How did you feel at your first kiss?
一昨日はすごく雨が降った。
昨日は汗ばむほど暖かかった。
今日は晴天だが身震いするほど冷たい強風が吹き付けてくる。
春先の気候だけでも、そんな風に充分めまぐるしいのだから。
学校帰りの待ち合わせ場所の公園で、久しぶりに顔を合わせるなり思いっきり不機嫌な顔をするのは止めて欲しい。
神尾はそう思った。
不機嫌な顔をしてきた相手は、跡部だ。
神尾の目の前で凄む跡部の形相は、はっきり言って凄まじい。
おっかない。
憤怒の表情ではない。
跡部は本気で怒ると秀麗な顔を怜悧に冷たくきつくする。
むしろ無表情の領域で。
そういえば自分の親友もこういう怒り方をするよなと神尾は思った。
綺麗な顔の人間は怒り方も同じなのだろうか。
ほとんど毎日顔を合わせる親友は、いつ見ても綺麗な顔をしているが、半月ぶりに会った跡部の顔立ちの整い方というのはまた破格だ。
「てめえ」
「………へ?」
ぼんやりそんな事を考えていたせいか、神尾は跡部の唸り声で、はっと我に返る。
「んな間の抜けた言葉じゃなくて、俺に他に何か言う事ねえのか」
腕組みして壁に寄り掛かっている跡部は、神尾を見下ろして更に冷たく鋭い視線を引き絞り、あらゆるものを凍りつかせるような声を放つ。
脅えるわけではないが、怖い…と神尾は硬直した。
ここでうっかりと迂闊な言葉など零したら、いったいどうなるのか。
判らない。
跡部の顔をじっと上目に見ながら、神尾はどうしたものかと思い悩む。
何か自分はしただろうかと。
どうしてこんな状況になっているのだろうかと。
考えるが、だいたい、何か言う事と言われても、何ひとつ思い当たらない。
困る。
判らない。
だから腹も立つ。
次第に眉根が寄っていく神尾を跡部はどう見たのか、顎を軽く上げて見下す視線を一層鋭利に光らせて、低い声で吐き捨ててくる。
「何で来た」
何でって。
神尾はそれにはさすがに唖然とした。
約束していたではないか。
言ったのは跡部だ。
無論神尾も同意した。
約束の時間、約束の場所に来た神尾を、無言の怒りで迎えた跡部にこそ、神尾は何でと聞きたいくらいだ。
それでも咄嗟に、日にちや時間間違えてないよな?と神尾は一度は我が身を振り返ってから、意見した。
「…どういう意味だよ、それ」
「………………」
「跡部、なに怒ってんの…?」
神尾だって不機嫌に口にした言葉は、何故か少々力なく響いてしまった。
言ってしまってからそれに気づいて、神尾はごまかすように慌てて跡部から視線を外す。
なんか。
なんかこれでは、傷ついたというのが、あからさまだ。
実際そうなのだけれど。
会いたくて、跡部に、それで神尾は来たのに跡部は何だかとても怒っていて。
あからさまに不機嫌で。
自分が何かしただろうかと神尾も考えるのだけれど、だめだ、頭がうまく働かない。
跡部と対峙した瞬間から、だめだ、いろいろな事が判らない。
跡部は何も言わないから、神尾は不条理だと思いながらも繰り返し理由を当たるが、判らない。
神尾の視界は自身の足元しか見えていないから、跡部の表情までは判らないけれど。
多分変わらず冷たいような眼のままだろう。
跡部は。
「………………」
跡部とは本当によく喧嘩もするけれど。
だいたいは些細なきっかけがあってのことで、あまりこういう、訳のわからない諍いを起こした事はなかっただけに神尾はどんどんと何も言えなくなっていく。
約束しておいて、来たら来たで、何で来たなどと言われるのは甚だ理不尽だし不条理だと思うのだけれど。
それを責める言葉も紡げない。
何を、どう言えばいいのか判らなくなる。
「じゃ…帰る」
「言ってねえだろ、そんな事」
跡部の即答に神尾は却って腹が立った。
「言ってるだろ!」
「来たからには帰さねえよ」
帰さないなどと言いながら、漸く目線が合った跡部の表情には甘さのかけらもなくて。
やっぱり不機嫌丸出しで。
腕を組んだまま、神尾を睨んでくるだけだ。
「……いい。帰る」
「いいわけねえだろ」
「いいから帰る」
「よくねえって言ってんだろうがっ」
いきなり正面きって怒鳴られて、神尾は思わずびくりと身体を竦ませる。
跡部が僅かに目を見開いたのが判った。
「神尾」
「……訳わかんね、よ……跡部、」
整いすぎる顔での本気の不機嫌は拒絶にも似て、実際拒絶なのかもしれないと思ったらもう居たたまれなくて。
神尾が一歩後ずさると、跡部が右腕を伸ばしてきて、神尾の左の二の腕を掴んできた。
その手の力は強かった。
「……バァカ」
「………………」
何で泣くんだと呆れた風に言われて。
泣いてないと即座に言い返したまではよかったが。
そのあと思いもしなかった優しい仕種で跡部の指先が神尾の目元を擦るから。
結局それでびっくりして、ぽろっと零れ落ちてしまったのだ。
「神尾」
「……っ、…」
跡部が悪い。
みんなみんな跡部が悪い。
そう言ってやりたくて言えなかったのは、口を開いたら本当に声にして泣いてしまうかもしれないと思ったからだ。
ぽつんと一滴落ちた涙が呼び水にならないとも限らない。
唇を引き結んで俯いた神尾は、ぐいっと腕を引かれて、次の瞬間。
視界は跡部の胸元でいっぱいになった。
「予定のキャンセルくらい普通にしろっつってんだよ」
「……え?」
思いもしないような言葉を、真意の掴めない声で告げられて、神尾はうろたえる。
何故キャンセルなどしなくてはならないのかと神尾が目線を上目に引き上げると、跡部は溜息をつきながら神尾を見下ろしてきていた。
もう、冷たくない、と神尾は咄嗟に思った。
跡部は相変わらず不機嫌そうではあるが、溜息交じりに再び神尾を抱き寄せてきた。
「なに…?」
「うるせえ」
「跡部?」
どうして?と尚神尾が聞くと。
跡部は片腕で神尾を一度きつく抱き寄せてから、嘆息する。
神尾の頭上に跡部の吐息が当たった。
「どうしてじゃねえよ。具合悪かったんだろうが」
「具合?……って、……え?」
「だいたいそういう事を、お前の口からじゃなく聞かなきゃなんねえのが、一番むかつくんだよ」
「跡部ー…?」
なんか。
なんか。
事が随分大袈裟な気がする。
神尾はひそやかに焦った。
跡部の腕の中、辛うじて判ってきた概要に面食らいながらも、うわあ、と声にならない声を洩らす。
確かに神尾はここ数日の天候不順で、少々風邪っぽかったりもした。
調子も出なくて、リズムに乗り切れないこともあった。
でも、だからといって、ここまで大袈裟な話ではない。
「あのさ、跡部」
「てめえが言ってこなかったってのが一番腹立つんだよ。判ってんのか神尾」
「や、だから、それはさ…」
どうやら本当に、それが理由でここまで不機嫌らしい跡部を前に、神尾は次第に、困ったような擽ったいような不思議な気分に陥った。
心配。
されているのだろうか、つまり。
そう考えると、ひどく哀しかった気持ちはたちどころに霧散して、まるで拗ねているかのように悪態をつきまくっている跡部に対して、神尾は、うわあ、と繰り返し言わずにはいられなくなる。
しどろもどろに神尾は言った。
「何で来たとか…言うなよな……俺、今日跡部と会えるから、これまで頑張って、大人しくしてたのによう…」
「……アァ?」
「薬も飲んだし、夜はいっぱい寝て、テニスだって我慢して、セーブして。ちゃんと治して来たのに、何で文句言われてるわけ? 俺」
ひどくねえ?と名残程度の涙目で跡部の腕の中から上目に睨んでやれば。
珍しく跡部は言葉に詰まったかのように沈黙した。
掴まれていた二の腕から、するりと跡部の指が外れていく。
さみしい、と肌に感じた気持ちをそのまま表情に乗せてしまった神尾は、今度は背中を回った跡部の片腕に肩から抱き込まれて。
また密着して。
「帰さねえって言ってるだろうが」
素っ気ないようでいて充分に優しくもある跡部の声にほっとする。
「……んだよ、跡部のバカ」
「てめえにバカなんざ言われたくねえな」
「…バカ」
バカ、バーカ、と急激に子供じみていく言葉にも、跡部は怒るでもなく、神尾の背中を軽く叩いてくれる。
神尾が跡部の胸元に顔を埋めて繰り返している間、ずっと。
そしてとうとうしまいには、ちょっと笑いを含んでいるような溜息を神尾の耳元にくれて。
「今日は否定しないでおいてやるよ」
「えらそうに言うな、バカ。なんだよ、跡部なんか」
「…会いたかったんだろ?」
「………ぅ、……」
ひどく楽しげに跡部は囁いてくる。
「まるっきり落ち着きのないお前が、余計具合悪くしたかって周りが思うくらい、おとなしくしてたんだろ?」
「……、……」
「神尾」
「そ、……だよ、っ…悪いか…っ」
「いいや?」
実際この上なく機嫌良さそうに跡部は笑った。
「悪かねえな」
「なに笑ってんだよ…っ」
本気で暴れてもびくともしない。
神尾は結局跡部の腕の中で多少身じろいでいるだけだ。
「笑ってんじゃ、ねーよっ」
「そういう事なら笑うだろ」
「跡部、!」
「は、……マジで笑える」
屈託なく笑い声を響かせて、跡部は神尾の肩を抱いて歩き出そうとする。
意固地になるつもりはなかったが、踏み出す一歩のきっかけをくれるような軽いキスで唇を掠られて、場所を考えれば喚いて拒むのが当然のはずなのに。
神尾は跡部の唇が離れていく僅かな隙で、ちいさく問いかけるだけだった。
「跡部」
「何だよ」
「……誰が、言ってたんだ?」
「あぁ?」
「俺来る前、誰かから聞いた…? 深司とか…?……ぁ、…ひょっとして橘さ」
「人の機嫌の良さに水さすんじゃねえ」
「……ぇ…?」
間近に見る跡部の表情が一瞬で不機嫌にきつくなって。
唇を、盗むように今度は強く貪られて。
膝がぶれ、腰を抱かれる。
「……、…っ…ふ…」
「………少しは学習しろ、このバカ…」
なんだか久しぶりに会う跡部の機嫌は、悪くなったり良くなったり目まぐるしい。
今度は舌打ち交じりに強引に引っ張っていかれる先は。
跡部の家、もっと正確に言えば、跡部の家の、寝室へだろう。
いつでも余裕のある態度の跡部は、時折こんな風に判りやすく不機嫌になる。
荒っぽく、余裕などは欠片もないようになって、神尾の手を握る。
広い歩幅で歩く。
こういう跡部の気配に、神尾は時々あっさりと呑まれてしまいたくなる。
「跡部…」
跡部は神尾に背を向けたまま片手で取り出した携帯電話で車を呼んでいる。
それでも神尾の声は届いているようで、手短な言葉で車の手配をすると跡部は携帯を切って神尾を振り返ってきた。
「家ついてからお前に拒否権ねえからな」
「……べつに、しない…」
「明日から寝込むんじゃねえぞ」
「………なに、する気なんだよう…」
跡部が荒れた春の風のように、勢いのある甘く婀娜めいた笑みを神尾に差し向ける。
そんな季節の変わり目、春とか嵐とか。
昨日は汗ばむほど暖かかった。
今日は晴天だが身震いするほど冷たい強風が吹き付けてくる。
春先の気候だけでも、そんな風に充分めまぐるしいのだから。
学校帰りの待ち合わせ場所の公園で、久しぶりに顔を合わせるなり思いっきり不機嫌な顔をするのは止めて欲しい。
神尾はそう思った。
不機嫌な顔をしてきた相手は、跡部だ。
神尾の目の前で凄む跡部の形相は、はっきり言って凄まじい。
おっかない。
憤怒の表情ではない。
跡部は本気で怒ると秀麗な顔を怜悧に冷たくきつくする。
むしろ無表情の領域で。
そういえば自分の親友もこういう怒り方をするよなと神尾は思った。
綺麗な顔の人間は怒り方も同じなのだろうか。
ほとんど毎日顔を合わせる親友は、いつ見ても綺麗な顔をしているが、半月ぶりに会った跡部の顔立ちの整い方というのはまた破格だ。
「てめえ」
「………へ?」
ぼんやりそんな事を考えていたせいか、神尾は跡部の唸り声で、はっと我に返る。
「んな間の抜けた言葉じゃなくて、俺に他に何か言う事ねえのか」
腕組みして壁に寄り掛かっている跡部は、神尾を見下ろして更に冷たく鋭い視線を引き絞り、あらゆるものを凍りつかせるような声を放つ。
脅えるわけではないが、怖い…と神尾は硬直した。
ここでうっかりと迂闊な言葉など零したら、いったいどうなるのか。
判らない。
跡部の顔をじっと上目に見ながら、神尾はどうしたものかと思い悩む。
何か自分はしただろうかと。
どうしてこんな状況になっているのだろうかと。
考えるが、だいたい、何か言う事と言われても、何ひとつ思い当たらない。
困る。
判らない。
だから腹も立つ。
次第に眉根が寄っていく神尾を跡部はどう見たのか、顎を軽く上げて見下す視線を一層鋭利に光らせて、低い声で吐き捨ててくる。
「何で来た」
何でって。
神尾はそれにはさすがに唖然とした。
約束していたではないか。
言ったのは跡部だ。
無論神尾も同意した。
約束の時間、約束の場所に来た神尾を、無言の怒りで迎えた跡部にこそ、神尾は何でと聞きたいくらいだ。
それでも咄嗟に、日にちや時間間違えてないよな?と神尾は一度は我が身を振り返ってから、意見した。
「…どういう意味だよ、それ」
「………………」
「跡部、なに怒ってんの…?」
神尾だって不機嫌に口にした言葉は、何故か少々力なく響いてしまった。
言ってしまってからそれに気づいて、神尾はごまかすように慌てて跡部から視線を外す。
なんか。
なんかこれでは、傷ついたというのが、あからさまだ。
実際そうなのだけれど。
会いたくて、跡部に、それで神尾は来たのに跡部は何だかとても怒っていて。
あからさまに不機嫌で。
自分が何かしただろうかと神尾も考えるのだけれど、だめだ、頭がうまく働かない。
跡部と対峙した瞬間から、だめだ、いろいろな事が判らない。
跡部は何も言わないから、神尾は不条理だと思いながらも繰り返し理由を当たるが、判らない。
神尾の視界は自身の足元しか見えていないから、跡部の表情までは判らないけれど。
多分変わらず冷たいような眼のままだろう。
跡部は。
「………………」
跡部とは本当によく喧嘩もするけれど。
だいたいは些細なきっかけがあってのことで、あまりこういう、訳のわからない諍いを起こした事はなかっただけに神尾はどんどんと何も言えなくなっていく。
約束しておいて、来たら来たで、何で来たなどと言われるのは甚だ理不尽だし不条理だと思うのだけれど。
それを責める言葉も紡げない。
何を、どう言えばいいのか判らなくなる。
「じゃ…帰る」
「言ってねえだろ、そんな事」
跡部の即答に神尾は却って腹が立った。
「言ってるだろ!」
「来たからには帰さねえよ」
帰さないなどと言いながら、漸く目線が合った跡部の表情には甘さのかけらもなくて。
やっぱり不機嫌丸出しで。
腕を組んだまま、神尾を睨んでくるだけだ。
「……いい。帰る」
「いいわけねえだろ」
「いいから帰る」
「よくねえって言ってんだろうがっ」
いきなり正面きって怒鳴られて、神尾は思わずびくりと身体を竦ませる。
跡部が僅かに目を見開いたのが判った。
「神尾」
「……訳わかんね、よ……跡部、」
整いすぎる顔での本気の不機嫌は拒絶にも似て、実際拒絶なのかもしれないと思ったらもう居たたまれなくて。
神尾が一歩後ずさると、跡部が右腕を伸ばしてきて、神尾の左の二の腕を掴んできた。
その手の力は強かった。
「……バァカ」
「………………」
何で泣くんだと呆れた風に言われて。
泣いてないと即座に言い返したまではよかったが。
そのあと思いもしなかった優しい仕種で跡部の指先が神尾の目元を擦るから。
結局それでびっくりして、ぽろっと零れ落ちてしまったのだ。
「神尾」
「……っ、…」
跡部が悪い。
みんなみんな跡部が悪い。
そう言ってやりたくて言えなかったのは、口を開いたら本当に声にして泣いてしまうかもしれないと思ったからだ。
ぽつんと一滴落ちた涙が呼び水にならないとも限らない。
唇を引き結んで俯いた神尾は、ぐいっと腕を引かれて、次の瞬間。
視界は跡部の胸元でいっぱいになった。
「予定のキャンセルくらい普通にしろっつってんだよ」
「……え?」
思いもしないような言葉を、真意の掴めない声で告げられて、神尾はうろたえる。
何故キャンセルなどしなくてはならないのかと神尾が目線を上目に引き上げると、跡部は溜息をつきながら神尾を見下ろしてきていた。
もう、冷たくない、と神尾は咄嗟に思った。
跡部は相変わらず不機嫌そうではあるが、溜息交じりに再び神尾を抱き寄せてきた。
「なに…?」
「うるせえ」
「跡部?」
どうして?と尚神尾が聞くと。
跡部は片腕で神尾を一度きつく抱き寄せてから、嘆息する。
神尾の頭上に跡部の吐息が当たった。
「どうしてじゃねえよ。具合悪かったんだろうが」
「具合?……って、……え?」
「だいたいそういう事を、お前の口からじゃなく聞かなきゃなんねえのが、一番むかつくんだよ」
「跡部ー…?」
なんか。
なんか。
事が随分大袈裟な気がする。
神尾はひそやかに焦った。
跡部の腕の中、辛うじて判ってきた概要に面食らいながらも、うわあ、と声にならない声を洩らす。
確かに神尾はここ数日の天候不順で、少々風邪っぽかったりもした。
調子も出なくて、リズムに乗り切れないこともあった。
でも、だからといって、ここまで大袈裟な話ではない。
「あのさ、跡部」
「てめえが言ってこなかったってのが一番腹立つんだよ。判ってんのか神尾」
「や、だから、それはさ…」
どうやら本当に、それが理由でここまで不機嫌らしい跡部を前に、神尾は次第に、困ったような擽ったいような不思議な気分に陥った。
心配。
されているのだろうか、つまり。
そう考えると、ひどく哀しかった気持ちはたちどころに霧散して、まるで拗ねているかのように悪態をつきまくっている跡部に対して、神尾は、うわあ、と繰り返し言わずにはいられなくなる。
しどろもどろに神尾は言った。
「何で来たとか…言うなよな……俺、今日跡部と会えるから、これまで頑張って、大人しくしてたのによう…」
「……アァ?」
「薬も飲んだし、夜はいっぱい寝て、テニスだって我慢して、セーブして。ちゃんと治して来たのに、何で文句言われてるわけ? 俺」
ひどくねえ?と名残程度の涙目で跡部の腕の中から上目に睨んでやれば。
珍しく跡部は言葉に詰まったかのように沈黙した。
掴まれていた二の腕から、するりと跡部の指が外れていく。
さみしい、と肌に感じた気持ちをそのまま表情に乗せてしまった神尾は、今度は背中を回った跡部の片腕に肩から抱き込まれて。
また密着して。
「帰さねえって言ってるだろうが」
素っ気ないようでいて充分に優しくもある跡部の声にほっとする。
「……んだよ、跡部のバカ」
「てめえにバカなんざ言われたくねえな」
「…バカ」
バカ、バーカ、と急激に子供じみていく言葉にも、跡部は怒るでもなく、神尾の背中を軽く叩いてくれる。
神尾が跡部の胸元に顔を埋めて繰り返している間、ずっと。
そしてとうとうしまいには、ちょっと笑いを含んでいるような溜息を神尾の耳元にくれて。
「今日は否定しないでおいてやるよ」
「えらそうに言うな、バカ。なんだよ、跡部なんか」
「…会いたかったんだろ?」
「………ぅ、……」
ひどく楽しげに跡部は囁いてくる。
「まるっきり落ち着きのないお前が、余計具合悪くしたかって周りが思うくらい、おとなしくしてたんだろ?」
「……、……」
「神尾」
「そ、……だよ、っ…悪いか…っ」
「いいや?」
実際この上なく機嫌良さそうに跡部は笑った。
「悪かねえな」
「なに笑ってんだよ…っ」
本気で暴れてもびくともしない。
神尾は結局跡部の腕の中で多少身じろいでいるだけだ。
「笑ってんじゃ、ねーよっ」
「そういう事なら笑うだろ」
「跡部、!」
「は、……マジで笑える」
屈託なく笑い声を響かせて、跡部は神尾の肩を抱いて歩き出そうとする。
意固地になるつもりはなかったが、踏み出す一歩のきっかけをくれるような軽いキスで唇を掠られて、場所を考えれば喚いて拒むのが当然のはずなのに。
神尾は跡部の唇が離れていく僅かな隙で、ちいさく問いかけるだけだった。
「跡部」
「何だよ」
「……誰が、言ってたんだ?」
「あぁ?」
「俺来る前、誰かから聞いた…? 深司とか…?……ぁ、…ひょっとして橘さ」
「人の機嫌の良さに水さすんじゃねえ」
「……ぇ…?」
間近に見る跡部の表情が一瞬で不機嫌にきつくなって。
唇を、盗むように今度は強く貪られて。
膝がぶれ、腰を抱かれる。
「……、…っ…ふ…」
「………少しは学習しろ、このバカ…」
なんだか久しぶりに会う跡部の機嫌は、悪くなったり良くなったり目まぐるしい。
今度は舌打ち交じりに強引に引っ張っていかれる先は。
跡部の家、もっと正確に言えば、跡部の家の、寝室へだろう。
いつでも余裕のある態度の跡部は、時折こんな風に判りやすく不機嫌になる。
荒っぽく、余裕などは欠片もないようになって、神尾の手を握る。
広い歩幅で歩く。
こういう跡部の気配に、神尾は時々あっさりと呑まれてしまいたくなる。
「跡部…」
跡部は神尾に背を向けたまま片手で取り出した携帯電話で車を呼んでいる。
それでも神尾の声は届いているようで、手短な言葉で車の手配をすると跡部は携帯を切って神尾を振り返ってきた。
「家ついてからお前に拒否権ねえからな」
「……べつに、しない…」
「明日から寝込むんじゃねえぞ」
「………なに、する気なんだよう…」
跡部が荒れた春の風のように、勢いのある甘く婀娜めいた笑みを神尾に差し向ける。
そんな季節の変わり目、春とか嵐とか。
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