How did you feel at your first kiss?
海堂の母親は乾の事を気に入っている。
結構どころか相当な勢いでだ。
青学テニス部内ではかなりの変わり者で通っている乾だが、さすがに海堂家で、データ収集に勤しむ姿や怪しげな汁作りをする様を見せる機会はないので、落ち着いた礼儀正しい先輩として認識されている。
海堂が幼い頃から親しい友人をつくって家に招くような性格ではなかった為、中学になって時折家に連れてくるようになった一つ年上の先輩を、海堂の家族達は皆かなりの歓迎でもって迎えている。
とりわけ母親はその傾向が強くて、元来無邪気な性質をしているものだから、にこにこと微笑んではしきりに乾と話をしたがるのだ。
海堂はそれが嫌ではなかったが、時折どうもそれに耐えられない時がある。
多分それは海堂の母親に対する乾の対応が、後輩の母親に対するというより恋人の母親に対するといったものに近いせいだと思っている。
現実的に間違ってはいない事なのだが、それでも。
「薫。ちょっといい?」
この日も。
海堂の母である穂摘が海堂の部屋の扉をノックしながら、おっとりとした声で呼びかけてきた。
いつものそれに対して、室内で、すみませんと気難しい顔で言ったのが海堂で、何が?と笑ったのが乾だった。
海堂が溜息と共に立ち上がり扉を開ける。
そして、う、と息を飲んだ。
目の前の母親に対してである。
「………か、……母さん……!」
「なあに?」
「それ……!」
「乾さんに、見せたら駄目?」
軽く首を傾けてくる母親の哀しげな表情に海堂はもっと強く言う事も出来ないが、しかし。
「母さん……!」
「どうしたの? 海堂」
「……、…いえ…何も…!」
背後を振り返り咄嗟に否定した海堂だったが、乾はすでにすぐ近くまでやって来てしまっていた。
そして案の定、穂摘が両手で抱えている物を見て、一瞬動きを止めた。
さすがに乾もびっくりしたんだろうと海堂は何ともいえない顔になった。
「穂摘さんのですか?」
それでもすぐに優しげな落ち着いた声をかける乾は、海堂抜きでの穂摘との押し問答の末、海堂の母親を名前で呼ぶようになっていた。
おばさんでいいわよと言う穂摘に、最初から呼びかけを「お母さん」で押し通した乾は、結局「それなら名前で呼んで欲しいな」と穂摘に言われ、それ以来この呼び方が定着している。
何かが違うと思っているのは海堂だけのようだった。
「この間出来てきたばかりなのよ」
「オーダーなんですか?」
「ええ」
乾に招き入れられ穂摘が室内に入ってきた。
海堂は諦めたように小さく息をつき、二人の後に続く。
元々母親には弱かった。
しかも、乾と母親が一緒になると、海堂はますます強く出られない。
気恥ずかしさと気まずさが微妙に入り混じって、殊更寡黙になる海堂だった。
乾と、母親と、自分と。
そして。
今日は更に一匹のテディベアがここにいる。
穂摘が両手で抱えていたものは、テディベアだった。
「菊丸の所にもあるんだよ」
「…………………」
こっそり耳打ちしてきた乾に、はあ、と頷くだけの海堂だった。
菊丸にはとても似合う。
自分には酷くミスマッチだ。
そういう相違は、乾は気にならないのだろうかと海堂は思い悩んだ。
「この間、友達の娘さんの結婚式に行ってね、そのお式の最後に、そこの娘さんが彼女にテディベアを渡したの」
「今は花束贈呈だけじゃないんですか?」
「そうね。今はいろいろあるみたいね。しかもそのテディベア、ただのぬいぐるみじゃなかったのよ」
「へえ……何か特別な?」
「そうなの!」
いつ聞いても、自分の母親と乾の会話には奇妙な気恥ずかしさを覚えて、海堂は尚も押し黙るばかりだった。
この仲睦まじさが何故か心臓に悪い。
海堂ばかりがそんな事を思っている間、乾と穂摘は楽しげに話を続けている。
「子供がね、生まれた時の重さで作るテディベアだったの」
1グラムまで正確に作れるのよと言った穂摘に、察しの良い乾はすでに気づいて穂摘の腕の中にあるテディベアを興味深そうに見つめて言った。
「これは海堂、ですか?」
「そうなのー」
無邪気に微笑み、ぎゅっとブラウンのテディベアを抱きしめた穂摘は満面の笑顔で乾に事の次第を説明した。
「とっても良いお式でね。テディベアを贈る所では、見ていて私もほろっときちゃって。友人が、この重みだったって言って泣いてるのを見たら、私も、もう貰い泣きしちゃって。それでどうしても私も、もう一度あの時の薫を抱っこしたくなっちゃったの」
「なるほど。それで穂摘さんもそのテディベアを作ったって事なんですね」
「3303グラムだったのよ。薫」
いとおしそうに腕の中のテディベアを見つめる穂摘は、海堂には到底範疇外の行動をとっているが、だからといってそれが不満な訳ではない。
だがしかし、何も乾にそれを話して聞かせ、あまつさえ見せにこなくてもと海堂は暗澹とした思いをぐっと飲み込んでいる。
「母さ…………」
耐え切れずに口を挟んだ海堂だったが、それを黙らせたのは乾だった。
何だか嫌な予感のしていた海堂を裏切らず、乾は言った。
「穂摘さん。俺も海堂を抱っこさせて貰ってもいいですか?」
「ば、……ッ…」
「ええ勿論! 乾君だったら絶対そう言ってくれると思ったの」
「母さん……っ…」
「はーい……乾君ですよー、薫ー」
あまりの光景に視界がハレーションを起こしかけている海堂をよそに、穂摘が新米パパに手渡すようにテディベアを乾に差し出す。
乾がそれをまた大事そうに受け取り、腕の重みを噛み締めるようにして笑うものだから。
海堂は憤死しそうになった。
その場に蹲って頭を抱えた海堂を、穂摘も乾もまるで気に留めないでいる始末だ。
「………ああ、…結構重いなあ。生まれたてで、もうこんなにあるんだ…」
「乾君、抱っこ上手ね」
「海堂かと思うと真剣ですよ。抱っこするのも」
「あのなあ…っ!」
噛み付くように声を荒げても、気にしないどころかテディベア相手にメロメロになっている素振りの二人に、海堂は匙を投げた。
もう知らん。
俺は知らん。
よろよろと部屋の片隅のソファへと腰を下ろした海堂は、尚も続く、姑に婿に初孫かというような目の前の掛け合いに。
青い顔色で頭を抱えるばかりだった。
テディベアを抱えた穂摘が部屋を出て行くと、乾はすぐさま海堂のいるソファへやってきた。
「……、……っ……てめ……!…」
「今度は14歳の海堂を抱っこ。…………うわ、何でそんなに暴れるかな」
笑いながらも楽々と海堂を膝の上に乗せた乾は機嫌が良い。
いったいなんでそんなにと海堂が毒づくくらいの笑顔だ。
「怒るなよ。嬉しかったんだから」
「何が嬉しいってんですか…!」
「生まれた時の海堂をこの手で抱けるなんて、普通絶対有り得ない事だろ? 穂摘さんには幾ら感謝してもし足りないじゃないか」
「頭おかしいっすよ、あんた!」
「頭? 海堂の事でいっぱいなだけなんだけどねえ………そんなにおかしい?」
「………っ……」
額も触れ合う至近距離。
上目で問いかけられて、海堂は息を詰めて赤くなる。
乾がゆっくり瞬きながら、海堂の唇にキスをした。
静かに優しく触れられると、暴れたり怒鳴ったりしづらくなって。
海堂はぎこちなく目を伏せ、それよりもっとぎこちなく唇を開いた。
口腔で舌をそっと重ねて。
背中が強く抱きこまれる。
「………あれ欲しいなあ」
「……、……なに言ってん…すか。先輩」
「俺も注文しようかな」
「………………」
一人ごちる乾が多分に真剣で。
海堂は本当ならばここで。
怯むなり呆れるなり怒鳴るなりする所を。
何故か少し傷ついた思いで、そう感じた事が悔しくもあって、無言で乾の膝から下りようとした。
「海堂?」
「………………」
驚いて、僅かに焦りをみせて、そのくせどこかに独占欲や執着心を滲ませながら乾が海堂を抱き込んでくる。
乾の胸に閉じ込められて顔が見えないから。
だから言ってもいいかと半ば投げやりに思って、海堂は低く呟いた。
仮に聞き返されたって、二度とは言わない心積もりで。
「……他が欲しいなら俺はいらないだろ」
だから退くだけだと続けると、すぐさま束縛は強くなった。
下手にからかうようなことを乾が言おうものなら、ここから蹴飛ばして追い出してやると物騒な決意をかためていた海堂だったが、乾が生真面目に悪かったごめんなさいと繰り返すので。
「…………別にいい」
そう返すのが精一杯だった。
「海堂が二人現れたんで、両方欲しくなったんだよ。ごめんな」
「………誰が二人っすか。クマだろあれは」
「うん。でも海堂でもある」
「だからクマだって言ってんだろ!」
乾の膝の上。
跨って向き合った海堂は、延々と、乾とそんな押し問答を繰り返したのだった。
この部屋の空気の甘さに、海堂の自覚はない。
結構どころか相当な勢いでだ。
青学テニス部内ではかなりの変わり者で通っている乾だが、さすがに海堂家で、データ収集に勤しむ姿や怪しげな汁作りをする様を見せる機会はないので、落ち着いた礼儀正しい先輩として認識されている。
海堂が幼い頃から親しい友人をつくって家に招くような性格ではなかった為、中学になって時折家に連れてくるようになった一つ年上の先輩を、海堂の家族達は皆かなりの歓迎でもって迎えている。
とりわけ母親はその傾向が強くて、元来無邪気な性質をしているものだから、にこにこと微笑んではしきりに乾と話をしたがるのだ。
海堂はそれが嫌ではなかったが、時折どうもそれに耐えられない時がある。
多分それは海堂の母親に対する乾の対応が、後輩の母親に対するというより恋人の母親に対するといったものに近いせいだと思っている。
現実的に間違ってはいない事なのだが、それでも。
「薫。ちょっといい?」
この日も。
海堂の母である穂摘が海堂の部屋の扉をノックしながら、おっとりとした声で呼びかけてきた。
いつものそれに対して、室内で、すみませんと気難しい顔で言ったのが海堂で、何が?と笑ったのが乾だった。
海堂が溜息と共に立ち上がり扉を開ける。
そして、う、と息を飲んだ。
目の前の母親に対してである。
「………か、……母さん……!」
「なあに?」
「それ……!」
「乾さんに、見せたら駄目?」
軽く首を傾けてくる母親の哀しげな表情に海堂はもっと強く言う事も出来ないが、しかし。
「母さん……!」
「どうしたの? 海堂」
「……、…いえ…何も…!」
背後を振り返り咄嗟に否定した海堂だったが、乾はすでにすぐ近くまでやって来てしまっていた。
そして案の定、穂摘が両手で抱えている物を見て、一瞬動きを止めた。
さすがに乾もびっくりしたんだろうと海堂は何ともいえない顔になった。
「穂摘さんのですか?」
それでもすぐに優しげな落ち着いた声をかける乾は、海堂抜きでの穂摘との押し問答の末、海堂の母親を名前で呼ぶようになっていた。
おばさんでいいわよと言う穂摘に、最初から呼びかけを「お母さん」で押し通した乾は、結局「それなら名前で呼んで欲しいな」と穂摘に言われ、それ以来この呼び方が定着している。
何かが違うと思っているのは海堂だけのようだった。
「この間出来てきたばかりなのよ」
「オーダーなんですか?」
「ええ」
乾に招き入れられ穂摘が室内に入ってきた。
海堂は諦めたように小さく息をつき、二人の後に続く。
元々母親には弱かった。
しかも、乾と母親が一緒になると、海堂はますます強く出られない。
気恥ずかしさと気まずさが微妙に入り混じって、殊更寡黙になる海堂だった。
乾と、母親と、自分と。
そして。
今日は更に一匹のテディベアがここにいる。
穂摘が両手で抱えていたものは、テディベアだった。
「菊丸の所にもあるんだよ」
「…………………」
こっそり耳打ちしてきた乾に、はあ、と頷くだけの海堂だった。
菊丸にはとても似合う。
自分には酷くミスマッチだ。
そういう相違は、乾は気にならないのだろうかと海堂は思い悩んだ。
「この間、友達の娘さんの結婚式に行ってね、そのお式の最後に、そこの娘さんが彼女にテディベアを渡したの」
「今は花束贈呈だけじゃないんですか?」
「そうね。今はいろいろあるみたいね。しかもそのテディベア、ただのぬいぐるみじゃなかったのよ」
「へえ……何か特別な?」
「そうなの!」
いつ聞いても、自分の母親と乾の会話には奇妙な気恥ずかしさを覚えて、海堂は尚も押し黙るばかりだった。
この仲睦まじさが何故か心臓に悪い。
海堂ばかりがそんな事を思っている間、乾と穂摘は楽しげに話を続けている。
「子供がね、生まれた時の重さで作るテディベアだったの」
1グラムまで正確に作れるのよと言った穂摘に、察しの良い乾はすでに気づいて穂摘の腕の中にあるテディベアを興味深そうに見つめて言った。
「これは海堂、ですか?」
「そうなのー」
無邪気に微笑み、ぎゅっとブラウンのテディベアを抱きしめた穂摘は満面の笑顔で乾に事の次第を説明した。
「とっても良いお式でね。テディベアを贈る所では、見ていて私もほろっときちゃって。友人が、この重みだったって言って泣いてるのを見たら、私も、もう貰い泣きしちゃって。それでどうしても私も、もう一度あの時の薫を抱っこしたくなっちゃったの」
「なるほど。それで穂摘さんもそのテディベアを作ったって事なんですね」
「3303グラムだったのよ。薫」
いとおしそうに腕の中のテディベアを見つめる穂摘は、海堂には到底範疇外の行動をとっているが、だからといってそれが不満な訳ではない。
だがしかし、何も乾にそれを話して聞かせ、あまつさえ見せにこなくてもと海堂は暗澹とした思いをぐっと飲み込んでいる。
「母さ…………」
耐え切れずに口を挟んだ海堂だったが、それを黙らせたのは乾だった。
何だか嫌な予感のしていた海堂を裏切らず、乾は言った。
「穂摘さん。俺も海堂を抱っこさせて貰ってもいいですか?」
「ば、……ッ…」
「ええ勿論! 乾君だったら絶対そう言ってくれると思ったの」
「母さん……っ…」
「はーい……乾君ですよー、薫ー」
あまりの光景に視界がハレーションを起こしかけている海堂をよそに、穂摘が新米パパに手渡すようにテディベアを乾に差し出す。
乾がそれをまた大事そうに受け取り、腕の重みを噛み締めるようにして笑うものだから。
海堂は憤死しそうになった。
その場に蹲って頭を抱えた海堂を、穂摘も乾もまるで気に留めないでいる始末だ。
「………ああ、…結構重いなあ。生まれたてで、もうこんなにあるんだ…」
「乾君、抱っこ上手ね」
「海堂かと思うと真剣ですよ。抱っこするのも」
「あのなあ…っ!」
噛み付くように声を荒げても、気にしないどころかテディベア相手にメロメロになっている素振りの二人に、海堂は匙を投げた。
もう知らん。
俺は知らん。
よろよろと部屋の片隅のソファへと腰を下ろした海堂は、尚も続く、姑に婿に初孫かというような目の前の掛け合いに。
青い顔色で頭を抱えるばかりだった。
テディベアを抱えた穂摘が部屋を出て行くと、乾はすぐさま海堂のいるソファへやってきた。
「……、……っ……てめ……!…」
「今度は14歳の海堂を抱っこ。…………うわ、何でそんなに暴れるかな」
笑いながらも楽々と海堂を膝の上に乗せた乾は機嫌が良い。
いったいなんでそんなにと海堂が毒づくくらいの笑顔だ。
「怒るなよ。嬉しかったんだから」
「何が嬉しいってんですか…!」
「生まれた時の海堂をこの手で抱けるなんて、普通絶対有り得ない事だろ? 穂摘さんには幾ら感謝してもし足りないじゃないか」
「頭おかしいっすよ、あんた!」
「頭? 海堂の事でいっぱいなだけなんだけどねえ………そんなにおかしい?」
「………っ……」
額も触れ合う至近距離。
上目で問いかけられて、海堂は息を詰めて赤くなる。
乾がゆっくり瞬きながら、海堂の唇にキスをした。
静かに優しく触れられると、暴れたり怒鳴ったりしづらくなって。
海堂はぎこちなく目を伏せ、それよりもっとぎこちなく唇を開いた。
口腔で舌をそっと重ねて。
背中が強く抱きこまれる。
「………あれ欲しいなあ」
「……、……なに言ってん…すか。先輩」
「俺も注文しようかな」
「………………」
一人ごちる乾が多分に真剣で。
海堂は本当ならばここで。
怯むなり呆れるなり怒鳴るなりする所を。
何故か少し傷ついた思いで、そう感じた事が悔しくもあって、無言で乾の膝から下りようとした。
「海堂?」
「………………」
驚いて、僅かに焦りをみせて、そのくせどこかに独占欲や執着心を滲ませながら乾が海堂を抱き込んでくる。
乾の胸に閉じ込められて顔が見えないから。
だから言ってもいいかと半ば投げやりに思って、海堂は低く呟いた。
仮に聞き返されたって、二度とは言わない心積もりで。
「……他が欲しいなら俺はいらないだろ」
だから退くだけだと続けると、すぐさま束縛は強くなった。
下手にからかうようなことを乾が言おうものなら、ここから蹴飛ばして追い出してやると物騒な決意をかためていた海堂だったが、乾が生真面目に悪かったごめんなさいと繰り返すので。
「…………別にいい」
そう返すのが精一杯だった。
「海堂が二人現れたんで、両方欲しくなったんだよ。ごめんな」
「………誰が二人っすか。クマだろあれは」
「うん。でも海堂でもある」
「だからクマだって言ってんだろ!」
乾の膝の上。
跨って向き合った海堂は、延々と、乾とそんな押し問答を繰り返したのだった。
この部屋の空気の甘さに、海堂の自覚はない。
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