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How did you feel at your first kiss?
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 抜きんでた能力を、いっそ天才という言葉が中和しようとしている。
 それが、海堂が持った不二の印象だった。
 底が見えない、事実も見えない。
 何の話の流れだったか、一緒にいた乾は生真面目に、判るよと何度も頷いた。
「天才という以外に、称する言葉がないからね、不二のテニスは。でも、そういう特殊な能力っていうのは、あまりにも強すぎると持ち主を滅ぼしかねないんだよ」
 だから強すぎて、だから枯渇してるんだ不二は、と乾は言った。
 その言葉の意味までは海堂にはよく判らなかったけれど。
 淡々とした乾の物言いに籠もる、懸念の温かさのことは今でもよく覚えている。
 ランニングを終えた海堂が、ストレッチの為に最後に立ち寄る馴染みの公園でそんな事をふと思い出したのは、そこで不二の姿を見かけたからだ。
「………………」
 公園と歩道の合間を埋めているユキヤナギに、歩道側の不二が足を止めている。
 海堂は公園内にいて、互いの間には少し距離があった。
 ユキヤナギは、やわらかな曲線を描く枝に雪の降り積もったような花を咲かせている。
 たっぷりと、零れ落ちんばかりに、白い花は開花している。
 小さな花弁のせいか、清楚な色みのせいか、あくまでも静寂な雪のように楚々とした花の合間に不二が見える。
 植物と対峙して同化するかのような無機質な印象が、乾と似ていると海堂は思った。
 不二が顔を上げる。
 撫でるように見つめられて目が合った。
「………………」
 咄嗟に海堂が目礼をすると、不二は見慣れた柔和な笑顔になった。
「海堂。自主トレかい?」
 大きな声など決して出さないのに、不二の声はあくまでもやわらかく伸びがあった。
「乾は?」
「…一人ですけど」
「じゃあそっちに行こう」
「は?…」
 そう言うと、不二は公園の中に入ってきた。
 何がじゃあなんだろうかと海堂が怪訝に思っていると、聡い年上の相手は海堂の表情で疑問を酌んだらしく、邪魔者にはなりたくないからね、と囁いてきた。
 からかわれた訳ではいようなのだが、それで海堂は、ぐっと言葉を詰まらせてしまった。
 知られているとはいえ、こういう時にどういう対応をとればいいのか。
 海堂には、まるで判らない。
 狼狽というよりも硬直でますます動けなくなる海堂の、すぐ近くまで不二がやってきて足を止めた
「………………」
 冷たい外気に、甘い匂いがふと溶ける。
 やさしい温かい香りは、不二が腕を動かしてより一層つよくなる。
「海堂、これ、ちょっと一緒に食べない?」
 軽く持ち上げた紙袋。
 海堂もよく知っている文字のロゴがプリントされている。
「タカさんがね、玉子焼き、焼いてくれたんだ。焼きたてだよ」
 甘い玉子焼きの匂い。
 ああ、と海堂は納得した。
「……おめでとうございます。誕生日」
「あれ?…ありがとう。どうして知ってるの」
「昨日乾先輩から聞いたんで…」
「ほんと乾は何から何まで」
 小さく声に出して不二が笑う。
 他にも何か言ってた?と悪戯っぽく目線で覗き込また。
「……二月二十八日生まれは、海王星により強く支配されるから…魔術的能力が強いとか…」
「乾は占い師でも生きていけそうだね」
 今度こそ本当にはっきりと笑い出した不二の言葉に、海堂も全くだと思った。
 乾の知識欲は深すぎる。
 興味のある範囲も広すぎる。
 この人はどういう大人になっていくのだろう。
 海堂はそう思い、乾は乾で。
 俺は俺のままだろうね、一生、と言っていた。
「………………」
 ふと回想に飛んだ海堂の思考を、不二の落ち着いた声がゆっくり今に戻してくる。
「タカさんちの玉子焼き美味しいよね」
「あ…、……そうっすね」
「誕生日に欲しいものある?って聞かれたから、ねだっちゃったよ。タカさんが焼いてくれるのがいいって言ったら、焼く所から見せてくれて、今僕はその帰り」
 不二が持っている紙袋を見つめてから海堂に改めてもう一度一緒に食べようよと言った。
 しかし海堂は、それなら尚更、と思った。
「海堂。あそこのベンチ行こうか」
「あの、……不二先輩」
「ん?」
「いや……それは家で食った方がいいんじゃないっすか…」
 俺まで食うのはどうかと、と控えめに告げた海堂のジャージの裾を、不二が握りこんで引張ってくる。
 海堂はその様を見下ろし焦った。
「ちょ、…」
「海堂はさ、つまみ食いって、したくならない?」  
「は?」
「玉子焼きね、焼いてるところからずーっと見ててさ。持って帰ってくる間もすごいいい匂いしててね。僕としては限界なんで、ここは先輩命令兼、誕生日プレゼントって事でつきあいなさい」
 楽しげに言う不二にそれ以上抗いようもなく、海堂は自分よりも小柄な不二に引張られて公園のベンチに座った。
 不二が膝の上で玉子焼きの経木をほどく。
 明るい黄色に焼きあがった玉子焼きから甘い出汁の香りが漂って、紙袋の中から割り箸を取り出した不二が端から一口玉子焼きを口に入れて、ふわりと笑う。
「やっぱり美味しい。………はい、海堂」
「………………」
「どうしたの、海堂?」
 小首を傾げる不二は、箸でつかまえた玉子焼きを海堂の口元にもってきて、あーん、と言っている。
 どうしたもこうしたもと海堂は固まった。
「あーん」
「………あの…不二先輩…」
「まだあったかいよ。はい、あーん」
 いや、だから、と海堂が頭の中をぐるぐるさせて強張ったままでいると、不二は微笑みながら距離を縮めてくる。
 笑っているけれど、ちょっと目が怖かった。
 上司からのお酌を断った会社員の図が咄嗟に海堂の脳裏に浮かぶ。
 ベンチで、肩が触れるくらい近くなった目上の相手から、だからといって逃げ出すわけにもいかず。
 そんな海堂の様子が、傍目には懸命に虚勢を張ってびくついているのを隠すかのように見えるらしく、不二は笑っていた。
 逃げ腰の海堂の口元に根気よく玉子焼きは翳されたまま。
 海堂は、とうとう腹をくくった。
 口をあけていくと、不二によって口の中に玉子焼きが運ばれてくる。
 玉子焼きは、ほんのりとあたたかかった。
 やさしいあまい味がした。
「どう?」
「…美味いっす」
「だよね」
 不二は自分が褒められている時よりよほど嬉しそうに微笑んで、自分と、そして海堂へと、せっせと箸を運んだ。
「や、俺はもうほんと、充分で……」
「ダーメ。癖になっちゃったよ」
「…癖?」
「そう。野良の美猫が漸く自分の手から食べ物食べてくれたみたいな感じがするなあ……こうしてると」
「の、…っ、……びね…、っ?」
 不二がいったい何を言い出したのか皆目不明のまま、しかし面食らった海堂は促されるままに不二に玉子焼きを食べさせられる。
 これのどこが誕生日プレゼントになっているのか甚だ疑問だった。
「あ、海堂」
「は…、はい?」
「占い師が来たよ。相性診断でもしてもらおうか」
 また新たな玉子焼きを不二によって運ばれた海堂が、箸の先を口に入れたまま目線をやると。
 そこにはユキヤナギ。
 風が吹いたのか舞ってばらけて散る花弁の中、実際は勢いよく走ってくる事で花弁を散らした男が猛スピードで海堂と不二の前に現れた。
 結構必死な形相に玉子焼きを口に入れたまま海堂が驚いていると、肩先に白い小花を纏わせた男、乾は頬を引き攣らせてベンチに並ぶ海堂と不二を見下ろしてくる。
「誕生日おめでとう、不二。それで聞くがこれはどういう状況だ?」
「どうもありがとう、乾。僕と海堂の相性診断でもしてもらおうかって話をしてた所だよ」
「………………」
 ごくん、と玉子焼きを飲み込んだ海堂は、二人の上級生の様子を代わる代わる見やる。
 乾も不二も見目は淡々と、淀みなく会話を始めて、言葉が一時も止まない。
「乾、公共の花を散らしすぎだよ」
「ユキヤナギの花は散りやすくて、葉はしおれやすいものだ」
「ついでに確かバラ科だよね。あの花」
「そうだ。バラ科だ」
「玉子焼きはタカさんが焼いてくれたんだよ」
「美味そうだな」
「乾も食べる? 箸はこれしかないから乾は手でいいよ」
「どうして俺は箸じゃないんだ」
「さあ…?」
 決して険悪というわけではないが、これはどうにも居たたまれない。
 固まる海堂を他所に会話を続けた上級生達だったが、海堂の態度に出ない倉皇さに気づいたせいなのか、時期にやりとりが収まっていく。
 残りの玉子焼きを経木で包みなおして紙袋に入れた不二が、立ち上がる。
「それじゃ、僕はそろそろ帰ろうかな」
 海堂ありがとうねと不二に言われたものの、海堂は何に対して礼を言われたのか判らなかった。
 寧ろ礼を言うのは自分ではないだろうかとベンチから腰を浮かせかけたところで、いきなり不二のいた場所に乾が座って腕を引かれてしまう。
「乾先輩?」
「そんなすぐ帰らなくてもいいだろう?」
「や、…帰ろうとしたわけじゃ…」
 距離が。
 距離が近い。
 不二の時とは違う狼狽に海堂が怯んでいると、また笑った不二が、手を振って公園から出ていった。
 結局は気心知れた者同士らしく、乾と不二は笑って別れていく。
 しかしその間も何故か、乾は海堂の腕を掴んだままだった。
「あの、…乾先輩」
 そして、不二がユキヤナギの花の向こう側に消えていなくなると。
 今度は腕を掴まれたまま、海堂の肩口に乾の頭が凭れかかってくる。
 乾の唇から溜息が零れる。
「ああよかった。返してもらえないかと思った」
「………あんた…何言ってんですか」
 自分の肩口にいる乾を見下ろして呆れた海堂だったが、乾の言い方が、あまりに生真面目で、子供っぽくて、要するに何だかかわいかったものだから。
 徐々に口元に苦笑が滲んでくる。
「だって海堂、俺は昨今ないくらい驚いたぞ」
「………………」
 からかうでも怒るでもなく、しみじみ言われてしまうと確かにそれも当然かもしれないと海堂は思った。
 不二に、玉子焼きを食べさせて貰っていた訳だから。
 公園のベンチで。
「ちょっと羨ましいなあ、あれ」
「……あんた、どっちの目線で言ってんですか」
「どっちも楽しそうだけど、強いて言うなら海堂に食べさせる方かな」
 互いの身体の合間で。
 ベンチの上で。
 手のひらが合わさって、指が一本ずつ絡んでいって、手をつなぐ。
 こっそりと。
 しっかりと。
「…部屋の中とかでなら、別にいいですけど」
「不二とは公の場所だったのに?」
「………俺の方問題なんで」
 焦るのと、恥ずかしいのとは違う。
 戸惑うのと、面映いのとが違うように。
 どうせそんな違いの事など乾は気づいているくせに。
 海堂は思ったが、乾は相変わらず海堂に密着したまま憂いたっぷりに呟いた。
「河村の玉子焼きかぁ……海堂じゃなかったら、絶対誰にも食べさせてないだろうな、不二は」
「……そんな事あるわけないでしょうが」
「あるって。俺には箸も使わせないんだぞ」
「あんた結局玉子焼きが食べたかったってだけの話っすか…」
「いや、玉子焼きの味は、今海堂にキスすれば判る話だからいいんだけど」
「な、………っよくねえ…!」
 やんなよ!と飛びのきかけた海堂を、繋いだ手で押しとどめて。
 乾はまるで魔法のように、海堂の唇をキスで掠めとってきた。
「…っ………」
 笑って、甘えて、尚抱き締めてくる乾の腕から。
 とうとう海堂は飛び出した。
「あ…逃げられた」
 向かう先はユキヤナギの向こう側。
 最後に聞こえた乾の声。
「………………」
 乾の腕から逃れる事は、実際問題こうして結構簡単で。
 だからこそ海堂は、それが難しくて、毎回苦労するのだ。
 逃がし方も巧い相手の、心地いい腕の中から。
 毎回逃げる方だって、いろいろ辛いのだ。
 本当はそのままでいたい時だって、逃げないといけない事もあるからだ。


 黒髪に白い小花を散らばせてユキヤナギを走り抜けた海堂は、さながら憂鬱な黒猫の如く。
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