだけ悪態をついた。
「…出来てねえわけあるか」
「跡部……?…」
あー、と普段の跡部らしくもなく言葉を探している様子を見上げながら、神尾は小さく息を詰める。
「……お前な、…敏感すぎんだよ」
「………………」
「お前はな……あー…感じやすいだけだっつってんだよ」
「………は…?」
ものすごい事を言われた気がする。
神尾は唖然と跡部を見つめた。
「……………は?……え…?」
跡部は、ほんの少しもからかうような態度をとらなかった。
生真面目に、慎重に言うからますます訳が判らなくなってしまった。
それはいったい、どういう事なのか。
困惑を深めていくばかりの神尾の胸元に跡部の掌が宛がわれる。
「…、……っ…」
ごく軽く撫でさすられながら、唇と唇とが重なり、きゅっと舌先を吸われる。
びくりと竦み上がった神尾の身体の硬直を解くよう、こういう事だろ、と跡部が神尾の耳元で囁いて。
その声音にも反応するよう、神尾はきつく目を閉じて眦に涙を滲ませる。
「からかってるんじゃねえよ……聞け」
掠れた声が命令なのか懇願なのか悩む言い方をしてくるので神尾は瞬きを繰り返しながら目を開けていく。
「……れは、…わか…ってる…けど……」
「こういうのは、出来てないとは言わねえよ…」
「………っで…も…」
神尾は終始この調子だったのだ。
跡部は何度も手を止めた。
「…俺……、」
本当にこんなんで跡部はよかったのかと、結局聞きたいのはそれだけの神尾が眼差しを向けると、跡部は何故か目線を合わせず逸らした。
見たことも聞いたこともない、まるで自虐的な溜息を微かについてから跡部は神尾を見下ろし囁いた。
「大事に抱いてやりゃ、…よくなれたんだよ。お前も」
「………………」
いや、そんなのは、と神尾は狼狽した。
大事にされていた。
そんなのは充分すぎるくらいだ。
よくなったのかならなかったのかは。
それこそ全てを暴くその眼で見ていて全部判っただろうにと。
神尾は跡部から次々と放られてくる言葉に煮えそうになる頭の中で抵抗するのが精いっぱいだ。
わななく唇からは言葉は何も出てこない。
「おい、神尾」
「………………」
やけにきつい目で跡部に射るように見つめられ、呼びかけられ、神尾が問い返すよりも先に。
「もう一回やるぞ」
「……、…は?」
両手首をシーツに押し付けられ唇を貪られた。
目を見開いたまま跡部からの深いキスを受け止めた神尾は息苦しさにもがく一歩手前で解放されて、尚面食らう。
「あと、…っ………ぇ?……え…」
キスは濃厚だったけれど、改めて胸元に這わされた跡部の両方の掌は本当に丁寧に神尾の肌を撫で摩った。
ひく、と身体を慄かせながら神尾は浅く息を継ぐ。
「……跡…部…、?」
「これで金輪際もうやらねえって言われんのは御免だ」
「言…、っ」
言わないと叫ぶのは叫ぶので異様に恥ずかしい。
神尾がぐっと言葉を飲んだのをどう捉えたのか、跡部は怜悧な眼をすうっと細めて、やっぱりなという顔をした。
どうしてそん顔をするのか神尾には判らなかった。
もうやらないなんて言わないと、今言うのが気恥ずかしいだけで、別に神尾はほんの少しも嫌でなんかなかったのだ。
跡部はどうだったのだろう、跡部はあれでよかったのかな、と。
神尾が気にしていたのはそれだけだ。
それなのに、どうも自分たちは噛み合っていない気がする。
今も、自分を見据える跡部の目つきが鋭すぎて、さすがに神尾もちょっと怖かった。
怯んで逃げかけた神尾の身体に再度のしかかるようにして、跡部が神尾を拘束してくる。
「跡部……」
「さっきほどはがっつかねえよ」
「…え?」
少しは落ち着いた、大事にしてやるから、と跡部が裏手で神尾の頬を撫でて低く言う。
声にか言葉にか仕草にか。
たぶんそれ全部にだろう。
神尾は、どっと赤くなった。
大事になんて、充分された。
している間に、中断する度に、跡部がひどくきつい顔をしていたのは、神尾の言動が悪かったせいではなく、跡部の言葉を使うなら、がっついていたからなのだろうか。
そしてそれを抑制しようとしていてくれたのだろうか。
言いようのない感情に巻き込まれそうになる。
おとなしくなった神尾に、しかし跡部は慎重だった。
「………………」
跡部の掌が、そっと神尾の首の側面にかかる。
指先が耳の縁と唇の端に当たり、神尾は小さく息をのんだ。
丁寧に顔を支えられたまま、ゆっくりと近づいてきた跡部に唇を塞がれる。
ふんわりと覆われた唇は心地よさにゆるんで、そこに跡部が舌を入れてきた。
「………、ん」
脳が痺れたような気がして神尾は息を詰めた。
跡部の舌は甘い音をたて神尾の口腔を舐めた。
小さく幾度となく竦みながら、神尾は跡部からのキスを受ける。
キスがほどけると唇の表面を舐められて、またキスが欲しくなる。
散々に唇を甘やかされて、詰めていた息はとろとろと溶かされて神尾はぼんやりと跡部を見つめた。
「……大丈夫だろ?」
濡れた唇を引き上げて跡部が囁いてくる。
こく、と神尾が頷くともう一度優しい丁寧なキスをしてから、跡部はその唇で神尾の身体を辿り始めた。
一度目だって充分すぎるほどに丁寧だったのに、跡部は更に、先程はあまり構わなかった神尾の箇所も一つずつ拾い上げるようにしてきた。
耳の裏側や手首の内側や脇腹。
やり方がどう違っているのかは神尾には判らなかったけれど。
跡部が自虐的に言う程、別人のようには思えなかったけれど。
ひっきりなしに自分の唇が上ずった呼気をもらすのが神尾にはどうしようもなく恥ずかしかった。
「…あ……とべ………」
「何だ…?」
「おれ…も……」
なにか、したほうがいい?と。
問いかけというよりは確認を求めるように神尾が言うと、跡部は面食らったような顔を見せた後、笑った。
「今日はいい」
「…え…?」
一度目も、今も。
そういえば自分は跡部に何もしていないと神尾は思い当って。
それでいい訳ないと今更ながらに思った神尾の膝頭に唇を寄せながら、跡部は神尾の両足の狭間に肩を入れてきた。
いくら二度目だからとはいえ、さすがにこの体制は身体が竦んで、神尾は上半身を起こすようにして懸命に言い募った。
「でも、…っ…俺、なんにも、」
「さっきはそれで出来ただろうが」
今もこのまますぐにいけるぜ、と機嫌のよさそうな声がしたのはそこまでだった。
すぐにと言いながらそうすることはなく、跡部は神尾のそれに舌を絡めるようにしてきた。
温んだ熱の中に吸い込まれていくような愛撫は正気を保っていられなくなる。
神尾が激しくかぶりを振って身体を捩ると、両足に挟み込んだ跡部を内腿で締め付けてしまい、そのことで煽られる羞恥でますますじっとしていられなくなった。
何でそんなところを、そんな風に跡部がするんだと、しゃくりあげるようにしながらやめてほしいと告げている神尾の声は次第に啜り泣きに飲まれて嬌声でしかなくなった。
いつの間にか神尾の手は跡部の手に握られていて、すべての指を絡ませる甘ったるい繋がれ方をされていた。
指先に力が入ると本当に優しく握り返されてきて、それに縋るようにしながらおかしくなりそうな舐められ方をされた。
「……っひ…ぅ……、…っ」
「さっきより泣くか、お前」
戻ってきた跡部に間近から見下ろされながら呟かれ、神尾はそうじゃなくてと首を左右に打ち振りながら嗚咽を零す。
「だ……って、…っ、俺…ばっか…」
「バァカ…」
ふ、と笑み交じりの吐息が当たって神尾が目を開けると、跡部が神尾の顎を支えるようにして頬に口づけてきた。
「……跡…部…?」
「…ま、…お前も少しずつ気づくだろうから…今はそう思ってろ」
「え……?」
「懇願してでも欲しいものはお前だけだ」
こんな時に真顔でそんな事を言わないで欲しい。
神尾はそう思ったけれど、跡部の言葉にふとある事を思い出して。
泣き濡れた自分の目元を、ぐいと手で擦ってから告げた。
「跡部」
「ああ?」
「たんじょうび。おめでとう」
跡部は大きく目を見開いて、そうして時期に、溜息を大きく一つ。
「……こういう状況で、そんなツラ見せて言うんじゃねえよ」
何だか今しがた神尾が思ったのと同じような事を口にしてから、跡部はふいに零れるような鮮やかな笑みを浮かべた。
神尾がどきりととしていると、跡部は丁寧で甘いキスを神尾の唇にくれて、それから後はもう。
神尾の体感する世界を、濃くて甘いだけの世界に変えてしまった。
本当にこれが誕生日プレゼントになったのかと、やはり神尾は最後の最後まで、怪訝に思ったのだけれど。
それをもう一度だけ問おうと神尾が思う相手は今、神尾の胸元でぐっすりと眠っている。
跡部が綺麗な顔をしている事は神尾は充分知っているけれど。
ただ綺麗なだけではない、何だか甘く安らいだ見たこともない顔で眠っているから。
神尾の方こそ、ひどく大切なものを手にしているような気持ちで、跡部の寝顔をずっと見つめていた。
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