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How did you feel at your first kiss?
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 海堂、と名前を呼ばれた。
 テニスコートから海堂はその方角を振り返る。
 大きな声を出しても囁いているように聞こえる声音は相変わらずで、フェンスの向こう側にいる乾に海堂は歩み寄っていった。
「……何で入って来ないんですか」
「一応引退した身だし」
「関係ねえ。……んなこと」
 憮然と吐き出した海堂に、乾は物柔らかに微笑んだ。
 制服姿の乾は、フェンス越し、海堂よりも高い位置から視線を落として、ひっそりと言葉も落とした。
「悪いな。部活中に」
「今終わった所なんで別に…」
「でもコートを出るのはいつも一番最後だからな。海堂は」
 知ってるよ、と眼差しで囁かれたようで気恥ずかしい。
 海堂の狼狽など笑みで刷くようにいなして、乾は鞄の中から紙袋を取り出し、器用に指先で海堂を手招きした。
「………………」
 入ってくればいいものをと海堂は眉根を寄せ、しかし促されるままコートの外に出る。
「はい。これ穂摘さんに渡して」
「………は?」
「お釣りは封筒の中で、ここに一緒に入ってるから」
「……………何っすか。これ」
 乾と海堂の母親はひどく気が合うらしく、初めて対面してから以降、時々こういう事がある。
 それは別段悪い事ではないのだが、二人が楽しげに話をしている側にいる事は海堂にとっては些か落ち着かなくもあった。
 どうにも居たたまれなくなるのだ。
 海堂の母親と乾は、海堂を間に挟んで、互いが互いへとひたすらによろしくしあうものなので。
 どれだけ重大で大切なものの取り扱いの話をしているのかと聞いてて思ってしまうくらい、二人は海堂に対して真剣だ。
「ピンクガーリック。要はニンニクだ」
 海堂に手渡してから、乾は海堂の手の上で紙袋の口をそっと広げた。
 中には確かにピンク色のガーリックが幾つも入っている。
「南フランスの粘土質の土壌には、ポリフェノールの一種であるアントシアニンが豊富に含まれているんだ。この成分の為に、こういうピンク色のガーリックが育つ。ちなみに通常のニンニクより甘みがあって、効能は血液の清浄、視力回復、コラーゲンの促進」
「……………何でそれが先輩からうちの親に行くんですか」
 乾の淀みない口調を遮る事は容易でない。
 けれども海堂が口を開けば、乾はぴたりと口を噤んで、そうして話を遮られても気を悪くした風もなく、海堂に答えてきた。
「この間スーパーで会ったんだ。俺は野菜汁の材料調達。穂摘さんは夕食の買物らしかった。ちなみにメニューはすき焼きの確率93%」
「………先週の土曜日っすね…」
「そうだったな。ああ、そういえば穂摘さんは割り下も手作りなんだな。さすがだな。興味深かったから海堂家のすき焼きのレシピを教わった。覚えておいて損はないだろう。将来的にも」
 至って真顔で話し続ける乾に、海堂は小さく溜息をついた。
 頭が良すぎるのだろうか。
 乾の話はよく脱線する。
「あの……それでどうしてこれが」
「ん?…ああ。その時に話をした訳だ。料理つながりで。最近俺の家の近くのスーパーでピンクガーリックを扱うようになったって言ったら、穂摘さんが買いに行きたいって言うんで、俺がおつかいを頼まれた」
 そういう訳で、品物と釣銭だと乾は袋の中身を指差した。
「よろしくな」
 はあ、と溜息程度の声で返したものの、乾に手間をかけさせた事は確かなようなので、海堂は頭を下げた。
「……すみません。わざわざ」
「いやいや」
 構わないと首を左右に振った後、乾は徐に紙袋の中からピンクガーリックを取り出した。
「羨ましいとは思うけど」
「…は?」
「こいつらは海堂に食われる訳だ」
 呟きと共に乾は手にしたピンクガーリックに軽くキスして紙袋に戻した。
 笑っている。
 海堂は絶句した。
 そして紙袋の中身のものと同じ色になった。
「ある意味で間接キスかな」
 海堂が睨み上げても構わずに乾は微笑んで。
 二人で交わす今日最後の言葉を、そんな風に口にした。
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