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How did you feel at your first kiss?
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 口に含んだら甘い味のしそうなオレンジ色の夕焼けを見上げて、神尾は携帯の通話ボタンを押した。
 跡部からだ。
 専用の着信音がしたし、でももし音を消してあったとしても、神尾には今かかってきたそれが跡部からの電話だと絶対に判る。
「おい。何で来ないんだよ」
 いきなり神尾の耳に飛び込んできたのはそんな言葉だった。
 日暮れていく空が本当に綺麗で神尾はすうっと息を胸に吸い込んだ。
 返事をするより先に、この間青学に負けた時は来ただろうが、と跡部の声が淡々と言ったので。
「……負けてねえよ」
 神尾は憮然と言ってやった。
 跡部は少し笑ったみたいだった。
「神尾」
「今向かってるとこなんだよ!」
「とろいんだよ。お前」
「うるさい。このせっかち」
 今行く所なんだと。
 もう一度、神尾は繰り返す。
 足を速める。
 もっと。
 もっと。
「おう。早く来い」
「………………」
 やはり笑っているみたいな跡部の声に、神尾も少し唇の端を引き上げて。
 そして、目元を空いている手のひらで擦った。
 拭ったものは、涙なんかじゃない。
 何度も、何度も、惚れ直させる暴君に、八つ当たりじみて腹が立つだけだ。
 敗北を身に浴びても、欠片も弱者にならない。
 揺らぎない強靭さで、屈強に立ちはだかるから。
 悔しい、くらい。
 好きで好きで好きで。
 跡部のテニスはいつでも許容範囲を超える勢いで神尾の気持ちをすべて埋めていく。
 跡部のテニスはどうしてあんなにまでも特別なのか、人の気持ちを揺するのか。
 こんなに跡部を好きな状態で、跡部に会うのが怖いと思ったって、それは道理、無理ない話だろうと神尾は思った。
「ああ、…おい。神尾」
「………なんだよ」
 何かに気づいたような跡部の呼びかけに神尾は小さく応えた。
 こんなにも好きにさせて、自分をどうする気なのかこの男は。
「お前、俺に見惚れたようなツラ見せたら叩き出すぞ」
「……は?」
 跡部が何をいきなり言い出すのか、思わず神尾は、そんなこと言われたら叩き出されるのが確実じゃないかと思ってしまった。
 あんな試合を見せられて、そんな無理な提案のめる訳がない。
 口に出す事こそは、ぐっと堪えたが。
 理不尽な提案に神尾が眉根を寄せていると、跡部も然して面白くなさそうな口調で言った。
「どっかで見たようなとか何とか思ったら、よりにもよって橘じゃねえか」
「は? 橘さんがなんだよ?」
「髪型がだ、馬鹿」
 跡部の言葉に神尾は呆気にとられて。
「橘みたいだと思ってちょっとでも見惚れたようなツラ見せやがったら蹴り出すからな。そこんとこ覚えとけ。いいな」
「………………」
 ばか。
 神尾は声を殺して笑った。
 どういう発想、どういう理屈だと、跡部らしからぬその発言に、神尾は受話器から口元を離して肩を震わせた。
 ばかでばかでばかで。
 本当にもう大好きだ。
「跡部ー……」
「……なに笑ってんだてめえ」
 露骨に不機嫌な声だ。
 神尾は笑いを隠さずに言った。
「あのさ……跡部になら…いいんだよな?」
「ああ?」
「跡部に見惚れるのは…いいんだよな?」
 ちゃんと見ろよ、と神尾は念じてみる。
 自分が誰を見ていて、自分が誰を好きなのか。
 全部、全部、この気持ちを全部見せるから。
 神尾の気持ちを全て目にして、跡部は少しえらそうにしているといい。
 世界で一番跡部のことを好きな人間を側において、自惚れているといい。
 無性にそうしてやりたくなって、神尾は走った。
「待ってろよな…!」
「早くしてくれ」
 呆れたような跡部の声で、電話が切れた。
「……頼んでやがんの。跡部の奴」
 神尾は笑って、もう一度だけ、目元を拭った。

 後は、そう、全力疾走だ。
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