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How did you feel at your first kiss?
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 嘆くに嘆けないといった有体で暫くうろうろと部活が始まる寸前のコート近辺を歩き回っていた菊丸が、いかにも憂鬱そうな溜息をつくなり走り出した行先は、不二の元だった。
「不二ぃー!」
「うん? どうしたの英二」
 コートの隅に座って予備ラケットのグリップテープを巻き直していた不二が笑みを浮かべながら顔を上げると、菊丸は不二に対峙するように勢いよくその場にしゃがみこむ。
 小さくなったその体勢で、視線だけを引き上げて。
 菊丸は思いきりひそめた声で言った。
「今週もやっぱりなんですけど…!」
「ああ…海堂?」
 不二も小声で問い返す。
 二人の三年生の視線の行先は、話の矛先である後輩へと流されている。
「………………」
 見据えられている海堂は、同学年の桃城といつものように小競り合いを繰り交わしていて、まるで気づいてもいない。
 慣れた光景である彼らの怒鳴り合いの様子を横目にしながら、困ったねと不二が淡く苦笑した。
 不二もすでに気づいていた事を、菊丸が、ぷうと頬を膨らませて改めて言い放つ。
「やらしいなあ、もう!」
「確かにああいうのってやらしいかも」
「ちょっと乾にひとこと言った方がよくない?!」
「うーん……乾が気づかない訳ないから、案外わざとかもよ。英二」
 サイアクじゃんそれと泣き言気味に怒る菊丸が、先々週の月曜日に気づいた。
 海堂の、掠れ声。
 どうしたの海堂!声掠れてるけど風邪?と彼の背中に飛びついて聞いた菊丸は、至近距離から見てしまったのだ。
 菊丸を振り返りながら、喉元に手をやって、一瞬後に喉を詰まらせた赤くなった海堂を。
 風邪かとは聞いたものの。
 海堂の掠れた声にはほんのりと気だるさも交じっていた。
 婀娜めいた声に後から思い当たったような気持ちで。。
 感の良い菊丸はパッとそこから飛びのいて、お大事ににゃ!と錯乱気味の声をかけて不二の元へダッシュした。
 大石だと胃を痛めかねないのでと菊丸が選択した相手は流石で、週末は泊まりだったんだろうねえとやんわりと微苦笑を浮かべていた。
「先週もだし、今週もだし! 月曜の海堂は掠れ声! 何をやらかしてんだよ乾の奴はー!」
 憤慨する菊丸と向き合っている不二は、小さく声を上げて笑い出した。
「海堂絡みだと、ほんと乾に突っかかるね、英二は」
「だってさあ…! 乾の奴、薫ちゃん独り占めすんだもん」
「自分にはあんな風に懐いてくれなかったのに?」
 そうだよっ、と菊丸は逆毛立つ猫さながらに言った。
 年上や同級生には構われたがりの菊丸は、年下相手だと、急に庇護欲が姿を現すようだった。
 気ままなようでいて後輩の面倒見も良いし、進んで年下の集まりの中にも入っていく。
 菊丸が、構いたいと決めた相手には尚更で。
「確かに桃や越前みたいにはいかなかったね、海堂は」
「そだよ。でもさ、別に俺にだけに懐いてくれないっていうんじゃないからしょうがないって思ってたのにさ! なーんで乾に、あんなに懐いちゃったのさー」
 ひどい話だろー、と不平たっぷりに頬を膨れさせる菊丸の頭上に、ぽん、とノートが乗せられる。
「んにゃ?」
「あ、乾」
 逆光で菊丸の背後に立った男の名前を不二が口にすると、菊丸は物凄い勢いで立ち上がった。
「ちょっと乾! 毎週毎週海堂の声嗄らせてんなよ!」
「大きな声を出すな英二」
「………なに、その声」
 ん?と菊丸が眉根を寄せる。
 座ったまま二人を見上げていた不二も僅かに首を傾けた。
 掠れた声。
 乾もまた。
「今週は二人して本当に風邪でもひいたわけ?」
 低くよく響く乾の声が、殊更ハスキーに嗄れていて。
 菊丸がふと、態度を軟化させて問いかけると、乾は真顔で言った。
「んー…海堂の名前呼びすぎたかな…」
「……ッ……死んでしまえ……!」
 ギャー!と喧嘩上等の猫よろしく叫んだ菊丸と、大きな溜息をついた不二をその場に残して、乾は桃城との喧嘩が一段落したらしい海堂の元へと向かう。
 海堂は菊丸の絶叫にびっくりした顔をしていた。
「どうしたんっすか…菊丸先輩」
「さあ? 熱っぽいみたいだね。顔も赤いし」
 途端に心配そうな目で菊丸を見やる海堂に、乾はそっと囁いた。
「海堂は? 喉、平気?」
「……、…別に」
 指の先で触れるか触れないか。
 海堂の喉元に宛がった乾の指先にあたる、息をのむ僅かな振動。
 可愛いと思って乾が見下ろしていると、海堂は勝気な眼差しで睨み上げてきた。
「……先輩のが酷いだろうが」
「海堂の名前呼びすぎたかな?」
 先程口にしたのと同じ言葉。
 しかし海堂は、菊丸が叫んだようにはならず、ぐっと言葉を詰まらせ顔を背けながら呻くようにして言った。
「…………呼びすぎだ」
「海堂の頭の中に少しは詰め込めたかな」
 前髪の先を一束つまんで、バンダナ越しに小さな後頭部を手のひらに一瞬包む。
 打ち合わせをカモフラージュさせる手持ちのノートをうまく使って、周囲に注目させないように海堂に触れている乾に、海堂からは非難の眼差しが差し向けられるけれど。
「……まだ残ってる? 俺の声」
 海堂?と直接耳元に囁くと。
 びくりと甘く竦んだ海堂が、乾の元から走り去っていってしまった。
「ああ、逃げられた」
「不二。人の背中に隠れて立ち聞きってのはどういう了見だ」
「相手が僕で、それを海堂が気づいていなければ、乾的には何も問題ないよね」
「まあ確かに」
 自分の背後から、ひょいと姿を現した不二を、乾は斜に見やって吐息を零す。
「誇示欲相当強かったんだね。乾」
「相手が相手だから必死なだけだよ」
「あそこまで懐かれてまだ足りないかって、英二が怒るよ。そんな事言ったら」
「ただ懐かれたい訳じゃないんでね。俺は」
 英二と違ってな、と苦笑いで肩を竦めた乾に不二は丁寧に頷いた。
「大事にね。乾」
「当然だ」
 乾が、事と次第によっては容易く高まる衝動と焦燥を、慎重に制御しようとしている事は不二にも伝わっているようだった。
 一見希薄そうに見える乾の執着は、行先が一度定まってしまうと、もうずれない。
 外れないまま、深くなる。
 強くなる。
 見目では決して気づかせないが、情の濃い海堂はそんな乾の深く強い愛着をもあっさりのみこんでしまうから尚更だ。
 考え事に没頭し出した乾に慣れた不二は、じゃあねと言って場を離れていく。
 乾は嗄れた自分の声で、小さく笑う。



 名前を、思いを、海堂に詰め込みたかったなんて、体裁のいい言い訳だ。
 名前を、思いを、吐き出さないと、どうしようもなくなっただけの話だ。
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