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How did you feel at your first kiss?
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 窓に雨滴が張り付いて、それを見れば閉めっきりの室内にいながら外がどれだけの悪天候かが判る。
 瞳に涙が溜まっていて、それを見れば言葉がなくても今の彼の心情のどれだけ乱れているかが判る。



 雨はただこちら側から見上げているだけでいい。
 涙はただこちら側から見下ろしているだけでいい筈がない。







 乾貞治は自分自身をコントロールする術を知っていて、だから煮詰まった自分を持て余すという経験をした事がなかった。
 テニスにだけは、それに付随するあれこれに僅かに気持が乱れることがあったが、それでも勝ちたいからこそ、負けたくはなかったからこそ、一層感情を制御する事をそのテニスで覚えたのだ。
 決して無理にではなく。
 つくりあげた乾の自我は、物慣れぬ感情にそれでも揺すられたとしても、すぐに崩れてしまう事はなかった。
 その筈だった。
 しかし、そんな乾の自制心に、近頃海堂薫という一つ年下の後輩が揺さぶりをかけてくるようになった。
 愛想がないのに礼儀正しい、誰ともつるまないのに乾とは共に自主トレをする、アンバランスさで逆にバランスをとっているようなストイックな海堂は、無論何か意図して乾にしかけているわけではない。
 乾の方がそんな海堂に対して、感情で興味を、肉体で欲情を自覚したのだ。
 物慣れない感触だった。
 自分のことなのに自分で管理出来ない。
 長くそれを抱えていると、自分が何をしでかすのかの予想がつかなくて、そのことが何より乾を驚かせ、だからこれがまずい事になってしまう前に放ろうと乾は決めた。
 急な夕立で、公園での自主トレを中断せざるを得なくなって、少しはマシかと木立の下に海堂と肩を並べて雨宿りをした時に乾はそれを決めた。
 湿気を含んだ雨が散らばって僅かに息苦しかった。
 その重さに封じ込められたように、二人きりだった。
 乾は、口調ばかりはやけにさらりと、気づけば告げていた。
 好きだよと。
 雨を見上げていた目線を海堂に落として言うと、海堂は黙って乾を見た。
 ひどく不思議そうな顔をしていた。
 じっと乾を見つめてくる。
 怒るか訝しむかするとばかり思っていた海堂が、なんの虚勢もなく無心に自分を見つめてきて、乾は小さく息をのんだ。
 急に、自身の欲求が具体化するのを感じた。
 それまではどこかおぼろげで、抽象的だったのだ。
 自然と体内から零れおちたような好きだという言葉が、何もかもを明確に象って乾の中に溶け込んでいった。
 海堂を、どういう風に好きなのか。
 好きだからどうしたいのか。
 乾が雨音に溶け込ませるように低い声でゆっくり伝えると、海堂は無言でそれを聞き、徐々に驚いて、しまいには絶句した顔になった。
 こんなこと思いもしていなかったんだろうと海堂の心情を汲んで。
 乾は微かに微苦笑する。
「決められないか、判らないなら、試してみてくれないか」
 利用していい。
 それで決められるか、判るかするなら。
 前にもこんな会話をしたと、思い出したのは二人ともだ。
「海堂の返事も一緒かな?」
「…………あんた、それでいいのか」
「俺がショックを受けた言葉が抜けてて嬉しいよ」
 軽口でもなんでもなく、乾は笑って告げた。
 断るとは断言しなかった海堂は、それでもあの時のように、それでいいのかと危ぶむような目をして乾を見ていた。
「……………………」
 それでいいし、そして好きだし、それから先はまたその時に。
 乾は、その時降っていた雨滴のように、海堂の唇にそっと唇を落とした。
 腰を屈めて触れた海堂の身じろがない身体から、ふわりと立ち上るような熱の気配。
 雨の匂い。
 身体の中で一番薄い皮膚と皮膚とを、今出来る、一番近くにいられる方法で、重ねた。
 静かに何かが始まった。







 その日から連日雨が続いた。
 入梅したのだ。
 土壌に降り注いだ雨の量と同等に、それから毎日、乾と海堂とに等しく降り注ぐかのような互いへの感情は、違和感ないまま、限度を知らないまま、貪欲に吸収されていって。
 この感情を、ますますはっきりと形作っていった。
 キスをして、手で触れて、抱きしめあって。
 だんだん言葉が奪われていくようで。
 口数が減った分、相手に触れ合う回数も箇所も時間も増えていった。
 それから数日で乾が初めて海堂を抱いた時も二人は殆ど無言だった。
 雨も降っていた。
 抱いてみると、海堂は終始、ひどくおとなしかった。
 乾はかなり煮詰まったものを抱えて手を出したのにも関わらず、際どく、どうしようもなく、卑猥な事をしかけたりもしたのに、海堂はおとなしかった。
 抗いや拒絶はなく、身じろぎすらも耐えるような必死な身体を、乾は触れて、舐めて、蕩かせた。
 言葉はないまま海堂の大きな瞳に涙だけが溜まったその情景は、乾の息の根を止めるような強烈さだった。
 表面が揺らぐほど、透き通った滴は海堂の瞳に広がって、零れそうで零れないままゆらゆらと膜を張っていた。
 その目で海堂は乾を見ていた。
 乾が慎重に海堂の身体を突き上げる。
 唇を噛んだ海堂は小さく息を詰まらせて、その涙を眦から零した。
 潤んで、零れて、また潤んで、その繰り返しでひっきりなしに濡れていく海堂の瞳を見据えながら、乾はその身体を揺さぶった。
 終わりの方は殆ど突き上げて拓ききってそれでも足りなくてそこで全部を吐き出してもまだ続けた。
 海堂は泣きながら掠れた甘い呼吸に小さな声を時折忍ばせ、乾の首に指を沈ませて、最後は歯を食いしばって事切れた。
 どうしても無くしたくない、誰にも渡したくない、そういう固執と独占欲とが形になっているものをこうして手にして。
 乾は甘くも切羽詰った初めての感情が詰まった身体で、意識を失った海堂を抱き締めた。
 強い雨を浴びているような気もしたし、気づけば濡れている目に見えない霧雨のようだとも思った。







 雨が降る。
 毎日のように。
 飽きもせず。
 止め処もなく降って。
 部活が中止になりがちで、自主トレも大分限られてしまう。
 そうやってテニスが出来ない事で生まれた時間の大半を、乾は海堂と共にいた。
 部屋で新しいトレーニングのメニューを決めたり、それぞれが気ままに好きな事をしたり、そうやって始まっていた筈の時間が、いつの間にかキスにつながり、その先へと進む。
 初めて海堂を抱いた時のやり方を、乾は少し反省していた。
 思い返せばあの海堂が、あれだけ泣くまでのことを、いったいどういうやり方で彼に与えてしまったか。
 翌日、海堂が初めて日課にしている早朝の走り込みを休んだ事も。
 乾の意識下で時折海堂のあの時の様子が思い出せない事も。
 全て自分が相当がっついていた事の証で、乾は自嘲と共に反省をした。
 あの時と同じく聞こえる雨音が、一種戒めの役目を果たす。
 あれから何日目かの今日も、日曜の休日練習が雨で休みになり、乾の部屋に来ていた海堂は乾がキーボードを弾いている間、ベッドによりかかって雑誌を捲っていた。
 暫くしてその海堂の正面に屈んで口付けた乾を、海堂は恐らく、乾がしていた作業が終わったからと思っただろうが実際は違うのだ。
 乾のデータ入力は、まだ途中で。
 単に我慢が出来なくなった。
 首を大きく傾けて軽く唇を合わせると、海堂が息を詰めたのが振動で伝わってきた。
 強張るように緊張する全身を、出来るだけあまり卑猥にならないように手のひらで辿る。
 くどいキスは止めて、うんと軽い接触で、海堂を追い詰めないように乾はキスを続ける。
 深く沈ませてしまいそうになる舌を宥める為、幾度か息継ぎにみせかけキスを中断した。
 下降しない放物線のような感情の高揚に自分が苦しむ事になろうとは、乾は全く考えた事もなかった。
 力づくで抱き竦めたい欲求の詰まる腕で、出来るだけさらりと海堂の身体を辿る。
 我慢強い上に泣き言を決して口にしない海堂は、初めての時最後は一人静かに崩れ落ちていってしまった。
 負けず嫌いもあるのかもしれない。
 こうして身体をあわせる時、海堂は抵抗する事が負けに繋がるとでも言いたげな意固地さで、時折きつく唇を噛んでいる。
 出来ればそうやって海堂が堪えているものが、痛みでなく快楽の方であればいいと乾は願ってやまなかったが、聞くに聞けずに乾は知らないままでいる。
「…………………」
 ベッドの上に引き上げた海堂の四肢を、寝床に慣らすように撫でさすって、乾はその伸びやかな肢体をメガネのレンズ越しに見つめた。
 海堂は、既製の制服ではサイズが合わない。
 ウエストに合わせると踝が覗き、胸囲に合わせると袖丈がまるで足りない。
 制服を手繰らなくても触れられる手首やアキレス腱にゆるく指先を辿らせながら、今自分がしたい事を、この海堂がどこまでなら嫌がらずにいてくれるかを乾は考えた。
 どうせ自制してもそれをオーバーしてしまうのはわかっていたので、せめて最低ラインを決めることだけはしておこうと海堂に浅いキスを落としながら思案する。
 目を閉じないまま口づけていたので、乾が違和感を感じたのは早かった。
 僅かな雨滴が顔に当たって感じる降りだしたばかりの雨の存在のように。
 近すぎてぼやけた視界の隅で、海堂の睫に絡みついたものの気配。
「……海堂…? どうしたの?」
 海堂は乾に組み敷かれたまま、涙の纏わりついた睫を、しかし擦るのも悔しいようで。
 そのままにして、そのくせ乾がその事に気づいたのが耐えられないように眉を顰めて宙を睨みつけていた。
 きつい眼差しにうすく涙が溜まるのを、乾は唖然となって見た。
「海堂………?…」
「…………手…抜きやがって…」
 全く意味のつかめない言葉が聞こえてきた。
 乾がますます困惑を深めていると、海堂はただ怒っているのではないことを乾に知らしめるような、ひどく傷ついた表情を浮かべた。
 それにぎょっとして乾が何かを言いかける前に、海堂は身体を起こしていた。
「もう、いやだ。やめる」
 低い声で吐き捨てた言葉は、明らかに普段の海堂の物言いとは違っていた。
 涙を含んで滑舌がひどくあまかった。
 その口調で海堂は低く吐き捨てる。
「もうしない」
「海堂」
「………なせ。も、いい」
 海堂から、こういう行為への拒絶がつき渡される可能性は、乾も考えた事があった。
 でも今、あまりにもこの状況への違和感があって、乾はこの場から立ち去ろうとする海堂の腕を掴んだ。
 海堂は、何か自分自身に苛立ちながら、傷ついた顔をする。
 突然行ってしまおうとする。
「海堂」
 乾の声が強くなった。
 乾自身が驚いたほど、余裕のない声になった。
 腕を取られた海堂は何故か乾の方を見ようとしない。
 それで乾がますます手の力を強くすると、切迫した促しに海堂は必死に気持を宥めるように小さく息をついた。
 ひどく辛そうに視線を合わせず言う。
「……嫌々しなくていい」
 海堂はそう言い切った。
「……………嫌々…?」
 口に出してみないほうがよかったのだ。
 きっと。
 海堂が継げた言葉を反芻して、乾は目を眇めた。
 口にしてみて、その言葉の意味を考えて、そして。
「俺が、嫌々してるって言ったのか。海堂」
「…………、…っ……」
 乾は掴んでいた海堂の腕を引きずって、かなり乱暴に、海堂をベッドの上に押し倒していた。
 海堂のウエストを引き絞るベルトを利き腕ではないほうで外すと、金属音がやけに攻撃的に部屋に響く。
「………先……、……」
「……………………」
 乾はもう口をきかなかった。 燃え立つような怒りではなく、冷たく凍える塊に息が詰まった。
 海堂が何か言いかける唇を強く塞いで、あからさまに差し入れた舌で、口腔を撫で擦る。
 少しも治まらない。
「…………、っ」
 隙間なく合わせた唇から唾液が零れてくるようなキスはこれまで一度だって海堂にした事はない。
  海堂の舌に執拗に固執するのも、上顎以外の粘膜に舌を這わせるのも、敢えてしないようにしていた事ばかりだった。
 きれいでは終わらないものにまみれて、それでもまだ貪る。
「……っ………ぅ…」
 肩を強く掴まれたが、海堂のその手に引き剥がされるつもりは乾には全くなかった。
 力でかなわない事を力で教えられるのは酷く嫌だろうと判っていながら、乾は海堂に思い知らせるように、その抵抗を無いもののようにあしらった。
 キスを更に強くする。
 潤んだ口腔を音をたててかき回して、さんざ零して、最後に濃度の高い唾液を互いの唇の合間で弛ませる。
「………、…」
 海堂を見下ろしたまま、乾は手の甲で自身の唇を雑に拭った。
 それから赤くなった海堂の唇を舌で舐めあげる。
 乾は海堂の両手首を彼の背中の下で交差させ、左手だけで一まとめに拘束した。
 乾の手の中にある海堂の二本の手首。
 身体の裏側で海堂の両腕を戒めたまま、シャツの上から胸元を舐める。
 二ヶ所歯を立てた。
「っ………、」
 胸を反らせて仰け反るしか出来ない海堂は、更に乾の唇に先端を吸い込まれて掠れた悲鳴を上げた。
 震えが直に乾の舌にしみこんでくる。
 シャツごと含んで乾は唇の次にそこに固執した。
 白い布地が濡れ、浮き上がる海堂の色みに、唾液を絡ませてもまだ続けていると、海堂がしゃくりあげるような声を漏らし始めた。
「……ひ………っ…、……」
「…………………」
「…、……く……、…っ」
 そこをしつこく舐められるのが嫌なのか、力づくで押さえ込まれているのが嫌なのか、恐らくそのどちらもで、海堂は動かせない身体を捩じらせてもがいた。
 雨に濡れたようにシャツが海堂の肌に張り付くまでそこにいた乾は、シーツと海堂の背中の合間で、海堂の手首を握りなおした。
 今度は両手で。
 海堂の手を交差させたまま、乾の右手で海堂の右手を、同じように左手で左手を。
 ぐっと海堂の肩甲骨が寄るほど力を込めて引くと、薄い胸がきつく反り返った。
「………ッ……っ…」
 手綱のように海堂の両手首を引き込みながら、乾は衣服越しに海堂の足の狭間にも加減した歯を食い込ませていく。
「っぁ……」
「……………………」
「……ぁ、っ、ぅ」
 服の上から舐め溶かすには生地も厚く、乾は無言のまま海堂の手首から手を引いた。
 両手でかきわけるように、釦を外し、ジッパーを下ろし、合わせを開く。
「………ャ………、…ッ……」
「……………………」
 開いたそこにすぐ顔を伏せ、埋めるようにして、乾は性急に舌を使った。
 驚かせずに、宥めるように、触れた事しかない。
 ここに舌を宛がう時、海堂はその事実だけで半泣きになることが多かったからだ。
「……、……っ……ぅ、っ…ン……」
 涙を含んだ声で海堂は乾を押しやろうと肩に手をかけてくるが、可哀想なくらい震えの染み渡った指先は苦しげに乾のシャツをかきむしり、その震えばかりを酷くしていく。
 引き剥がせないまま、最後には乾の肩先に取りすがるようにして、シャツを掴み締めているしかないようだった。
 海堂の荒いだ息に交ざって、泣き声や、切羽詰った声や、熱く潤んだような呼気が、乾の耳に届く。
 乾が強く舌を使うと、無理矢理追い立てられるように切迫していくそれらが、一層苦しそうになっていった。
「先…、……」
「……………………」
「…っゃ……ぅ、っ…く……ャ、ぁ、っ」
 濡らした指先を奥まで全部送り込むと、海堂は錯乱しきった悲鳴で身体を捩らせながら、その指を捻らせた乾の口の中に、吐き出した。
 すすり泣くように身体を横向きに丸める海堂の鍛えられた腹部が耐え切れないように痙攣していた。
 乾はゆっくりと顔を上げた。
 海堂の表情は見えなかった。
 必死に海堂が、泣きながら隠しているからだ。
「………………………」
 乾は海堂に含ませた指を、ぐるりと動かした。
 指の腹で押し込んだまま、長い指に見合った距離感で、乾の指が海堂の体内をすきまなく行き来する。
「ッァ…ぁっ」
「………………………」
「…ゃ、………やめ…っ、……そ…れ、ヤ……っ……」
 何か喋るのも辛そうな、切迫した海堂の声を乾はただ聞くだけだった。
 聞き入れはしない。
 横向きに身体を捻った海堂が前髪を掴み締めた手を激しく痙攣させながら、声も出せない状態で乾の指に二度目まで追い上げられていく。
「……ぅ……っ…く…、……ぅ……、ン」
「………………………」
「…、ン、ッ」
 海堂の手で隠されて、彼の目元は乾には見えなかった。
 けれど逆に無防備にさらされていた海堂の濡れた唇の震えから、泣いているのは判った。
 乾がきつく眉根を歪める。
 感情だけでなく、身体の欲も瞬く間に後をついてきた。
 軽く自分のそれに触れ、こんなものを海堂に埋め込むのかと乾は思い、しかしすでにもう海堂の身体にそれを宛がって、乾は押し切ろうとしている。
「………ッァ……」
 上ずった声で喉を反らせた海堂の唇を深く塞ぎ、息もさせないまま乾は自らの手の力も加えて拓いていった。
 舌に絡まる発せられない悲鳴の気配。
 強張り震え出す唇もすきまなく塞ぎきり、とろりと海堂の唇からも瞳からも零れだしたものに、乾も濡れた。







 初めての時にあれだけ慎重に傷つけないようにとそれだけは自らに言い聞かせてしたのに、こんなことになれば何の意味もなくなってしまう。
 まだ夕刻であっても、雨で室内はすでに薄暗い。
 乾は自分に背中を向けている海堂を、ベッドの上で背後から抱き込むようにして横たわる。
 生々しく足が絡まりあう。
 海堂は抗わない。
 きっと動けない。
 乾ですら身じろぎが億劫で、後ろ向きの海堂を抱き寄せながら漸く呼吸が平素の状態に近くなったばかりだった。
「………こういうのが欲しかったのか」
「……………………」
 乾は海堂のうなじに唇を触れ合わせたまま抑揚のない声で問いかけた。
 発した自分の声が掠れていた。
 乾は小さく重い息を吐き出し、言い直した。
「…………違う。悪い。そうじゃない」
「……………………」
「俺が悪かった」
 両腕で、海堂の身体を抱きこむ。
 乾の胸元に誂えたようにおさまる海堂は、何ひとつ抵抗しなかった。
「……嫌々してるって言われてショックだったんだよ」
「……………………」
「出来るだけ脅かさないように、嫌がられないようにしようって。それはずっと考えてきたけど、それが嫌々って見えてたのかってショックで。ごめんな」
「…………ごめんなんて言うな」
 密着しているから聞こえたくらいの小さく低い声だった。
 乾が緩めてしまった腕の拘束に、しかし海堂の方から、手を伸ばしてきた。
 喉の下あたりで乾の腕を抱き込んで。
 決して強い力ではなかったけれど。
「………したくて…してたんすか…」
「したくてしたくてしたくてしたよ」
「……………………」
 乾の腕の中で、海堂の身体から力が抜ける。
 ダイレクトに伝わってきた海堂の心中に、乾も少し戸惑った。
「……俺、したくなくてやってるように見えたか?」
 よりにもよってなんでそんな風にと思って問えば、海堂の低い声はどこか言い辛そうに答えてくる。
「………最初の時と……どんどん違ってくるから……」
「……………………」
「実際してみたら、あんたが考えてたのとは、違ってたんだろうって思って」
「海堂」
 乾は海堂の身体を返し、向き合って抱き寄せた。
「…………乾先輩?」
 自分のしたい事を言葉で言うと、何だか本当にどうしようもない気したが、それでもこのまま海堂に誤解されるよりはどんなにかいい。
 乾が口を開くと、しかし何か言うより先に海堂がそれを遮った。
「先輩。明日も雨っすか」
「………え?………ああ、確か進路が変わってなければ明日の夕方には本州上陸だからな」
 いきなりの問いかけにかなり面食らいながら、それでも乾が今朝みたウェザーニュースの内容を伝えると、そうですか、と海堂は頷き、ゆっくり顔を上げた。
「……頼みがあるんですけど」
「…なんだい?」
「一度ちゃんとしてみてくれないっすか」
「…………………」
 乾は滅多にない事に、完全に絶句して言葉を詰まらせた。
 海堂が何を言い出したのか正直全く判らない。
「……あんた、なんかいろいろ心配してるみたいだけど…俺はそんなヤワじゃねえ」
「…………………」
「案外…どうって事ないかもしれないだろ」
 あんたのしたいこと、と呟いた海堂は、乾が言おうとしてた言葉を聞く前から汲んでいた。
 そのうえで正確に先回りしてそう言った。
「どうって事ないって……」
「……それか……俺が…甘くみてるのかもしれねーし」
「…………………」
「判らない事を、あんたにいろいろ心配されてたり脅かされたりしても俺にはどうしようもねえよ」
 だから、と海堂は乾の胸元にもぐりこむように顔を伏せてきた。
 さらりと触れてきた海堂の髪以外、まだ互いの素肌は熱の名残も汗の名残も色濃いまま、ぴったりと重なった。
 乾は海堂の行動や言う事に驚かされるばかりだったが、こうして身体が近づけばいくらでもまだ欲しくなる。
 今までしていた事で、それでもまだ、外れていない箍があったことを自覚する。
「海堂…………」
「…………俺が…平気でも駄目でも…もうしたくないとかは言わない」
「…………………」
 海堂の言葉が何もかも正確すぎて、乾は目を見開き、それから微苦笑した。
「………どっちになっても。嫌にはならないのか?」
「ならねえ」
「俺のすることも、俺のことも?」
「ならねえって言ってんだろ」
 海堂が自分で決めた事は、決して覆されないから。
 乾は安堵した。
 いろいろな感情が指の先まで詰められていく。
 海堂は乾を甘くみている。
 そして甘やかしてもいる。
 今気づいているのは乾だけだというその2つの事実を、海堂にも知らしめるように、乾は海堂を組み敷いた。
 いつもどこか後ろめたく乾の記憶を刺激した雨音が、不思議と今は自らの心音のように、ひどく耳なじみよく聞こえた。







 その後、乾は海堂に。
 どれだけ海堂が乾を甘く見てていたかを、散々思い知らせたのだが。
 いつも乾が危惧していたような言動は、海堂から何も返されなかった。


  あんた、とんでもないっすね。


 ただ、最後にそう低く呟かれた時、海堂が呆れたように笑ったような気もしたが、海堂の喉元にうずめていた顔を乾が上げた時には、海堂はもう、静かに意識を手放していた。
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