How did you feel at your first kiss?
男二人でタンポポを植える。
いったいどういう光景なのかと、客観的に呆れて思う。
そうして思う側から、その違和感は。
たちどころに薄れていくのだけれど。
その日の跡部は出先から歩いて自宅に帰っていた。
親の仕事絡みの知人に、どうしてもと誘われて家に招かれ出向いていってみれば。
来客の多いちょっとしたパーティが行われていて、やはりそうかと、跡部はそつなく浮かべた笑顔の下で嘆息した。
執拗な誘いに、簡単な顔見せと挨拶とでは帰れそうもないだろうと、当初から思っていた通りの事態だった。
幼い頃から、こういう場には、親に連れ出され、また周囲からも声をかけられる事の多かった跡部にすれば全て心得ているものだったが。
中三となった今、部活から受験からその他所用まで、多忙を極める毎日で、あまつさえ近頃はそこに、一分一秒も惜しくなるような出来事が、もう一つ増えたものだから。
長々とこのパーティに付き合ってもいられないと跡部は思ったのだ。
新しく跡部の日常や感情の中に生まれたものは、恋人の存在という事になる。
だがしかし、何も跡部は色惚けしている訳ではなかった。
一分一秒が惜しいというのは、甘い意味合いもあるにはあるが、何分相手が猪突猛進の変り種で、目を離した隙に何をしだすか判らない、そういう意味合いでもあるのだ。
笑っていたかと思うと激怒し始め、泣いたかと思うとけろりとして音楽を聴いている。
怠惰にごろごろと転がっていたかと思うと、突如物凄いスピードでどこぞへと走っていってしまったりする。
体型に見合わない大食漢ぶりを発揮していたかと思うと、食べかけのパンなど片手に持って赤ん坊さながらに眠ってしまっていたりもする。
要するに、跡部にしてみれば未知の生き物なのである。
未知の生き物は名を神尾アキラという。
そんな風につらつらと神尾の事を考えていたせいなのか、跡部はその日、かなりの酒を飲んだ。
飲まされたと言うのが正しいのかもしれなかった。
無論跡部が未成年であることは誰もが判っていながら、そういう点に拘る輩はあまり居ず、ましてや跡部の見目があまりにも年齢を裏切ってもいるので。
こういう事は然して珍しい出来事ではなかった。
跡部もアルコールに強いのは親譲りの持って生まれた性質だったらしく、すすめられるままに飲んでも、酒で失敗した事は一度もなかった。
だから今日の状態は珍しい部類である。
跡部自身が、飲みすぎたかと思っている。
酔いが回ったと跡部が自ら感じるような事も、普段ならばそうそうない。
「………………」
数時間を過ごしたその家から戻る際、跡部は自宅から車をよばなかった。
たまには歩いて帰るかと思いつきで決めて電車に乗った。
そうやって普段とは違う幾つかのことをしながら、跡部は暗くなった夜道を歩いていく。
春の夜風は大分温まっていて、大胆に吹き付けてくる度に跡部は髪をかきあげた。
風が吹くと街路樹の葉擦れの音が大きくなる。
その音にも大分耳が慣れた頃、いきなり、風もないのに跡部が通り過ぎようとしていた茂みがさざめいた。
公園を囲う植木だ。
先端を赤く染めたカナメの葉。
そこから突然に飛び出てきたものがあって。
野良猫かと跡部が思えば、あろう事かそれは跡部の恋人だった。
「うわ! 跡部!」
「………………」
なんだ!どうしたんだ!こんなとこで!と矢継ぎ早に大声を出した神尾に、跡部は片手で自らの額を押さえる。
驚くよりもつくづくこいつはと呆れてしまう。
なんだ!どうしたんだ!こんなとこで!という状態なのは俺よりてめえだと跡部は神尾を斜に見据えた。
頭がくらりとまわったのは、酒の余韻か神尾の所為か。
跡部の不均衡な視野で、神尾はびっくりした顔でまだ何か言っている。
よく聞き取れない。
「………………」
とりあえず跡部はただ道を歩いていただけだ。
そんな跡部より、いきなり茂みの中から飛び出てきて、しかも右手にシャベルを握る神尾の方がどれだけ奇異というものか。
「……でさ、跡部、聞いてるか? 俺さ、タンポポ植えたいんだけど、どこがいいと思う?」
「…………ああ?」
そんなこと聞いてない。
聞いてるわけがない。
だいたいタンポポって。
何で植えるんだ。
どうして俺に聞く。
もうどこから、なにから、口に出していいのか跡部にはさっぱり判らなかった。
くらくらしてくる。
訳が判らない。
「………………」
もうどうしようもないから跡部は舌打ちをして、腕を伸ばした。
神尾に覆い被さるようにして、体重をかけて脱力する。
「………、…ぅ」
神尾にしては必死で持ちこたえた。
身長差十cm、体重差十㎏にしては頑張ってんじゃねーのと思って、跡部はおかしくなって、低く笑い声を上げた。
「な、…なんだ? 跡部?」
倒れこまない程度に跡部はわざと神尾へと体重をかけていく。
神尾も支えきれないという事は癪なのか、懸命に踏み止まろうとしているのが伝わってくる。
力が入ってぶるぶる震えているのがおかしかった。
「…跡部、なに、酔っ払ってんの?」
「……ねえよ」
酒の匂いでもするのかと考えながら、跡部は低い声で言った。
「嫌なら蹴っ飛ばしてでも逃げりゃいいだろ」
「………絡み酒かよ。タチ悪いなー…跡部」
「お前むかつく」
「はいはい。何だかなー」
全くこたえていない神尾の、まるで自分をあしらうような態度に。
ムッとするものの、言う程は腹もたたず、跡部は身体を起こした。
「……お前は何してんだ」
「だから言ってんじゃん! タンポポ植えるとこ探してんだよ」
右手のシャベルを持ち上げて見せて、神尾は言った。
「ここの公園にしようかと思ったんだけどさ。なんか踏み荒らされそうで、いいとこ見つかんないから困ってんだよ」
「…タンポポってお前、ただの雑草だろうが。どこだって好きに生えてくるだろうが」
「普通のタンポポじゃないんだよ!」
「タンポポに普通も普通じゃないもあるか馬鹿」
「馬鹿って言うな! いいか、よーく、これ見ろよ!」
神尾が跡部の顔に、ぐいっと近づけて見せたもの。
パッケージの写真。
ピンクのタンポポが写っていた。
「な? これ、桃色タンポポっていうんだぜ。タンポポがピンクなんだよ。すげーだろ?」
「…………別に」
「無理すんなよ跡部ー」
「してねえっての」
呆れる跡部にまるで構わず、神尾は嬉々として花の種のパッケージを見ていた。
何だか目がうっとりしているようで跡部は少し気に食わない。
「俺、絶対花が咲いたとこ見てみたいんだ!」
でも俺ん家の庭は今家庭菜園中だから駄目なんだと呟く様が傷心しているようで跡部は少し気になった。
「……来いよ」
「え?」
考えるより先に、跡部は腕を伸ばしていた。
手にしたのは神尾の手首だ。
「跡部?」
「植えさせてやる。いいから黙ってついて来い」
「…は?」
細い手首は跡部の手のひらに余るようだった。
この手でラケットを握るのかと思うと、跡部の胸に奇妙な感じが広がった。
子供っぽい手は、さらさらと温かかった。
「俺の家の庭に植えさせてやる。しょうがねーから」
「………マジで? いいの?」
植えても?
見に行っても?
咲いたら摘んでも?
そう捲くし立ててくる神尾の声が、耳障りでない理由がつくづく知りたいと跡部は思った。
普通有り得ないだろうと心底から思う。
もう、この、ありとあらゆる全ての事が。
月明かりの中で、跡部は自宅の庭にタンポポの種を埋める神尾の姿を眺め下ろした。
雑草でありながらも強い色彩を放つ花。
軽くて、簡単に、風に飛ばされて行き、飛ばされた先でまた、しっかりと根付く花。
シャベルを使って土を掘り、丁寧に種を埋めた神尾は、その花に似すぎている。
ここに植えさせたのは、案外良い事だったのだろうと跡部は考えた。
「サンキュー跡部」
「……………」
返事の代わりに跡部は軽く神尾の唇を掠め取った。
たちまち神尾はこれから咲くらしい花の色になった。
いったいどういう光景なのかと、客観的に呆れて思う。
そうして思う側から、その違和感は。
たちどころに薄れていくのだけれど。
その日の跡部は出先から歩いて自宅に帰っていた。
親の仕事絡みの知人に、どうしてもと誘われて家に招かれ出向いていってみれば。
来客の多いちょっとしたパーティが行われていて、やはりそうかと、跡部はそつなく浮かべた笑顔の下で嘆息した。
執拗な誘いに、簡単な顔見せと挨拶とでは帰れそうもないだろうと、当初から思っていた通りの事態だった。
幼い頃から、こういう場には、親に連れ出され、また周囲からも声をかけられる事の多かった跡部にすれば全て心得ているものだったが。
中三となった今、部活から受験からその他所用まで、多忙を極める毎日で、あまつさえ近頃はそこに、一分一秒も惜しくなるような出来事が、もう一つ増えたものだから。
長々とこのパーティに付き合ってもいられないと跡部は思ったのだ。
新しく跡部の日常や感情の中に生まれたものは、恋人の存在という事になる。
だがしかし、何も跡部は色惚けしている訳ではなかった。
一分一秒が惜しいというのは、甘い意味合いもあるにはあるが、何分相手が猪突猛進の変り種で、目を離した隙に何をしだすか判らない、そういう意味合いでもあるのだ。
笑っていたかと思うと激怒し始め、泣いたかと思うとけろりとして音楽を聴いている。
怠惰にごろごろと転がっていたかと思うと、突如物凄いスピードでどこぞへと走っていってしまったりする。
体型に見合わない大食漢ぶりを発揮していたかと思うと、食べかけのパンなど片手に持って赤ん坊さながらに眠ってしまっていたりもする。
要するに、跡部にしてみれば未知の生き物なのである。
未知の生き物は名を神尾アキラという。
そんな風につらつらと神尾の事を考えていたせいなのか、跡部はその日、かなりの酒を飲んだ。
飲まされたと言うのが正しいのかもしれなかった。
無論跡部が未成年であることは誰もが判っていながら、そういう点に拘る輩はあまり居ず、ましてや跡部の見目があまりにも年齢を裏切ってもいるので。
こういう事は然して珍しい出来事ではなかった。
跡部もアルコールに強いのは親譲りの持って生まれた性質だったらしく、すすめられるままに飲んでも、酒で失敗した事は一度もなかった。
だから今日の状態は珍しい部類である。
跡部自身が、飲みすぎたかと思っている。
酔いが回ったと跡部が自ら感じるような事も、普段ならばそうそうない。
「………………」
数時間を過ごしたその家から戻る際、跡部は自宅から車をよばなかった。
たまには歩いて帰るかと思いつきで決めて電車に乗った。
そうやって普段とは違う幾つかのことをしながら、跡部は暗くなった夜道を歩いていく。
春の夜風は大分温まっていて、大胆に吹き付けてくる度に跡部は髪をかきあげた。
風が吹くと街路樹の葉擦れの音が大きくなる。
その音にも大分耳が慣れた頃、いきなり、風もないのに跡部が通り過ぎようとしていた茂みがさざめいた。
公園を囲う植木だ。
先端を赤く染めたカナメの葉。
そこから突然に飛び出てきたものがあって。
野良猫かと跡部が思えば、あろう事かそれは跡部の恋人だった。
「うわ! 跡部!」
「………………」
なんだ!どうしたんだ!こんなとこで!と矢継ぎ早に大声を出した神尾に、跡部は片手で自らの額を押さえる。
驚くよりもつくづくこいつはと呆れてしまう。
なんだ!どうしたんだ!こんなとこで!という状態なのは俺よりてめえだと跡部は神尾を斜に見据えた。
頭がくらりとまわったのは、酒の余韻か神尾の所為か。
跡部の不均衡な視野で、神尾はびっくりした顔でまだ何か言っている。
よく聞き取れない。
「………………」
とりあえず跡部はただ道を歩いていただけだ。
そんな跡部より、いきなり茂みの中から飛び出てきて、しかも右手にシャベルを握る神尾の方がどれだけ奇異というものか。
「……でさ、跡部、聞いてるか? 俺さ、タンポポ植えたいんだけど、どこがいいと思う?」
「…………ああ?」
そんなこと聞いてない。
聞いてるわけがない。
だいたいタンポポって。
何で植えるんだ。
どうして俺に聞く。
もうどこから、なにから、口に出していいのか跡部にはさっぱり判らなかった。
くらくらしてくる。
訳が判らない。
「………………」
もうどうしようもないから跡部は舌打ちをして、腕を伸ばした。
神尾に覆い被さるようにして、体重をかけて脱力する。
「………、…ぅ」
神尾にしては必死で持ちこたえた。
身長差十cm、体重差十㎏にしては頑張ってんじゃねーのと思って、跡部はおかしくなって、低く笑い声を上げた。
「な、…なんだ? 跡部?」
倒れこまない程度に跡部はわざと神尾へと体重をかけていく。
神尾も支えきれないという事は癪なのか、懸命に踏み止まろうとしているのが伝わってくる。
力が入ってぶるぶる震えているのがおかしかった。
「…跡部、なに、酔っ払ってんの?」
「……ねえよ」
酒の匂いでもするのかと考えながら、跡部は低い声で言った。
「嫌なら蹴っ飛ばしてでも逃げりゃいいだろ」
「………絡み酒かよ。タチ悪いなー…跡部」
「お前むかつく」
「はいはい。何だかなー」
全くこたえていない神尾の、まるで自分をあしらうような態度に。
ムッとするものの、言う程は腹もたたず、跡部は身体を起こした。
「……お前は何してんだ」
「だから言ってんじゃん! タンポポ植えるとこ探してんだよ」
右手のシャベルを持ち上げて見せて、神尾は言った。
「ここの公園にしようかと思ったんだけどさ。なんか踏み荒らされそうで、いいとこ見つかんないから困ってんだよ」
「…タンポポってお前、ただの雑草だろうが。どこだって好きに生えてくるだろうが」
「普通のタンポポじゃないんだよ!」
「タンポポに普通も普通じゃないもあるか馬鹿」
「馬鹿って言うな! いいか、よーく、これ見ろよ!」
神尾が跡部の顔に、ぐいっと近づけて見せたもの。
パッケージの写真。
ピンクのタンポポが写っていた。
「な? これ、桃色タンポポっていうんだぜ。タンポポがピンクなんだよ。すげーだろ?」
「…………別に」
「無理すんなよ跡部ー」
「してねえっての」
呆れる跡部にまるで構わず、神尾は嬉々として花の種のパッケージを見ていた。
何だか目がうっとりしているようで跡部は少し気に食わない。
「俺、絶対花が咲いたとこ見てみたいんだ!」
でも俺ん家の庭は今家庭菜園中だから駄目なんだと呟く様が傷心しているようで跡部は少し気になった。
「……来いよ」
「え?」
考えるより先に、跡部は腕を伸ばしていた。
手にしたのは神尾の手首だ。
「跡部?」
「植えさせてやる。いいから黙ってついて来い」
「…は?」
細い手首は跡部の手のひらに余るようだった。
この手でラケットを握るのかと思うと、跡部の胸に奇妙な感じが広がった。
子供っぽい手は、さらさらと温かかった。
「俺の家の庭に植えさせてやる。しょうがねーから」
「………マジで? いいの?」
植えても?
見に行っても?
咲いたら摘んでも?
そう捲くし立ててくる神尾の声が、耳障りでない理由がつくづく知りたいと跡部は思った。
普通有り得ないだろうと心底から思う。
もう、この、ありとあらゆる全ての事が。
月明かりの中で、跡部は自宅の庭にタンポポの種を埋める神尾の姿を眺め下ろした。
雑草でありながらも強い色彩を放つ花。
軽くて、簡単に、風に飛ばされて行き、飛ばされた先でまた、しっかりと根付く花。
シャベルを使って土を掘り、丁寧に種を埋めた神尾は、その花に似すぎている。
ここに植えさせたのは、案外良い事だったのだろうと跡部は考えた。
「サンキュー跡部」
「……………」
返事の代わりに跡部は軽く神尾の唇を掠め取った。
たちまち神尾はこれから咲くらしい花の色になった。
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