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How did you feel at your first kiss?
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 着替えを済ませた乾が財布を取り出した。
 その中にたたんで入れてあったメモを見ている。
 確認し、再びしまう。 そして乾はくるりと振り返って海堂を見た。
「……………」
 汁か。
 汁なのか。
「海堂。スーパーで買物つきあわない?」
「……………」
 やはり汁なんだな。
 海堂は自問自答を繰り返し、結論づけ、そして長い長い溜息をついた。
 部室の中では、声にならない声で阿鼻叫喚、顔を歪めたテニス部の面々が、海堂へと目線だけのエールを送ってくる。
 見張ってて…!
 確認してこい…!
 ものによっては避けてきて…!
「……………」
 そんな眼差しはエールというよりもはや懇願だ。
「海堂?」
「……もう行けますけど…」
「そうか。じゃあな、みんな。行こう海堂」
「………っす」
 乾は時々海堂を連れて野菜汁の材料の調達をする。
 それは彼らが部活後に共に自主トレをしている流れでもあるのだが、秘密主義者の乾にしては珍しい行動だった。
 汁に関して戦々恐々している青学テニス部の面々は、とにかく様子を探ってこいとばかりに海堂を暗黙の懇願で見送るのが常だ。
 海堂も正直あの汁は不得手だ。
 しかし時々こうして一緒に買出しにつきあってみると、確かに身体にいいものを乾が厳選している事だけは確かなのだと気づいた。
 嫌がらせと思われるのは心外だなあと苦笑する乾に、つい、そういう訳ではないのだと生真面目に応えるあたりが海堂の海堂たる所以だ。
「五月が来るまでは、顎の下までボタンを掛けよ。六月が来るまでは、ぼろでも脱ぐな。………そういうことわざが外国にはあってね」
「はあ……」
「つまり今時分の天候の変化には気をつけないと身体を悪くするよっていう戒めなんだが」
 制服姿の中学生男子が二人、一見不似合いと思しき場所スーパーの野菜売り場に居ながらも、乾は慣れた様子で買い物カゴに野菜を入れていく。
「健康の為にね、五月の薬草でサラダを作って食べるのがいいらしいよ」
 乾は饒舌だが、うるさい感じが全くしないのはその声質のせいだろうと海堂は思っている。
 乾の声は、低くて、なめらかだ。
 気を許している相手には語尾が少しゆるくなる。
 そういう乾の声を、海堂はよく耳にした。
「ホウレンソウ、レタス、セージ。それを酢とオイルと砂糖を少々で和えて、ゆで卵とエディブルフラワーで飾る」
「エディブルフラワー…?」
「食用の花だね」
 ほらこれ、と乾がパックを手に取る。
 小ぶりの花が詰まったパックも買物カゴに入れられた。
「……サラダがいいなら、そのまま食いましょうや…」
「液体は体内吸収率がいいんだぞ」
 その乾の返答に、今更ながら。
 やっぱりこれら全部汁にする気なんだなと、海堂は鬱々と買物カゴの中に目線をやった。
「物を噛むって事も大事っすよ」
「ん?……んー……」
 生返事で微苦笑しながら乾は肩越しに海堂を見つめてきた。
「サラダにしたら、海堂はこの後うちに寄ってくれるのかな」
「………別に汁だって寄りますよ」
 思わず、ぽつりとそう洩らしてしまった海堂は、乾がひどく嬉しげに目を細めてくるのに慌てた。
「見張りでって意味です!」
「……えー……見張りかぁ…」
 微かに甘えの滲む、こんな時の乾の口調に、海堂は滅法弱かった。
 知ってて乾がやっているのなら、絶対に流されてなんかやらない。
 しかし乾は自覚もしていないらしく、極たまに海堂といる時にだけ、こういう声や眼差しを見せてくるからたちが悪い。
 肩とか落とすなと怒鳴りたくなる。
 それをぐっと堪えて、海堂は乾の背後で、その背中から視線を逃しながら言った。
「………これ、サラダにするなら」
「海堂」
 乾も前方を向いたまま。
「そんな簡単に自分の身体を売るようなこと言っちゃ駄目だよ。海堂」
「な、……っ……気色悪いこと言うな…ッ」
 さすがに怒鳴った。
 顔が赤いことを自覚しながらの海堂の一喝に、あながち的外れな事も言ってないだろう?と乾が微かに笑んで海堂を流し見てきた。
「そんなにヤバイか? 野菜汁って?」
「………っ…たり前…、…」
「どれも身体にいいものなんだぞ」
「それは判ってます……!」
 乾が当てずっぽうに野菜を選んでいるのではないことくらい海堂も知っている。
 でもせめてあと少し。
 もう少し、どうにか出来ないのだろうか。
 味を。
「作りたては結構普通の味なんだけど」
 乾が真顔で言い出して、海堂もふと真面目に返した。
「……そうなん…ですか?」
「ああ。家で作って学校に持っていくから味が変わるのかもなあ…」
「……………」
「作りたて、試してみない?」
 最後に添えられた微笑に、誘うのはそれだけが理由ではないのだけれどという乾の意味合いを感じて海堂は溜息をつく。
「だから……別に俺はどっちだって行くっつってんじゃないですか……」
 とにかく絶対連れ帰りたい。
 とにかく絶対帰したくない。
 そんな風に念を押さなくたって、自分は。
「……………」
 そう思い、応えた海堂の返答に。
 乾が大人びた面立ち満面に安堵の笑みを浮かべるから。
 スーパーの野菜売り場で甘ったるい気分になってしまう。
 それこそ、そんなこと。
 野菜汁の味より普通有り得ないだろうと、歯噛みしてみるものの、致し方ない。
 どうしようもない。
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