How did you feel at your first kiss?
ぼんやりしていた自覚はある。
多分跡部は何度も自分を呼んだのだろう。
神尾の耳に跡部の声が届いた時、その声音は普段より大分重たかった。
「神尾」
強く一声放たれた自分の名前に、神尾はそれで我に返ったみたいに跡部の顔を見返した。
「……ぇ…?…、ぁ」
ぎこちなく数回瞬きしながら神尾が見据えた先で、跡部は僅かに眉を顰めていた。
端正な顔立ちに浮かぶのは、憮然としたような表情。
何せこんなやり取りは今日これですでに三回目だ。
跡部の部屋にいて、二人きりで、それで三回目。
しかも今は距離も近い。
二人でソファに座っていて、肩でも抱かれそうな距離だ。
「………え…っと…、」
どうしよう、と、さすがに自分が悪いと判っているからこそ神尾が落ち着きなく身じろぐと、跡部の唇からは溜息が吐き出され、今度こそ本当にまずいと神尾は思った。
「………………」
跡部は、いい加減本気で怒るだろう。
頭のいい男なので、彼の攻撃の言葉には、まるっきり容赦がない事を神尾はよく知っていた。
思わず身構えた神尾の頭に、跡部の手が乗る。
叩かれたのではなくて、ふんわりと、やさしく手のひらは乗った。
「……跡部…?」
「………ったく。ぼけっとしやがって」
睨むように細めた目も、吐き出すような言葉も。
何故だか少しも攻撃的ではない。
それどころかむしろ、ちょっと優しい、感じがする。
「………………」
数回荒っぽく髪をかきまぜられ、でも何だかそれでは跡部の手に頭を撫でられているみたいだと神尾はどぎまぎした。
窺うような力ない目つきになってしまった神尾に、跡部は至近距離に顔を近づけて、唇の端を皮肉気に引き上げた。
「びびるくらいなら上の空になるんじゃねえよ」
「……別に、びびっては、…ない」
「へえ?」
「…………ぅ…」
ちょっと嘘ですと即座に言ってしまいそうになる神尾を、怜悧な眼差しで間近から見下ろした跡部は、左手で神尾の左肩を包み軽く引き寄せてきた。
「跡…部、?」
距離が一層縮まって、ふわっといい匂いがする。
「どうせ必要以上に気張ってんだろ。普段は」
「…普段?」
違うかよ部長?とさらりと跡部に言われて神尾は瞠目する。
何でいきなり跡部にそんなことを言われたのかと戸惑って。
「………………」
神尾は跡部に、そっと視線を向けた。
「お前、橘のこと何も話さなくなったからな」
三年引退してからなと付け加えた跡部が軽く神尾の唇を塞ぐ。
これ、キス、だよな、と思った途端。
神尾はじわりと赤くなる。
軽い接触ではあるけれど、こんな風に世間話でもするかのように会話しながらキスなんかされたのは初めてだった。
「だいたいてめえは、橘橘うるせえって俺が言ってるうちは散々好き勝手あいつの話ばっかしておいてな」
「……ぇ?…」
急に全く口に出さなくなるあたりが極端な奴だと跡部は呆れた顔をした。
「………………」
「誰が見たって、お前ら不動峰の連中は、橘がいなくなった後どうなるんだかって思うくらいの懐きっぷりだっただろうが」
「………………」
「まあ、依存しきってたわけじゃねえのは、今のお前見てりゃ判るが」
ひっくるめてお前ら全員今必死なんだろう、と跡部は言った。
神尾はびっくりしすぎて何も返せない。
「………………」
橘がいなかったら、本当に、自分達は不動峰でテニスは出来なかったかもしれない。
橘が現れたことで、本当に、自分達はどんな事でも出来た。
強い、強い人に、救われた。
誰よりも強い彼は、決して自分たちを守る人ではなく、最初から最後まで、仲間でいた人だったから。
だからこそ、橘が部活を引退した後、不動峰が橘がいないチームになったからこそ、自分達は立ち止まったり後退してはいけないのだと、誰もが強く思っていたのだ。
必死だった。
いつも自分達の視線の先にいてくれた人がいなくなって、それを寂しがる暇もないほど、神尾達は必死だった。
寂しがる暇があったら、やらなければならない事がある。
決して無理をしたり、それが辛いと思っている訳ではないけれど。
橘が引退した後、時折気持ちが寂寥感や焦燥感に乗っ取られそうになるのを振り払うので懸命になる事も時折はあった。
橘の後、神尾は部長になったが、誰が新部長だとか関係なしにテニス部員みんなで懸命になって。
「ここにいる時くらいしか呆けてらんねえんなら、まあ、仕方ねえ。許してやるよ」
ぐっと強く肩を抱かれ、神尾は素っ気なく悪態をつくような跡部の肩口に寄りかからされる。
額の辺りから頭皮に指先を潜り込まされ、髪を撫でられる。
跡部の、言ってることとやってることの温度差や甘さの違いに、神尾はくらくら目を回しそうになった。
宥めるような手で頭を撫でられながら。
身体を近づけて。
何だか、跡部にとても大事にされてるみたいな気分になる。
「……跡部…」
「お前らのチームは気に入ってる」
「………………」
何でそんなこと言うんだろうと、神尾は息を詰めた。
「悪くねえよ。理不尽な相手を力で捩じ伏せるってのも有りだろうが、そうじゃなくて、真っ向対決な所がな」
橘が転校してくるまでは、不動峰のテニス部は抑圧を通り越した暴力での腹いせのような振る舞いをする上級生と、最初から下級生の存在など眼中になかった顧問とで成り立っていた事を、跡部に話した事はあるけれど。
あまり楽しい話でもないから、神尾もそんなには詳しく伝えていない。
「それは……でも、橘さんがいてくれたからで、…」
「くさらねえで、投げ出さねえで、決着つける時まで踏ん張ってたのはお前らだろ」
「………………」
「だから俺は、お前らのチームは気に入ってる」
跡部は笑う。
からかうとか、茶化すとか、そんなでなくて、笑う。
「……アア…?」
「………………」
「お前、何泣いてんだよ?」
「…だ、…っ……だっ………」
だって跡部が、と言おうとして。
もう、神尾はそれすら言えなかった。
神尾自身びっくりするほど、いきなりすごい勢いで涙が目から出てきて、それはもう擬音で言えば、ぽろぽろとかいうレベルを超越して、とんでもない有様で。
「……っ…」
びっくりしたのだ。
すごくびっくりして、それと、あと、ものすごく嬉しくて。
思った瞬間、涙腺が勝手に崩壊した。
哀しくなんかないのに神尾はしゃくりあげて泣いた。
顔と顔を見合わせながら、跡部も呆気にとられている。
神尾の肩を抱いたまま、まじまじと神尾を見据えて、それから噴き出した。
俯いて、肩を震わせて、笑い出す。
「なん、…だよ…ぅっ…、…っぅ…、…ぇ…」
今度の笑いは明らかにからかいのそれで、神尾はそれを詰ったが、嗚咽に語尾が掠れてしまう。
跡部は跡部で低く喉で笑いを転がして、ちらりと上目に神尾を見やってまた笑う。
「……すっげえ顔」
跡部に言われなくても、神尾も判っている。
これだけ勢いよく、どばどばと出てくる涙で、顔なんかぐちゃぐちゃだ。
どれだけひどい顔をしているかなんて跡部に言われるまでもない。
それだからこそ。
「かわいい」
聞こえてきた言葉が、空耳かと思って神尾は呆けた。
あまりに場違いな言葉が神尾の耳に飛び込んできた。
ひくっと喉を詰まらせながらしゃくりあげる神尾を見据えて、跡部は意地の悪い声を、甘い笑みを刷く唇から零す。
「かわいいっつってんだよ」
「…っ、…、は…、ぁ、?…」
「泣きまくって、顔ぐちゃぐちゃで、不細工すぎて。それ以外の言葉が出ねぇ」
跡部はどうしてしまったのか。
言ってることめちゃくちゃだぞと言いたいのに神尾は言えなかった。
さっきからずっと、跡部が優しい顔ばかりする。
荒っぽい口調で、冴えた冷たいような声音で、次から次に言ってくれる言葉が神尾の脳裏に甘く染みて涙が止まらなくなる。
「てめえなあ、」
「……、っ……ぇ…っ…」
「俺が好きだって言った時に、これくらい喜んで泣きやがれ。馬鹿」
喜んでる事なんか、結局跡部には全部お見通しなのだ。
悪態をつくように告げられた言葉は、跡部の本心なのか、茶化されているだけなのか、正直神尾には判らなかったのだけれど。
しゃくりあげて、裏返った声で、神尾は連呼した。
「だ…、…っ…すき…、……好き……跡部、…、」
目元をごしごしと手の甲で拭いながら繰り返すと、その手は跡部にとられてしまって。
「おい。神尾」
「好…っ、き、だよ、…跡部、おれ」
「……泣いてねえでちゃんと目開けて見ろ。俺様はちゃんと見せてやってる」
何を?と神尾は思いながら、言われるままに、涙で見辛い視界を凝らして見る。
跡部が言うから、跡部を見たら。
また涙が出てきてしまった。
全部全部全部跡部のせいだ。
「好きか?」
俺が、と確認してくるその言い方なんか、本当に横柄なのに。
笑みを刻む唇や、断言する声音や、跡部の態度の全てが、本当にえらそうなのに。
「……っ…、ん」
好きか?と聞くから神尾は頷く。
そうすると跡部はそれはもう甘ったるく、嬉しがる顔をするから。
とても判りやすく、神尾に見せてくれるから。
自分の言葉ひとつで、これまで見たこともないような、喜んでる表情を跡部がするから。
好きだって、何度言っても、その都度その顔を見せてくれるから。
神尾は繰り返し、それを口にした。
その後、ある程度落ち着いた神尾は、自分自身のその時の状況を顧みて、羞恥で死んでしまうかもしれないと思った。
泣いて、泣いて、好きだって言って、泣いて、好きだって言って、泣いて。
何度それを繰り返したか知れない。
少々壊れかけていたと自分で自覚する神尾に、溜め込みすぎだと跡部は軽く笑い、それでいて跡部が、物凄く上機嫌な事も神尾には判ったので。
腫れぼったくなった神尾の目を見て酷いツラだと言って跡部が笑うのを、言葉で言い返すのではなく、噛みつくようなキスをする事で封じてやった。
多分跡部は何度も自分を呼んだのだろう。
神尾の耳に跡部の声が届いた時、その声音は普段より大分重たかった。
「神尾」
強く一声放たれた自分の名前に、神尾はそれで我に返ったみたいに跡部の顔を見返した。
「……ぇ…?…、ぁ」
ぎこちなく数回瞬きしながら神尾が見据えた先で、跡部は僅かに眉を顰めていた。
端正な顔立ちに浮かぶのは、憮然としたような表情。
何せこんなやり取りは今日これですでに三回目だ。
跡部の部屋にいて、二人きりで、それで三回目。
しかも今は距離も近い。
二人でソファに座っていて、肩でも抱かれそうな距離だ。
「………え…っと…、」
どうしよう、と、さすがに自分が悪いと判っているからこそ神尾が落ち着きなく身じろぐと、跡部の唇からは溜息が吐き出され、今度こそ本当にまずいと神尾は思った。
「………………」
跡部は、いい加減本気で怒るだろう。
頭のいい男なので、彼の攻撃の言葉には、まるっきり容赦がない事を神尾はよく知っていた。
思わず身構えた神尾の頭に、跡部の手が乗る。
叩かれたのではなくて、ふんわりと、やさしく手のひらは乗った。
「……跡部…?」
「………ったく。ぼけっとしやがって」
睨むように細めた目も、吐き出すような言葉も。
何故だか少しも攻撃的ではない。
それどころかむしろ、ちょっと優しい、感じがする。
「………………」
数回荒っぽく髪をかきまぜられ、でも何だかそれでは跡部の手に頭を撫でられているみたいだと神尾はどぎまぎした。
窺うような力ない目つきになってしまった神尾に、跡部は至近距離に顔を近づけて、唇の端を皮肉気に引き上げた。
「びびるくらいなら上の空になるんじゃねえよ」
「……別に、びびっては、…ない」
「へえ?」
「…………ぅ…」
ちょっと嘘ですと即座に言ってしまいそうになる神尾を、怜悧な眼差しで間近から見下ろした跡部は、左手で神尾の左肩を包み軽く引き寄せてきた。
「跡…部、?」
距離が一層縮まって、ふわっといい匂いがする。
「どうせ必要以上に気張ってんだろ。普段は」
「…普段?」
違うかよ部長?とさらりと跡部に言われて神尾は瞠目する。
何でいきなり跡部にそんなことを言われたのかと戸惑って。
「………………」
神尾は跡部に、そっと視線を向けた。
「お前、橘のこと何も話さなくなったからな」
三年引退してからなと付け加えた跡部が軽く神尾の唇を塞ぐ。
これ、キス、だよな、と思った途端。
神尾はじわりと赤くなる。
軽い接触ではあるけれど、こんな風に世間話でもするかのように会話しながらキスなんかされたのは初めてだった。
「だいたいてめえは、橘橘うるせえって俺が言ってるうちは散々好き勝手あいつの話ばっかしておいてな」
「……ぇ?…」
急に全く口に出さなくなるあたりが極端な奴だと跡部は呆れた顔をした。
「………………」
「誰が見たって、お前ら不動峰の連中は、橘がいなくなった後どうなるんだかって思うくらいの懐きっぷりだっただろうが」
「………………」
「まあ、依存しきってたわけじゃねえのは、今のお前見てりゃ判るが」
ひっくるめてお前ら全員今必死なんだろう、と跡部は言った。
神尾はびっくりしすぎて何も返せない。
「………………」
橘がいなかったら、本当に、自分達は不動峰でテニスは出来なかったかもしれない。
橘が現れたことで、本当に、自分達はどんな事でも出来た。
強い、強い人に、救われた。
誰よりも強い彼は、決して自分たちを守る人ではなく、最初から最後まで、仲間でいた人だったから。
だからこそ、橘が部活を引退した後、不動峰が橘がいないチームになったからこそ、自分達は立ち止まったり後退してはいけないのだと、誰もが強く思っていたのだ。
必死だった。
いつも自分達の視線の先にいてくれた人がいなくなって、それを寂しがる暇もないほど、神尾達は必死だった。
寂しがる暇があったら、やらなければならない事がある。
決して無理をしたり、それが辛いと思っている訳ではないけれど。
橘が引退した後、時折気持ちが寂寥感や焦燥感に乗っ取られそうになるのを振り払うので懸命になる事も時折はあった。
橘の後、神尾は部長になったが、誰が新部長だとか関係なしにテニス部員みんなで懸命になって。
「ここにいる時くらいしか呆けてらんねえんなら、まあ、仕方ねえ。許してやるよ」
ぐっと強く肩を抱かれ、神尾は素っ気なく悪態をつくような跡部の肩口に寄りかからされる。
額の辺りから頭皮に指先を潜り込まされ、髪を撫でられる。
跡部の、言ってることとやってることの温度差や甘さの違いに、神尾はくらくら目を回しそうになった。
宥めるような手で頭を撫でられながら。
身体を近づけて。
何だか、跡部にとても大事にされてるみたいな気分になる。
「……跡部…」
「お前らのチームは気に入ってる」
「………………」
何でそんなこと言うんだろうと、神尾は息を詰めた。
「悪くねえよ。理不尽な相手を力で捩じ伏せるってのも有りだろうが、そうじゃなくて、真っ向対決な所がな」
橘が転校してくるまでは、不動峰のテニス部は抑圧を通り越した暴力での腹いせのような振る舞いをする上級生と、最初から下級生の存在など眼中になかった顧問とで成り立っていた事を、跡部に話した事はあるけれど。
あまり楽しい話でもないから、神尾もそんなには詳しく伝えていない。
「それは……でも、橘さんがいてくれたからで、…」
「くさらねえで、投げ出さねえで、決着つける時まで踏ん張ってたのはお前らだろ」
「………………」
「だから俺は、お前らのチームは気に入ってる」
跡部は笑う。
からかうとか、茶化すとか、そんなでなくて、笑う。
「……アア…?」
「………………」
「お前、何泣いてんだよ?」
「…だ、…っ……だっ………」
だって跡部が、と言おうとして。
もう、神尾はそれすら言えなかった。
神尾自身びっくりするほど、いきなりすごい勢いで涙が目から出てきて、それはもう擬音で言えば、ぽろぽろとかいうレベルを超越して、とんでもない有様で。
「……っ…」
びっくりしたのだ。
すごくびっくりして、それと、あと、ものすごく嬉しくて。
思った瞬間、涙腺が勝手に崩壊した。
哀しくなんかないのに神尾はしゃくりあげて泣いた。
顔と顔を見合わせながら、跡部も呆気にとられている。
神尾の肩を抱いたまま、まじまじと神尾を見据えて、それから噴き出した。
俯いて、肩を震わせて、笑い出す。
「なん、…だよ…ぅっ…、…っぅ…、…ぇ…」
今度の笑いは明らかにからかいのそれで、神尾はそれを詰ったが、嗚咽に語尾が掠れてしまう。
跡部は跡部で低く喉で笑いを転がして、ちらりと上目に神尾を見やってまた笑う。
「……すっげえ顔」
跡部に言われなくても、神尾も判っている。
これだけ勢いよく、どばどばと出てくる涙で、顔なんかぐちゃぐちゃだ。
どれだけひどい顔をしているかなんて跡部に言われるまでもない。
それだからこそ。
「かわいい」
聞こえてきた言葉が、空耳かと思って神尾は呆けた。
あまりに場違いな言葉が神尾の耳に飛び込んできた。
ひくっと喉を詰まらせながらしゃくりあげる神尾を見据えて、跡部は意地の悪い声を、甘い笑みを刷く唇から零す。
「かわいいっつってんだよ」
「…っ、…、は…、ぁ、?…」
「泣きまくって、顔ぐちゃぐちゃで、不細工すぎて。それ以外の言葉が出ねぇ」
跡部はどうしてしまったのか。
言ってることめちゃくちゃだぞと言いたいのに神尾は言えなかった。
さっきからずっと、跡部が優しい顔ばかりする。
荒っぽい口調で、冴えた冷たいような声音で、次から次に言ってくれる言葉が神尾の脳裏に甘く染みて涙が止まらなくなる。
「てめえなあ、」
「……、っ……ぇ…っ…」
「俺が好きだって言った時に、これくらい喜んで泣きやがれ。馬鹿」
喜んでる事なんか、結局跡部には全部お見通しなのだ。
悪態をつくように告げられた言葉は、跡部の本心なのか、茶化されているだけなのか、正直神尾には判らなかったのだけれど。
しゃくりあげて、裏返った声で、神尾は連呼した。
「だ…、…っ…すき…、……好き……跡部、…、」
目元をごしごしと手の甲で拭いながら繰り返すと、その手は跡部にとられてしまって。
「おい。神尾」
「好…っ、き、だよ、…跡部、おれ」
「……泣いてねえでちゃんと目開けて見ろ。俺様はちゃんと見せてやってる」
何を?と神尾は思いながら、言われるままに、涙で見辛い視界を凝らして見る。
跡部が言うから、跡部を見たら。
また涙が出てきてしまった。
全部全部全部跡部のせいだ。
「好きか?」
俺が、と確認してくるその言い方なんか、本当に横柄なのに。
笑みを刻む唇や、断言する声音や、跡部の態度の全てが、本当にえらそうなのに。
「……っ…、ん」
好きか?と聞くから神尾は頷く。
そうすると跡部はそれはもう甘ったるく、嬉しがる顔をするから。
とても判りやすく、神尾に見せてくれるから。
自分の言葉ひとつで、これまで見たこともないような、喜んでる表情を跡部がするから。
好きだって、何度言っても、その都度その顔を見せてくれるから。
神尾は繰り返し、それを口にした。
その後、ある程度落ち着いた神尾は、自分自身のその時の状況を顧みて、羞恥で死んでしまうかもしれないと思った。
泣いて、泣いて、好きだって言って、泣いて、好きだって言って、泣いて。
何度それを繰り返したか知れない。
少々壊れかけていたと自分で自覚する神尾に、溜め込みすぎだと跡部は軽く笑い、それでいて跡部が、物凄く上機嫌な事も神尾には判ったので。
腫れぼったくなった神尾の目を見て酷いツラだと言って跡部が笑うのを、言葉で言い返すのではなく、噛みつくようなキスをする事で封じてやった。
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