How did you feel at your first kiss?
海堂薫は紛う事なき猫科だ。
乾は思った。
「海堂ー。なに怒ってるんだ?」
「………………」
口数が少ないのは普段から。
でも今はそれに加えて威嚇するように気配が尖っていて、逆立つ毛並みが目に見えるような気すらする。
更には目つきも相当きつい。
しかしそれは乾にしてみれば怖いというより弱ったなというのが正直な心情だった。
「海堂。なあって…」
「………………」
どうしたの、と生真面目に聞いても海堂は答えない。
海堂は口数が少ないだけで、上手に問いかければ言葉を口にするのは厭わない質だと乾は判っているだけに。
さてどうしたものかと、自分の方を見ようとしない海堂を眺め下ろして嘆息する。
部活の最中は、まだ。
余分な私語が無くてもそうは困らないし、海堂が不機嫌でもテニスをする事は出来た訳なのだが。
帰り道に二人きりでいてこれではさすがに。
「海堂」
乾は、先行く海堂の手をとった。
それは無造作に振り払われたけれど、振り向いてはくれたので良しとする。
全く人馴れしていない猫の目で睨みつけられもしたが、この際それでも構わない。
「何に怒ってるか教えてくれ」
「………………」
お願い、と神妙に乾は呟いて、もう一度海堂の手を握った。
敢無くも素気無く。
二度目もその手は振り払われる。
ただ初めて、海堂は口をきいてくれた。
「他の奴の前で眼鏡とるの……気にくわねぇ」
「………は?」
問い返しておいて何だが、乾はすぐに海堂が何を言っているのかを理解した。
四時間目の体育、種目はマラソンだった。
一時間走り続ければ冬場のこの時期でもさすがに汗をかく。
水飲み場で顔を洗おうとした所、その場に居た女子数名が眼鏡を外した乾が見てみたいと言い出して。
派手に盛り上がり始めた彼女達の前で、あっさりと眼鏡を外した乾は、うってかわった静寂の中顔を洗い、立ち去る背中で歓声にも似た賑やかな彼女達の声を聞いた。
「……わざとやっただろ」
「え?」
「俺が見てるの知ってて、わざとやった。それが一番気にくわねぇ……」
「海堂」
さすがに、これは。
しまったと、乾も慌てた。
海堂の言う事に相違はない。
水飲み場近くの渡り廊下。
海堂が通りかかっているのは乾も知っていた。
声をかけて呼び止めるには距離があって。
気付かず通り過ぎられていくのも少々癪で。
確かにそういう理由もあった。
普段なら、別に隠している訳ではないが、乾は好き好んで裸眼を晒したりはしないのだ。
「……海堂?」
「何が気に入らない?」
「ええと………」
「あてつけにしたんだったら、別に俺が怒ってたって関係ないっすよね」
「ごめんなさい!」
もう速攻も速攻で乾は頭を下げた。
海堂の言葉尻に被せる勢いで。
これは確かに自分が悪い。
認めたらこれはもう謝るしかない。
「悪かった。ごめんなさい」
「………………」
海堂は黙っている。
下げた頭をすぐに戻す訳にもいかず、乾は平身低頭の体勢で、じっとした。
どれくらいかして、頭を叩かれた。
ぽん、と痛すぎもなく甘すぎもなく。
乾は顔を上げた。
その勢いに躊躇したように宙に浮いた中途半端な手の指を握り込みながら、海堂は溜息をついていた。
「自分でやっといて、何で俺が怒ったら簡単に頭なんか下げるんすか」
「海堂」
「………離れてたって、ちゃんとあんただって、俺は気付いてる」
「ごめん。意地の悪い事した」
「………………」
「……海堂?」
「アンタの『イジワル』なら許してやる……」
「………………」
きつい目で睨みつけてくる海堂が、不機嫌な声で口にした、何だか可愛いような言葉に。
乾は面食らい、そして。
ゆるやかに微苦笑する。
「………勝てないな……海堂には」
「…よく言う」
「本当に」
負けてもいいなんて思うこと自体、本来乾の思考にはない事なのに。
海堂には、こういう負けなら、いくらでも甘んじてという気になる。
「負けっぱなしだ。海堂に」
「………………」
潜めた声で、好きだよと告げた乾に海堂は僅かに眉根を寄せた。
「海堂…?」
そして、変わらない不機嫌そうなきつい目で乾を見つめたまま。
「好きだって言うなら、証拠見せてみろよ」
「………………」
気にくわないと言った海堂の気持ちに潜むのはおそらく嫉妬心で、そういうものの表現方法にひどく不器用な海堂が、精一杯の言葉で欲しがるものは。
寧ろ乾を甘やかすものでもあったが。
「………………」
好きだと思う気持ちの分の証拠として。
乾は海堂の両肩を手で包み、海堂の持つ最もやわらかい器官を同じもので塞ぐ。
おとなしく上向いてくれる海堂の唇に、深すぎるほどに舌を忍び入れ、キスを。
「………家に連れて帰ってもいいか」
「一日くらい大人しく反省して下さい」
「イジワルだけじゃなくて、俺のオネガイの方も、許してくれないかな?」
「……、…甘えんな…っ」
結局今日一日で三回、海堂に手を振り払われた乾は思う。
猫を可愛がるのは難しい。
そこねてしまった猫のご機嫌を伺うのは、更に更に難しい。
しかしだ。
これ程に愛しい存在を、無くしてしまうのは。
恐ろしいまでに難しい。
乾は思った。
「海堂ー。なに怒ってるんだ?」
「………………」
口数が少ないのは普段から。
でも今はそれに加えて威嚇するように気配が尖っていて、逆立つ毛並みが目に見えるような気すらする。
更には目つきも相当きつい。
しかしそれは乾にしてみれば怖いというより弱ったなというのが正直な心情だった。
「海堂。なあって…」
「………………」
どうしたの、と生真面目に聞いても海堂は答えない。
海堂は口数が少ないだけで、上手に問いかければ言葉を口にするのは厭わない質だと乾は判っているだけに。
さてどうしたものかと、自分の方を見ようとしない海堂を眺め下ろして嘆息する。
部活の最中は、まだ。
余分な私語が無くてもそうは困らないし、海堂が不機嫌でもテニスをする事は出来た訳なのだが。
帰り道に二人きりでいてこれではさすがに。
「海堂」
乾は、先行く海堂の手をとった。
それは無造作に振り払われたけれど、振り向いてはくれたので良しとする。
全く人馴れしていない猫の目で睨みつけられもしたが、この際それでも構わない。
「何に怒ってるか教えてくれ」
「………………」
お願い、と神妙に乾は呟いて、もう一度海堂の手を握った。
敢無くも素気無く。
二度目もその手は振り払われる。
ただ初めて、海堂は口をきいてくれた。
「他の奴の前で眼鏡とるの……気にくわねぇ」
「………は?」
問い返しておいて何だが、乾はすぐに海堂が何を言っているのかを理解した。
四時間目の体育、種目はマラソンだった。
一時間走り続ければ冬場のこの時期でもさすがに汗をかく。
水飲み場で顔を洗おうとした所、その場に居た女子数名が眼鏡を外した乾が見てみたいと言い出して。
派手に盛り上がり始めた彼女達の前で、あっさりと眼鏡を外した乾は、うってかわった静寂の中顔を洗い、立ち去る背中で歓声にも似た賑やかな彼女達の声を聞いた。
「……わざとやっただろ」
「え?」
「俺が見てるの知ってて、わざとやった。それが一番気にくわねぇ……」
「海堂」
さすがに、これは。
しまったと、乾も慌てた。
海堂の言う事に相違はない。
水飲み場近くの渡り廊下。
海堂が通りかかっているのは乾も知っていた。
声をかけて呼び止めるには距離があって。
気付かず通り過ぎられていくのも少々癪で。
確かにそういう理由もあった。
普段なら、別に隠している訳ではないが、乾は好き好んで裸眼を晒したりはしないのだ。
「……海堂?」
「何が気に入らない?」
「ええと………」
「あてつけにしたんだったら、別に俺が怒ってたって関係ないっすよね」
「ごめんなさい!」
もう速攻も速攻で乾は頭を下げた。
海堂の言葉尻に被せる勢いで。
これは確かに自分が悪い。
認めたらこれはもう謝るしかない。
「悪かった。ごめんなさい」
「………………」
海堂は黙っている。
下げた頭をすぐに戻す訳にもいかず、乾は平身低頭の体勢で、じっとした。
どれくらいかして、頭を叩かれた。
ぽん、と痛すぎもなく甘すぎもなく。
乾は顔を上げた。
その勢いに躊躇したように宙に浮いた中途半端な手の指を握り込みながら、海堂は溜息をついていた。
「自分でやっといて、何で俺が怒ったら簡単に頭なんか下げるんすか」
「海堂」
「………離れてたって、ちゃんとあんただって、俺は気付いてる」
「ごめん。意地の悪い事した」
「………………」
「……海堂?」
「アンタの『イジワル』なら許してやる……」
「………………」
きつい目で睨みつけてくる海堂が、不機嫌な声で口にした、何だか可愛いような言葉に。
乾は面食らい、そして。
ゆるやかに微苦笑する。
「………勝てないな……海堂には」
「…よく言う」
「本当に」
負けてもいいなんて思うこと自体、本来乾の思考にはない事なのに。
海堂には、こういう負けなら、いくらでも甘んじてという気になる。
「負けっぱなしだ。海堂に」
「………………」
潜めた声で、好きだよと告げた乾に海堂は僅かに眉根を寄せた。
「海堂…?」
そして、変わらない不機嫌そうなきつい目で乾を見つめたまま。
「好きだって言うなら、証拠見せてみろよ」
「………………」
気にくわないと言った海堂の気持ちに潜むのはおそらく嫉妬心で、そういうものの表現方法にひどく不器用な海堂が、精一杯の言葉で欲しがるものは。
寧ろ乾を甘やかすものでもあったが。
「………………」
好きだと思う気持ちの分の証拠として。
乾は海堂の両肩を手で包み、海堂の持つ最もやわらかい器官を同じもので塞ぐ。
おとなしく上向いてくれる海堂の唇に、深すぎるほどに舌を忍び入れ、キスを。
「………家に連れて帰ってもいいか」
「一日くらい大人しく反省して下さい」
「イジワルだけじゃなくて、俺のオネガイの方も、許してくれないかな?」
「……、…甘えんな…っ」
結局今日一日で三回、海堂に手を振り払われた乾は思う。
猫を可愛がるのは難しい。
そこねてしまった猫のご機嫌を伺うのは、更に更に難しい。
しかしだ。
これ程に愛しい存在を、無くしてしまうのは。
恐ろしいまでに難しい。
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