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How did you feel at your first kiss?
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 好きだと切に焦がれたと同時に、相手からも焦がわれた。
 欲しいと強く願ったのと同時に、相手からも願われた。
 望んだものは、すぐに同じ思いで返されて。
 苦しかった時間は僅か。
 思いつめた迷いも一瞬。
 戸惑いを吹き払い、躊躇を薙ぎ払って、お互いに手を伸ばす事の叶ったその瞬間には、自分がどれだけ凄まじい安堵感と幸福感を覚えたか、無論忘れはしないけれども。
 だからこそ後になって、今になって、どうしたらいいのか判らない事があるし、どうにもならない事も出てくるのだ。





 清潔な茶色の髪で気づいた。
 厳しく完璧な姿勢と佇まいの後姿。
「若、今帰りか?」
 宍戸が声をかけると、目線だけで振り返ってきた日吉が僅かにだけ目を瞠っていた。
 宍戸は鞄を掴む手を手首から反らし、肩に乗せて、少し歩を早め日吉の隣に並んだ。
 正門までは、まだ距離がある。
「………一人ですか」
「おう」
「…珍しいですね」
「そうか?」
「そうですよ」
 感情のこもらない低い声、素っ気無い短い言葉。
 それでも話かけてくるのは日吉からで、宍戸は小さく笑みを浮かべて日吉を流し見た。
「お前も珍しいな」
「俺はいつも一人ですが」
「いや、俺相手にそんなに喋るのがだ」
「………………」
 そうは言いながらも、案外と二人きりの方が、寡黙な日吉でもあれこれ喋る事を宍戸は知っていた。
 今はもう引退しているが、テニス部に現役でいた頃、宍戸が日吉から感じていたのは他のレギュラー陣達への敵対心とは全く違うものだった。
 もっと簡単に、感情の面で好まれていなかった。
 宍戸は早くからそれに気付いていたけれど、別段だからといって日吉を毛嫌いしていない自分も知っていた。
 憮然として、生意気で。
 でも宍戸は、恐らく自分が下級生であった時、上級生達は自分に対して同じ事を思っていたのだろうと知っているから、負けん気が強くて愛想がなくて勝気な日吉が他人事に思えなかったのだ。
 春先、宍戸がレギュラー落ちをし、その後すぐに異例の復帰を果たした時から暫くは、宍戸に対する日吉の態度は露骨に不快そうだったのだが、それもいつの間にか軟化していて、今となってはこんな風に二人で話をしている空気もやわらかい。
「鳳、もう帰りましたよ」
「ああ…知ってる」
「今週入ってからずっとあんな調子ですね」
「不機嫌か?」
 宍戸が問うと、日吉は前方を見据えたまま、そこまでは興味ないんでと言った。
 それで宍戸は小さく笑う。
 すると、報復なのか日吉が冷えた声音で告げてくる。
「それこそ珍しい」
「…何がだ?」
「逆ならともかく」
「………………」
 それでもまだ笑った目のまま宍戸が日吉を見やると、日吉も涼しい視線を宍戸へ向けてきていた。
「つまり宍戸先輩が悪い喧嘩ってことですか?」
「真っ向から言うか、そういうの」
 やはり自分と似ている所があるのだと、宍戸は日吉を見ていて思う。
 敵も増えるだろう、しかしその分、理解者には深く感謝もするだろう。
 自分と同じように。
「そうだな。俺が悪いな」
 宍戸は日吉から視線を外して溜息をつく。
「………………」
「あいつが怒るのも当然だな」
「……へこんでるあんたを見るのは気持ちが悪いし気が滅入ります」
「悪かったな」
 ぼそぼそと交わす会話で正門につく。
 家の方向は逆なので、話はここまでだ。
「じゃあな。若」
 鞄を持っていない方の手を肩口で軽く振った宍戸だったが、自分の向かう方向に日吉が並んでついて来たのでぎょっとする。
「…おい?」
「腹が減りました」
「……は?」
「俺はファーストフードは嫌いです」
「はあ?」
 どうしたんだこいつ。
 宍戸が困惑する中で、ちらりと視線だけ向けてきた日吉の表情に、ぶっきらぼうな気遣いが見えた気がして宍戸はますます呆気にとられた。
 そしてつくづく、この後輩は自分と似ているのだと思い知らされる。
 不器用で、無愛想で、優しい言葉が使えない。
 全く似たもの同士だ。
「そばがきは?」
「うまい所なら」
「うまいぜ。この間も食った」
 行くかと日吉を促しながら、この間そこに一緒にいた相手の事を思い出して、宍戸は小さく溜息をついた。









 結局日吉とはテニスの話ばかりした。
 寧ろそのほうが気が晴れた宍戸は、割り勘を譲らない日吉を宥めすかし、しまいには店主が心配してくるような小競り合いを交わしつつ代金を払った。
 憮然としている日吉は今思い出してみてもおかしかった。
「宍戸ー。昨日は、えっらい渋い場所で、日吉とデートしてたんだって?」
「…は?」
 昼休み、机にうつ伏せてうつらうつらと昨日の事を思い返していた宍戸は、賑やかな向日の言葉に顔を上げた。
 好奇心でキラキラした大きな目が目前にある。
「……んだよ。寝かせろよ」
「そんなに眠いようなこと、昨日したんだ?」
 日吉と?と言ってくる向日に宍戸が眉根を寄せる。
「何言ってんだ、岳人」
「だって昨日見てたらさー、なかなかの仲良しっぷりだったじゃん?」
「…おい?」
「萩之介、ちょっと泣きそうで可哀相だったんだからな」
「おい」
 真剣な宍戸の声に、向日は肩を竦めた。
「そっちは平気。お前たちが店の前で別れた後、俺と侑士で日吉に特攻かけたから」
「滝は」
「勿論一緒にいたよ。止めなよって言われたけどさ」
 聞くわけないじゃん?と向日は笑った。
「日吉も見物だったぜ。俺らはともかく、萩之介見たらさ。かわいいねー、あいつも」
 態度に出さないようにしてたけどめちゃくちゃ焦っててさあ、と大笑いする向日を宍戸は呆れて見返した。
「お前らなぁ…」
「つーわけで、あっちは別に、もめちゃいねえよ」
「…それならそれでいいだろうが」
「だな。で、こっちは?」
 こっち?と宍戸は訝しげに聞き返す。
 宍戸の机に頬杖をつく向日は、唇を端を引き上げた。
 ただし目は笑っていない。
「日吉には話せて俺には言えないのかよ」
「……別に日吉と話はしてない」
 日吉同様、向日も気づいているのだろう。
 彼が知っているのなら忍足も知っているだろうし。
 憶測が広がっていくのに、宍戸は嘆息する。
 今日は木曜日。
 実質四日、校内で接触無しでいるという事が、学年も違うというのに異変だと思われる自分達の距離の近さを改めてつきつけられた気分になる。
「鳳が悪いんじゃないんだ」
 お前なんにも言わないってことはと向日が真っ直ぐな視線と一緒に宍戸に放る言葉。
 そうだよ、そうだけどな、と宍戸は言葉にしないで溜息をつく。
「どうしたよ。らしくねーじゃん」
 ん?と小首を傾けて宍戸を覗き込んでくる向日は、本当に見目の可愛らしさとミスマッチなまでに男らしい。
 華奢な指で宍戸の髪をくしゃくしゃにまぜてきた。
「……、んだよ…っ」
「そうそう。そういうおっかない顔してなきゃ宍戸らしくないぜー」
「おっかないは余計だ!」
 遠慮の欠片もなく宍戸の背を叩いた向日は、今度は宍戸のタイを引張って、ぐっと顔を近づけてきた。
「今日は俺とデートするか」
「……お前なぁ…」
 キスでもしそうな至近距離は完璧にわざとだ。
 呆れた宍戸が思わずもらした呟きに、低い関西弁が被さってくる。
「勘弁してや、岳人」
 アホ言うなってつっこんだら本当にキスしてまうやん、と振り上げた右腕で胡乱と前髪をかきあげる忍足に、口調に誤魔化した不機嫌が垣間見えるようで、宍戸は笑いながら向日の肩を雑に押し返した。
「おら、しっかり手綱握っとけ、忍足」
 忍足に背を凭れかけるくらい強く向日を押し返した宍戸は、机に肘をついた手のひらにこめかみにあずけて生欠伸をする。
「こっちはジローが昨日遅くにいきなり泊まりにきて寝不足なんだよ」
「何でジローで寝不足なん?」
「だよな。どうせ寝てたんだろ」
「……何だか知らねえけど、すっげえ構ってくれモードで、喋りまくるわ、引っ付いてくるわで、いい安眠妨害だったんだよ」
 不思議そうな顔をしている忍足と向日にそう説明してやると、二人は顔を見合わせて同じような顔をした。
「………なんだよ」
「かいらしなー、ジローは」
「やり方が動物っぽいけどな」
「おい…?」
 したり顔をする忍足と向日に宍戸は不審気な眼差しを向けたが、それ以上の説明は無かった。
 そしてそんな他愛もないような話をしているうちに、昼休みが終わるチャイムが教室に鳴り響く。
「おっと、次、教室移動だ」
「行こうか、岳人。……あ、それからな、宍戸」
「何」
「早いとこ仲直りせんと、跡部がきれるで」
「………跡部?」
 何であいつがきれるんだ、第一、別にあいつがきれたって、と思った事が全て顔に出たらしく、宍戸に向かって向日が呆れた大声をあげる。
「判ってねえなあ、お前。跡部マジできれるぞ」
「だから何であいつが」
「何でとか言うあたり、宍戸も相当鈍いよな。ついでに教えておいてやるけどな、跡部がきれて、お前んとこに行くわけねえんだからな」
「せやで、宍戸。矛先、お前のわんこや」
 覚えとき、と言って忍足も笑い、向日と一緒に教室を出て行った。
「……んだよ、あいつら。訳わかんねえことばっか言いやがって……」
 呻きながら宍戸はくたくたと机に顔を伏せる。
 昨夜に引き続いてこの昼休みも結局中途半端に眠いままだ。
 わんこねえ、と唇の形だけで宍戸は呟いてみた。
 昔から、取り分け宍戸に従順で献身的な年下の男は、そんな風によくからかわれていたけれど。
 そんなんじゃねえよなあと宍戸は誰に言うでもなく口にする。
 もし、あの男の。
 柔和な態度や、優しい振る舞いや、謙虚な物言いなどを知り、彼を見縊っている輩がいるとしたら、それはひどい誤りだ。
 頻繁にそれを口にする宍戸の友人達は、本当の所を知っている上で言うのだから良いけれど。
 本気で怒った時の、暴力や言葉ではなく、噴出すような感情の気配や。
 丁寧な手が生む、渾身の力。
 色薄い瞳に宿る、艱難。
 そういうものを持っている男だ。
「………………」
 数日前のあの日に、一瞬だけ目にした鳳の凄愴な表情を思い出し、宍戸は喉が痞えるような思いで細い息を吐き出すしかなくなった。









 今改めて、あんなことは、そう無い事なのだと、宍戸は考えている。
 最初のきっかけ。
 知っているのだ、ちゃんと。
 あんな幸運じみた奇跡のような事。
 そのままにしておいたら渇望する執着心で正気でいられなくなるような想いが、生まれたてとほぼ同時期に、相手から優しく掬われたような事。
 だから例え、まっすぐな信頼と、まっすぐな愛情を、惜しみなく宍戸に向けた鳳のやり方がどれだけ判りやすく人の目に映っていたとしても。
 結局は、自分の方が明らかに分が悪いと言い切れる程に、自身の感情が濃いのだと。
 宍戸は判っていた。
 鳳を乞う自分の感情の表し方が、どれだけ判りにくいものかも自覚している。
 だからいつも鳳ばかりが際立ってしまうけれど。
 あれだけ懐かれて、あれだけ好かれて、と言われる事も少なくないけれど。
 その比にならない程なのだ。
 本当の、自分の思いは。
 それは鳳にも伝えきれていない筈だ。
 だから宍戸は、ふと怖くなったのだ。
 今自分の隣に鳳がいることが奇跡的な事なのだと判った上で、少しずつ薄れていくかもしれない鳳の恋愛感情と、普通でない執着じみた勢いで増していくばかりの自分の恋愛感情とに、食い違いが出始める時がくるのが怖くなった。
 今まで当たり前のようにされてきた事が、そのうちに、少しでも普段とは異なる気配を見せるのかもしれないと思い始めると、その思考は常に宍戸を巣食うようになった。
 肩を並べて歩く、テニスをする、電話で話す声、抱き締められ方、キスの感触。
 薄れたら、変わったら、無くなってしまったら。
 その時どうしたらいいのかと宍戸は思ってしまった。
 今宍戸の中にある感情すら伝えきれないうちに、そんな時がきてしまう事も怖い。
 鳳が、薄れたら、変わったら、無くなってしまったら。
 寂しいよな、とひっそり冷えた気持ちを抱えていた宍戸を。
 先週末、鳳は宍戸の部屋で抱き締めながら、思いつめたような顔をして言ったのだ。
 宍戸さんが今何を考えているか教えて下さいと。
 それで、結局あの諍いだ。









 言葉は、難しい。
 気持ちを言葉に代える、もっとうまい方法があるなら知りたいと切に願う。
 口にしている自分でも、その言葉が本当に正しいのかどうか、不安に思う事がある。
 好きも伝えられない。
 不安も伝えられない。
 沈黙は形にならない誤解を生むし、言葉はどこを修正をしていいのか判らない程に取り留めない。
 鳳の腕の中で、宍戸は言葉が見つけられなかった。
 その沈黙は鳳をどう受け取ったのか、肩を掴まれ身体を離された時の喪失感は、それだけで宍戸の頭の中の寂しいいつかの気配と一緒になる。
「お前は、俺が本当に思ってること、知らないだろう」
 どれだけ好きか。
 どれだけ好きか。
「お前は、いいよな」
 惜しみない言葉、惜しみない態度、いつも全部を聞かせてくれて、いつも全部を見せてくれて。
 必ず気持ちの全てを表してくれるから、そこから少しずつ、失われていく過程を見なくてはならない自分とは違う。
 怖い。
 その宍戸の気持ちは、何も鳳へと伝わらない。
 ただ鳳は、そう呟いた宍戸を、本気で怒った。
 握り潰しそうな力で宍戸の肩や腕を掴み、噴出さんばかりの強烈な怒りを滾らせて、目だけはひどく辛そうに。
 あの時に鳳に言われた言葉は回顧を拒否する。
 宍戸は鳳の腕に抗わなかった。
 言われた言葉に返さなかった。
 鳳は宍戸の部屋を出て行った。
 そのまま、四日だ。
 あれから、四日だ。
 悪いのは自分だろうし、鳳が怒ったのも当然だろう。
 ただ、早かれ遅かれこうなったのかもしれないという諦めじみた思いが宍戸にはあって、その気配こそが、周囲を困惑させているという事には気づけずにいた。
 宍戸にその事を告げ、手酷く一喝してきたのは、結局跡部だった。









 翌日の金曜日の放課後、あろうことか昇降口で待ち伏せをされて、宍戸は深々と嘆息し、肩を落とした。
 跡部は尋常でなく整った顔を皮肉たっぷりに歪める。
「溜息つきたいのは俺様だ。この馬鹿野郎が」
「はいはい…俺が悪うございました」
「思ってもいねえこと口先だけで言うんじゃねえ。腹立つんだよ、てめえは」
 コートのポケットに両手を突っ込んで肩をそびやかす跡部の悪態を真横で聞きながら、宍戸はとうとう跡部かと内心で思っていた。
 跡部は、一番こういう話をしたくない相手でもあるのに。
 結局自分達は交互に、幾度となく、こういう話で相手に意見してきた。
 他の連中がいる前では対峙して話す事はあまりない。
 その分二人きりの時は、本音で話すだけだ。
「鳳が離れていくのも当然みたいなツラをお前がしてるから、あいつらが戸惑うんだろうが」
「………そうは思ってねえけどよ」
「同じだ。馬鹿」
 跡部に舌打ちされて、宍戸は苦笑いする。
「でも、嫌なんだぜ。それ」
 怖いとは口にしなかったが、どうせ跡部には伝わってしまうのだろう。
 ぽつりと宍戸が返した言葉には辛辣な切り返しはされなかった。
 跡部が黙るので、またぽつぽつと宍戸は話をし始める。
「あいつなあ……」
「………………」
「俺のどこをどう気に入ったのか知らねえけどよ……もしそれが、何かの拍子に簡単に無くなったり変わっちまうようなものだったりしたら、怖いだろ」
「怖がるたまかよ、てめえが」
「全くだよな……好きすぎるんだろうな」
 本当に、全くだ。
 そして、本当に、好きすぎるのだ。
 自分は、鳳の事を。
 宍戸は改めてそう思い知って、隣に肩を並べる跡部を見た。
 跡部がこの上なく苦々しい顔をしているので、そんな事を言った自分を呆れ返っているのだろうと思った宍戸だったが、跡部の目が明らかに何かを直視しているのに気づき、その視線の先を追い、息をのむ。
「………長太郎…」
「…で? てめえをそうやって腑抜けにさせたあいつを、殴るくらいはしていいんだろうな、当然」
「お前…なに馬鹿言ってんだよ」
 冗談だろうと思いつつも、宍戸が頬を引き攣らせたのは、近づいてくる鳳を跡部が見据えたままだったからだ。
「おい、跡部…」
「てめえがベタ惚れらしい顔は避けておいてやる」
「ば、…っ……顔だけじゃねえ……っ…」
 腹部であろうが足であろうが背中であろうが頭であろうが冗談じゃないと、宍戸は跡部の身体に手を伸ばす。
 ひそめた声で言い合いをする跡部と宍戸のすぐ近くまでやってきた鳳は、いきなり、まるで跡部から奪い取るかのように宍戸の肩を掴んで引き寄せてきた。
 強く引張られて足元のよろけた宍戸を、鳳が回りこんで抱きとめる。
 鳳は跡部に背を向けたけれど、宍戸は鳳に抱き締められたまま跡部の顔を見る事になって硬直した。
「俺は宍戸さんの中のどこか一部が好きなんじゃない」
「………長太郎…、」
「宍戸さんが好きなんです」
 呆れ果てた冷たい溜息、それは跡部の唇から放たれて。
「だとよ、宍戸」
「跡部、…」
「ついでに俺様からも教えておいてやる。他の男の名前口にする場所は選べ」
 俺なら相手半殺しだときつい声音で口にして、跡部は宍戸達を追い越し校外に出て行った。
 現に鳳の腕の力は凄まじく強くなっていて、宍戸は困惑の中うろたえて身を捩らせた。
「宍戸さんが嫌がったって、怖がったって、俺はどんどん勝手に、もっとあなたを好きになる」
「長太郎…?……」
「好きすぎるなんて、そんなの俺でしょう。俺だって判ってる、おかしいくらい宍戸さんが好きだって。それでおかしくもなってるって。だからせめて、宍戸さんを壊したりするような事はしないって決めてる。乱暴なことは絶対しないって、決めてた、でも」
「お…い……長太郎…、…」
 闇雲な力と、矢継ぎ早な言葉に振り回されて宍戸も混乱する。
 場所も、行動も、とんでもない気がしてきて狼狽する。
「あんな風に怒鳴るだけ怒鳴って、勝手に出て行ったような俺に、宍戸さんがうんざりしていても、離してなんかやらない」
 顔が見えない。
 でも、そんなに苦しそうな声を出されて、宍戸はじっとしていられなくなった。
「長太郎」
「脅しでも泣き落としでも今なら何でもやりそうで、そういう自分に自分で呆れてますよ。俺だって」
 でもね、と呻き声と一緒に身体が離れる。
 肩は掴まれたままだった。
 やっと合わせる事の出来た目を見て宍戸は眉根を寄せた。
 鳳が辛そうで。
 ひどく辛そうで。
 こんな獰猛な目をした鳳を宍戸は初めて見た。
「好きだ」
「…………長太郎…」
 好きだ。
 鳳が、そうまで懸命になって告げる言葉を、自分こそ本来ならば、彼の倍は言わなければ伝わらない。
 宍戸はそう思った。
 だから。
 はやく。
 ここではもう、泣き出すのを我慢するのに精一杯で、口がきけないから、だからはやくどうにかしてくれと希う。
 宍戸は一言だけ鳳に同じ言葉を返して、今までの比ではない力で抱き締められてから、あとはもう、一刻も早くどこかに閉じこもりたいとだけ、願って目を閉じた。









 歩きなれた道。
 学校から鳳の家まで殆ど話をしなかった。
 鳳の部屋の扉からベッドまでは殆どもつれ込む様になって、倒れこむ。
 制服をもどかしく脱がせあい、唇を合わせて舌を絡ませあう。
 即物的に手のひらに捕らわれても、そのまま性急に口腔に含まれても、構わなかった。
 自分の身体の何が溶け出していくのか判らない感触だけ怖くて、宍戸は鳳の肌にしきりに触れていた。
 粘つくような手つきの自覚はあって、居たたまれない羞恥心にまみれながらも止められなかった。
 鳳の舌に濡れそぼった箇所はどこもひどい熱をもって脈打っているようで、宍戸は朦朧となりながら鳳の身体の上に乗り上げる。
「……宍戸さん…?……」
「ン………」
 鳳の首筋に口付けながら、足を開き、鳳の胴体を間に置いて膝をつく。
 鳳へと指を伸ばすと、苦しげなそれに指先が触れて、宍戸は小さく啼いた。
 宍戸のしようとしている事を、鳳は全部、見上げている。
 そして宍戸は、そんな鳳を全部、見下ろしている。
 身体より先に視線はもう完全に繋がっていて、だからこそ急くように、そこからも早くちゃんと繋がりたくて宍戸は膝立ちになった。
 拓かれるのとは違う。
 受け入れるだけなのとも違う。
 鳳の顔の両脇に手をついて、自ら含み入れていく触感は生々しかった。
 ひっきりなしに小さな声がもれて、唇が震える。
 宍戸はきつく手元のシーツを握り締めながら、身体を沈めていった。
「く…、…ぅ、…、っ…、…ぅ…、ぁ」
「……宍戸さ…、……」
 その間中、髪を撫でられる。
 何度も、啄ばむようなキスをされる。
 片肘で身体を支えて、肩を浮かし、首を伸ばし、窮屈な体勢でも鳳が甘く与え続けてくれるキスを感じながら、奥深くまで、全部。
 宍戸は自分からも鳳に口付けてから、徐々に肘を伸ばし、腕を突っ張った。
 上半身を起こしていくさなかに、更に、もっと、繋がりが深まるのをまざまざ感じ取りながら、宍戸は最後、揺らめくように背を反らせた。
 両腕が身体の脇に落ちる。
 揺れる。
 染み入るような刺激に肩で息をつきながら、宍戸は目を開けた。
 潤む視界に、鳳を探す。
「長…太郎……」
 もつれる舌で、みつけた相手の名前を呼んだ。
 いつもは見上げている顔を今は見下ろして、浅い呼吸を何度も何度も宥めては、一つの言葉を口にし続けた。
「……好き…だ…」
「宍戸さん」
「好き、だ…」
 鳳が息を詰める。
 宍戸の体内にある熱の存在感が膨れ上がる衝撃に震え慄きながら、宍戸は繰り返した。
 好きだ。
 でも、伝えきれない思いの方がやはりまだ強くて苦しい。
「好きだ…、……」
 言葉から零れてしまう気持ちが辛い。
「お前が…、……好きだ……」
 溢れて溢れてどうしようもないのに、鳳に全て流せていないのが怖い。
「長太郎、」
 嫌だ、もう、と首を振って涙を振り零して、宍戸は身体をぎりぎりまで浮かせる。
 のけぞったまま首筋を反らせて一気に身体を落とす。
 嗚咽が伸びて、喉から高い泣き声がか細く響いた。
「…、ッ……宍戸…、さ……」
 身体の深くまで鳳をのんで、大きな手のひらに鷲掴みにされた腰だけで身体を支えられ、宍戸はびくびくと肢体を痙攣させる。
 どうやったら伝えられるのか判らない。
「宍戸さん……、待って、泣かないで…どうしてそんなに泣くの」
「……、っ……ぅ…」
「……宍戸さん……辛い…?」
 お願いですからちょっと待ってと掠れた声に哀願されて宍戸は鳳に視線を合わせた。
 餓えた顔で、愛しいと食い入るように訴えてくる雄弁な眼差し、それが、自分にも欲しかった。
「…、っ…く……」
 無理しないでと鳳は言ったけれど、無理ではないから宍戸は聞かなかった。
 鳳の腹部に手をついて、また身体を浮かせていく。
 信じられない拓かれ方をしている箇所を更に擦られて、両腕が震えて震えて止まらない。
「宍戸さ…、……」
 喉を鳴らし、息を詰める鳳が、片腕で宍戸の腰を支えつつ、もう片方の手では宍戸の動きを食い止めようとする。
「お願い……無茶して、壊したくない…」
 懇願する鳳を、宍戸は泣き濡れた目で睨みつけた。
「……これ…で…も、…足りない」
「宍戸さん」
「壊れても、…無茶でも、…俺が、お前を好きだってことと、…これっぽっちも…釣り合わ…ね…よ…、」
 宍戸の中に在るもの。
 鳳へ差し出してしまいたいもの。
 どうやっても見合わない。
 その気持ちを正しく等しく表せる方法が見つけられない。
 だからずっと不安で、怖かったのだ。
「…長太郎」
 好きだ、と口にして、涙を零す。
 繰り返す。
 好きだ、そう告げて、浅い息を継ぎ、泣いて、感じて、嗚咽と恋情に濡れる。
 もう本当に、どうにかして欲しかった。
 気持ちを自分で表しきれないもどかしさに、宍戸は、それならばもう例え強引にでも構わないから、鳳に命じてしまいたくなる。
 引きずり出して奪えと、止め処もない自分の恋愛感情に慄いて宍戸が自分の胸元に片手を当てて鳳を見つめた時だ。
「………ッァ…ぁ…ア、…っァ」
「……、……っ…宍戸…さん」
「ひ、ッ…、…っ……ぅ…、」
 物凄い力で下から突き上げられて、宍戸は断続的な痙攣と、不規則な声でバラバラにされかけた。
 鳳の腕は宍戸の腰から宍戸の両方の二の腕へと移っていた。
 二の腕を鷲掴みにされて、そこだけを支えにしてきつく体内を抉られる。
 動きのあまりの強さに首から頭が揺さぶられた。
「ん…、っ、く、ぅっ…、ァっ…」
 送り込まれる動きと共にベッドへ押し倒された。
 すでに行き場のない所へ尚も強引に入り込まれたようなあまりの衝撃に宍戸が震えながら吐き出している間も、鳳は動きを止めなかった。
 長い指が、大きな手のひらが、宍戸の泣き濡れた頬や目元を撫でまわす。
 壊れたようになったのは、身体ではなく感覚だ。
 触れられた顔の皮膚でも感じ入って、宍戸は半ば意識を飛ばしながら、鳳の手のひらに口付けて、舌でそこを舐める。
 鳳も宍戸と同じ感覚を覚えたようで、宍戸の中で強張りが液体とも固体ともつかない熱を吐き出してきた。
「…、…っ…ふ、…っぅ…、…く」
「好きだ、」
「…ッ……ぁ……、ぁ…、長太郎……」
「好き…なんです……宍戸さん。本当に、俺はどうにかなりそうで…」
 鳳は言った。
 宍戸の名前も、好きだという言葉も、何度も口にした。
 鳳の腰を、広げた両足に挟み込んで、まるで鳳の執着のように吐き出されてくるものを受け入れながら、宍戸は頷く。
 同じ回数。
 好きだと告げられた回数。
「……長…太郎…」
「ん、……宍戸さん…」
 もつれた舌を吸われる。
 唇をひらく。
 深くなる。
 強くなる。
「こんなことして…」
 宍戸さんに嫌になられたら俺はどうしたらいいんですかと、当の宍戸に向かって恨み言を言う鳳の頭を宍戸は震えの止まない両腕で抱き込んだ。
「………のが…いい」
「…宍戸さん?」
 ほんの少しも、宍戸に乱暴などしたくないのだと思っている鳳を知っているけれど。
 宍戸は両腕で、鳳に取り縋る。
 懇願するように力を込める。
「たまにでいい……こうされないと、…どうにか…なる、から…」
 自分自身で表しきれないのだ。
 鳳を、好きすぎる気持ちを伝える術に迷うのだ。
 それならば、どれだけの無茶をされてもそれが嬉しいのだという身体と態度で判られたい。
 宍戸の望みを聞いて、鳳は困ったような吐息を零したけれど。
「そんな、つけ上がらせないで下さい」
「……なんで?」
「俺、宍戸さんが好きすぎて、普通じゃないでしょう。どう見たって普段から」
 それなのにまだ許されたら本当に何するか判らないと告げてくる鳳の胸元におさまって、宍戸は呟いた。
「だから普通じゃないくらい好きなのはこっちなんだっての」
「宍戸さん?」
 こうしてゆるく抱き込んでくれる腕も心地いい。
 でも、欲しいだけ全部貪られる事も望んでいる。
「長太郎」
「はい…?」
「もう一回」
「だから………ねえ、宍戸さん。俺の話聞いてますか?」
 情けない声を出す鳳に宍戸は笑みで返して、聞いてる、と言いながらキスをした。









 喧嘩をしても、冷戦状態を経て、仲直りをしても。
 好きだとうんざりする程に、告げあったとしても。
 まだ完全に、恋愛感情にただ甘く浸りきれないこの気持ちを、ゆるく和んだものにするには、長い長い時間がかかるらしかった。
 少し落ち着くだけのことに長い長い時間が必要らしかった。


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