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How did you feel at your first kiss?
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 部活が終わったら来いとだけ打たれているメールが来た。
 それでも随分とマシになったもんだよなあと、神尾は画面を見てしみじみ思ったものだ。
 差出人は跡部景吾。
 最初の頃の跡部なら、この内容ならば間違いなく本文は、来い、だけだった筈だ。
 こちらの予定などお構いなしに。
 それは今も、多少はそうなのかもしれないが。
 でも今は、尊大な態度は然して変わらないが、ちょっといろいろ違う事もある。
 跡部が変わったのか、神尾が気づくようになったのか。
 最近あんまりこういう些細な事では喧嘩しなくなったなあと神尾は思った。
「三十分待ってろ」
 例えば神尾がこうやって、言われた通りに跡部の家に行くと、人の事を呼びつけたくせに跡部は振り返りもせずにパソコンに向かって何か作業中だったりする。
 これは以前からよくある事。
 それでも今は、何をしているのかは言わないけれど、どれくらい時間がかかるのかは言ってくれるので。
 神尾は慣れた場所に腰を落ち着ける。
 跡部の部屋の派手な赤いソファに寄りかかって、床に直接座り込むのが神尾は好きなのだ。
 以前の神尾は、用事を済ませてから呼べよとよく憤慨していたのだが、親友の伊武が最悪にうんざりとした顔で「少しでも早く会いたいんじゃないの。目離してる間に神尾は何してるか判らないから」と言った事があって、それ以来神尾は腹がたたなくなった。
 こんな風に放置されたままでも。
 そうなのかな、そうだったらいいな、と勝手に思っているので。
「………………」
 今日は三十分かと神尾は考えて、鞄の中から宿題を取り出した。
 別に勉強したい訳ではないのだが、三日前に出たその宿題の提出日は明日なのだ。
 そして然して難しい内容ではないが手付かずのままなのである。
 ちょうどいいからと神尾はソファに寄りかかったまま、ロータイプのガラステーブルの上に教科書とノートを広げた。
 会話のない部屋は静かだ。
 けれど気詰りは全く無かった。
 跡部の指はパソコンのキーボードを叩き、神尾の指はシャープペンをノートの上に走らせている。
 一点集中型と自他共に認める神尾が宿題に没頭して、どれくらい経ったのか。
 よし、終わり、と神尾はシャープペンを置き、勢いのままガバッと顔を上げる。
 ひゅっ、と神尾の喉が鳴った。
「…………ッ…」
「どういうリアクションだよ、てめえ」
 神尾に背を向けて机に向かっていた筈の跡部が、椅子に座ったまま神尾の方を向いていた。
 長い足を片方、膝から折り曲げて。
 椅子の座面に乗せ、右手で抱えている。
 そして直視していた。
 神尾を。
「び、…びっくりした…!」
 うおー、と神尾はバクバクしている胸に片手を当てる。
 何で跡部が自分を見てるんだと驚いた神尾だったが、徐々にこの状況に気づく。
 どうやら先に作業が終わっていたらしい跡部は、宿題をしていた自分を待っていたらしい。
 おとなしく。
 いかにも不機嫌そうな顔をしているが、でもおとなしく。
「………あげく笑いやがるか」
「や、ごめん。すいません。お待たせ」
 跡部の面持ちは整いすぎていて、凄むと凶悪に冷徹になるのだが、神尾は神妙に謝りながらも笑ってしまった。
 一層機嫌も悪く、跡部は神尾が寄りかかっているソファに、どっかりと座った。
 尚も笑い続ける神尾の背中を足で軽く蹴ってきて、跡部はそのまま広げた両足の間に置いた神尾を軽々とソファの上に引き上げてきた。
「お?」
 ひょい、と持ち上げられるまま、神尾はソファに座り、背後の跡部に寄りかからされるようにして抱き込まれる。
 身体の前、腹部の辺りに跡部の両腕が交差している。
「ちょ、…苦しいんだけど!」
「これで中身ちゃんと詰まってんのかよ」
「は? 中身?」
「内蔵だ内臓」
「げ、…何の話して…」
 腹部を固い手のひらに撫でられ、いったい何の話だと神尾は頬を引き攣らせた。
「片手楽に回るんじゃねーの」
「…は?……跡部っ、…そこ、すっげえ擽ったいんだけど…っ」
 しまいには笑い出した神尾だったが、自分の背中越しに伝わってくる振動のような跡部の声音が、ひどく気持ちよくもあった。
「なあ、跡部」
「何だ」
 跡部の両腕で、がっちりと腹部をホールドされている為、視線でしか振り返れない神尾が。
 それでも懸命に見つめた先で、跡部は長い睫毛を伏せるようにして神尾を見返してきていた。
「なんか歌うたって」
 無類の音楽好きである神尾は、無性に今、跡部のこの声が歌を歌うのが聞きたくなってしまった。
「そうだなー……あ、氷帝の校歌歌って。校歌聞いてみたい!」
「ああ? 校歌だ?」
「うん。氷帝の校歌」
「氷帝以外知らねえよ」
 馬鹿かと跡部は言い捨てて。
 軽い言い合いを交わして。
 辛辣で素っ気無い口調の割に、跡部はいかにも面倒くさそうに校歌を歌い出した。
 神尾を抱き込んだまま、何故か片手で神尾の目元を覆って。 
 視界が閉ざされた分、神尾の聴覚は敏感に跡部の歌声を拾った。
 婀娜めいた声は歌っていてもその艶が褪せる事はなかった。
 耳元近くで歌われる歌。
 跡部の声。
 凭れかかっている跡部から直接響いてくる声音をもっとよく聞きたくて、神尾は一層跡部の胸元に背中を預けた。
 終わってしまいそうになる歌に、二番もとねだったら耳元を軽く噛まれた後にまた歌声が耳に届く。
「なんか校歌も独特だなー氷帝…」
 耳に与えられた刺激の正体を感覚だけで追って気づいた神尾は、瞬時顔に血が上ったのを、誤魔化すようにして呟く。
 跡部が歌の合間に作詞者と作曲者の名を短く口にした。
 それは二人とも、神尾もよく知っている著名人の名前だった。
「すっげえ…」
「卒業生なんでな」
「へえ………ところでさ。あのさ、跡部」
「何だ」
「お前、なんでずうっと俺の目塞いでんだよぅ?」
 歌の合間の会話が、会話の合間の歌のようになっているが、神尾の目元は依然跡部に塞がれたままだ。
「じろじろ見られてると歌いにくいんだよ。馬鹿」
「見られるのくらい、お前慣れてんだろ」
「お前みたいな目で見る奴は滅多にいねえよ」
「……俺、なんかヤバイのか…?!」
 咄嗟に神尾は自分の目元に手を当てた。
 しかし実際手に触れるのは跡部の手な訳なのだが。
 また神尾の耳元に、直接吹き込まれるような小さな歌声が聞こえてくる。
「………跡部、ボイトレとかしてる?」
「馬鹿か。する訳ねえだろ」
「……人のこと馬鹿馬鹿言いすぎだと思うぜ」
「仕方ねえだろ。どうしようもなく馬鹿なんだから」
 また歌が止んで、些細な言い合いになって。
 校歌の二番はなかなか終わらない。
「じゃあさ…地声で、そうなのか?」
「地声でこうだよ」
 そして歌。
 跡部の声に、歌に、絡めとられて。
 神尾は、くたくたと跡部の腕の中にまた深く落ちていく。
「跡部ってよぅ……出来ないこととか…ないわけ」
「お前以外は思いのままだ」
 熱を帯びたような声がして、しかしすぐにはその意味が判らなかった。
 神尾は暫く沈黙してから、愕然と叫んだ。
「え………俺?! 何で!」
「………………」
「俺、べつにぜんぜん難しくなんかないぜ!」
「……ああそうかい」
「なんだよその呆れ果ててますーって言い方は!」
 神尾は両手で、自分の目元を覆う跡部の右手をそこから引き剥がした。
 勢いこんで背後を振り仰ぐと、ひどく窮屈な体勢で唇を塞がれた。
「……ん…」
「………………」
「…………っ…、…ぅ」
 跡部の手のひらが神尾の片頬を包んでくる。
 器官が捩じれているような体勢でのキスなので、すぐに呼吸が詰まるのを、もどかしく思ってしまう自分に神尾は赤くなった。
 キスはかなり強引だったが、唇が離れてから、労るように神尾の喉元に宛がわれてきた跡部の手のひらは温かかった。
 その後は、神尾は跡部に背後から抱き込まれたまま。
 歌も言い争いも何もない。
 抱き締められているだけだ。
「…………な…跡部…いつまでこの体勢?」
 そっと神尾が尋ねたのは、退屈した訳でも、嫌な訳でも、無論なく。
 神尾の方から離れるのは無理なほどに、あまりに心地が良かったからだ。
 それで問いかけた神尾に、跡部はほんの少しも腕の力を緩めないままに。
「さあな。俺様が飽きたら放してやるよ」
 そう呟くように言った。
 それから、こうも言った。
「たかだか十分程度の話だろうが」
「………………」
 神尾は、跡部が三十分待てと言った時から、時計を見ていて。
 こうやってソファに引き上げられた時にも、時計を見ていて。
 だから。
 跡部が校歌を口ずさんだあたりから、もうすでに三十分ばかりが経過している事を、知っている。
 知っているけれど。
 言わないけれども。
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