How did you feel at your first kiss?
取ってのついた南部鉄の黒い鍋の中身が煮えたぎっている。
立ち上る淡い湯気越しに目を凝らせば、シチューのブラウンとクリームのホワイトがゆるくマーブルの模様を描いている。
つやつやとしているシチューからは、深く深く、息を吸い込みたくなる匂いがしていて、神尾は目の前に置かれたその食べ物を見るなり開口一番、うわあ、と言葉を零した。
「すっげーうまそー…!」
「うまいかどうかは食ってから言え」
感慨も抑揚も全くなく、いっそ冷淡に言い放った跡部に、神尾は臆する事無く言った。
「これ、食べていいのか?」
「食わねえなら片付ける」
「食うよ! 食います。やった。いただきまーす」
跡部の部屋の重厚な造りのテーブルに向かい、慌ててスプーンを手にした神尾は、ぱん、と両手を合わせる。
それからスプーンをシチューに沈めると、マーブル模様が僅かに崩れた。
すくいあげたシチューを口に運ぼうとしたところで、跡部から声がかかる。。
跡部は神尾のすぐ隣に座っていた。
「食う前に、よくかき混ぜろ」
「ん?」
「トランシルベニアンのシチューだ」
「…んん?」
意味が判らないと小首を傾けた神尾に、跡部が億劫そうに舌打ちする。
ひどく冷たい態度なのに神尾が傷つかないのは、跡部の手が神尾の手の上に重なってきたからだ。
スプーンを握る神尾の右手に跡部も右手を重ねてくる。
指の先まで色っぽい跡部の手は少し冷たい。
「………………」
「トランシルベニアンがどこにあるかは」
「や、わかんね」
「………ルーマニアだ。常識だろうが」
「常識かなあ…?」
「うんざりするほど馬鹿だな、てめえは」
跡部は口が悪い。
声音も結構冷たく聞こえる。
でも。
「トランシルベニアン地方のシチューはサワークリームとサワーキャベツが入ってんだよ」
「あ、…この白いの生クリームじゃないんだ」
「かき混ぜてみろ」
そう口では言いながらも、跡部は神尾の手に重ねた自身の手は離さずにいるので。
神尾は跡部の手に右手を包まれたまま、スプーンでシチューをかきまぜた。
二人がかりでする作業ではないのだけれど。
「……わ…!」
かき混ぜたシチューの中で、サワーキャベツがとけていく。
「えー、なにこれ。おもしろい」
「面白いか、こんなもんが」
いいぞ食え、と手の甲を軽く叩かれる。
呆れた跡部の物言いといい雑な所作といい、えらそうな事この上ないが。
所詮これが跡部なのだ。
最近は納得してしまったなあと神尾は考えながら、今度こそシチューをすくったスプーンを口の中に入れる。
「うまーい…!」
微かな酸味のするシチューは神尾が食べ慣れたものとは異なるものの、素直に美味しかった。
神尾はせっせとスプーンを口に運び続ける。
跡部の家に来ると、神尾はいつもこうしていろいろ物を食べている気がする。
そしていつも跡部は。
「………なあ…? 跡部」
「あ?」
「………あのさ」
「何だよ。二杯目か」
「まだこんなにあるだろ!」
そうじゃなくて!と神尾はスプーン片手に跡部を見据える。
「跡部は何でいつも食わねえの?」
そんな話かよと眉を顰める跡部は足を広げて座っていて、立てた片膝に左肘をついている。
その手に顎を乗せて神尾を流し見ている。
神尾のすぐ隣で。
距離が、とても近いのだ。
身体の側面と側面が触れる距離。
近い、その上、じっと神尾が食べている様を見つめてくる。
視線を一時も外さない。
「お、…ちつかないんだけどなー…」
「よく言うぜ。食ってる時は気にもしてねえくせに」
「……う」
いいから食えよと跡部に睨むように見つめられた。
それで神尾は、何だかなあと思いながらもシチューに向き直った。
そういえば跡部の家に来る度いろいろなものをご馳走になって、その都度こうして見られている気がする。
何かを食べている所を、ずっと、じっと。
「あのよう……」
「何だ」
「……跡部、腹減らねえの?」
「減らねえな」
本当に美味しいシチューを食べながら、逆の立場だったら耐え切れないだろうなあと神尾は思った。
「食いたくなんねえの?」
へんなの、と思いながら言った神尾は、その直後耳を疑った。
「食いたい」
「は?」
何だかそれってものすごく矛盾してないかと呆れた神尾だったが、跡部の指にいきなり髪を一束すくいとられて、ぎょっとする。
「食わせろよ。早く」
「…跡部?」
シチュー?と恐る恐る横目に問いかけた神尾を、跡部はとんでもなく餓えた顔をして見つめてきた。
「そうだな」
ほっとしたのも束の間。
「シチューで腹膨れたお前をな。早く食わせろ」
「っな……」
獰猛な呻き声みたいに言われてしまって。
神尾は、うぐ、と喉を詰まらせた。
確かに跡部の部屋に来て、何かしら食べて、その後は大抵。
「俺はお前だけ食えりゃいい」
早くしろと深い声で繰り返され、きつい目をした男のあまり表面化されない忍苦に。
神尾の思考はさながら、先程運ばれたてだった時のトランシルベニアンシチューのようになる。
頭の中身が煮えたぎる。
羞恥と困惑とがマーブルの弧をえがく。
そこをかき混ぜられてしまい、神尾の中に溶け込んでいくのは結局、跡部への恋愛感情だ。
そしてこの後、それが溶け込んだ自分ごと。
跡部が全部食べるらしい。
立ち上る淡い湯気越しに目を凝らせば、シチューのブラウンとクリームのホワイトがゆるくマーブルの模様を描いている。
つやつやとしているシチューからは、深く深く、息を吸い込みたくなる匂いがしていて、神尾は目の前に置かれたその食べ物を見るなり開口一番、うわあ、と言葉を零した。
「すっげーうまそー…!」
「うまいかどうかは食ってから言え」
感慨も抑揚も全くなく、いっそ冷淡に言い放った跡部に、神尾は臆する事無く言った。
「これ、食べていいのか?」
「食わねえなら片付ける」
「食うよ! 食います。やった。いただきまーす」
跡部の部屋の重厚な造りのテーブルに向かい、慌ててスプーンを手にした神尾は、ぱん、と両手を合わせる。
それからスプーンをシチューに沈めると、マーブル模様が僅かに崩れた。
すくいあげたシチューを口に運ぼうとしたところで、跡部から声がかかる。。
跡部は神尾のすぐ隣に座っていた。
「食う前に、よくかき混ぜろ」
「ん?」
「トランシルベニアンのシチューだ」
「…んん?」
意味が判らないと小首を傾けた神尾に、跡部が億劫そうに舌打ちする。
ひどく冷たい態度なのに神尾が傷つかないのは、跡部の手が神尾の手の上に重なってきたからだ。
スプーンを握る神尾の右手に跡部も右手を重ねてくる。
指の先まで色っぽい跡部の手は少し冷たい。
「………………」
「トランシルベニアンがどこにあるかは」
「や、わかんね」
「………ルーマニアだ。常識だろうが」
「常識かなあ…?」
「うんざりするほど馬鹿だな、てめえは」
跡部は口が悪い。
声音も結構冷たく聞こえる。
でも。
「トランシルベニアン地方のシチューはサワークリームとサワーキャベツが入ってんだよ」
「あ、…この白いの生クリームじゃないんだ」
「かき混ぜてみろ」
そう口では言いながらも、跡部は神尾の手に重ねた自身の手は離さずにいるので。
神尾は跡部の手に右手を包まれたまま、スプーンでシチューをかきまぜた。
二人がかりでする作業ではないのだけれど。
「……わ…!」
かき混ぜたシチューの中で、サワーキャベツがとけていく。
「えー、なにこれ。おもしろい」
「面白いか、こんなもんが」
いいぞ食え、と手の甲を軽く叩かれる。
呆れた跡部の物言いといい雑な所作といい、えらそうな事この上ないが。
所詮これが跡部なのだ。
最近は納得してしまったなあと神尾は考えながら、今度こそシチューをすくったスプーンを口の中に入れる。
「うまーい…!」
微かな酸味のするシチューは神尾が食べ慣れたものとは異なるものの、素直に美味しかった。
神尾はせっせとスプーンを口に運び続ける。
跡部の家に来ると、神尾はいつもこうしていろいろ物を食べている気がする。
そしていつも跡部は。
「………なあ…? 跡部」
「あ?」
「………あのさ」
「何だよ。二杯目か」
「まだこんなにあるだろ!」
そうじゃなくて!と神尾はスプーン片手に跡部を見据える。
「跡部は何でいつも食わねえの?」
そんな話かよと眉を顰める跡部は足を広げて座っていて、立てた片膝に左肘をついている。
その手に顎を乗せて神尾を流し見ている。
神尾のすぐ隣で。
距離が、とても近いのだ。
身体の側面と側面が触れる距離。
近い、その上、じっと神尾が食べている様を見つめてくる。
視線を一時も外さない。
「お、…ちつかないんだけどなー…」
「よく言うぜ。食ってる時は気にもしてねえくせに」
「……う」
いいから食えよと跡部に睨むように見つめられた。
それで神尾は、何だかなあと思いながらもシチューに向き直った。
そういえば跡部の家に来る度いろいろなものをご馳走になって、その都度こうして見られている気がする。
何かを食べている所を、ずっと、じっと。
「あのよう……」
「何だ」
「……跡部、腹減らねえの?」
「減らねえな」
本当に美味しいシチューを食べながら、逆の立場だったら耐え切れないだろうなあと神尾は思った。
「食いたくなんねえの?」
へんなの、と思いながら言った神尾は、その直後耳を疑った。
「食いたい」
「は?」
何だかそれってものすごく矛盾してないかと呆れた神尾だったが、跡部の指にいきなり髪を一束すくいとられて、ぎょっとする。
「食わせろよ。早く」
「…跡部?」
シチュー?と恐る恐る横目に問いかけた神尾を、跡部はとんでもなく餓えた顔をして見つめてきた。
「そうだな」
ほっとしたのも束の間。
「シチューで腹膨れたお前をな。早く食わせろ」
「っな……」
獰猛な呻き声みたいに言われてしまって。
神尾は、うぐ、と喉を詰まらせた。
確かに跡部の部屋に来て、何かしら食べて、その後は大抵。
「俺はお前だけ食えりゃいい」
早くしろと深い声で繰り返され、きつい目をした男のあまり表面化されない忍苦に。
神尾の思考はさながら、先程運ばれたてだった時のトランシルベニアンシチューのようになる。
頭の中身が煮えたぎる。
羞恥と困惑とがマーブルの弧をえがく。
そこをかき混ぜられてしまい、神尾の中に溶け込んでいくのは結局、跡部への恋愛感情だ。
そしてこの後、それが溶け込んだ自分ごと。
跡部が全部食べるらしい。
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