How did you feel at your first kiss?
朝練に向かう通学路で顔を合わせた乾に、出会い頭いきなり。
まじまじと見つめられて、しみじみと呟かれた言葉に、海堂は脱力する。
「海堂は……いい匂いがするな……」
「………………」
何をそんな真顔で。
何をそんな良い声で。
言っているのかと。
海堂は内心でのみ言葉にする。
なりゆき上、自然と肩を並べて歩き出してからも、乾は伸びのある滑らかな声で呟いている。
「いつもそうだが……今日は特に」
「………………」
顎のあたりに手をやって、生真面目にそんな事を言う乾に。
海堂は、今度ははっきりと、溜息を零した。
「………食いますか」
そして、そう聞いた。
「うん?」
乾はこんなに鼻のきくタイプだったのだろうかと思いながら、海堂が鞄の中から取り出したものは、今朝方母親に手渡された半透明の袋だ。
ろうびきされたワックスペーパーで出来ているマルシェの中身は。
「うまそう」
「……どうぞ」
口を開けて乾に差し出すと、確かにイチゴの匂いだったと乾は笑って長い指を袋の中に忍ばせてくる。
母親に半ば無理矢理、お友達と食べなさいと持たされた時は果たしてどうしたものかと思ったのだが。
よかったのかもしれない。
昨夜海堂の家で焼かれたそのクッキーは、作りおきをあまりしない母親にしては珍しく大量だった。
「これうまいな。ん?……このイチゴって、もしかして生?」
「……はあ…」
弟の葉末が好きで春になると度々海堂家で作られるイチゴのクッキーは、生のままのイチゴを刻んで入れて焼く。
焼いている最中も、焼きあがりも、イチゴの香りが広がるので、案外身体にもしみついているのかもしれないと海堂は思った。
「先輩……もしかして、朝飯食ってないんですか」
「ちょっと昨日遅くてね」
ぎりぎりまで寝てたと笑う乾に、海堂は再び溜息をつき、袋を押し付けた。
「お?」
「………食え。全部」
「食えってお前」
先輩だぞ俺はと乾が笑う。
やわらかい言い方をする乾に、いいから、と海堂は尚も強引に、その袋を押し付けた。
言葉のうまくない自覚はあるから。
本当は、いろいろと思う事はあるけれど、言えないまま海堂は黙って乾を見据えるだけだ。
乾の睡眠不足の原因の中には、彼がテニス部の為にデータをまとめている時間もあるだろう。
趣味だからねと大抵笑ってやりすごしているけれど、部の為の無償のデータベースは
、すさまじい徹底ぶりなのだ。
海堂の視線を真っ向から受け止めて、乾は少し考える顔をして、そして。
「ありがとう。じゃ、頂くよ」
「………………」
乾の笑い方は、いつもやわらかい。
お母さんによろしくな、と低い声で言いながらクッキーをまた口に放り込む乾の横で、海堂は小さく頷いた。
一見日常生活に無頓着なようでいて、あれだけ緻密な計画を練る乾だから。
実際は、海堂が危惧するような事は何もないのかもしれない。
眠る時間、休む時間、食べる時間、それらは必要な分ちゃんと乾に取り込まれているのだろうけれど。
何故か、海堂には乾が気にかかるのだ。
目が離せないような、不安定さを覚えてしまう。
自分の思い込みに過ぎないと判っていながら、海堂はどうして自分がこんなにも乾が気にかかるのかは判らないでいた。
「さっきも言ったけど、海堂はいつもいい匂いがするんだよなぁ……」
「………は…?」
クッキーを食べる乾と考え事にはまった海堂とで、とりたてて会話もなく歩いていた二人だったが、徐に乾が言った言葉に海堂は不審気に相手を見やった。
乾は海堂に語りかけているのか独り言なのかよく判らない話し方で。
「昨日、渡り廊下で擦れ違ったろ」
「……乾先輩が教室移動って言ってた…?」
「そう、昼休みの後。あの時も、今時擦れ違って石鹸の香りがするってすごいことだと思ってたんだが」
「…………石鹸使って雑巾洗った後だっただけですけど…」
あまりに廊下の水飲み場が酷い状態だったので、手を洗うついでにそこにあった雑巾で拭き、そのままにしておくのが嫌で石鹸を使って洗っただけの話だ。
「それは見てたけどさ。海堂は、そういう所、ほんといいな。ちゃんとしてて」
「……は…ぁ…」
「雑巾洗いだろうが何だろうが、海堂から石鹸の香りというのは事実な訳だし?」
「あんたの言い方……なんか……」
「ん?」
「………何でもないっす」
口にするほうが気恥ずかしい気がして、海堂は首を振った。
「今日も朝からお前はいい匂いだし」
「……腹減ってたんだろ…あんた」
「腹の減り方にも、いろいろあるよな」
「え?……」
乾の口調がすこし変わって、不思議に思い海堂が見上げた先で。
乾は確かに、何か意味のあるような笑みで海堂を見下ろしてきていた。
目が合うと、何故かまるで何かをごまかすかのように乾は手にしていたクッキーを海堂の口に入れてきた。
「…………、…」
無意識に一口海堂がそれを咀嚼するなり今度は。
「海堂、明日誕生日だな」
乾はそんな事を言ってきた。
クッキーを食べさせられたいきなりの行動には驚いた海堂だったが、今度のいきなりの問いかけには別段驚く事もなく、海堂は頷いた。
甘酸っぱいクッキーを食べてから口にする。
「乾先輩の頭ん中には、どれだけのデータが頭に入ってんですか…」
誕生日まで全部インプットされているのかと思うと本当に驚いてしまう。
海堂のそんな呟きに、しかし乾は深々と溜息を吐き出し、肩を落とした。
「…先輩?」
そんな態度に驚いて、海堂が怪訝に乾の名を呼ぶと。
乾は複雑そうに空を見上げてしまう。
「………………」
「データ収集が趣味っていうのは、こういう時に不利なんだな」
「……何の話っすか…」
「特別って事にならないんだな……参った」
「あの」
乾は何を言っているのだろうと海堂は不審を募らせて眼差しで探るものの、少しも真意はつかめなかった。
変な人だ。
そう、本当に。
海堂は思う。
でも、変な人だから気になるのではないという事は、海堂にも薄々判ってきている。
何よりもまず先に、ただ気になるから。
とにかく気になるから。
それから変だと思い、何だろうと思い、どうしたんだろうと思い。
結局いつも、いつまでも、乾のことを気にかけている。
乾の事ばかりを考えている。
自分の中に、まるで封じられているかのように、ひそんでいるものは何なのだろう。
イチゴの香りが、やけにそれを擽る気がした。
まじまじと見つめられて、しみじみと呟かれた言葉に、海堂は脱力する。
「海堂は……いい匂いがするな……」
「………………」
何をそんな真顔で。
何をそんな良い声で。
言っているのかと。
海堂は内心でのみ言葉にする。
なりゆき上、自然と肩を並べて歩き出してからも、乾は伸びのある滑らかな声で呟いている。
「いつもそうだが……今日は特に」
「………………」
顎のあたりに手をやって、生真面目にそんな事を言う乾に。
海堂は、今度ははっきりと、溜息を零した。
「………食いますか」
そして、そう聞いた。
「うん?」
乾はこんなに鼻のきくタイプだったのだろうかと思いながら、海堂が鞄の中から取り出したものは、今朝方母親に手渡された半透明の袋だ。
ろうびきされたワックスペーパーで出来ているマルシェの中身は。
「うまそう」
「……どうぞ」
口を開けて乾に差し出すと、確かにイチゴの匂いだったと乾は笑って長い指を袋の中に忍ばせてくる。
母親に半ば無理矢理、お友達と食べなさいと持たされた時は果たしてどうしたものかと思ったのだが。
よかったのかもしれない。
昨夜海堂の家で焼かれたそのクッキーは、作りおきをあまりしない母親にしては珍しく大量だった。
「これうまいな。ん?……このイチゴって、もしかして生?」
「……はあ…」
弟の葉末が好きで春になると度々海堂家で作られるイチゴのクッキーは、生のままのイチゴを刻んで入れて焼く。
焼いている最中も、焼きあがりも、イチゴの香りが広がるので、案外身体にもしみついているのかもしれないと海堂は思った。
「先輩……もしかして、朝飯食ってないんですか」
「ちょっと昨日遅くてね」
ぎりぎりまで寝てたと笑う乾に、海堂は再び溜息をつき、袋を押し付けた。
「お?」
「………食え。全部」
「食えってお前」
先輩だぞ俺はと乾が笑う。
やわらかい言い方をする乾に、いいから、と海堂は尚も強引に、その袋を押し付けた。
言葉のうまくない自覚はあるから。
本当は、いろいろと思う事はあるけれど、言えないまま海堂は黙って乾を見据えるだけだ。
乾の睡眠不足の原因の中には、彼がテニス部の為にデータをまとめている時間もあるだろう。
趣味だからねと大抵笑ってやりすごしているけれど、部の為の無償のデータベースは
、すさまじい徹底ぶりなのだ。
海堂の視線を真っ向から受け止めて、乾は少し考える顔をして、そして。
「ありがとう。じゃ、頂くよ」
「………………」
乾の笑い方は、いつもやわらかい。
お母さんによろしくな、と低い声で言いながらクッキーをまた口に放り込む乾の横で、海堂は小さく頷いた。
一見日常生活に無頓着なようでいて、あれだけ緻密な計画を練る乾だから。
実際は、海堂が危惧するような事は何もないのかもしれない。
眠る時間、休む時間、食べる時間、それらは必要な分ちゃんと乾に取り込まれているのだろうけれど。
何故か、海堂には乾が気にかかるのだ。
目が離せないような、不安定さを覚えてしまう。
自分の思い込みに過ぎないと判っていながら、海堂はどうして自分がこんなにも乾が気にかかるのかは判らないでいた。
「さっきも言ったけど、海堂はいつもいい匂いがするんだよなぁ……」
「………は…?」
クッキーを食べる乾と考え事にはまった海堂とで、とりたてて会話もなく歩いていた二人だったが、徐に乾が言った言葉に海堂は不審気に相手を見やった。
乾は海堂に語りかけているのか独り言なのかよく判らない話し方で。
「昨日、渡り廊下で擦れ違ったろ」
「……乾先輩が教室移動って言ってた…?」
「そう、昼休みの後。あの時も、今時擦れ違って石鹸の香りがするってすごいことだと思ってたんだが」
「…………石鹸使って雑巾洗った後だっただけですけど…」
あまりに廊下の水飲み場が酷い状態だったので、手を洗うついでにそこにあった雑巾で拭き、そのままにしておくのが嫌で石鹸を使って洗っただけの話だ。
「それは見てたけどさ。海堂は、そういう所、ほんといいな。ちゃんとしてて」
「……は…ぁ…」
「雑巾洗いだろうが何だろうが、海堂から石鹸の香りというのは事実な訳だし?」
「あんたの言い方……なんか……」
「ん?」
「………何でもないっす」
口にするほうが気恥ずかしい気がして、海堂は首を振った。
「今日も朝からお前はいい匂いだし」
「……腹減ってたんだろ…あんた」
「腹の減り方にも、いろいろあるよな」
「え?……」
乾の口調がすこし変わって、不思議に思い海堂が見上げた先で。
乾は確かに、何か意味のあるような笑みで海堂を見下ろしてきていた。
目が合うと、何故かまるで何かをごまかすかのように乾は手にしていたクッキーを海堂の口に入れてきた。
「…………、…」
無意識に一口海堂がそれを咀嚼するなり今度は。
「海堂、明日誕生日だな」
乾はそんな事を言ってきた。
クッキーを食べさせられたいきなりの行動には驚いた海堂だったが、今度のいきなりの問いかけには別段驚く事もなく、海堂は頷いた。
甘酸っぱいクッキーを食べてから口にする。
「乾先輩の頭ん中には、どれだけのデータが頭に入ってんですか…」
誕生日まで全部インプットされているのかと思うと本当に驚いてしまう。
海堂のそんな呟きに、しかし乾は深々と溜息を吐き出し、肩を落とした。
「…先輩?」
そんな態度に驚いて、海堂が怪訝に乾の名を呼ぶと。
乾は複雑そうに空を見上げてしまう。
「………………」
「データ収集が趣味っていうのは、こういう時に不利なんだな」
「……何の話っすか…」
「特別って事にならないんだな……参った」
「あの」
乾は何を言っているのだろうと海堂は不審を募らせて眼差しで探るものの、少しも真意はつかめなかった。
変な人だ。
そう、本当に。
海堂は思う。
でも、変な人だから気になるのではないという事は、海堂にも薄々判ってきている。
何よりもまず先に、ただ気になるから。
とにかく気になるから。
それから変だと思い、何だろうと思い、どうしたんだろうと思い。
結局いつも、いつまでも、乾のことを気にかけている。
乾の事ばかりを考えている。
自分の中に、まるで封じられているかのように、ひそんでいるものは何なのだろう。
イチゴの香りが、やけにそれを擽る気がした。
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