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How did you feel at your first kiss?
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 日曜日の昼時、海堂は自宅の庭でホースを手にしている。
 先端から吹き出る水で、隅々まで濡らしていく。
 庭の水捲きは嫌いではなかった。
 植物や土は、かわいているより充分な水分で潤っている方がいい。
 そして、梅雨明けして一層厳しくなった暑い日差しの中、存分に水を撒き散らす作業は海堂の気持ち的にも幾許かの清涼を感じる。
「………………」
 緑という緑へ、土という土へ。
 水を与える。
 植物は濡れると色が濃くなる。
 土壌もひっそりと潤んで、水を含んだ外気は匂いも変える。 
 頭上の晴れ渡った空は、青い空と白い雲とのコントラストがくっきりとしていて、眩しいくらいの太陽の光に差し向けるよう、空へと散水を差し向けても、水は弧をえがいて庭へと舞い降りてくる。
 水の音。
 水の匂い。
 それよりも尚強い夏の気配。
 もういっそ自分もこの水を浴びてしまいたいくらいに日差しは強くて、気温も高くなっていく。
 水捲きが済んだら走りに行こうと海堂は思っていたのだが、何とはなしに切り上げるのが勿体ないような気分になって、庭へ水分を与え続けていた。
 隅々へ、かわいた場所を残さぬように、海堂は無心で水を捲いていたので、ふいに呼ばれた自分の名前にすぐに反応できなかった。
「海堂」
「………………」
 水の沁み込みのように、その声は海堂に入ってきて、それを認識して、海堂は潤む。
 ホースを手にしたまま家の外へと目を向けると、垣根を越す長身の乾が立っていた。
 着ている白いシャツが太陽の光を反射させる。
「おはよう」
「……もう昼っすよ」
 そんな言葉を返しながらも、おはようございますと、海堂も言った。
 乾が歩いてきたらしい方角と時間帯から推測して。
「…図書館帰りっすか」
「ん。暑いなぁ、今日」
 暑いと言いながら、乾はあまりだれた様子を見せないのが常だ。
 吹いた風にはためくシャツが日差しを反射して一層白さを増して、いっそ乾の周辺だけが涼しげにさえ見える。
 海堂は少し目を細めるようにして乾を見詰めた。
 背が高いのに威圧感のない乾は、水分を得た緑越しに、そこに溶け込むように穏やかだ。
 一緒にいて、気づまりを感じたことのない相手は、寧ろ海堂の呼吸を楽にしてくれる。
 海堂の中にある過剰なものを、乾はそっと指摘して見せたり、解き放ってくれたり、海堂に息の抜き方を教えてくれて、それでいて無条件に海堂を信頼する態度も惜しまない不思議な相手だ。
 特別な誰かというものを海堂は乾で知った。
 海堂がそんな事を考えて見つめ続けていた乾が、海堂と同じ分だけの視線を、海堂へ寄こしてきた事に。
 言われるまで海堂は気付かなかった。
「見惚れてた」
「………はい…?」
「実はだいぶ前から。水撒きしてるところ」
「……水…撒きたいんっすか」
「そっちじゃなくてさ」
 乾は笑って、首を振る。
「海堂をだよ」
 好きだなあと思って、と。
 そっと囁くような声で乾に付け足される。
 夏の日差しの下、緑に縁どられて笑う乾の言葉に海堂は息を詰まらせる。
 手元から散水ホースがするりと落ちて、海堂の足元を濡らすのも気にならなかった。
 乾は大人びた表情にはにかんだような笑みを浮かべて、そっと海堂の足元を指で指し示してくる。
「……とめた方がいいんじゃないか?」
「あ…、…」
「驚かせたか?…ごめんな」
「…、…別に…」
 海堂は慌てて蛇口を捻って水を止める。
 ハーフパンツにサンダル履きの足元の濡れ具合は然して気にならなかった。
 むしろ本音は頭から水をかけたいくらいに濡れてしまいたいくらいだった。
 顔が熱い。
「海堂」
「……なん…っすか」
「熱い」
「…ったりまえでしょうが。夏なんだから」
「そっちじゃなくて」
「……は?」
「熱い」
 熱出そう、なんて乾が言うので海堂はぎょっとして顔を上げる。
 具合でも悪いのかと思って見据えれば、乾が小さく海堂を手招きしてくるので。
 思わず促されるまま海堂は乾へ近づいていって。
「あんた、熱って…」
「ん」
 伸ばされてきた長い腕。
 緑の葉の隙間。
 夏の日差しと、僅かな木陰。
 唇を掠られる。
「な、……」
「………………」
 離れ際にもう一度唇の端にもキスを寄せられて。
 本来ならば、場所と行動を咎めるべきなのに、海堂はそう出来ずに何だか熱に浮かされたようになってしまう。
「先輩……」
「……我慢がさ…出来ないというか」
 そんな他人事のような言葉を口にしながら、乾は海堂の後ろ髪を大きな手で静かに撫でた。
「髪、…すこし熱いな」
「………………」
 家の中に入った方がいいかもな、などと冷静な言葉を言っているのに。
 そんな乾が海堂を離さない。
「……先輩」
 海堂は唸るような声で乾を呼んだ。
「うん?」
「いいから、早く…玄関から入ってきて下さい」
 これではいつまでも炎天下の下、ここでふたり立ち尽くす事になる。
 もう、くらくらと、甘ったるいめまいもして。
 海堂の幾分荒っぽい声に、乾は少し目を瞠り、含み笑いを響かせてきた。
「これはこれで密会っぽくていいかと思うんだが」
「…そのうち、ぶっ倒れるっつってんだよ!」
「優しいなぁ…海堂は」
「あんたじゃねえ…!」
「おじゃまします」
 小さく音をたてて海堂の頬に口づけて。
 乾は背中を向けた。
 海堂は頬に手の甲を押し当てて固まった。
 玄関のチャイムの音がなるまで、そこに立ち尽くした。
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