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How did you feel at your first kiss?
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 観月はいつもいい香りがした。
 彼のいる場所には不思議と澄んだ甘い香りが漂う。
 今日のそれは薔薇の芳香にも似た匂いの紅茶の香りだった。
 カップを両手に、ぼうっとしている観月は、ルドルフの寮にある食堂の片隅の席で、窓の外に目線を向けたまま動かない。
 窓の真下の植え込みには、今が盛りと薔薇が咲き誇っている。
「…赤澤部長」
「おう」
 どうした、と赤澤はひっそりと自分を呼んだ裕太を振りかえった。
 相手が小声だったので赤澤も同様に声をひそめて問い返す。
 裕太は至極遠慮がちに呟いた。
「観月さんに今話しかけるのは…止めておいた方がいいでしょうか」
「観月?」
 赤澤は裕太の言葉に促されるように、肩越しに再度観月へと視線を向ける。
 相変わらず観月はぼんやりとした風情で動かず、手にした紅茶を飲んでいるのかいないのか、窓の外の薔薇を見ているのかいないのか、まるで読めないといった感じだ。
 赤澤はちょっと笑って、真面目な顔で返答を待つ裕太に言ってやる。
「別にお前なら、いつ話しかけたって全然問題ないと思うけどな?」
 多分に本心だったのだが、そういう訳にはいきませんと裕太は慎重だった。
観月が考え事をしているのなら、邪魔をするなど以ての外だと思っているらしい。
 あまりに裕太が真剣な顔をするので、判った判ったと赤澤は笑って言った。
「そうだなあ……あと二~三分したら大丈夫だぜ」
「そうしたら、観月さんの考え事も一段落ですか?」
「いくらなんでもあいつの頭ん中まで判んねえよ」
 そうじゃなくてな、と赤澤は裕太の肩に腕を回した。
 見てみろと空いた方の手で観月を指指す。
「あいつのカップ、もうあんまり湯気たってないだろ」
「湯気とか見えるんですか? この距離で?」
 裕太がびっくりしたような声を上げる。
 まあなー、とのんびりと赤澤は言って、僅かに眉根を寄せた。
「あれはさ、…あー、何つったっけ、香り楽しむみたいなやつ」
「……アロマテラピーとかですか?」
 確か姉が実家でよくやっていたなと裕太が思いながら言えば、それそれと赤澤が頷いた。
「姉貴がいると違うな、やっぱ」
 赤澤の手の甲で軽く胸元を叩かれた裕太がさっきよりも驚いた声を上げた。
「………赤澤部長、俺に姉がいるって知ってたんですか」
 何せ兄が兄なので。
 そちらが有名すぎる分、案外姉の存在には気づかれていない事が多いのだ。
 それで裕太はひどく驚いたのだが、赤澤は若干の勘違いをしたようで。
「なんだ、秘密だったのか?」
 そりゃ悪い、と真面目に言う赤澤に裕太は慌てて首を振った。
「いや、別に秘密ってわけじゃ…」
「そっか。ならいいんだけどよ。……それで、そのアロマテラピー中な訳だ、観月は」
 自分の知ってるアロマテラピーと違うと思った裕太の気持はそのまま表情に出ていたようで、赤澤が内緒話のように裕太の耳元で説明を始める。
「あいつ紅茶を飲むのも勿論好きだけど、香りも好きなんだよ。時々ああやって、湯気で上がってくる紅茶の匂いで、気持を落ち着かせようとしてるわけだ」
「何か……心配事とか、あるってことですか…?」
「それは違うんじゃねえかな。情報量が半端なく多いから、時々ああやって自分で息抜きしてんだよ」
 テニス部のブレインである観月は、練習メニューから個々の状態の把握、他校のデータ収集まで、常に頭をフル稼働させている。
「あいつ、俺の分まで頭使わなきゃなんねえから、大変なんだよ」
 笑う赤澤に、けれども裕太は頷かなかった。
 テニス部のあらゆる内情を取り仕切っているのは確かにマネージャーでもありプレイヤーでもある観月だったが、そんな観月の変化に誰よりも機敏で、誰よりも早く察し、手を伸ばせる事が出来るのが赤澤だったからだ。
「見た目よりか遙かに身体は頑丈なんだけど、見た目のまんまに心情は繊細だろ。観月は」
「セルフコントロールも、すごいですよね」
 いっそもっと頼ってくれたらいいのにと裕太は思っているが、観月は絶対にそういう弱みを人に見せない事を知っている。
 誰にも頼ろうとしない観月を、一番上手に休ませ、手を貸せるのが誰かも知っている。
「……あの紅茶をわざわざいれてるあたりが、結構観月も疲労感たまってるって事だよなぁ…」
 この距離でまさか紅茶の香りが、それも茶葉の種類まで判るのかと、裕太はいよいよもって唖然とする。
 部長の赤澤が只者でないなと思うのはこんな時余計にだ。
「今日の観月の誕生日会の誘いだろ?」 
「あ、はい。柳沢先輩に頼まれて」
 裕太が適役だーね、裕太にしか出来ないだーね、と何故か連呼された言葉を思い返しながら裕太が応えると、同じような事を赤澤からも言われて面食らう。
「悪ぃな、後輩頼りっぱなしの上級生らで。お前じゃないと出来ないからな、観月誘うの」
「……別にそんなことないと思いますけど…」
「俺らなら、馬鹿なこと言ってないで素振りでもやれって言われるのが関の山だって。へたすりゃ僕は行きませんよくらい言うぜ、あいつ」
 低く笑い声を響かせながら、頼むな、と体温の高い赤澤の手のひらに背を叩かれる。
 それがGOサインかのように、裕太は観月に向かって歩き出した。
 途中一回だけ背後を振り返ると、赤澤は観月の所まで行ってしまうと死角におさまる柱の陰に、腕を組んで寄りかかった所だった





 話を聞いて、判りましたと頷くと、目に見えてほっとしたような表情を浮かべた裕太に、全く、と観月は後輩に気づかれないよう溜息を奥歯で噛み砕く。
 彼に言って越させる辺りが姑息なのだ。
 同級生達は。
「裕太君、わざわざありがとう」
 真面目に礼を言った観月に裕太が深く頭を下げる。、
「いえ、観月さん。じゃあ、お待ちしてますね」
「ええ、後でまた………あ、それと」
「はい?」
 下げた頭をすぐさま上げて観月を伺ってくるような素直な裕太の表情に、観月は少しはにかんだように笑った。
「祝ってくれてありがとう」
 裕太君だけに言っておきます、と笑いを悪戯っぽく変化させて付け足す。
 もう一度大きく頭を下げた裕太もまた笑顔で立ち去って行く。
 その背中を微笑ましく見送ってから、ふう、と観月は肩から息を抜く。
 ずっと手にしていた紅茶のカップをソーサーに戻すと、それが合図と決めていた訳でもないのに、当然のように赤澤が近づいてきた。
 それも、手には湯気の立つカップを持ってだ。
「………………」
「冷めたら飲まないだろ、観月は」
 そう言うと、赤澤は温かい紅茶を観月に手渡し、観月が戻した方のカップを片手で無造作に掴むと、ぐいっと一息に飲み干した。
 上下する喉元を座ったまま見上げて、観月は裕太の時とは一変させた表情で赤澤を見据えた。
「ケーキはラズベリーパイでしょうね?」
「誰の誕生日だよ」
 赤澤が笑う。
「僕のですよ。その僕が言ってるんです」
「はいはい、勿論そのように」
 承知してます、と赤澤が丁寧に言った。
 それから少しだけ溜息混じりの、赤澤にしては珍しい口調で一人ごちる。
「……お前、裕太の事可愛がりすぎだろ、ほんと」
「後輩をこき使いすぎです、貴方達は」
「仕方ねえだろ、お前の誕生日、祝いたいんだから」
 裕太からじゃなきゃお前断るだろ?とやけにきっぱり赤澤に言い切られる。
 それはそれで癪だと観月は思う。
 事実だから余計に。
「だから俺らは裕太に頼るしかねえの」
「ラズベリーパイだけじゃ等価交換になりませんね」
「あいつにしか見せてないものと聞かせてないものあるだろ。充分だろ、等価交換」
 赤澤がそこにいるのは知っていたけれど、しっかりどこまで聞いて、何まで見ているのかと、観月は呆れ半分感心半分になった。
「なんですか、その羨ましがるみたいな口調は」
「みたいじゃなくてな。実際羨ましい」
「貴方が言わないで下さい、貴方が!」
 誰よりも。
 誰よりも。
 観月を知って、観月から奪って、観月に与える男が、尚且つ言う事ではない。
 本心から、何より観月が、そう思っているのに。
 寛容で、大雑把で、無頓着で、それなのに何故か観月に対してだけは、赤澤は、そうならない。
 そういうまるで飢餓感のような執着心が自分に向けられていること、それが、ほんの少しも嫌でない自分のことも観月にはちょっと怖かった。
「自分が昨日から今日にかけて、僕に何をして、僕から何を持っていったか、その自覚は?」
「事実は事実として、勿論自覚してる」
「……っ、…それなら猶更でしょうがっ! まだ欲しがるって、いったい何事なんですか、どれだけ欲しがりですかっ!」
 誰もいない事をいい事に、声が荒くなり、深夜睦みあった、まだどこかリアルな記憶で観月の顔は赤くなる。
 だいたい、いつもはリラックスする為に紅茶の香りを好む観月の意識を今なお全部持っていったままなのはこの男で、ふわふわと浮き立つような気持ちは一向に静まらないのもやはりこの男のせいなのだ。
「ん、ごめん」
 思いのほか真面目な声、しかしそれと同時に腰から身を屈めて、赤澤は観月の唇に重ねるだけのキスをしてきた。
「おめでとう、観月」
「……っ……、…っ」
 それはもう何度も聞きましたと怒鳴るべきなのか、こんな所で何をするのかと怒鳴るべきなのか。
 難しい二者選択ではないのに、結局観月は、何も返せなかった。
 赤澤が、また、ゆっくりと近づいてくる。
 紅茶の味。
 薔薇の気配。
 それは観月の誕生日に繰り返される、あまりにも優しいキスを彩る、あれこれだった。
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