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How did you feel at your first kiss?
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 二の腕を軽く叩かれて、海堂は自分を呼ぶその所作に視線を向ける。
「海堂」
 まだ海堂の二の腕に触れたままになっている大きな手。
「………ミーティング中」
「うん。だから小さい声で」
 すでに充分声を潜めていた乾の更なる言い様に、海堂は眉根を寄せた。
 何せ今はテニス部のレギュラー陣が集まっての臨時ミーティングの最中である。
 本来部活のある日ではないので全員制服姿だった。
 いくら後ろの方の席に座っているとはいえ、海堂はこういう状況で私語が出来るタイプではない。
「なあ。一個だけ質問」
「………………」
「なあ…海堂。一個だけ」
「………………」
「海堂ー…」
 ああもうっ、と怒鳴ってしまいそうになるのをぐっと堪えて。
 海堂は乾を睨んだ。
「……何ですか」
「あ、答えてくれる?」
「…………、いいから早く言えって」
 乾にゆさゆさと腕を揺すられた海堂は、衝動を辛うじてやり過ごす。
 それに引き換え乾はのんびりとしたもので、海堂にまた少し近づいてきて。
 海堂を見つめながら唇の端をやんわりと引き上げた。
「あのさ。旅行に行くとしたら海堂はどこに行きたい?」
「…………クルンテープ」
「天使の住む都か。いいね」
「………………」
 タイ語だよなあ、それ、と。
 至極平然と答えた乾に。
 果たして彼に知らない事なんかあるのかどうかと。
 海堂は歯噛みした。
 適当にはぐらかしたつもりが何の役にもたっていない。
 少しくらい動じるとか面食らうとかないんだろうかと一つ年上の男を見つめていると。
 その男は、また一層海堂に近づいてきた。
 腕と腕が必要以上に密着して、重みをかけてこられてるようでもあって。
 海堂はぎょっとする。
「ちょ、…」
「うん。ちょっと予算の関係で国外は無理だね。国内でどこかない?」
 勝手に話を続けるなと毒づいてから海堂は僅かに戸惑った。
「………さっきからあんた何言ってるんですか」
「うん? コレ。当たっちゃったよ」
 そう言って乾が海堂に取り出して見せた紙片。
「……旅行券?」
「そう。懸賞でね」
 だからどこかに行かないかと乾は言った。
「今月三連休あるだろう?」
 行こうよ、と低く囁かれる。
「…………………」
 近頃時々海堂は乾のこういう声を聞く。
 普段の落ち着いた声の中に、嬉しそうだったり楽しそうだったりする感情を交ぜて、更にすごく優しい感じの。
「…………判りました。でもとりあえずその話は後で…」
「今したい」
「……、我儘言ってんじゃねえ」
「海堂には我儘言いたくなるんだ」
「…………っ…、……」
 何の衒いもなく言い切られ、とうとう海堂が羞恥だか理性だか一般論だか、何だか判らない感情で耐え切れずに声を荒げようとした時だった。
「乾! 海堂!」
 よく聞きなれた怒声が、室内にビリビリと反響する。
 彼の一喝は、いくら繰り返されても人が慣れることはない。
 あーあと乾は眉間を顰め、海堂は微かに首を竦めた。
「いい加減私語を慎め!そこの二人!」
「……ごもっともだけど手塚。お前、今日くらいはそれ止めろ」
 たいしてこたえた風もなく、ただ苦笑いしてそう言った乾に、それこそ今日ばかりはと他の面子も乾に加勢した。
「そうだよ手塚ー。手塚の誕生日祝いについて話してるのに、そうやって手塚がいつもの調子だと、なんかもうやりにくいったらないにゃー」
「全くだよね。英二。僕らが提案した企画なんか真っ先に手塚本人から却下だものね」
「中学生がそんな場所に出入りしていいわけないだろう」
 手塚の抑揚のない断言に菊丸と不二は顔を見合わせて呟く。
「ただのカフェなのにー…」
「アルコールは夜だけなのにね…」
「おしゃれで可愛いのににゃー…」
「ひどいよね手塚…」
 いや、何もひどい呼ばわりまでは、と言いながら大石も幾分困ったような顔で手塚を伺っている。
「タカさんの所でも駄目なのか?手塚」
「いつもいつも河村の家に集まって、客商売していらっしゃるのに家の方にご迷惑だろう」
「え、そんな事ないぞ?手塚。親父も楽しみにしてるし…」
「そうっすよ部長!タカさんだってこう言ってるんですから、ごちそうになりに行きましょうよ!」
 河村に桃城と加勢が増えていっても、手塚の態度は変わらない。
「俺の誕生日を祝ってくれるというその気持ちだけでいいと何度言えば判る」
 誰がここに手塚を呼んだんだと一同が頭を抱えてしまう。
 内密に事をすすめるつもりが、すっかりばれているうえ、出す案出す案、本人に全て却下されていくのである。
「お前たちは放っておくと、贅沢や無茶な事ばかりしようとする。誕生日おめでとうと言ってくれた各自の言葉だけで俺は充分だ」
 鋭い視線を均一に配った手塚に、いや、だからそういうんじゃなくてと面々は肩を落とした。
 もっとこう、情緒というか、中学生らしい盛り上がりをだなと各々が手塚に必死で意見する。
 しかし彼らの部長手塚国光には。そういった事はまるで通じない。
「…………………」
 すっかり完全に不貞腐れてしまっているのは青学期待のルーキーからあっという間に今や戦力の中心となっている越前で、彼などはもう部屋の隅の席で、目深に被ったキャップのツバから、じとーっと暗い視線を手塚に向けている。
 不貞腐れているというより、これはもう完全に拗ねているのだ。
「………部長は言うこと聞かないし……乾先輩と海堂先輩は部長や俺達そっちのけでいちゃついてるし…」
「いちゃ、……ッ、」
「悪かったな越前」
 全然悪がっていない笑顔で乾が答え、海堂はとうとう絶句した。
 生意気な後輩の平然とした言い様にか、真意の掴み辛い先輩の臆面もない物言いにか。
 とにかく海堂は固まって、そんな彼を気遣うのは何故か手塚だった。
「大丈夫か海堂」
「う、……っす」
「手塚。越前が可哀想だろう。いい加減大人しく祝われろよ」
「………かわいそう?」
「なあ越前?」
「………何かムカツク」
 言うだけ言って乾は手塚と越前から離れた。
 再び海堂に近づいてきて「それで旅行はどうしようか?」とまたあの不思議に甘い低音で囁いてくる。
「乾先輩」
「大丈夫。ああ言っておけば手塚はもう越前の提案をそのままのむよ」
 それより俺達の予定、と内緒話をするように海堂に耳打ちした乾に。
 誰からともなく、いちゃつくなーという声が飛び交うのだった。


 手塚のバースデイには、越前の家のテニスコートで、手塚杯と称したレギュラー陣のトーナメント戦が行われた。
 優勝者はやはりの主役である。
 手塚杯の影で、あろうことかとある賭けが行われていたらしく、試合後、乾が落ち込み、海堂が機嫌良さげにしていた。
 賭けの対象は旅行の行き先のようだった。
「海堂ー。やっぱり温泉にしようってー」
「往生際悪いっすよ。信州に蕎麦食いに行くんです」
「浴衣ー…旅館ー…」
 男のロマンー、と嘆いている乾に、海堂が赤くなる。
「だからそこー!手塚の誕生日にいちゃつくんじゃなーい!」
 菊丸の大声を、タオルで汗を拭きながら手塚が制する。
「俺は別に構わんが」
「……そういう問題じゃないんですけど。部長」
「越前」
 決勝戦を終えたばかりの二人は、同じようにタオルを首にひっかけていった。
 手塚の手が越前のキャップの上に乗る。
 また強くなった。
 そう言った手塚に、越前がゆっくりと笑った。


 数日後の三連休、乾と海堂は長野に蕎麦を食べに行った。
 乾言うところの男のロマンも、海堂の妥協により、どうやら無事に遂行されたらしかった。
 これはこれでクルンテープ。
 天使の住む都の話だ。
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 背中に大きな手のひらがぴったりと宛がわれている。
 海堂はゆっくり息を吸い込んだ。
 呼吸をよんで、乾が力をかけてくる。
「………………」
 少しずつ息を吐き出しながら、海堂は上体を前方に倒していく。
 乾に正しいストレッチを教わってから、海堂の身体の柔軟性は増したと思う。
「最後、押すよ。息吐き出しきって」
「………………」
 海堂の呼吸と乾の圧力とが的確にかみ合って、海堂の胸は床についた。
「やわらかくなったなあ海堂」
「………どうも」
 後ろ髪をくしゃりとかきまぜられる。
 乾の手が離れ、海堂もゆっくりと身体を起こした。
「………………」
 すると背後にいたはずの乾がいきなり正面にいて海堂は目を見張る。
 長身の膝を折って屈んでいた乾は、顔を上げた海堂のバンダナを取った。
「………なんですか…」
「少し身体が張ってるから、今日はこれでおしまい」
「…………っす」
 以前だったら反発していたかもしれないが。
 今は全て信頼しているから頷いた。
「先輩も疲れ溜まってるみたいだから今日は早く寝た方がいいです」
「俺?」
 何か変か?と乾は海堂の前にしゃがみこんだまま首を傾げる。
「乾先輩のノート」
「俺のノート?」
「さっき見せてくれた」
「ああ、見せたね」
 何か書いてあったか?と言った乾に海堂は低く答えた。
「蝶が飛んでた」
「…蝶?」
「あんた疲れてくると、データの横に蝶書くんだ」
 三角形が二つくっついた、一筆書きの蝶。
 海堂がそれに気付いたのは最近だ。
 考え事をしているのかと思った乾が、データの余白に蝶を書いている時が時々あって、それがどうやら乾が疲れてきた証拠らしいということ。
「本当に?」
「…気付いてなかったんすか」
「全然」
 乾はノートをとってきて、ペラペラと捲りながら。
「うわ……本当だ」
「………………」
 そんな乾の様子に海堂はちいさく笑んだ。
 柔らかくなった筋肉の中に張りがあるからと、触れて判ること。
 蝶がたくさん飛んでいたからと、見て判ること。
「それじゃあ今日は二人で休むか」
 強くなりたい時に、休まなければならないという事が、以前の海堂には出来なかったけれど。
 今ならば。
「……うち来ますか」
「よろこんで」
 小さく何だかかわいらしいような音をたてられ唇に。
 触れた、軽いキスは蝶が止まったイメージで。
 今更何か欲しいものはないかと跡部に聞く気にはなれなかった。
 何でも手にしている男だからだ。
 仮に手にしてなくて欲しいものは、人から貰うものではなくて自ら手に入れたがる男だからだ。
 跡部の誕生日をどうしたらいいか。
 神尾はずっと考えていた。
 跡部が、誰からも貰った事のないものをあげたかった。
 跡部に、誰にもあげた事のないものをあげたかった。
 そんな神尾へ、奇跡の光がさすように。
 跡部へのプレゼントが見つかったのは、まだ夏も盛りの頃だった。
 これだ!と確信した神尾はそれから。
 CDを何枚か分。
 映画を何回か分。
 ゲームソフトを何本か分。
 コンビニに行くのを何回か分。
 我慢して貯めたお金で、跡部にラブレターを出しに行った。
 場所は南紀白浜。
 強面ながら気のいいオジサンの運転するデコトラをヒッチハイクして、辿り着いた枯木灘海岸。
 そこの海底、推進十メートルにある赤いポストが神尾の目的地だった。
  
 そうして生まれてはじめてのウェットスーツを着込んだ神尾が海底ポストに投函した跡部へのラブレターは、くしくも跡部の誕生日当日の月曜日に配達されてきたわけなのだが。
 ラブレター片手に跡部の形相は凄まじかった。

「………テメエ」
 声で人が殺せそうな跡部の言葉に、神尾はけろりとしたものだった。
「どうしたんだ跡部」
「どうしたじゃねえ」
 海底ポストだあ?と跡部は金持ちらしからぬガラの悪さで呻いた。
「……ヒッチハイクだ?」
「ああ。すっげーいい人に当たってさあ」
「見知らぬ野郎の車に乗ったって言ってんのかお前」
「電飾ギラギラのデコトラな。俺初めて乗った。面白かったぜ!」
 何怒ってんだ跡部、と神尾が言うと。
 跡部は乱暴に神尾の後ろ髪を掴んだ。
「い……ってーなー! もー!」
「……水深何メートルって言いやがった」
「十メートル」
 さっきも言ったじゃんかと言った神尾の口は跡部の唇に塞がれた。
「…、…ん……っ、ん…っ…」
 荒っぽく唇が離れる。
「ダイビングもした事ないだろうがテメエは!」
「……っ………ちゃ……んと、インストラクター…の人つ…いたし!」
 人魚みたいだって感心されたんだぜという言葉の途中で神尾はまた跡部に濃厚な口付けをぶつけられた。
「…………っぅ…、」
「頭いかれてんじゃねーのかお前もそいつも」
「……なん…で、そ…ゆーこと…ばっか、言うんだ…よ…っ…」
 キスが苦しくて。
 声が冷たくて。
 要するに跡部が怒っていて。
「ど、して怒るんだよ……、…?」
「……………」
 誕生日だから。
 跡部が好きだから。
 普通じゃない手紙を、特別な手紙を、神尾は出したかっただけだ。
 だからお金を貯めて、だから初めて行く土地に行って。
 生まれて初めてラブレターを書いた。
 跡部に手紙を書く事だって初めてだった。
 ロープにつかまって海底に潜っていくと、視界が狭くて、身体がゆらゆらして、自分が息をしているのかどうかも判らなかった。
 海の底に古びた赤いポストを見つけた時はドキドキした。
 百五十円で買った専用ハガキを投函した時は嬉しかった。
 跡部が、受け取って、どんな顔をするかな、とか。
 何て言うかな、とか。
 考えて、ずっと、楽しみにしていたのに。
「……ひ……、…ぅ…」
「…………………」
 しゃくりあげた途端、涙は呆気なく目から出てきて。
 両方の二の腕の辺りをきつく跡部に鷲づかみにされている神尾は、首を左右に振ってキスを解く。
「も、…いい……!…」
「神尾」
「……捨てれば、いい…!……」
 もう帰ると神尾が声を振り絞ると、縛りつけられるような強い力で跡部に抱き締められる。
「…………っ…」
「神尾」
「ふ…、……ぇ…」
 跡部の胸にきつく顔を押し当てて、両手で跡部の来ているシャツを握り締めて、泣き止めない神尾の背を跡部の手がかき抱いてくる。
「…………泣くな」
「……、っ…、……ッ…」
「お前が悪いんだから泣くんじゃねえ」
 跡部が吐き捨てるように言った。
 くそったれ、と毒づかれて。
 でも不思議と。
 神尾の、あれだけ痛んだ胸の内が凪ぐように和らいだ。
 跡部のその言葉で。
 背中を這い上がってきて、神尾の後頭部を撫でる跡部の手のひらの感触で。
「形見残すような真似するな」
 泣きながら神尾は笑う。
 跡部に抱き締められながら。
「………に……ばか…なことゆ…ってんだよ……」
「ヒッチハイクなんか二度とするな」
 本当にいい人だったよ、と思ったけれど神尾は言わなかった。
「海になんか二度と潜るな」
 インストラクターもちゃんといるし、ずっとロープにつかまって降りていくし、危ない要素なんか何も無いのに、と思ったけれどやはり神尾は言わなかった。
「……形見…になってたら……」
「………………」
「今泣いてたの……跡部だったよな……」
 跡部をからかって神尾はそう言ったのに。
「……そう判ってるなら二度とするな」
「…………ば…かだなあ…跡部…」
 結局くしゃくしゃになって神尾は泣いた。
 食いしばった歯の隙間からもらすような跡部の声がこの上なく真剣で、いとおしくて、泣いた。



 ラブレターなんだからちゃんと読めよ、と連れていかれたベッドで浴びせかけられるようなキスの合間をぬって神尾は跡部に告げた。
 跡部の返事は簡単で。
「誰が見ても絶対訳のわかんねえ手紙だから、ずっと持っててやる」
 たくさんハートを書いて、結局真っ赤に塗りつぶされたようなハガキ。
 でも光に透かすとペンの形跡で初めてその正しい内容が判るハガキ。
 簡単に見抜いた跡部は、多分神尾が書いたハートと同じような数、神尾の肌に薄赤い印を重ねていった。
 近づくにつれ二人の雰囲気が妙に初々しく、和やかである事が判る。
 ぽつぽつと言葉を繋いで話をしている海堂と柳生の元へ向かった乾は、不二の魔法を信じているから迷わず手を伸ばした。
 海堂に。
「先…、……」
 声をかけるより先に、骨ばっているようで触れるとなめらかな海堂の手を握り、引き寄せて、乾の胸元に海堂の背が軽く当たる。
 さらりと揺れた黒髪からは温かな優しい香りがする。
「………乾先輩?」
 乾は海堂の背後から手を回し、そっと肢体を抱き込んだ。
 乾の手の下で海堂の薄い下腹部が強張ったのが判った。
「……乾くん」
「…、…何し、………」
 全く表情の読めない柳生と。
 ぎょっとしたように振り返ろうとする海堂と。
 この立ち位置の関係から、背後の仲間達からは乾は海堂の後ろに立ったとしか見えないであろうことを確信して、一層腕の力を強めた乾と。
 三人が対峙する。
「……、乾、先輩……!」
「海堂くん」
「………っ……、…」
「後ろにいる彼らからは乾くんのその手は見えていないから安心するといい」
「………………」
「それから乾くん。海堂くんに、あまり可哀想な事をするのはやめたまえ」
 そんなに怖い顔をするのも、と柳生は淡々と言う。
「…………は…?」
 振り返ってこようとする海堂を、乾は振り返らせなかった。
 抱き込む腕の力を強くする事で。
 一層封じ込めてしまった。
 海堂が身体を硬直させる。
「……なるほど? 海堂くんには見せたことないみたいですね」
 そういう顔をと柳生は言って唇に笑みを刻む。
 乾は無言で否定せず、海堂は狼狽えて肯定しない。
「海堂くん」
 柳生一人がさらさらと、冷静な低い声で言葉を紡いだ。
「乾くんはひょっとするとかなりの激情型のようだ」
「……激情型?」
「きみに声をかける時は気をつけないといけませんね。うちのメンバーにも伝えておきましょう。……うちの参謀あたりならばとっくに知っているかもしれませんがね」
「………な、」
「よろしくな。柳生」
「よろしくされましょう。では」
 柳生は最初に話しかけてきたとき同様、にこやかに。
 乾と海堂に目を配って背を向けた。
「海堂くん。またこの間のように偶然どこかで会える事もあるでしょうから」
 話の続きはその時にまたと言い置いて、柳生はほんの少しからかうような笑みを肩越しに残して立ち去った。
「………………」
 残された二人のうちの一人、海堂が。
 強い力で乾の腕を振り解いたのはその直後の事だ。
「あんた人前で何考えてんだ…?!」
 乾は海堂のきつい双瞳をじっと見つめる。
「当然海堂の事を」
「………ッ……」
「それから心配しなくても不二がうまくやってくれている。誰も俺たちを見ちゃいないさ」
「…、っ……そういう話じゃ……!」
 乾が何か言う度、海堂は言葉を詰まらせたり目元を赤くしたり声を荒げた。
 その度乾は可愛いなあとか可愛いなあとか可愛いなあとか思っている。
 でも実はひっそりと胸の内で自己嫌悪中でもある。
 警戒心が強くて人に懐かない海堂の性格に、乾はどこかで安心していた部分がある。
 自分だけが別格の扱いをされる奇跡を感謝することはあれ、自分以外にもその可能性も持つ人間が居るかもしれないというような事は考えなかった。
「……とにかく…! ここはもう全国大会、…!」
 よほど衝撃が強いものだったのか、海堂は言葉が最後まで続かずどこかぐったりとしている。
「うん。全国だね」
 乾がいつものようにやんわりと言葉を繋いでやると、小さく息を継いで幾分冷静さを取り戻したらしく、海堂は頷いた。
「………っす。だから先輩…」
「何て丁度良いんだろうな」
「……………あ?」
「だから全国で。はっきりさせておくのにちょうどいい、良い機会だ」
「…………テニスの話…してるんすよね…?」
「ああ。テニスと海堂の話を」
 青学テニス部の力と。
 お前が誰のものかを。
「……、…ッ……!」
 乾が言うなり海堂は染め上がるように赤くなった。
「…っ、あんた、なに言い出す……ッ…」
「海堂をとられたくないって焦ってるんだ」
「焦、……どこがだよ?!」
 いったいあんたのそのどこが焦ってるんだ!と声を荒げた海堂は、叫んだせいで有耶無耶になりかけた乾の台詞を聞きとがめ、すっと目を据わらせる。
「とられたくないってなんだ」
「うん? そのままの意味だよ」
「なに馬鹿なこと……」
「全校の前でキスとかして俺も宣誓しておくかな」
「、っ、ほんとに馬鹿だろあんた…!」
「必死なだけだよ」
 海堂を見つめて、乾は微笑する。
「…………………」
 本当に、必死なだけ。
 そう思って伝える自嘲の笑みであったけれど。
 海堂は心底呆れているようで目線がひどく鋭かった。
「さすがに全国大会でキスはしないよ」
 だからそんなに呆れないでよと乾が言うと。
「……そっちじゃねえよ」
 低く海堂が呟いた。
「あんたみたいな物好きが他にいる訳ねえだろ」
「………………」
 謙遜のレベルの発言でないのは海堂の表情を見れば乾にはすぐに判る。
 本気で吐き捨てている海堂に乾は苦笑いするしかない。
 努力は正しく認識していて、魅力にはてんで無頓着な海堂に、乾の焦燥感は判らない。
「参った………本当にどうしよう? 海堂」
「…………知るか…っ…」
 海堂は乾の問いかけをどう思ったのか、まるでからかわれている事を怒るような顔をして乾を睨みつけ、走って行ってしまった。
「だから乾、そういう態度で妬いたって海堂には判らないってば」
「不二」
 音も無く隣に立った不二に、別段驚くでもない乾は溜息をつく。
「あれは寧ろ怒らせたね。すごい目してたよ」
 くすりと笑った不二に乾は頷いた。
「ああ。すごい可愛かったよな」

 そして不二もいなくなる。

 不二が立ち去る時に言った言葉は、不二にしては珍しい、力ない声での『海堂馬鹿』という呟きだった。
 宍戸が名前を呼ばれて振り向くと、向日が上下にぴょこぴょこ跳ねながら恐ろしく早いスピードでこっちに向かって走ってくる。
 向日の器用なダッシュを目の当たりにし、いつものことながら宍戸は溜息をついた。
 全ての力を前方に向けた方が疲れも少ないに違いない。
「おはよー宍戸ー! 飴食う? てゆーか食え。お前の好きなミントだぞ!」
 あっという間に目の前に立った向日に押し切られるように宍戸は口に飴を入れられた。
「自分で食うっての…!」
「宍戸、口ちっちぇー……飴一個で中いっぱいじゃん!」
 指入れんなっ!とはっきりしない発音で喋らざるを得ないのは、向日の指が邪魔するからだ。
「おおー舌やわらかい!」
「気持ち悪い事ぬかすな!」
「あ、侑士ー! 聞いて聞いてー、宍戸の舌すっごいやわらかいの! でもって口ん中せまくってー」
 どういう言い草だと宍戸は不機嫌な顔で、向日と、彼が駆け寄った忍足とを見やる。
「………目笑ってねえよ。忍足の奴」
 向日の話を聞きながら宍戸を見てくる忍足の目は相当きつい。
 呆れて相手にしてられないと宍戸はさっさと部室に向かう。
「宍戸さん。おはようございます」
「ああ、」
 相手を判っているうえで気楽に振り返って応えた宍戸は背後にいた鳳の顔を見て。
 お前もかと脱力する。
「………長太郎」
「………………」
 目は笑っていないのに唇の端は綺麗に引き上げている後輩の表情に宍戸はあからさまな溜息を吐き出した。
「宍戸さん」
「何だよ」
 腕をとられた。
 引っ張られ、少し歩かされる。
「………………」
 学園の敷地内は豊富な植物に恵まれている。
 高樹齢の樹木も少なくなくて、そのうちの一本に宍戸は背中を押し当てられた。
 宍戸の二の腕に指を回しきる鳳の手は大きくて、加減した力で宍戸をつかみとってくる。
 少しずつ色を変え始めた葉影で、影を差し込ませた鳳の表情は危うい。
「おい。遅れると跡部がうるせーぞ」
「……他の人の話しないで」
「他の人ってな……あの何様の話だろうが」
「でもイヤです」
 断言と一緒に鳳は苦く笑んだ。
 彼自身がそれを無茶な理屈だと判って口にしているので、その表情は危なっかしくて仕方が無い。
 宍戸にしてみれば、叱り付けるほうがよほど簡単なのに。
 無性に甘やかしてやりたくてどうしようもなくなる厄介な目だ。
「宍戸さんの口の中とか舌とかの話を他の男から聞くのもイヤです」
「……おいおい…向日だぜ? 勘弁しろって」
「誰だと嫌で、誰なら良い、なんていう話じゃないんです」
「長太郎」
 相当な我儘だが、この後輩は決して宍戸の嫌う言葉や態度は使わない。
 だからたまにこんな風に駄々をこねられても、傷つけあうような喧嘩にはならいことが判っている。
「俺だって今日まだ触れてないのに……その飴はずっと宍戸さんの舌にあるんですよね」
「………お前…飴にまでかよ」
 宍戸は噴き出した。
 笑ったまま、憮然としている鳳に頬を包まれ、近づいてくる顔に目を細める。
「…持ってけ。アホ」
 宍戸から唇をひらくと、耐えかねたような鳳のキスで唇を塞がれた。
「………ん…」
 葉擦れの音がする。
 秋風は、まだ物寂しさよりもひどく暑かった夏の余韻を消すだけの快さで吹き付けてくる。
 鳳の舌は宍戸の口腔から飴を取っていかなかった。
「……………ぅ…」
 宍戸の口の中に入っている飴を、鳳は差し入れた舌で舐めて転がす。
「…っ………」
 薄く目を開けた宍戸は、自分の口の中で飴を舐めている鳳の、長い睫毛を間近に見て再び目を閉じた。
 ひどく生々しいことをしかけてくるくせに、鳳の整った清廉な顔に少しばかり腹が立って、意趣返しというように鳳の腕から抜け出る。
 普段逃げた事がないから、たまにこういう振る舞いをすると鳳には覿面によく効いた。
「…………、……」
 もどかしさと欲の滲む鳳の表情に気が晴れた側から、結局宍戸はそんな鳳を慰めてやりたくなるのだからどうしようもない。
「行くぞ。長太郎」
 放課後下駄箱で待ってろよとぶっきらぼうに付け加える。
 鳳はなだらかに微笑んだ。
「はい。宍戸さん」
 その表情につられて笑い、宍戸はもう見失いそうに小さくなっている飴の欠片に歯をたてた。
 パキンと音にならない音をたて、飴は形をなくしたが。
 キスの余韻までもが消失することはなかった。
 わけがわからない。
 ずっと声を上げ続けそう。
 喚き出しそう。
 口走りそう。
 暴れそう。
 逃げ出しそう。
 泣き出したらきっと止まらない。
 きっと何もかもぐちゃぐちゃだ。
「………、っ…、…」
 跡部の身体の下に押し潰されるように抱きこまれて。
 開かされた神尾の足の狭間には跡部の胴体があって。
 強張る神尾の内腿は、跡部の身体を挟み込んで締め付けるように擦り寄ってしまう。
 神尾自身が感覚のうまくつかめない所を長いこと触れていた跡部の指先が。
 離れていくと。
「……ぅ………」
 今度こそ本当に取り乱しそうな全ての予感が神尾の混乱を悪化させた。
 そこに指じゃなく押し当てられ、そこから拓かれそうになって。
 混乱を閉じ込めるので神尾は必死だった。
「神尾」
「………っ、」
 耳元で跡部の声がする。
 耳に触れた跡部の吐息は両足の狭間に押し当てられているものと同じ熱量を放っている。
 頭の中が霞んだ。
「……痛いのはお前で我慢しろ」
 食いしばった歯の隙間からもらすように跡部が告げてきた言葉は。
「俺にはどうしようもしてやれねえよ。悪いがな」
「………あと……べ…?…」
 神尾は、跡部が、どうして苦しいようなこんな声を出すのだろうかと、至近距離から目を凝らす。
 どうして跡部が目を眇めているのか。
 呼吸が浅いのか。
 汗で前髪が湿っているのか。
 どうして跡部が、と神尾は苦しい息を呑む。
「もし痛いんじゃなくて、気持ち悪いならすぐに止める」
「跡…、……」
 やめないで。
 それだけでもう、神尾の中は、それだけだ。
「跡部」
 やめないで、と手で訴える。
 神尾が跡部に両手でしがみつくと、すぐに背中を抱き締め返された。
「………………」
 何でもいい、どんな事を言ってしまっても、してしまっても、ぐちゃぐちゃになっても、いいから。
 やめるのは嫌だと神尾は思った。
 このまま、神尾の知らない事を、跡部と。
 しようとしている事は、相手は、痛いとか、気持ち悪いとか、怖いとか、不安だとか、そういう区別をつけて続けるとか止めるとか決められるような対象ではもうなかった。
「………ぁ…とべ…」
「………………」 
 もう少しどうにか、もっと別の、ちゃんとした正しい言葉や伝え方がある筈なのに。
 痛いとか好きだとか、そういう感情を。
 その言葉だけを使わなくても、もっとずっとちゃんとした言いようがあるように思うのに。
 言葉の追いつかない気持ちがもどかしかった。
 好きより好きなのだ。
「跡部」
 でも、少なくとも。
 この言葉を知っている自分を、幸せだと神尾は思った。
「跡部」
「神尾」
 そしてこの言葉をもらえる自分も。
「………………」
 唇を深く合わせた。
 お互いに唇をひらき、お互いに舌をむさぼった。
 これと同じ事を、別のところでするだけだと思って。
 神尾の身体から混乱の要素は全て溶けた。
 指を絡めて手をつなぎ、身体を食い違わせて繋がった。
「……っぁ、…、跡…、部…っ」
「神尾、…」
 違う言葉を喋る自分達だけれど、この言葉で表している感情は同じだ。

 同じ気持ちを、違う言葉で伝えあっているだけだ。
 待ち合わせ場所は店の前だった。
 珍しく率先して先に中に入ったのが神尾で、その後についていったのが跡部。
 さっぱり判らねえとメニューを放ったのが跡部で、ドリンクバー2つと秋のステーキセットを2つ頼んだのが神尾。
 オーダーした物がやってくるなりリズムにのった神尾と、俺様の美技にでなくお子様の食べっぷりに酔ってしまった跡部である。
「ご飯おかわり!」
「………ご飯と肉とスープおかわりの間違いだろうが。おい、お前、顔についてる」
「なにが?」
「ご飯と肉とスープがだ!」
 跡部が怒鳴り、神尾は笑う。
「跡部がご飯とか言うの可愛いな!」
「……いいから拭け!」
「拭いて」
「……………てめえ」
「駄目?…じゃあしょうがないから追加注文ついでにあのお姉ちゃんに…」
「ふざけんな…!」
 結局ペーパーナプキンで神尾の頬やら口元を拭う跡部だ。

 そう、跡部だ。

 確かにあれは、紛うかたなき我らがぶちょう。
 跡部様がふぁみりーれすとらんにいらっしゃった。
 ショックのあまりに時々平仮名。
 そんな氷帝テニス部レギュラー陣の目の前で、跡部は黒いジャージの恋人と、いちゃいちゃいちゃいちゃしてらっしゃった。
「激ダサ」
 最近この台詞は二人同時で言われる事が多い。
 今日もとても綺麗にハモった。
「ですね。宍戸さん」
「……………」
 にこにこと微笑む鳳と、がっくり肩を落とす宍戸と。
「ラブい…」
 そう確かにその二人はラブいんだが、向日のこの台詞はひとまず隣の隣の隣のテーブルにいる跡部と神尾に向けて放たれている。
「跡部、ママじゃん~」
 ジローはそう言ってケラケラ笑って突然眠った。
「………うちんとこの部長、ほんまこういうとこ似合わへんなあ」
 苦みばしった声で言った忍足。
 ウス、と思わず一人それに返事をしてしまった樺地。
 かくして跡部と神尾の初ファミレスデートは、偶然居合わせ来賓となってしまった仲間達に見守られ、由々しくも賑やかに、執り行われる事になったのであった。
 閉めきっている窓の外側から、叩きつけるような雨跡が見てとれて、宍戸は溜息をついた。
「さすがにこの天気じゃ明日は屋外コート使えねーな…」
 夕方から雨脚が強くなり、テレビでは今年二十一個目の台風情勢を伝えている。
「神様も宍戸さんの誕生日、お祝いしてくれてるみたいですね」
「ああ? この台風が祝いかよ?」
「はい」
 しなやかな腕が背後から伸びてきて、窓辺にいる宍戸は自分を抱き締める鳳の胸に凭れかかるようにしながら毒づいた。
「物騒な祝いだな」
「そんな事ないです。宍戸さんが自主練に出る時間もこうしていられるし」
「……お前もどうせ一緒だろうが」
「俺は宍戸さんのお家に止めて貰えるし」
「こんだけ降ってりゃ、」
 仰向くように仰け反った宍戸は、鳳の指に顎を支えられ普段と向きの逆なキスを受け止める。
「…………、ん…」
「誕生日おめでとうございます」
「………何度目だよ…それ…」
「何度でも。宍戸さん」
 おめでとうという言葉を封じ込めるようにキスが繰り返されて。
 宍戸の耳に聞こえていた雨音や車が走行する時の飛沫の音が薄れていく。
 不安定な角度から舌を探られる物慣れないキスにじっくりと追い詰められて。
 宍戸は、何だか神様に礼を言ってもいいような気になった。
 ABCオープン男子決勝のあった日の夜、海堂は乾の家を訪れていた。
 この日は乾の両親が揃って仕事で帰らない日でもあり、前から海堂は乾の家に泊まる事になっていた。
 約束の時間ちょうどに訪れた海堂は、自分がプラチナチケットを手に入れて昼間の試合を直接観に行っていた事を知っていた乾に生で観戦した感想を聞かれて。
 その日起こったささやかなトラブルを、訥々と説明した。
「着たの?」
 話を聞き終えた乾が最初に言った言葉の意味がよく判らなくて海堂は乾を見つめた。
 乾は普段とあまり変わらないように見え、しかし海堂にはやはり言われた問いかけの意味が汲めなかった。
「柳生は、海堂のジャージを着たのか?」
「……先輩?」
「それで海堂は柳生のジャージを着たって事か?」
 俺もした事ないのに?と言った乾の声で。
 漸く海堂は気づいた。
 どうも責められているらしい。
「……俺もした事ないって……当然でしょうが」
 サイズあわねーだろと海堂が言えば。
 乾はあまり機嫌がよくない顔で、絶対納得なんかしてない声で、ふうん、と呟いた。
 怒っているというよりは。
 これは、要は、拗ねているのだ。
 この体躯で、この顔で、ものすごい大人げない拗ねっぷりで。
「……………」
 視線を斜に流して何も話さなくなった乾との間に沈黙が漂う。
 海堂は呆れて、派手な溜息を吐き出すのと同時に言った。
「あんたは脱がせてんだからいいだろうが……!」
 どっちも欲しがるなときつく言い渡すや否や、海堂は乾にのしかかられた。
 腰を下ろしていたベッドに押し倒される。
「それもそうだ」
「……………」
 全く持って穏やかな笑顔で唇を合わせてきて。
 乾は海堂の服を剥ぎ取っていく。

 海堂の溜息は深まるキスに霧散していった。
 全国大会の会場で、立海大付属中の、紳士こと柳生比呂士が。
 単身おもむろに青春学園の面々の前に歩み寄ってきて。
 丁重な目礼をした後、にこやかな笑顔を浮かべてこう言った。
「海堂くん。お元気ですか」
 青学のテニス部員達は、がくっと顎を下に落とした。
 何故に海堂くん。
「………っす」
 しかも海堂くんが返事した。
 よって更に顎がもっと下に落ちていく。
 何事だ海堂くん。
 返事した。
 何事だ!?と、次第にもっと大きな声で、一致団結、心の中で叫び出す青学のテニス部員達である。
 さてそんな中、彼らのうちの何人かは。
 その後すぐに物言いた気な視線を、柳生にでなく、海堂にでもなく、別の人間へと一斉に差し向けた。
 密かに注目を集めている男は、一見無表情だ。
 柳生と海堂が短い言葉ながらも会話を始めているその光景を見てはいるが、少なくとも判りやすいリアクションは何ひとつとらない。
 でも、と周囲の人間は考えている。
 もしこの見慣れない現状の謂れと理由が判るとしたら。
 それはやはり、彼の口から出るのが最も自然な筈だ。
 間違いなく。
 そして、そんな期待を一身に受けている男。
 青学の頭脳、乾貞治は、おもむろに軽い溜息をつく。
 周囲はにわかにどよめいた。
 柳生と海堂、この組み合わせの訳を皆は知りたい。
 しかしそれをまた、どう聞いたらいいものか。
 躊躇しつつも好奇心に満ち満ちた視線を、彼らは次第に遠慮なく乾へと突き立てた。
 長身の彼は若干背中を丸めるようにしてやんわりと後ろ首に手をやって。
 再びの溜息である。
「海堂、とられたの?」
 その場に、声にならない阿鼻叫喚を充満させたのは、突然に放られた、この何の取り繕いもない不二の言葉だった。
 乾の横に並んで、不二はにこにこと海堂達を見つめて。
 乾に向けてさらさらと言葉を続けた。
「どうしたんだい乾。きみともあろう男がいったいどんなミスしたの」
「…………不二」
「…何だ。別に落ち込んでる訳じゃないんだ」
 聡い青学の天才は、ちらりと寄こしてきた視線で乾の表情を的確によんで。
 そんな事を言った。
 乾は三度目の嘆息である。
「……海堂は何でもこの間、柳生と、些細で偶然な出会いがあったらしくてね…」
 それはちゃんと聞いてるんだけど、どうもねえ、と乾は言葉を濁した。
 不二が呆れ返ったように笑顔を深める。
「ねえ乾。何もそんな老成しきったような態度で妬かなくってもいいじゃない」
「老成ねえ…」
「もっと判りやすく表に出せば?」
「んー…そんなに判りにくいか俺」
「まどろっこしいよ。海堂が他の男に懐いてるの見たくないなら、さっさと取り戻してくればいいのに」
「うーん……いきなり割って入ったら海堂怒るだろうなあ…」
「…本当、相当鬱陶しいね、きみ」
 穏やかな笑顔で毒を吐く不二に。
 強引に背中を押し出された乾は、悪あがきのように、肩越しから不二を振り返った。
「黙って強引に海堂を柳生から引き剥がして、担いでここに持って帰ってきたら、海堂怒るかな?」
「いいから早く行きなよ乾」
「威嚇もしておきたいんだがなあ…折角だから」
「乾」
「判った判った」
 はいはい、と。
 開眼直前の不二にホールドアップのリアクションをとって乾は海堂と柳生の元へと足を向ける。
 それからさ、と乾は背を向けたまま不二に告げる。
「不二。俺が彼らに声かけたらさ」
「なに?」
「その直後5秒でいいから、みんなの視線を俺達じゃない方に集めてくれないか」
「そんな魔法みたいなこと頼む?」
「不二には簡単なことだろ。5秒でいいから」
 それから不二も、こっちは見ないでな、と。
 乾は当然のようにそんな事を言った。


 5秒で奪還するといえば、その行動は大概想像がつく。
 海堂に叩かれなきゃいいけど、と不二は思って忍び笑いを受かべるのだった。
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