How did you feel at your first kiss?
湯にリンゴがたくさん浮いていた。
青リンゴと、紅リンゴ。
あらかじめ判っている出来事ではあっても、実際目にすれば盛り上がる。
神尾は気心知れた友人達と今まさにそういう状況に在った。
「すっげえ!」
もっか銭湯にいる不動峰の二年のテニス部員六名。
リンゴだリンゴと揃って湯を覗きこむ。
銭湯に他の客の姿はまだない。
平日の一番乗りなのだ。
それというのも、今日の部活は落雷つきの強い雨のせいで急遽ミーティングになった為、いつもよりも帰りの時間が早かったせいだ。
用事があると言う橘に頭を下げ、先に部室を後にしてきた二年の面々が、連れだって帰宅する時には、すでにその雨も止んでいた。
そうして帰途につく道すがら。
『本日リンゴ湯』の銭湯の貼り紙を見つけた神尾達は、勢いでそののれんをくぐったのである。
貸切状態の広い浴槽。
貼り紙にあった通りにそこにはリンゴが無数浮いている。
「うっわー、リンゴ浮いてるぜ、リンゴ!」
賑わう六人の中で一際テンションが高いのが神尾で、一際テンションが低いのは伊武だ。
それはどの状況でも変わらない、不動峰のいつもの光景だ。
「……リンゴ湯に入りに来たんだからリンゴが浮いてるのが当たり前だろ……リンゴ湯にミカンやイチゴが浮いてる訳ないだろ普通……いやんなるなあ、神尾って。どうして当たり前の事にそこまで喜べるんだろう。俺にはさっぱり判らない」
「だって深司、リンゴ風呂だぜー。リンゴー」
すっげえ!と嬉々とする神尾の横で、伊武が鬱々と溜息をつき、ぼやき続ける。
顔を引き攣らせる森、我関せずの内村、温厚に場を取り成す石田と、人数分の桶を用意している桜井。
好き勝手しているようで、団結力は関東随一だと自他共に認める不動峰の面子だ。
思い思いの行動を取りながらも、並んでシャワーを浴びる。
誰よりも素早くシャワーをすませた神尾が、機嫌よく一番乗りにと湯船に向かう背には、次々と声がかかった。
「転ぶなよ、神尾」
「飛び込むなよ、神尾」
「泳ぐなよ、神尾」
「溺れるなよ、神尾」
「リンゴ食べないでよ、神尾」
ほぼ同時に仲間達からかけられた言葉の数々全部に、しねえよ!と神尾は速攻で牙を向いた。
どういう言い草だよと不貞腐れたものの。
「…っうわー」
ざぶんっと音をたてて広い浴槽に沈んでしまえば、無意識に神尾の表情は緩んだ。
湯の中は広々としていて、手足が楽に伸びる。
心地良い湯気、ぷかりと浮いている色鮮やかなリンゴ達。
息を大きく吸い込むと、甘酸っぱい香りがした。
不動峰は公立校なので、他の私立校のように校内施設が充分に完備されていない。
通常部活後にシャワーを浴びる事もない。
「快適ー…」
それゆえに。
今日はミーティングだけだったといえ、銭湯の湯が格別に思えた。
「きもちいー……」
満面に笑顔を浮かべた神尾の周囲に、友人たちも次々入ってきた。
「……本当に気持ちよさそうな顔してるなぁ。神尾」
「石田。だらしない顔っていうんだよ。こういうのは」
「相変わらずキツイぜ深司は……」
「………全く」
「ま、俺達全員似たり寄ったりの顔してんじゃねえか」
そんな風に好き好きに口を開きながらも、六人は思う存分リンゴ風呂を堪能したのだった。
そんなリンゴ湯から、数十分後。
神尾は全速力で走っていた。
せっかくの、あの銭湯の余韻が。
瞬く間に消えうせていくのを体感しながら、神尾は走っていた。
くそうと呻いては走っていた。
とにかく、ひたすらに、走る。
「跡部のやろう!……なんでいつもこうなんだよ…っ!」
嫌なら行かなきゃいいのにとぼやいていた伊武の言葉がふと神尾の脳裏を掠める。
慌てて神尾は頭を振った。
振って、尚、走った。
リンゴ湯を堪能した湯場から、脱衣所へと出てきた時には、すでに神尾の携帯電話はロッカーの中で鳴っていた。
受信するなり神尾の耳に飛び込んできた低音。
うわぁ機嫌悪ぅ、と神尾は即座に思い、頬を引き攣らせた。
電話をかけてきたのは跡部だ。
実に判りやすく最悪に不機嫌だった彼は、最初は、何回コールさせりゃ気が済むんだと言って怒っていたのだが。
神尾が半ば叫ぶように今の状況を説明し返していると、携帯電話からは冷たい怒気が浸透してくるかのような沈黙が流れてきて、そしてその後に。
『……不動峰で雁首並べて風呂に入ってるだと? てめえ、今すぐそこ出て、走れ』
『は? なんで!』
『何でじゃねえ。走れ。二十分で俺の家まで来い。いいな』
『…、よくな』
『いいから、走れ』
低く重く恫喝されて。
電話を叩ききられて。
神尾は腹をたてた。
むかついて、怒り狂って、ふざけんなと絶叫しながら。
着替えて、銭湯を出て、走っているのだ。
友人達には当然、ぼやかれたり呆れられたりした。
全力疾走などするものだから、銭湯のあの心地良かった余韻も何もなく、汗みずくになった。
かくして、所要時間は二十分以内だったのかどうか、真偽の程は定かではないが、神尾は走って跡部の家に辿り着く。
扉が開くなり、跡部は息を乱して汗をかいている神尾を尊大に見下ろし、有無を言わさず跡部家の浴室へ神尾をひきずりこんだ。
まさに、正しく、引きずり込んだ。
そして神尾が跡部に成された事は。
洗われた。
いったい何が気に食わないのか、泡まみれにされて、隅々洗われた。
ここ最近で一番最悪の暴挙だと跡部に噛み付きながら、神尾は泡にまみれ、時々キスなどされながら。
友人たちとはしゃいだ銭湯の余韻も、リンゴの残り香も、さっぱりとした爽快感も、あらかた跡部の手に洗い流されてしまった。
そうして、跡部が神尾から落としてしまいたかったものは、どうやら何故か、まさにそんなものたちだったらしく。
浴室から出てからの跡部の機嫌は寧ろよくて、神尾にはさっぱり訳が判らなかった。
自分の肌から、髪から、身体から。
跡部の匂いがする中で、神尾はただただ、首を捻るばかりだった。
青リンゴと、紅リンゴ。
あらかじめ判っている出来事ではあっても、実際目にすれば盛り上がる。
神尾は気心知れた友人達と今まさにそういう状況に在った。
「すっげえ!」
もっか銭湯にいる不動峰の二年のテニス部員六名。
リンゴだリンゴと揃って湯を覗きこむ。
銭湯に他の客の姿はまだない。
平日の一番乗りなのだ。
それというのも、今日の部活は落雷つきの強い雨のせいで急遽ミーティングになった為、いつもよりも帰りの時間が早かったせいだ。
用事があると言う橘に頭を下げ、先に部室を後にしてきた二年の面々が、連れだって帰宅する時には、すでにその雨も止んでいた。
そうして帰途につく道すがら。
『本日リンゴ湯』の銭湯の貼り紙を見つけた神尾達は、勢いでそののれんをくぐったのである。
貸切状態の広い浴槽。
貼り紙にあった通りにそこにはリンゴが無数浮いている。
「うっわー、リンゴ浮いてるぜ、リンゴ!」
賑わう六人の中で一際テンションが高いのが神尾で、一際テンションが低いのは伊武だ。
それはどの状況でも変わらない、不動峰のいつもの光景だ。
「……リンゴ湯に入りに来たんだからリンゴが浮いてるのが当たり前だろ……リンゴ湯にミカンやイチゴが浮いてる訳ないだろ普通……いやんなるなあ、神尾って。どうして当たり前の事にそこまで喜べるんだろう。俺にはさっぱり判らない」
「だって深司、リンゴ風呂だぜー。リンゴー」
すっげえ!と嬉々とする神尾の横で、伊武が鬱々と溜息をつき、ぼやき続ける。
顔を引き攣らせる森、我関せずの内村、温厚に場を取り成す石田と、人数分の桶を用意している桜井。
好き勝手しているようで、団結力は関東随一だと自他共に認める不動峰の面子だ。
思い思いの行動を取りながらも、並んでシャワーを浴びる。
誰よりも素早くシャワーをすませた神尾が、機嫌よく一番乗りにと湯船に向かう背には、次々と声がかかった。
「転ぶなよ、神尾」
「飛び込むなよ、神尾」
「泳ぐなよ、神尾」
「溺れるなよ、神尾」
「リンゴ食べないでよ、神尾」
ほぼ同時に仲間達からかけられた言葉の数々全部に、しねえよ!と神尾は速攻で牙を向いた。
どういう言い草だよと不貞腐れたものの。
「…っうわー」
ざぶんっと音をたてて広い浴槽に沈んでしまえば、無意識に神尾の表情は緩んだ。
湯の中は広々としていて、手足が楽に伸びる。
心地良い湯気、ぷかりと浮いている色鮮やかなリンゴ達。
息を大きく吸い込むと、甘酸っぱい香りがした。
不動峰は公立校なので、他の私立校のように校内施設が充分に完備されていない。
通常部活後にシャワーを浴びる事もない。
「快適ー…」
それゆえに。
今日はミーティングだけだったといえ、銭湯の湯が格別に思えた。
「きもちいー……」
満面に笑顔を浮かべた神尾の周囲に、友人たちも次々入ってきた。
「……本当に気持ちよさそうな顔してるなぁ。神尾」
「石田。だらしない顔っていうんだよ。こういうのは」
「相変わらずキツイぜ深司は……」
「………全く」
「ま、俺達全員似たり寄ったりの顔してんじゃねえか」
そんな風に好き好きに口を開きながらも、六人は思う存分リンゴ風呂を堪能したのだった。
そんなリンゴ湯から、数十分後。
神尾は全速力で走っていた。
せっかくの、あの銭湯の余韻が。
瞬く間に消えうせていくのを体感しながら、神尾は走っていた。
くそうと呻いては走っていた。
とにかく、ひたすらに、走る。
「跡部のやろう!……なんでいつもこうなんだよ…っ!」
嫌なら行かなきゃいいのにとぼやいていた伊武の言葉がふと神尾の脳裏を掠める。
慌てて神尾は頭を振った。
振って、尚、走った。
リンゴ湯を堪能した湯場から、脱衣所へと出てきた時には、すでに神尾の携帯電話はロッカーの中で鳴っていた。
受信するなり神尾の耳に飛び込んできた低音。
うわぁ機嫌悪ぅ、と神尾は即座に思い、頬を引き攣らせた。
電話をかけてきたのは跡部だ。
実に判りやすく最悪に不機嫌だった彼は、最初は、何回コールさせりゃ気が済むんだと言って怒っていたのだが。
神尾が半ば叫ぶように今の状況を説明し返していると、携帯電話からは冷たい怒気が浸透してくるかのような沈黙が流れてきて、そしてその後に。
『……不動峰で雁首並べて風呂に入ってるだと? てめえ、今すぐそこ出て、走れ』
『は? なんで!』
『何でじゃねえ。走れ。二十分で俺の家まで来い。いいな』
『…、よくな』
『いいから、走れ』
低く重く恫喝されて。
電話を叩ききられて。
神尾は腹をたてた。
むかついて、怒り狂って、ふざけんなと絶叫しながら。
着替えて、銭湯を出て、走っているのだ。
友人達には当然、ぼやかれたり呆れられたりした。
全力疾走などするものだから、銭湯のあの心地良かった余韻も何もなく、汗みずくになった。
かくして、所要時間は二十分以内だったのかどうか、真偽の程は定かではないが、神尾は走って跡部の家に辿り着く。
扉が開くなり、跡部は息を乱して汗をかいている神尾を尊大に見下ろし、有無を言わさず跡部家の浴室へ神尾をひきずりこんだ。
まさに、正しく、引きずり込んだ。
そして神尾が跡部に成された事は。
洗われた。
いったい何が気に食わないのか、泡まみれにされて、隅々洗われた。
ここ最近で一番最悪の暴挙だと跡部に噛み付きながら、神尾は泡にまみれ、時々キスなどされながら。
友人たちとはしゃいだ銭湯の余韻も、リンゴの残り香も、さっぱりとした爽快感も、あらかた跡部の手に洗い流されてしまった。
そうして、跡部が神尾から落としてしまいたかったものは、どうやら何故か、まさにそんなものたちだったらしく。
浴室から出てからの跡部の機嫌は寧ろよくて、神尾にはさっぱり訳が判らなかった。
自分の肌から、髪から、身体から。
跡部の匂いがする中で、神尾はただただ、首を捻るばかりだった。
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