How did you feel at your first kiss?
気配で判る。
今海堂の背後に近づいてきているのは乾だ。
無機質な故に穏やかな、癖のない気色。
「海堂」
呼ばれて振り返るのが常だけれど、今日海堂はそうしなかった。
まただ、と思ってしまったからだ。
「海堂?」
「………………」
ぽん、と頭の上に大きな手のひらが乗せられる。
もう海堂の背に身体が触れそうなほど近くに乾はいる。
昼休み。
急激に冷え込んできた初冬の中庭は寒く、生徒の姿も殆どない。
そんな中で、背後に居る乾から体温の余波させ感じられそうな至近距離で、海堂はぽつりと呟いた。
「……あんた」
「ん?」
「なんでいつもそうやって後ろから」
「何?」
そっと耳元近くで問い返されて、乾の呼気に晒された海堂は息を詰まらせてしまう。
「……、…何でもねえよ、」
「いや…ちっとも何でもなくなさそうだから」
「……っ……」
さりげなく手首をとられている。
咄嗟に振り切ろうとした身体が前に進まない。
「乾先輩、…」
「海堂。なに怒ってるの」
静かな言い方だったが、海堂は慌てた。
「…、…別に怒ってなんか」
しかもいきなり腹部に乾の片腕が回りこんできて、ぐいっと抱き込まれたものだからぎょっとする。
いくらひとけがなくたって、こんな様をどこから誰が見ているか判らない。
しかしそうやってうろたえる海堂をよそに、乾は飄々としたものだった。
「最近校舎で俺が声をかけると、海堂いつも不機嫌になるよな?」
何が嫌なんだ?と低い声で囁かれて。
耳の縁に当たる呼気。
乾が怒っている訳ではないと判っていながらも、その真剣な口調と感触に海堂は一層慌てた。
「…っ…不機嫌になんか…」
「じゃあさっき言いかけた事は?」
もう殆ど、どんなごまかしもきかない程の密着の仕方で。
校内でこれはないだろうと錯乱しきった海堂が、恨めしく肩越しに乾を睨み上げる。
ん?と尚も平静に促してくる乾に、結局海堂はやけっぱちに噛み付いた。
「だからッ」
「…何だ?」
「そうやって、近頃いつも人の背後から来やがんの、あんただろ…っ」
顔見たくなけりゃ無理矢理声かけてくんな!と呻いて付け足せば、乾は暴れる野良猫に手こずるような態度で海堂を一層深く抱え込んできた。
「ちょ…、…っ…」
「ああ……そういう……」
長い腕に締め付けられるようにされて、いよいよ海堂も赤くなる。
乾はといえば、まるでお構い無しに、勝手に何だかんだと納得している素振りだ。
「なるほど。……いや、でもな、それはな…海堂」
ほら、あれだ、と乾にしては歯切れの悪い物言いに、海堂はきつく眼差しを引き絞った。
斜め上を鋭く睨みつけると、乾が真顔で首を左右に振った。
「違う違う。誤魔化してんじゃないよ。ええと……そうだな、つまり俺の心情を説明すると、ティカップの模様の話」
「……ああ?」
「海堂はさ、ティカップの持ち手ってどっち向きで出すのが正しいと思う?」
まあちょっと座ろうかと乾に促されるまま、海堂は乾と並んで中庭にあるベンチに腰を落ち着けた。
乾の話が突飛なのはいつもの事だ。
怪訝に思いながらも海堂は言われた言葉を反芻する。
「つまりそういう話。正しい正しくないの話じゃないってこと」
「……全く意味判んねえんですけど」
過程を飛ばして結論にいってしまう乾も健在だ。
海堂は呆れながらも生真面目に意見した。
この男は、そういう男なのだ。
乾の事で海堂に判る事は少ないけれど、考えなしでない事は知っている。
案の定今だって、乾は訥々と海堂に語って聞かせた。
「カップの取っ手を右側にして出すのがアメリカ式。手を伸ばしてすぐ飲めるように、極めて合理的にだ」
「はあ…」
「対して取っ手を左側にして出すのがヨーロッパ式だ。取っ手を左側から右側に動かす間に、カップの模様を楽しむ為にそうする」
「………………」
「で、俺はヨーロッパ式な訳だ」
俺を振り返ってくるのに半周する海堂を見てるのが好きなんだよと衒いも無く言ってのけた乾に海堂は絶句した。
「振り返ってくる海堂の顔が見たいから、ついいつも後ろから声をかけるという事になる」
「………………」
「前から見るのも勿論好きなんだけど」
いろいろ海堂フェチで悪いねと薄く笑う乾に、海堂はくたくたとベンチに懐いてしまいそうになった。
全く考えもしなかった言葉を次々向けられて、いい加減海堂の許容範囲を超えている。
こんなことを自分に言う相手も。
思う相手も。
乾以外にいない。
誰もいない。
この男は、何でそんなに、こんな自分に拘るのか判らない。
「海堂?」
判らないと思った事をどうやら口からも放っていたらしく、乾が微苦笑と一緒に再び手のひらを海堂の頭の上に乗せてきた。
「俺からしてみたら海堂は奇跡的だよ」
「………は…?」
「海堂の持ってる信念とか、努力の仕方、結果の出し方」
「………………」
「どれもこれも俺には初めて見るもので、きっと自覚無しにそれは俺がずっと欲しがってたものなんだろうなって海堂を見て気づいた」
「あんた…何言って…」
俺はそんなに、と言い募った海堂の言葉を乾は遮った。
「すごいんだよ。俺にとって、お前しかいないんだから」
「………………」
優しい声で告げられて、海堂は混乱してしまう。
あまりにも特別な言葉ばかり、次々乾から向けられて。
「………何で今日はそういうこと言うんですか」
呆然と呟けば、乾は笑った。
「海堂が聞いたからだろ」
「…俺?」
「どうしていつも後ろからって、聞いただろ?」
「それとこれとは全然話が違うだろ…」
「一緒」
乾が笑みを深めた。
ベンチに深く寄りかかって海堂を流し見てくる。
「海堂も知ってるだろう? 俺はいろいろ考えてるんだよ。何をするにもね」
「………………」
「海堂を抱き締める向きだって理由がある。この程度の事はいつも考えてるんだ」
それからふと、乾は面白そうに付け加えた。
「……それでも全然足りてない」
「………………」
「ついでに他に質問は?」
あればこの機会に答えるけどと。
乾は笑って話題を変えてきたけれど。
海堂はといえば、あまりにも壮大な話の欠片だけ聞かされたような面持ちで首を左右に振るしかない。
全然足りてない。
それは乾に対して海堂が思う事でもあった。
まだお互いのこと、判らないこと、知らないことだらけだ。
同じ部活の先輩後輩として数年。
結構長く関わってきていたとも思ったが、それはどうやら単純に気のせいなようで。
全然足りてない。
まだまだ足りてない。
これまでもこれからも、もっとずっとちゃんと一緒に。
いないと解けない謎だらけだ。
今海堂の背後に近づいてきているのは乾だ。
無機質な故に穏やかな、癖のない気色。
「海堂」
呼ばれて振り返るのが常だけれど、今日海堂はそうしなかった。
まただ、と思ってしまったからだ。
「海堂?」
「………………」
ぽん、と頭の上に大きな手のひらが乗せられる。
もう海堂の背に身体が触れそうなほど近くに乾はいる。
昼休み。
急激に冷え込んできた初冬の中庭は寒く、生徒の姿も殆どない。
そんな中で、背後に居る乾から体温の余波させ感じられそうな至近距離で、海堂はぽつりと呟いた。
「……あんた」
「ん?」
「なんでいつもそうやって後ろから」
「何?」
そっと耳元近くで問い返されて、乾の呼気に晒された海堂は息を詰まらせてしまう。
「……、…何でもねえよ、」
「いや…ちっとも何でもなくなさそうだから」
「……っ……」
さりげなく手首をとられている。
咄嗟に振り切ろうとした身体が前に進まない。
「乾先輩、…」
「海堂。なに怒ってるの」
静かな言い方だったが、海堂は慌てた。
「…、…別に怒ってなんか」
しかもいきなり腹部に乾の片腕が回りこんできて、ぐいっと抱き込まれたものだからぎょっとする。
いくらひとけがなくたって、こんな様をどこから誰が見ているか判らない。
しかしそうやってうろたえる海堂をよそに、乾は飄々としたものだった。
「最近校舎で俺が声をかけると、海堂いつも不機嫌になるよな?」
何が嫌なんだ?と低い声で囁かれて。
耳の縁に当たる呼気。
乾が怒っている訳ではないと判っていながらも、その真剣な口調と感触に海堂は一層慌てた。
「…っ…不機嫌になんか…」
「じゃあさっき言いかけた事は?」
もう殆ど、どんなごまかしもきかない程の密着の仕方で。
校内でこれはないだろうと錯乱しきった海堂が、恨めしく肩越しに乾を睨み上げる。
ん?と尚も平静に促してくる乾に、結局海堂はやけっぱちに噛み付いた。
「だからッ」
「…何だ?」
「そうやって、近頃いつも人の背後から来やがんの、あんただろ…っ」
顔見たくなけりゃ無理矢理声かけてくんな!と呻いて付け足せば、乾は暴れる野良猫に手こずるような態度で海堂を一層深く抱え込んできた。
「ちょ…、…っ…」
「ああ……そういう……」
長い腕に締め付けられるようにされて、いよいよ海堂も赤くなる。
乾はといえば、まるでお構い無しに、勝手に何だかんだと納得している素振りだ。
「なるほど。……いや、でもな、それはな…海堂」
ほら、あれだ、と乾にしては歯切れの悪い物言いに、海堂はきつく眼差しを引き絞った。
斜め上を鋭く睨みつけると、乾が真顔で首を左右に振った。
「違う違う。誤魔化してんじゃないよ。ええと……そうだな、つまり俺の心情を説明すると、ティカップの模様の話」
「……ああ?」
「海堂はさ、ティカップの持ち手ってどっち向きで出すのが正しいと思う?」
まあちょっと座ろうかと乾に促されるまま、海堂は乾と並んで中庭にあるベンチに腰を落ち着けた。
乾の話が突飛なのはいつもの事だ。
怪訝に思いながらも海堂は言われた言葉を反芻する。
「つまりそういう話。正しい正しくないの話じゃないってこと」
「……全く意味判んねえんですけど」
過程を飛ばして結論にいってしまう乾も健在だ。
海堂は呆れながらも生真面目に意見した。
この男は、そういう男なのだ。
乾の事で海堂に判る事は少ないけれど、考えなしでない事は知っている。
案の定今だって、乾は訥々と海堂に語って聞かせた。
「カップの取っ手を右側にして出すのがアメリカ式。手を伸ばしてすぐ飲めるように、極めて合理的にだ」
「はあ…」
「対して取っ手を左側にして出すのがヨーロッパ式だ。取っ手を左側から右側に動かす間に、カップの模様を楽しむ為にそうする」
「………………」
「で、俺はヨーロッパ式な訳だ」
俺を振り返ってくるのに半周する海堂を見てるのが好きなんだよと衒いも無く言ってのけた乾に海堂は絶句した。
「振り返ってくる海堂の顔が見たいから、ついいつも後ろから声をかけるという事になる」
「………………」
「前から見るのも勿論好きなんだけど」
いろいろ海堂フェチで悪いねと薄く笑う乾に、海堂はくたくたとベンチに懐いてしまいそうになった。
全く考えもしなかった言葉を次々向けられて、いい加減海堂の許容範囲を超えている。
こんなことを自分に言う相手も。
思う相手も。
乾以外にいない。
誰もいない。
この男は、何でそんなに、こんな自分に拘るのか判らない。
「海堂?」
判らないと思った事をどうやら口からも放っていたらしく、乾が微苦笑と一緒に再び手のひらを海堂の頭の上に乗せてきた。
「俺からしてみたら海堂は奇跡的だよ」
「………は…?」
「海堂の持ってる信念とか、努力の仕方、結果の出し方」
「………………」
「どれもこれも俺には初めて見るもので、きっと自覚無しにそれは俺がずっと欲しがってたものなんだろうなって海堂を見て気づいた」
「あんた…何言って…」
俺はそんなに、と言い募った海堂の言葉を乾は遮った。
「すごいんだよ。俺にとって、お前しかいないんだから」
「………………」
優しい声で告げられて、海堂は混乱してしまう。
あまりにも特別な言葉ばかり、次々乾から向けられて。
「………何で今日はそういうこと言うんですか」
呆然と呟けば、乾は笑った。
「海堂が聞いたからだろ」
「…俺?」
「どうしていつも後ろからって、聞いただろ?」
「それとこれとは全然話が違うだろ…」
「一緒」
乾が笑みを深めた。
ベンチに深く寄りかかって海堂を流し見てくる。
「海堂も知ってるだろう? 俺はいろいろ考えてるんだよ。何をするにもね」
「………………」
「海堂を抱き締める向きだって理由がある。この程度の事はいつも考えてるんだ」
それからふと、乾は面白そうに付け加えた。
「……それでも全然足りてない」
「………………」
「ついでに他に質問は?」
あればこの機会に答えるけどと。
乾は笑って話題を変えてきたけれど。
海堂はといえば、あまりにも壮大な話の欠片だけ聞かされたような面持ちで首を左右に振るしかない。
全然足りてない。
それは乾に対して海堂が思う事でもあった。
まだお互いのこと、判らないこと、知らないことだらけだ。
同じ部活の先輩後輩として数年。
結構長く関わってきていたとも思ったが、それはどうやら単純に気のせいなようで。
全然足りてない。
まだまだ足りてない。
これまでもこれからも、もっとずっとちゃんと一緒に。
いないと解けない謎だらけだ。
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