How did you feel at your first kiss?
行きたいデートスポットを聞かれて、神尾は放課後一緒に帰れるだけでいいと答えた事がある。
それを知っているのか知らないのかは判らないが、跡部は時々不動峰に現れた。
放課後一緒に帰る為だけに、やってくる。
学校も帰宅経路も、自分達は全く違うのにも関わらず、だ。
「………………」
一応、おつきあいなるものを跡部としている神尾なので、正直この時間が少々擽ったかった。
自分とは違う制服を着ている跡部の背中を見ながら、何てことのない話をして。
ゆっくりゆっくり日暮れていく辺りの景色なんかに気づくと、通学路の見慣れた光景なのに、今がとても特別で物凄い時間のように神尾には思えるのだ。
「跡部はさー…」
「なんだよ」
「デートはここに行きたい、とかあんの?」
神尾はこうして一緒に帰り道を歩くだけでも充分満足して、楽しかったり、嬉しかったりする。
跡部はどうなのかな、とふと思って尋ねると、冬服の制服のブレザーをどこかブランド物のスーツのように派手に着こなした跡部が肩越しに神尾を振り返ってきた。
「南の島でクルージング」
「……っぽいなあ…」
「行くか。週末」
「………………」
冗談。
だったらいいのだけれど。
多分跡部が言うそれは、冗談なんかじゃないんだろう。
そのへんのテニスコートにでも行くみたいにあっさりと言ってのけた提案は間違いなく現実世界での話だ。
複雑に沈黙した神尾に、跡部は唇の端を引き上げた。
「お前、パスポートは」
「持ってない」
「そうか。なら、早めに取っておけ」
からかうでもなく、至って普通に跡部はそう言った。
何と言っていいか判らず、結局神尾は曖昧に頷くしかなかった。
「…そういえばパスポートって、昔は本人の身長書いてあったって、今日英語の時間に聞いたんだけど、それってマジなんかな?」
「らしいな」
「身長って伸びるじゃん。意味なくない?」
「お前はそろそろそんな心配いらなくなりそうじゃねえの」
「そんなわけあるか…! 俺はこれから伸びんだよっ」
「へえ。そりゃすげえな」
「……っ…思いっきり馬鹿にしてるだろ、跡部」
結局はいつもこんな感じなのだ。
喧嘩じみた言い合いで、会話して、怒って、笑う。
どちらかといえば神尾があれこれ好きな事を喋って。
それを受けて跡部がなんだかんだと言い返す。
一緒にいる時間はあっという間すぎて、いつもと同じ調子の会話すら、単調に思える事はない。
あそこの曲がり角で別れないといけないな、と思って、すこしもの寂しく思いつつも、神尾はやっぱり他愛のない話をし続ける。
たぶん、デートとか、そういうのには、まだ形を成していないような時間なんだろうけれど。
神尾は、こうしている時間が、本当に、好きで。
大事で。
「で、今日の英語の時間にさ、先生がランダムにカード配ったんだよ。裏返しで。それにいろんな職業が書いてあってさ、そのあと一斉にカード返して、隣の席の相手と、お互いの職業について、質問とかすんの」
「お前は何だったんだよ」
「俺? アナウンサー!」
「振り仮名ねえと漢字読めねえだろ、お前」
「むかつく!」
何度も何度も繰り返す軽口。
言い合いが当たり前みたいなのに、少しも嫌いになれない。
あともう少し。
あそこの、角で、今日はもうおしまい。
「前の時間、隣のクラスが同じ授業やってさ、深司のクラスなんだけど、深司の奴、コメディアンのカードだったんだって。それで深司、一時間ずーっとそれをぼやき続けたんだって」
「お前の話は、最後は必ずそいつの話で終わるよな」
「え。そう?」
「もしくは橘だ」
不機嫌そうに眉根を寄せる跡部の顔を並んで歩きながら見やって、そうかなあ?と神尾は再び首を傾げた。
そして、曲がり角だ。
「………………」
夕焼け色の太陽がよく見える、見通しのいいこの場所までが、二人で歩ける、一緒にいられる道。
足を止めて、でも。
そのまま立ち止まってしまうと何だか歩き始めるのに踏ん切りが要る。
じゃあな、と神尾はさっさと言って、それで別れるつもりだったのだが。
いきなり。
「な、」
腕を引かれて、極軽く。
かすかに掠られた、唇。
「………………」
神尾は目を見開いたまま絶句する。
慌てたり、怒鳴ったり、出来ない。
それは、そのキスのせいだった。
本当に、ただ、これでもう今日は別れないといけないから、と。
それを惜しむような短くて丁寧な、キスだったから。
一瞬だったのに、何もかも跡部に持って行かれそうになる。
神尾の手首から跡部の指が離れていく。
丁寧に。
「………………」
キスされて、離されて、帰りたくないな、と神尾は思った。
別れを惜しむ事を跡部は隠さないから。
跡部に惜しまれている自分が、ひどく不思議で、自分もそうなんだと改めて認識する。
「……跡部…」
「じゃあな」
聞きたくない言葉を遮るのではなく。
多分、最初に神尾がその言葉を口にしようと思ったのと同じ心境で、跡部も言ったのだろう。
日暮れていく陰影の中でも尚華やかな、端正な表情に跡部がたたえているものは、もどかしげな寂寥感を覆う皮肉気な笑みだ。
あっさりと背中を向けた跡部を、神尾は、ぼうっと見送った。
手首が、熱い。
唇が、寂しい。
胸の内には熱が灯る。
「………………」
熱は募って、跡部へと向ける感情に、溶けていく。
神尾はその後しばらく経って、まずは漸く赤くなってから、ぎくしゃくと、帰途についたのだった。
それを知っているのか知らないのかは判らないが、跡部は時々不動峰に現れた。
放課後一緒に帰る為だけに、やってくる。
学校も帰宅経路も、自分達は全く違うのにも関わらず、だ。
「………………」
一応、おつきあいなるものを跡部としている神尾なので、正直この時間が少々擽ったかった。
自分とは違う制服を着ている跡部の背中を見ながら、何てことのない話をして。
ゆっくりゆっくり日暮れていく辺りの景色なんかに気づくと、通学路の見慣れた光景なのに、今がとても特別で物凄い時間のように神尾には思えるのだ。
「跡部はさー…」
「なんだよ」
「デートはここに行きたい、とかあんの?」
神尾はこうして一緒に帰り道を歩くだけでも充分満足して、楽しかったり、嬉しかったりする。
跡部はどうなのかな、とふと思って尋ねると、冬服の制服のブレザーをどこかブランド物のスーツのように派手に着こなした跡部が肩越しに神尾を振り返ってきた。
「南の島でクルージング」
「……っぽいなあ…」
「行くか。週末」
「………………」
冗談。
だったらいいのだけれど。
多分跡部が言うそれは、冗談なんかじゃないんだろう。
そのへんのテニスコートにでも行くみたいにあっさりと言ってのけた提案は間違いなく現実世界での話だ。
複雑に沈黙した神尾に、跡部は唇の端を引き上げた。
「お前、パスポートは」
「持ってない」
「そうか。なら、早めに取っておけ」
からかうでもなく、至って普通に跡部はそう言った。
何と言っていいか判らず、結局神尾は曖昧に頷くしかなかった。
「…そういえばパスポートって、昔は本人の身長書いてあったって、今日英語の時間に聞いたんだけど、それってマジなんかな?」
「らしいな」
「身長って伸びるじゃん。意味なくない?」
「お前はそろそろそんな心配いらなくなりそうじゃねえの」
「そんなわけあるか…! 俺はこれから伸びんだよっ」
「へえ。そりゃすげえな」
「……っ…思いっきり馬鹿にしてるだろ、跡部」
結局はいつもこんな感じなのだ。
喧嘩じみた言い合いで、会話して、怒って、笑う。
どちらかといえば神尾があれこれ好きな事を喋って。
それを受けて跡部がなんだかんだと言い返す。
一緒にいる時間はあっという間すぎて、いつもと同じ調子の会話すら、単調に思える事はない。
あそこの曲がり角で別れないといけないな、と思って、すこしもの寂しく思いつつも、神尾はやっぱり他愛のない話をし続ける。
たぶん、デートとか、そういうのには、まだ形を成していないような時間なんだろうけれど。
神尾は、こうしている時間が、本当に、好きで。
大事で。
「で、今日の英語の時間にさ、先生がランダムにカード配ったんだよ。裏返しで。それにいろんな職業が書いてあってさ、そのあと一斉にカード返して、隣の席の相手と、お互いの職業について、質問とかすんの」
「お前は何だったんだよ」
「俺? アナウンサー!」
「振り仮名ねえと漢字読めねえだろ、お前」
「むかつく!」
何度も何度も繰り返す軽口。
言い合いが当たり前みたいなのに、少しも嫌いになれない。
あともう少し。
あそこの、角で、今日はもうおしまい。
「前の時間、隣のクラスが同じ授業やってさ、深司のクラスなんだけど、深司の奴、コメディアンのカードだったんだって。それで深司、一時間ずーっとそれをぼやき続けたんだって」
「お前の話は、最後は必ずそいつの話で終わるよな」
「え。そう?」
「もしくは橘だ」
不機嫌そうに眉根を寄せる跡部の顔を並んで歩きながら見やって、そうかなあ?と神尾は再び首を傾げた。
そして、曲がり角だ。
「………………」
夕焼け色の太陽がよく見える、見通しのいいこの場所までが、二人で歩ける、一緒にいられる道。
足を止めて、でも。
そのまま立ち止まってしまうと何だか歩き始めるのに踏ん切りが要る。
じゃあな、と神尾はさっさと言って、それで別れるつもりだったのだが。
いきなり。
「な、」
腕を引かれて、極軽く。
かすかに掠られた、唇。
「………………」
神尾は目を見開いたまま絶句する。
慌てたり、怒鳴ったり、出来ない。
それは、そのキスのせいだった。
本当に、ただ、これでもう今日は別れないといけないから、と。
それを惜しむような短くて丁寧な、キスだったから。
一瞬だったのに、何もかも跡部に持って行かれそうになる。
神尾の手首から跡部の指が離れていく。
丁寧に。
「………………」
キスされて、離されて、帰りたくないな、と神尾は思った。
別れを惜しむ事を跡部は隠さないから。
跡部に惜しまれている自分が、ひどく不思議で、自分もそうなんだと改めて認識する。
「……跡部…」
「じゃあな」
聞きたくない言葉を遮るのではなく。
多分、最初に神尾がその言葉を口にしようと思ったのと同じ心境で、跡部も言ったのだろう。
日暮れていく陰影の中でも尚華やかな、端正な表情に跡部がたたえているものは、もどかしげな寂寥感を覆う皮肉気な笑みだ。
あっさりと背中を向けた跡部を、神尾は、ぼうっと見送った。
手首が、熱い。
唇が、寂しい。
胸の内には熱が灯る。
「………………」
熱は募って、跡部へと向ける感情に、溶けていく。
神尾はその後しばらく経って、まずは漸く赤くなってから、ぎくしゃくと、帰途についたのだった。
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