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How did you feel at your first kiss?
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 乾汁がバージョンアップするらしいという噂が流れて、青学テニス部は、どよめいていた。
 乾が漢方薬の販売店で店主と話しこんでいたとか、スーパーの野菜売り場の前で品質表示を確かめていたとか、様々なサイトを巡ってレシピを集めプリントアウトしたファイルをいつも持っているとか、どうも不穏な動きが増えている。
 乾汁には過敏な面々である。
 それとなくカマをかけてみても、乾はのらりくらりとはぐらかすばかりなので、業を煮やした彼らによって矢面に立たされたのが海堂だった。
 海堂になら話すかもしれないから探って来いと、三年からも二年からも一年からも日々せっつかれた海堂は、自分にだって話すとは到底思えないながらも、ある日決意して乾に概要を尋ねる事になった。
 その時たまたま、昼休みに実験室で一人、何かの作業に没頭しているらしい乾を見かけてしまったのもいい後押しだった。
 海堂自身、それを見て恐怖が募ってしまったせいもある。
「やあ、海堂」
「……っす」
 遠慮がちに実験室の前扉を引いた海堂に、然して驚きもせず、乾はそう声をかけてきた。
「乾汁じゃないから入っておいで」
「………………」
 笑っている。
 海堂が無言で近づいていくと、乾はあれこれ混ぜ合わせながら、無色透明ながらも発泡する液体を作っていた。
「………何してるんですか」
「ん? 今日結構暑いだろ?」
「はあ……」
「四時間目の授業で、中原中也やってさ……無性にソーダ水がね」
 作りたくなってと乾が言うので、普通飲みたくなってじゃないのかと海堂は怪訝に乾を見つめた。
「何の詩か判る? 初夏の詩」
「………アメリカの国旗とソーダ水とが…」
「恋し始める頃。……アタリだ」
 さすがだね、と乾に言われて海堂は何となく落ち着かない。
 二人きりの時の乾のやわらかさが、それこそ日に日に高まっていく気温のように熱を増して甘くなるようで落ち着かない。
「ドライアイスのかけらを水に溶かして砂糖を入れてもサイダーっぽくなるし、こうやって酸性の液体に炭酸ナトリウムを入れても炭酸水が出来るんだが」
 色がついていた方が中也っぽいよな、と乾は呟いて手持ちの炭酸水を窓の外に翳して見ている。
 そんな乾の横顔を何をするでもなくぼんやり見ていた海堂に、乾の視線が戻ってくる。
「海堂はさ、クリームソーダとかあんまり飲まなかった?」
 基本的にジャンクフードは殆ど食べない海堂を熟知している乾は、あの緑色はいかにも着色料って感じだもんな、と言って笑った。
「………レモン味のアイスクリームソーダは飲みましたよ」
「アイスクリームソーダって、レモン味もあるのか?」
 小さい頃、時々両親に連れて行かれた銀座の店の名前を告げて海堂が頷けば、乾は興味深そうな顔をした。
「味もレモン?」
「……そりゃ勿論…」
「他にも種類あるのか?」
「オレンジがあった気が……」
「へえ」
 そういえば最近行ってないなと海堂は思った。
 どこかレトロな老舗のパーラーは、父親とのデートでよく訪れたのだとそこに行く度に母親が口にした。
「連れてってよ。海堂」
「………は?」
 そんな風に子供の頃の事を考えていた海堂は、乾の突然の言葉に驚いてしまった。
「……乾先輩?」
「海堂のご両親のデートスポットだったんだろ? 歴史は受け継ごう」
「な、…っ……なに言って……」
「頼むよ」
「………、………っ…」
 乾が、笑ってはいるけれど、とても真面目にそう言うから。
 どっと恥ずかしくなって、海堂は激しく狼狽えたのだった。


 結局週末、海堂は乾と一緒にレモン味のアイスクリームソーダを飲んだ。
 事前に、そこの店に海堂が乾と行くと知った母親は、何故だか大層喜んで。
 事後に、乾汁のバージョンアップは当面未定だという情報を海堂から聞かされたテニス部の面々も大層喜んで。
 そんな人々の狭間で、乾と海堂には。
 レモン味のアイスクリームソーダの、明るく軽く爽やかな印象の、初夏の思い出が発泡水のように生まれたのだった。
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