How did you feel at your first kiss?
おかしいなおかしいなと神尾がしきりに首を傾げて呟くのがいい加減面倒になった。
跡部は神尾の手を握る。
途端に数センチ露骨に飛び上った神尾が、勢いよく跡部を見上げて口をぱくぱくと動かした。
声はない。
どうも出ないらしい。
跡部は唇の端を引き上げた。
「行くぞ」
「…あ…とべ、…!」
「何だ」
「手、っ」
「あん?」
「だからっ、手っ」
ぶん、と腕から大きく振られたが、みすみす振り解かさせる訳がない。
跡部はしっかりと互いの指を絡めて繋いだ手をそのまま自分の口元近くまで持ち上げて、神尾の顔を上目に覗きこんでやった。
身長は、無論跡部の方が高い。
しかし上目で覗き込む。
その効果の程は明らかだ。
神尾は、どっと赤くなった。
判りやす過ぎる表情で、再び声もなく、開閉だけを繰り返す薄い唇に執着が募る前に、跡部はさっさと歩き出す事にした。
半ば神尾を引きずるようにして、ゲートをくぐる。
二人で足を踏み入れたその先が、どこかと言えば。
「お前が来たいっつったんだろうが」
「や、…、そ、だけどさ…!」
水族館である。
「そうなんだけどさ…!」
十月四日の事だった。
イルカショーのステージの最前列で、相変わらず神尾は、おかしいなおかしいなと首を傾げていた。
飽きねえなこいつ、と横目で呆れる跡部も、結局は。
自分も同じだという自覚は持っている。
跡部は跡部で、まるで飽きずにそんな神尾を眺めているのだから。
「なあ、跡部? 今日、跡部の誕生日だろ?」
「それが何だ」
判り切った事を確認するなと言い捨てても、珍しく神尾は噛みついてこなかった。
むしろ眉毛を下げるような頼りなげな表情で、途方に暮れたような顔で、じっと跡部を見上げてくる。
ガキくせえ、と思う反面。
何なんだそのツラはと腹も立ってくる。
己の分の悪さを自覚させられるからだ。
周辺は、それこそ本物の、お子様だらけだ。
子供、幼児、揃ってきゃあきゃあと賑やか極まりない。
そもそもこの状況下にいる自分という図も跡部には些か頭が痛い所なのに。
どうしてこんな場所で、そのど真ん中で、うっかり自分はこんな気分になっているのか。
原因を、睨むように跡部は見据えた。
「………………」
普段あまり目にする事のないような表情で自分を必死に直視してくる神尾の存在は、うっかりと跡部に現実を忘れかけさせる。
要は、何と言うかもう。
肩でも抱いてさっさと唇でも塞ぎたいというのが跡部の心情だ。
「………………」
「跡部の誕生日なのにさあ……何で俺が行きたいって言ったとこに来てんの? 俺ら」
普段、長い前髪に隠れている筈の神尾の左目が露になる。
露骨に首を傾げるからだ。
ほっそりとした首筋に気を取られる自分に、跡部は盛大な溜息を零した。
「た、……溜息つくくらいなら、ちゃんと希望言えば良いだろ…っ」
俺は跡部にちゃんと聞いたのに!と眉間を歪める神尾は盛大な勘違いをしているようで、仕方なく跡部は軽く笑った。
様にならねえシチュエーションだと呆れながら、跡部は神尾の耳元に顔を近づける。
「笑ってろ」
「……え…?」
吐息程度の囁きも、さすがにこの至近距離では正確に聞きとったらしい。
神尾の微かな問いかけに、跡部は尚声をひそめた。
「…お前のそういうツラが見たいから、ここがいいって言ったんだ」
だから笑ってろと。
ごまかしとか、からかいではない、あくまでも本音で跡部は告げた。
あの時神尾が、あまりにも楽しそうな顔で言ったから。
だから跡部もそれが欲しくなった。
『跡部、イルカってさ、すっげーの! 可愛いの!』
『あのな? イルカって、いっつもわくわくしてんだって!』
『何してても、遊んでて、わくわくしてて、楽しいって思ってるんだって!』
『ものっすごい可愛くね? 俺、イルカって、本物見たことないんだよなー。そんなの知ったら本物見たくなるよなー』
そう言って、たまたま見ていた雑誌の中の記事を、神尾は跡部に見せてきた。
はっきり言って、そういうのはイルカというよりお前だろ、と跡部は考えていたのだけれど。
神尾の、全開の、満面の、笑顔を見て、思ったのだけれど。
別段ねだられた訳でもないのに、それなら本物のイルカくらいすぐにでも見せてやると跡部が動くくらいには、神尾の笑顔には威力があった。
思い出して、跡部の唇から微かに笑みが零れる。
そしてそれと同時に。
「神尾。俺様は赤くなれとは言ってねえ」
わざと意地悪く言ってやれば、神尾は真っ赤な顔のまま跡部を睨みつけてきた。
跡部が囁いた方の耳を片手で覆って、わなわなと震えている。
今度こそ、跡部は屈託なく笑った。
おかしくて、そして多分、浮かれてもいて。
「跡部ー!」
笛の音が響き渡った。
始まるぞ、と隣に座る神尾の薄い背中に跡部が手を当てた時だ。
挨拶代わりにか、プールからイルカが高く空に飛び上がる。
大きな水音と同時に、派手な水飛沫がたって。
「……………何やってんだ、お前…」
「え? 何が? いや、それより大丈夫か? 跡部」
弾けた子供達の甲高い声の共鳴も一瞬無になる。
そのくらい、跡部は呆気にとられて、自分を庇うようにしてきた神尾を見やった。
イルカの起こした水飛沫は大量にではないものの、それでもあきらかな水分量で周辺に飛び散っている。
現に神尾の髪は水滴を帯びていた。
「濡れなかった? 大丈夫?」
「………………」
どうやらこの可愛いのに男前に庇われたらしいと再認識し、跡部はそれは複雑に押し黙った。
よりにもよって、どういう有様だ、これは。
お兄ちゃんやさしいね!なんて近くにいた幼女に称賛されている神尾を、跡部は尚も唖然と見やるしかない。
「そうか? でもさー、出来たら、やさしいより、かっこいいって言ってくれよな?」
「うん! お兄ちゃんかっこいい!」
「おー、サンキュー!」
「…………おい」
仲睦まじい会話に、跡部は目を据わらせて低く割って入った。
神尾がこちらに顔を向けてくるのに。
その濡れ髪に。
笑顔の余韻に。
とにかく何もかもに跡部は眉を顰め、呟いた。
「浮気してんじゃねえ」
「………………」
多分に本音でしかない、我ながら物騒な声が出た。
今更取り繕う気もなくて、跡部が真面目に神尾を睨み据えていると、神尾はやっぱり、それは派手に赤くなって。
そのくせ妙に従順に、こくりと小さく頷いたりもした。
「……ん。…ごめん」
「………………」
「………………」
「それから?」
「…え?」
なに?とぎこちなく伺ってくる神尾に、仕方ねえなと跡部は肩を竦めた。
「俺様の誕生日だろ」
「………うん」
「少しでも祝う気があるなら、俺のしたいことさせて、俺の見たいものを見せろ」
命令。
そして同時に。
それは神尾にしか向けない甘えでもある。
ゆっくり瞬きして跡部の瞳を見つめ返した神尾は、結局のところ跡部の望むように、行動するようだった。
「………………」
そっと、周囲からは見えないように、互いの身体の間で、手と手を繋ぐ。
指を絡め、繋がって。
そして神尾は跡部をそっと窺い見て、どこかほっとしたような小さな息をついた。
「………………」
再びジャンプするイルカに、神尾の視線が移行する。
無心な、稚い眼差しと。
未だ跡部を引きずって余韻に微かに染まる頬とを。
跡部は欠片の遠慮もなく、その体勢から存分に堪能した。
果たしてその日その場所で。
誰より何より高い周波数で。
ワクワクと、何もかを楽しんでいたのは、誰だったのか。
イルカのショーは幾度となく水飛沫を立ち上げて、その都度小さな虹の弧を生み、アニバーサリーをささやかに、繰り返し、祝福したのだった。
跡部は神尾の手を握る。
途端に数センチ露骨に飛び上った神尾が、勢いよく跡部を見上げて口をぱくぱくと動かした。
声はない。
どうも出ないらしい。
跡部は唇の端を引き上げた。
「行くぞ」
「…あ…とべ、…!」
「何だ」
「手、っ」
「あん?」
「だからっ、手っ」
ぶん、と腕から大きく振られたが、みすみす振り解かさせる訳がない。
跡部はしっかりと互いの指を絡めて繋いだ手をそのまま自分の口元近くまで持ち上げて、神尾の顔を上目に覗きこんでやった。
身長は、無論跡部の方が高い。
しかし上目で覗き込む。
その効果の程は明らかだ。
神尾は、どっと赤くなった。
判りやす過ぎる表情で、再び声もなく、開閉だけを繰り返す薄い唇に執着が募る前に、跡部はさっさと歩き出す事にした。
半ば神尾を引きずるようにして、ゲートをくぐる。
二人で足を踏み入れたその先が、どこかと言えば。
「お前が来たいっつったんだろうが」
「や、…、そ、だけどさ…!」
水族館である。
「そうなんだけどさ…!」
十月四日の事だった。
イルカショーのステージの最前列で、相変わらず神尾は、おかしいなおかしいなと首を傾げていた。
飽きねえなこいつ、と横目で呆れる跡部も、結局は。
自分も同じだという自覚は持っている。
跡部は跡部で、まるで飽きずにそんな神尾を眺めているのだから。
「なあ、跡部? 今日、跡部の誕生日だろ?」
「それが何だ」
判り切った事を確認するなと言い捨てても、珍しく神尾は噛みついてこなかった。
むしろ眉毛を下げるような頼りなげな表情で、途方に暮れたような顔で、じっと跡部を見上げてくる。
ガキくせえ、と思う反面。
何なんだそのツラはと腹も立ってくる。
己の分の悪さを自覚させられるからだ。
周辺は、それこそ本物の、お子様だらけだ。
子供、幼児、揃ってきゃあきゃあと賑やか極まりない。
そもそもこの状況下にいる自分という図も跡部には些か頭が痛い所なのに。
どうしてこんな場所で、そのど真ん中で、うっかり自分はこんな気分になっているのか。
原因を、睨むように跡部は見据えた。
「………………」
普段あまり目にする事のないような表情で自分を必死に直視してくる神尾の存在は、うっかりと跡部に現実を忘れかけさせる。
要は、何と言うかもう。
肩でも抱いてさっさと唇でも塞ぎたいというのが跡部の心情だ。
「………………」
「跡部の誕生日なのにさあ……何で俺が行きたいって言ったとこに来てんの? 俺ら」
普段、長い前髪に隠れている筈の神尾の左目が露になる。
露骨に首を傾げるからだ。
ほっそりとした首筋に気を取られる自分に、跡部は盛大な溜息を零した。
「た、……溜息つくくらいなら、ちゃんと希望言えば良いだろ…っ」
俺は跡部にちゃんと聞いたのに!と眉間を歪める神尾は盛大な勘違いをしているようで、仕方なく跡部は軽く笑った。
様にならねえシチュエーションだと呆れながら、跡部は神尾の耳元に顔を近づける。
「笑ってろ」
「……え…?」
吐息程度の囁きも、さすがにこの至近距離では正確に聞きとったらしい。
神尾の微かな問いかけに、跡部は尚声をひそめた。
「…お前のそういうツラが見たいから、ここがいいって言ったんだ」
だから笑ってろと。
ごまかしとか、からかいではない、あくまでも本音で跡部は告げた。
あの時神尾が、あまりにも楽しそうな顔で言ったから。
だから跡部もそれが欲しくなった。
『跡部、イルカってさ、すっげーの! 可愛いの!』
『あのな? イルカって、いっつもわくわくしてんだって!』
『何してても、遊んでて、わくわくしてて、楽しいって思ってるんだって!』
『ものっすごい可愛くね? 俺、イルカって、本物見たことないんだよなー。そんなの知ったら本物見たくなるよなー』
そう言って、たまたま見ていた雑誌の中の記事を、神尾は跡部に見せてきた。
はっきり言って、そういうのはイルカというよりお前だろ、と跡部は考えていたのだけれど。
神尾の、全開の、満面の、笑顔を見て、思ったのだけれど。
別段ねだられた訳でもないのに、それなら本物のイルカくらいすぐにでも見せてやると跡部が動くくらいには、神尾の笑顔には威力があった。
思い出して、跡部の唇から微かに笑みが零れる。
そしてそれと同時に。
「神尾。俺様は赤くなれとは言ってねえ」
わざと意地悪く言ってやれば、神尾は真っ赤な顔のまま跡部を睨みつけてきた。
跡部が囁いた方の耳を片手で覆って、わなわなと震えている。
今度こそ、跡部は屈託なく笑った。
おかしくて、そして多分、浮かれてもいて。
「跡部ー!」
笛の音が響き渡った。
始まるぞ、と隣に座る神尾の薄い背中に跡部が手を当てた時だ。
挨拶代わりにか、プールからイルカが高く空に飛び上がる。
大きな水音と同時に、派手な水飛沫がたって。
「……………何やってんだ、お前…」
「え? 何が? いや、それより大丈夫か? 跡部」
弾けた子供達の甲高い声の共鳴も一瞬無になる。
そのくらい、跡部は呆気にとられて、自分を庇うようにしてきた神尾を見やった。
イルカの起こした水飛沫は大量にではないものの、それでもあきらかな水分量で周辺に飛び散っている。
現に神尾の髪は水滴を帯びていた。
「濡れなかった? 大丈夫?」
「………………」
どうやらこの可愛いのに男前に庇われたらしいと再認識し、跡部はそれは複雑に押し黙った。
よりにもよって、どういう有様だ、これは。
お兄ちゃんやさしいね!なんて近くにいた幼女に称賛されている神尾を、跡部は尚も唖然と見やるしかない。
「そうか? でもさー、出来たら、やさしいより、かっこいいって言ってくれよな?」
「うん! お兄ちゃんかっこいい!」
「おー、サンキュー!」
「…………おい」
仲睦まじい会話に、跡部は目を据わらせて低く割って入った。
神尾がこちらに顔を向けてくるのに。
その濡れ髪に。
笑顔の余韻に。
とにかく何もかもに跡部は眉を顰め、呟いた。
「浮気してんじゃねえ」
「………………」
多分に本音でしかない、我ながら物騒な声が出た。
今更取り繕う気もなくて、跡部が真面目に神尾を睨み据えていると、神尾はやっぱり、それは派手に赤くなって。
そのくせ妙に従順に、こくりと小さく頷いたりもした。
「……ん。…ごめん」
「………………」
「………………」
「それから?」
「…え?」
なに?とぎこちなく伺ってくる神尾に、仕方ねえなと跡部は肩を竦めた。
「俺様の誕生日だろ」
「………うん」
「少しでも祝う気があるなら、俺のしたいことさせて、俺の見たいものを見せろ」
命令。
そして同時に。
それは神尾にしか向けない甘えでもある。
ゆっくり瞬きして跡部の瞳を見つめ返した神尾は、結局のところ跡部の望むように、行動するようだった。
「………………」
そっと、周囲からは見えないように、互いの身体の間で、手と手を繋ぐ。
指を絡め、繋がって。
そして神尾は跡部をそっと窺い見て、どこかほっとしたような小さな息をついた。
「………………」
再びジャンプするイルカに、神尾の視線が移行する。
無心な、稚い眼差しと。
未だ跡部を引きずって余韻に微かに染まる頬とを。
跡部は欠片の遠慮もなく、その体勢から存分に堪能した。
果たしてその日その場所で。
誰より何より高い周波数で。
ワクワクと、何もかを楽しんでいたのは、誰だったのか。
イルカのショーは幾度となく水飛沫を立ち上げて、その都度小さな虹の弧を生み、アニバーサリーをささやかに、繰り返し、祝福したのだった。
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