How did you feel at your first kiss?
耳馴染みの良い穏やかな話声が、ふと止んだ。
海堂が顔を上げたその時にはもう、びっくりするくらい近くに乾がいた。
真っ正面から掠ってくるようなキスが唇に当たる。
目を見開いたままそれを受け入れ、それからひとつ、大きく瞬いて。
海堂は固まった。
一つの机を挟んで向かい合い、ノートに描かれたフォーメーションを頭に入れながら、打ち合わせしていた内容が。
急激にどこか遠くへ飛んでいった。
今のは、何だろう。
無意識に触って確かめそうになる本能で。、少しだけ海堂の指先は跳ねた。
乾が、ちょっと何かを確かめるように、海堂の目を覗き込んでくる。
至近距離で、目と目がはっきりと合うと、ふうっと何かが戻ってきたような感覚がした。
息を吸い込んで、また目を瞠り、再度海堂は硬直する。
遅れて強くなる鼓動が少し苦しかった。
「………先輩」
「うん?」
低い呼びかけに、もっと低い声で、短く返される。
途端に続きの言葉が見つからなくなって、海堂は途方に暮れた。
そんな海堂の心情は赤裸々だったようで、乾が大きな手のひらで海堂の後頭部を包み込むようにしながら、額と額とを重ねてきた。
「…うん、……ごめん」
いきなりで、と囁いた乾の口調が。
殊の外、力ない。
何でそんな声を出すんだと、海堂は身じろぎ一つしないまま思い、呟く。
「………データ…っすか…」
「何?」
「……だから…これ」
たぶん。
今したのは。
キスだ。
乾が言うように、本当に、いきなりの、それはキスだった。
一体何の役に立つのかなどとは見当もつかないが、乾のした事だ。
欲しかったものはデータかと海堂は問いかけ、そしてそれに対して乾の返答はと言えば。
「……お前は、俺をどんな奴だと思ってんの」
曖昧な苦笑いとも、誤魔化した憤慨ともつかない、ますます力の抜けた声で乾は溜息みたいにそう口にした。
海堂の後頭部から後ろ首をへと手のひらを這わせ、その大きな手のひらで、海堂のうなじを掴むように固定して、今度は角度をつけたキスをしかけてくる。
座っている椅子の上で身体が滑って、微かに軋んだ金属音と、視界の端のずれた風景に、ここが教室だという事を今更のように思い知らされる。
意識がよそに向いた事を悟ったらしい乾がキスをきつくしてきて、正直海堂は目が回った。
くらくらなんてかわいいものではなくて、視野はぐらぐらと、大きく回る。
座っているのに足場を見失ったような面持ちで、海堂が咄嗟に指先を縋らせたのは机の上にあった乾の腕のシャツだった。
まるでしがみつくように、その布地を手繰り寄せ、握り込む。
慣れない粘着音がする。
それもその筈で、キスが解けると細く唾液が撓んだ。
「したくて、いよいよ、我慢が出来なくなったのか、…とは考えないのか?」
「………………」
え? と問い返したつもりだった海堂の口からは、実際何の言葉も発せられなかった。
唇を、乾の指の腹にゆっくりと辿られても、やはり言葉は出てこない。
「データなんか、どうでもいいんだ」
「………………」
乾の言葉とは思えないような言葉。
それが、乾の声で、聞こえてくる。
「どうでもいい。どうでもよくなる。………何なんだろうな、本当に」
テニスの事を語る時の乾の口調に迷いが滲むことなど決してないのに。
どうして今、こんなにも揺れた声を出すのだろう。
海堂と同じような、途方に暮れた戸惑いを見せるのだろう。
それに気づいた海堂から、硬直が、緩やかに解けていく。
そして、まるでその代わりだとでも言うように、何処かに嵌まっていくような乾に、海堂は慌てて指先で取り縋る。
今度は、自分が頼る縁を探す為ではなく、乾をここへ引きとめておく為に。
「どうでもよくねえだろ…」
「よくなるんだよ。海堂にかかると」
「……俺のせいっスか」
何ですかそれ、と呆れた溜息を零した唇に、また不意打ちで乾の唇が重ねられる。
三度目か、と思った途端、何故だか急激に海堂はキスを自覚した。
だから。
なんでこんな事になってるんだと、今更も今更のタイミングで目元を赤くしながら乾を睨みつける。
お、と乾が小さな声を出した。
「………さすがに海堂に睨みつけられると少し正気になるな」
少し笑みも含んで。
乾が取り戻し始めた微かな余裕の欠片に、海堂は殊更視線をきつくした。
派手な音を立てて椅子を背後に押し出し、立ち上がった。
「うわ、ちょ…っ…待った…!」
「知るかっ!」
本気で慌てる乾を置いて、さっさとその場から離れるべく、海堂は鞄を持って教室を出る。
「海堂、お前、ちゃんと告白くらいさせろ……!」
何やら背後で乾が叫んでいたが、乾の見せた余裕の素振りに対して、それを聞いてやらないという腹いせに出た海堂が、足を止める事はなかったのだった。
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