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How did you feel at your first kiss?
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 二人だけの時って何喋ってんの?と乾に正面切って聞いてきたのは、確か菊丸だった。
 隣で大石が困ったように笑って菊丸を窘めていたけれど、菊丸は乾をからかうというよりかなり真面目に疑問に思っているようだったので、乾は笑って答えたのだ。
 何って、色々。
 すこぶる機嫌の良い乾の返答に、菊丸は眉間をぎゅっと寄せるようにして首を傾げていた。
 色々って、あの海堂と、乾が、色々?喋んの?マジで?と矢継ぎ早に菊丸が問いかけてくるのに、乾は逐一頷いた。
 それってちゃんと会話?
 乾が勝手に喋ってるとかじゃなくて?
 菊丸の言葉はいつものように率直で、明け透けで。
 やっぱり隣の大石だけが、菊丸の言動に慌てたり叱ったりしていたのを乾は思い出す。
 でも多分あれが一般的な認識なのだろうとも自覚している。
 乾と、海堂という、その組み合わせは。
 ダブルスを組む事が決まってから、驚かれなかった試しがない。
 一番ダブルスしなさそうな者同士が組んだって感じだねと微笑んでいたのは不二だ。
 ダブルスを組むに至った経緯は、まだ誰も知らない。
 乾が海堂を誘ったと知ったら、また驚かれるのだろうか。
 そんな事を頬杖をついて考えながら、乾の手も口も、全く別の動きをしている。
 広げたノートにフォーメーションのパターンを書きつけ、言葉で解説をする。
 乾のクラスで、放課後、机を挟んで目の前にいるのは少しだけ居心地の悪そうな海堂だ。
 けれど海堂の居心地の悪そうな気配は、乾と二人きりだからなのではなく、ここが三年生の教室だから落ち着かないのだということは乾にはちゃんと判っていた。
 海堂は、まだ、乾のテリトリーに入ってくる事には慎重だ。
 だからつい、余計に海堂からそうさせたくて、仕向けてしまったのだ。
「乾先輩は…」
 海堂の声が、低く乾の名前を口にする。
 いつも気配を張り詰めさせている感のある海堂は、しかし空気を慎重に読む所がある。
 口数が多くない分、言葉を放つ瞬間に敏感なのだ。
 乾の説明も思考も遮らない、ほんの僅かな隙を縫うようにして、口をひらいてくる。
 ん?と乾は目線を上目に持ち上げた。
「…ダブルス、組んでた事あるんですか」
「………何で?」
 かなり意外な事を尋ねられた。
 乾は目を瞠る。
 そんな乾をどう見たのか、海堂が僅かに決まり悪気に視線を外してくる。
 普段はバンダナに覆われている事の多い海堂の黒髪が、さらりと零れた。
「いや、……いいです…」
「別に聞いちゃまずい事じゃないよ。ただちょっと驚いてさ」
 その前髪に、つい手を伸ばしたくなる。
 さすがにそれは飛びのかれるかもしれないと乾は自制したのだけれど。
「俺と一緒のコートは居心地悪いとか?」
 何せ初めてのコンビだ。
 未だ手探りな感は否めない。
「いや、………そう…じゃないから、あんたが」
 実はダブルスに慣れてるんじゃないかと、と口にした海堂の言葉の語尾が曖昧に消えていく。
 乾は唇に笑みを刻んで、あまり人に言った事のない話を海堂に伝えた。
「ジュニアの時はね、ダブルスだったよ」
「そう……なんすか…」
「ああ。自分がシングルスをやるとは、当時は全く思ってなかったな」
「………………」
 口の重い海堂はよく沈黙を落とすけれど。
 今のこの沈黙には、余計な事を聞いてしまったかと悔んでいるような心情が赤裸々すぎて、乾は笑みを浮かべたまま、ペンを机の上に置いた。
「なあ、海堂。ちょっと辺りを見回してみてくれないか」
「……は?」
「ぐるっと」
 立てた人差し指で空間をぐるりと回す。
 面食らった顔の海堂は、だからといって、突然切り替えられた会話を怒るような態度は見せなかった。
 根本的に、海堂がひどく素直だと思うのはこういう時だ。
 訳が判らないといった顔のまま、海堂は乾に言われた通りに、三年の教室を見回した。
「目についたものを、何でもいいから五つ上げてみて」
「……黒板、椅子、机、鞄、カーテン」
「うん。じゃあ次は、黄色いものがないか、見回して見て。あったら五つ言って」
「………チョーク、……花瓶…、花………、それ」
 それ、と海堂が言ったのは机に置いた乾のシャープペンだ。
「それだけしか、黄色は目につかないですけど…」
 いいよ、大丈夫、と乾は頷いた。
 それから不審気な海堂の目を、正面からじっと見つめる。
「どうだった? 海堂」
「………………」
「意識を変えると、目に入ってくるものも変わるだろう? 海堂は同じ場所で、同じように辺りを見回したのに、一度目に目に映っていたものと、二度目に目に映ったものは全然違う」
 海堂の瞳がゆっくりと瞠られて、乾は満足した。
「脳の動きが変わると、身体の動きも変わるんだよ。体感してみると、実感できるだろう? だから俺は、テニスにデータが必要だと思ったんだ。そういうのを覚えたというか、習ったのがジュニアの時のダブルスだ」
 だから何も悪い思い出などない。
 あの時以来の、誰かとダブルスを組むという感覚は、もっと懐かしいような気持ちを呼び起こすかと思いきや、そうでもない。
 経験だけではなぞれないのだ。
 今、乾の思考のかなりの部分を占める、目の前にいるこの存在は。
「俺は、こんな風に分析や理屈の先行型で」
「………………」
「海堂は、行動力と精神力の先行型だから、タイプは全く違う。でも、だから勝てると俺は思ってる」
 どう思う? 海堂はと、乾は海堂を見つめて尋ねた。
「……俺は、俺のやりたいようにやる」
 海堂の口数は少ない。
 言葉は端的だ。
 曖昧な表現を彼はあまり使わない。
「ダブルスには、多分慣れない。けど、あんたには慣れると思う」
「………………」
 凄い事を言うなと乾は内心で感嘆した。
 それは言うなれば、警戒心の塊のような孤高の野良猫が、そちらの方から近づいてきて、こちらが伸ばした指先に頬を擦り寄せ、自ら膝に乗ってくるようなものだ。
 その無条件の信頼は何なのだ。
「あんたの言葉は、判りやすい」 
 そう口にしている間、海堂は何かに耳をすませ、何かを反芻するような顔で目を閉じる。
 その無防備な表情は何なのだ。
「………………」 
 ああ、ほら、自分の意識が変わってしまった。
 海堂のくれた言葉と表情と信頼とで、乾はそれを自覚する。
 目に入ってくるものが変わる。
 身体の動きが変わる。
「海堂」
 先に確認を取ると断られそうだ。
 そんな事を考えながら、乾は海堂の肩に手を置き、引き寄せて、キスをした。
 軽く噛み合わせ、たわませ、ゆっくりと、離す。
 至近距離に、大きく見開かれた海堂の瞳があった。
「…卑怯だな」
 一瞬は浮かべた笑みを、しかし乾はすぐに消した。
 乾の声は張り詰めて、低くなる。
「卑怯でも何でもいい」
 強烈な飢餓感が込み上げてくる腕で。
 乾は海堂を抱き寄せた。
 押しのけるようにした机が、派手な音をたてたけれど。
 今の乾には、腕に封じ胸に抱き寄せた海堂の存在だけが思考の全てだ。
 思いのほか行動力の先行型でもあった己を知って、乾は本来の自分の専売特許である分析を海堂に任せるべく、まずは海堂が判りやすいと言ってくれた自分の言葉で、この恋を形にしようと、静かに口を開いていった。
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