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How did you feel at your first kiss?
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 飲んだ水が体内に行き渡るまで約一時間かかる。
 一口に見合う一つの認識が、体内に行き渡ってそれを確定するのだって、一時間あれば充分だ。
 そう言った乾の言葉は、ひどくまともな事を言っているようにも聞こえるのだが。
 一時間でこんなこと決めたのか。
 一時間で認めてしまったのか。
 乾は。
 そう思うと、海堂はひどく焦った。
「あんた、もう少しちゃんと、よく、考え…」
 焦って、そして海堂は、必死だった。
 懸命に言い募る。
 言葉のうまくない自分がもどかしい事この上なかった。
 普段ならば感情が暴走しがちなのは寧ろ海堂の方で、それにうまく対処してくるのが乾の筈なのに。
 何故今は、こんなことになっているのかと思えば、海堂の顔も一層強張っていく。
 そもそも、この体勢だ。
「乾、先輩…」
 こんなに力の強い人だったのだろうか。 
 海堂は愕然と、しかし、もう認めるしかない。
 自分の両手首が部室の壁に押さえつけられていて、それが全く振り解けないでいる事。
 海堂を押さえつけてきているのは乾だ。
 乾の形に影が落ち、海堂の視界を覆っている。
 海堂が、最初にまともに取り合おうとしなかったのが、いけなかったようだ。
 こうでもしないと、本気だって判ってくれないのかな、と乾が言って浮かべた薄い笑みは、海堂に冷たさではなく、熱を感じさせた。
 痛い熱だ。
 乾に握りとられている手首も、近すぎる距離も。
 海堂は歯噛みした。
 だってまさか乾がそれを。
 言うとはまるで思いもしなかったのだ。
「どうして今決めちゃいけないんだ」
「……っ……、…」
「こいつだって。お前だって。どうして思っちゃいけない」
 乾の声は決して大きくない。
 訥々とした物言いは、普段の乾そのままだ。
 彼がふざけている訳ではない事くらい、海堂は判っていた。
 人馴れ出来ず、人付き合いの不得手な海堂の、唯一といっていいほどの近しい相手が乾なのだ。
 海堂にとって、乾でしか有り得ない、成り得ない事が、いったいどれだけたくさんあると思っているのかと、歯噛みするように海堂は乾を睨み上げた。
 海堂がどれだけ睨んだところで、乾は決して視線を外さなかった。
 それどころか、尚一層近づいてきて。
「……、………」
 海堂の唇を、唇で塞いだ。
 壁に海堂を縫いとめたまま、首を傾け、口付けてきた。
 重なるだけの唇。
 海堂は乾を睨みつけていた目を開けたまま潤ませる。
 泣いてしまうかもしれないと思った。
「…っ………、ぅ……」
「海堂…ごめんな」
 低い声は、決してキスを詫びた訳でも、この拘束を詫びた訳でもない。
 乾は多分全部判っている。
「お前は、一生言わないつもりだったのかもしれないけど」
「………、…」
「俺は、駄目で、ごめんな」
 お前が好きだと乾が言うので、とうとう海堂はしゃくりあげた。
 やはり乾は判っている。
 だから泣いてしまっていいのだと言われたようで、海堂は嗚咽した。
 好きだ、なんて。
 そんなのは、海堂は、もうずっと、ずっと、ずっと。
「海堂」
「…………っ…く…」
 でも絶対に、それを告げることはないと思っていた。
 気づかれる事もないと思っていた。
 少なくとも海堂は、自分からそんな秋波が送られる事なんて有り得ないと思っていたし、好きで好きでどうしようもなくなった相手に、だからといってどうしたいという明確な展望もないまま、それでいいと思っていた。
 それなのに、どうして乾は。
「……、…っ、バカ…だろ、…あんた」
「海堂」
「俺、…っじゃ…あるまいし、」
 なんで、と声を荒げて、海堂は乾に手をとられたまま泣いた。
 乾はそれを全部見ていて、笑いもせず、弱りもせず、淡々と言った。
「お前が決めてるのはよくて、俺が決めるのは駄目なのか」
「ちゃんと考えろよ、…っ…」
 もっとちゃんと、と海堂は涙声を振り絞った。
 そんな一時間やそこらで、自分を好きだなんて決めて、言ったりするなよと続ければ、乾はあからさまに不機嫌な顔をした。
「お前、まるで俺の気の迷いとでも言いたげだな…?」
 それだ。
 確かに、海堂が言いたい事はそれだ。
 涙が絡んで重たくなった睫毛を海堂がしばたかせると、溜息と一緒に乾の唇が海堂の睫毛の先に触れてきた。
「一年以上も続くのか。気の迷いってやつは」
「…、…ぇ……?」
「一時間もあれば理解した。自分がお前にどういう感情を持ってるのか。一番最初に会った時にな」
「………………」
 いきなり乾がとんでもないことを言い出したせいで、海堂の涙はぴたりと止まってしまった。
 壁に両手首を押し付けられたまま、海堂は唖然と乾を見上げる。
 いったい。
 何を言い出したのか、この人は、と瞳を見開くと。
 海堂の視線を受け止めて、乾が唇の端を微かに緩めた。
「一目惚れなんだが?」
「な……、…」
「何だ。知らなかったのか」
 バカはどっちだと乾が笑う。
 気負いのない話し方。
 見慣れた自然な笑い顔に、力が抜ける。
「……っと…」
「………………」
 思わず座り込んでしまいかけたのを、今度は手首ではなく腰を支えられて食い止められた。
 海堂は乾の両手に支えられたまま、困惑も露に呟くのが精一杯だった。
「今決めた…っつった…」
「ああ、告白をね」
 呆然とした海堂の呟きに、乾は柔らかな笑みで即答してくる。
「いい加減、海堂に、俺を諦めてるみたいな顔されんのきつかったから」
「……、…ッ…」
 見破られているというより、見透かされている。
 乾は笑って言うけれど、でも、ほんの少し寂しそうな気配もして、海堂はらしくもない自身の弱気を今少しだけ後悔した。
 でもまさか乾が自分の事でそんな顔をするとは思っても見なかったのだ。
「初めてが無理矢理っぽくなったのは悪かった」
 唇を乾の親指の腹に辛く擦られ、じわりと熱を帯びた自身を自覚しつつ、海堂は無言で手を伸ばした。
 乾の制服のシャツを、胸元で、握りこむ。
「海堂」
 ぽんぽんと背中を軽く叩かれながら抱き締められて、海堂はふと、乾の言葉を思い出す。
 飲んだ水が体内に行き渡るまで約一時間かかる。
 だとすれば、乾にされたキスも、今少しずつ海堂の体内を巡っているのだ、きっと。
 行き渡るまでには、多分約一時間。
 二人でしたキスだから、行き渡る瞬間も同時に違いない。
 海堂だけでなく、乾にも広がるはずだ。
「………………」
 それならせめてそれまでには。
 海堂も、言葉にしておきたいと、願う。
 その時間までに、長く想っていた感情に見合う言葉が見つけられるかどうかが正直海堂には不安でもあったが。
「海堂」
 少し強引で、とても穏やかな、言葉と所作とで乾がこうしていてくれているから。
 海堂は乾の胸元のシャツを握り締め、そこに額を押し当てながら、目を閉じる。
 さがす。
「そうやって、言葉を探している時のお前が、俺はすごく可愛いんだよな…」
「…………るせ」
 そうしてやはり乾には。
 見破られているというより、見透かされているのだ。
 甘い声音は独り言だったようだ。
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